2009年08月06日
五輪翌年のスポーツは全体として
世代交代やモチベーションの問題から記録が出にくい、
とはよく言われることです。
それはメディアも同様で、
五輪でおなかいっぱいになったメディアは
「五輪の余韻」と「次への布石」で報道を形成しがちになります。
必要以上の侵食に飽き気味の我々には
今の報道はむしろ心地よく、
不意に見え隠れするメディアの算段には警戒心をいだいてしまいます。
今回の世界水泳もまたしかり。
一時ほどの煽りはなかったのではないでしょうか。
「北島後」を入江に託そうとする一連の報道は目についたものの、
個人への負荷は以前よりも軽減したといえそうな印象をもちます。
北島が引退表明していない点が、
結果として焦点をいい意味でぼやけさせているのかもしれません。
水着をめぐる世界的な闘争もまた
「競技とは」という問題を浮き彫りにしています。
男子100mバタフライに代表される水着が媒介となった闘争は、
フェルプスが勝ったことで「競技の意地」を押し出しました。
高速水着が今回で姿を消すことも含め、
「人が泳ぐ」ことに収束していったのではないでしょうか。
ここ数年、メディアもスポーツをある種湾曲させて伝えてきたのならば、
この問題は「泳ぐのは選手たちである」という根底を再認識させてくれているかもしれません。
ショーアップ化とビジネス化よって肥大したスポーツが、
さまざまな外的要因に揉まれてたくましくなり、
再び競技そのものへ収束していく。
この姿はある種理想的で、
スポーツとビジネスのベストなバランスに少しずつ近づいていく過程だと見ることができます。
スポーツ単体で動くだけでは発展は難しい。
メディア、スポーツ周辺ビジネスの力は不可欠だが、
彼らに利用されてはならない。
双方にメリットがあり、かつ人々を引き付ける、
最適なバランス。
模索は永遠に続くのかも知れないが、しかし確実に前進している。
そう信じさせてくれる世界水泳だったのではないだろうか。
posted by sportstamasii |22:48 |
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2009年07月22日
世界陸上の開幕を前に、
陸連がTBSに選手につける「キャッチコピー」をなくすよう要請したそうです。
ニュースはこちら
この報道は近年のスポーツとメディアの関係性に一石を投じるものでしょう。
侍ハードラー、マッハ末続、エアー大地・・・
多くの強引なネーミングは「煽り」にはとても便利ですが、
加熱するにつれて本質から外れていっていることは
素人目にも明らかでした。
陸上競技ですら自身がマイナースポーツであるという自覚は強いと思います。
そんな陸上競技がオリンピック以外でも大きな注目を集め、
メディアへの露出、競技の裾野拡大の機会を与えてくれているのが
世界陸上。
テレビ局にしても視聴率がとれない時代において「世界○○」
は話題を呼べる貴重なコンテンツです。
スポーツとメディア双方の思惑が合致し、
「テレビのやり方でスポーツを盛り上げる」手法が近年定着してきました。
人々の認知度と注目度は大きく向上したと思います。
ただ一方で生まれたのが、
必要以上の煽りと世界との距離感を見あやませるような日本選手への過度の期待。
キャッチコピーをつけるのも選手への過度の期待の一環でしょう。
足枷をはめられたかのように選手たちは必要以上の重責を感じ、
本質とは異なるプレッシャーに押しつぶされる光景が何度も繰り返されました。
陸上でいえば大阪大会がそのピークだったと言えます。
いったん興味を持った人々も目が肥え、
日本選手と世界トップレベルの差に気づいてきているのではないでしょうか。
世界のサッカーを知った日本人が日本代表というだけでチヤホヤは
しなくなったように、
メディアには単純にだませれない視聴者が増えている。
「テレビのやり方」では肝心の選手がつぶれてしまい、最も大切なスポーツの本質が失われてしまう。
同時に視聴者の心も「テレビのやり方」ではスポーツから離れてしまう。
陸連が視聴者サイドにまで考えを及ぼしていたかは不明ですが、
今回の動きは単にキャッチコピーの禁止にとどまらない、
スポーツとメディアの関係性を動かす一歩になるはずです。
「テレビがスポーツを利用し、
スポーツもテレビによるメリットを享受する。」
という関係性から
「スポーツがテレビを利用し、
テレビがスポーツからメリットを得る」関係へ。
テレビというメディアの覇者の言いなりにならない、
成長したスポーツと視聴者をメディアに感じさせる契機となる
世界陸上がみられるかもしれません。
posted by sportstamasii |13:12 |
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2009年05月03日
世界卓球2009 横浜。
男子ダブルス岸川・水谷ペアのメダルが確定し、
大きな盛り上がりの一つをむかえたように見えます。
そこで、今回は
メディアにおけるソフトとしての
「卓球」を考えます。
バレーボール、陸上、柔道、水泳、フィギュアなど、
「世界○○」がキラーコンテンツとなって
久しいテレビ界。各局に得意な「世界○○」があり、
数年に一度(あるいは毎年)気合の入った中継が行われます。
スポーツはドラマ性と全世代共通性を高度に併せ持ちます。
事前の煽りや結果得られる視聴率まで含めて
テレビ界は「世界○○」に頼っている節さえあるのが現状。
バドミントンやビーチバレーなど、次の「世界○○」探しに
テレビ界、広告業界は躍起になっているのでしょう。
そんな中根気強く中継を続け、関係を築いているのが
テレビ東京と卓球。
「世界○○」としては明らかに後発です。
しかし”キラーコンテンツ化への挑戦”という意味で
メディア、協会双方に良い意味での野心が感じられ、
注目してきました。
メジャースポーツへ駆け上がるために
「スター」の存在は不可欠。
卓球には福原愛という国民的な選手がいます。
あまりにも多くのものを彼女は背負っていますが、
彼女はそれに必死で応えています。
いわゆる「アイドルアスリート」とはルーツをまったく異にする彼女。
その存在は「国民的」というにふさわしく、
彼女は間違いなく今の卓球界を牽引しています。
ただこれまでは福原愛≧卓球であり、
卓球よりも「福原を見る」傾向が強かったように思えます。
しかし、テレビ東京の根気とオリンピックによって
状況は少しずつ変化してきているといえるでしょう。
今回のメダルにいたる男子陣の活躍。
スター選手の登場時に際立つ王者(女王)の存在感。
連続性に不可欠な次世代の台頭。
期待を込めて彼らを伝えるメディア。
どれもが卓球にはあります。
メディアとその先の人々を惹き付ける要素を持っているのです。
しかし。
毎回見ていて惜しいと感じてきたのは、
卓球というスポーツの
「画面の動かなさ」。
スポーツをメディアで”魅せる”ことを考えた時に
映像として迫力があるかどうかは重要な要素だと考えられます。
残念ながら卓球は台・選手をおさえても画面が余ります。
選手達は躍動しますが画面は動かない。
(スイッチングの問題とかそういった技術的意味ではありません。)
また、球も小さい。
これは「魅せるスポーツ」という点において不利だと感じてきました。
メディアを呼ぶために不可欠な集客の意味でも
「スペースが狭い」ことは不利に思えてなりません。
満を持しての日本開催。
懸念点をぬぐって今後卓球がキラーコンテンツになれるかの
重要な分岐点ではないでしょうか。
日本男子ペアのメダル獲得をかけた試合には
多くの人が詰め掛けていました。
バレーボールの観客ように
棒状のバルーンをバチバチとぶつけて応援する様。
会場DJによる観客への声。
その是非は別にして、
テレビを通して会場の熱は伝わってきました。
番組制作側も同じように情熱を注いでいたように感じ、
必然的に見ている私達の感情も昂ぶりました。
この熱をこれから爆発させることはできるのでしょうか。
時流もあって大会メインスポンサーは
なかなか決まらなかったという報道もありました。
こういった時だからこそ世界に活力を与えられる力が
あることもスポーツの魅力です。
魅力をどう引き出すか。
どう伝えるか。
これからも「挑戦」に期待したいと思います。
posted by sportstamasii |18:26 |
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2008年05月01日
井上康生代表落選。
そして引退へ。
五輪代表選考大会となった2試合、
あまりにも舞台が整い、煽られてしまった
井上康生を巡る物語は何だったのか。
メディアは井上康生にどうなってほしかったのか。
視聴者は何を待っていたのか。
石井慧の心境は。
棟田康幸の想いは。
オリンピックの金メダリスト。
その存在は「国民的」なものになる。
中でも谷亮子、高橋尚子、そして井上康生は
近年最も「国民的」存在ではなかったか。
圧倒的な強さとその全方位的なキャラクター。
人々は彼らを支持し、
メディアは彼らを取り上げ、持ち上げた。
「金メダル後」の彼らは
特別なものを背負いながら選手生活を送らねばならない。
今回、そうした環境が
窮地に立たされた井上康生を苦しめたように見える。
(高橋尚子についても同様のことがいえる。)
人々は逆境を跳ね返す彼を見たかったのだろうか。
メディアはそれでも彼を中心に
ドラマを組み立てなければならなかったのだろうか。
現在メディアがスポーツを伝える形にはいくつかのパターンがある。
浅尾美和に象徴される「アイドル」的な扱いが一つ。
今回の井上康生のような「国民的スター選手」としての取り上げ方がまた一つ。
今回の一連の報道及び組み立て方に、
後者の形にもまた
メディアの意図と現実との乖離、
そして選手本人の苦しみを感じた。
スポーツとメディアの適正な距離とは。
オリンピックを前に、この問題と常に向き合わなければならない。
posted by sportstamasii |20:51 |
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2008年03月09日
ついに、
2008Jリーグ開幕。
結果は・・・
J1の6試合中3試合が引き分け。
昨季2位の浦和は負け、
3位のG大阪は引き分け。
4位の清水も負け。
CB二人を欠き不安視された鹿島だけが快勝。
「開幕戦は難しい」
が見事に体現された今シーズンの幕開けになりました。
新たなユニフォームが似合う選手、似合わない選手
なんていう視点でニュースダイジェストをみるのも楽しい。
ダイジェストといえば、
メディアの取り上げ方です。
軒並み、今年は一際大きかったように感じます。
たしかに、メディア的には今日の
「高原 VS 中澤」
は演出しやすい恰好の構図です。
いわゆる”サッカー好き”以外にも訴求しやすいテーマ。
(日テレが得意な形)
ただ、こうした材料を抜きにしても
メディア的高揚感があったように思います。
その要因の一つが、
今日の観客動員に象徴される、
「人々のJへの関心度の高さ」
であるといえるのではないでしょうか。
代表と海外ばかりを取り上げてきた
メディアのサッカーへの姿勢に反して、
横浜は満員になり、私たちはJリーグを求めた。
メディアが
「人々が求めるもの」
を伝える存在だとするならば、
Jを取り上げる機運の到来も
当然の結果です。
一方で、メディアが発信源となって人々に訴求する役割を担うのも事実。
ファンが先か、メディアが先か、
という議論になります。
しかし実際はどちらかということではなく、
「人々が求め、メディアがそれを伝え、
それによりそれまでは求めていなかった人までもひきつける」
というサイクルが存在しているということだと
私は思っています。
このサイクルに
Jリーグがはまっていく、
爆発的に広がるキッカケになるのが今シーズン。
そんな期待を胸に抱いています。
posted by sportstamasii |00:43 |
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2008年01月29日
岡田監督の試合前日の会見
(http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/kaiken/200801/at00016112.html)より抜粋。
――明日、お客さんが少なくなるかもしれないことについて、監督としてどう思うか
僕らは当然、たくさん来てもらいたいし、その方が選手のモチベーションも上がるわけですが、欧州では代表チームの親善試合で満員になることはまず、ないです。週末のリーグ戦はいっぱいになりますけど、水曜日のナショナルチームの親善試合は、まず入らない。公式試合なら入りますけどね。Jでいったら練習試合という位置付けだから、ある意味、日本のサポーターも成長してきたと。こういうこと言うと協会に怒られるかな? 書かないでください(笑)。本当に、見極めてきたのかな、という気はしていますね。テレビ局に怒られるかな(笑)。
おそらく会場では笑いが起きるような雰囲気だったのでしょうが、
私はこの言葉の中に
岡田監督の
いろいろな「思い」や「皮肉」、「哲学」
がにじみ出ているように感じました。
言い訳っぽさを出しながらも、
確信犯的な言葉。
サッカーが文化である欧州に
近づくことが、
「協会に怒られ」、
「テレビ局に怒られる」
ことになる、ということです。
サッカーそのものではないですが、
「この監督についていってみようかな。」
と思う言葉でした。
明日、私は試合を見ます。
posted by sportstamasii |22:07 |
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2008年01月09日
今最もおみくじの結果を世の中に知られているスポーツ選手
潮田玲子。
いわずと知れた「オグシオ」ペアの一員。
「凶」をひいてしまったことにより
その日のスポーツニュースで
こぞって取り上げられていました。
小ネタとして入れるにはもってこいのニュースです。
新年、始動の時。
プロ野球選手の姿こそあったものの、
数年前まで、今のように多岐にわたるスポーツの
情報が得られることはありませんでした。
時代は多くのスポーツを求め、
多くのヒーロー、ヒロインを求めています。
時代が求めている?
いや、メディアが求めているのかもしれません。
スポーツは今や数少ない「国民」という単位で
人をメディアにひきつけるコンテンツです。
そのコンテンツは多ければ多いほど
メディアにとっては良い。
だからメディアは新たなスポーツを求め、
「スポーツコンテンツ」に不可欠な
ヒーロー、ヒロインを求める。
「新たなスポーツ」とされるフィールドの選手たちは
自ら、そして自らのスポーツの裾野を広げる恰好のチャンス。
メディアと選手はWINWINです。
ただ。
ヒーロー、ヒロインには結果が宿命付けられてしまいます。
この宿命は時に残酷です。
特に今年は五輪の年。
世界との距離感をいつの間にか縮められた
報道がどれほど多いことか。
そう考えると冒頭に述べた「オグシオ」は
実は宿命を果たせる可能性の高い方だと思います。
なんて、スポーツとメディアの構造に辟易しながらも、
スポーツの持つ魅力に取り付かれた私たちにできることは
願うこと。
宿命はメディアが背負わせた重圧。
そんなものは脱ぎ捨てて、
メディアも世間もおみくじも
ひっくり返るぐらいのスポーツを見せてほしい!
posted by sportstamasii |21:55 |
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2008年01月06日
小野、稲本、高原。
この3人を題材とし、
ここ数年年末年始恒例となっている
サッカードキュメンタリー番組、
「ワールドカップをめぐる冒険」
今年は放送がなかった(?)ようです。
「黄金世代」の象徴である3人。
毎年、彼ら3人の「リアル」に迫る見ごたえのあるドキュメントでした。
実際、彼らには多くのドラマが宿っています。
日本サッカーにおける多くの
「新たな1ページ」
は彼らとともにつくられました。
メディアも視聴者も、
彼らの真実を追い求めました。
それ故に彼らは「特別な何か」を背負ってしまったとも考えられます。
そして今。
高原は日本へ。
稲本はドイツに。
小野は新たな地を探して。
それぞれがそれぞれのドラマある戦いをしています。
ドイツが彼らの冒険の終着点とは思えません。
本当の
「ワールドカップをめぐる冒険」
はこれからはじまるとはいえないでしょうか。
時に険しく、時に残酷な冒険。
しかし彼らにしかできない冒険。
メディアが時として求める幸福な結末はそこにはないかもしれません。
それでも、栄光と挫折の先に、
彼らが何を見、何を感じたのか。
彼らの「特別な」言葉を聞く日が来ることを、
強く願います。
posted by sportstamasii |19:38 |
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2007年12月09日
少し前の話になりますが・・・
ビーチバレーの浅尾美和選手が
フジテレビののスポーツニュース番組に生出演しました。
その異例な扱いに驚き、
いつか記事にしようとあたためていましたがここで書きます。
時はサッカーU22がアウェーで勝利し、
一時は危機的だった五輪をぐっと引き寄せた日。
番組は
独自の切り口で浅尾美和を
とりあげ続けました。
あらゆるスポーツニュース中に
ワイプで右下または左下に浅尾美和。
一端スタジオに戻れば浅尾選手にコメントを
求める。
上田桃子、宮里藍、小椋・潮田ペアのニュース時は
完全な制作側の確信犯を感じました。
たしかに彼女には類まれな「華」があると思います。
特にテレビ的な「華」が。
本人もそれを分かっているのでしょう。
ビーチバレーのため、彼女の活動は大きな意味を持ちます。
それ故に結果も求められ、苦しむこともあるでしょう。
しかし彼女はその重責を十分すぎるほどに果たしているように
見えます。
疑問なのは、
このような露出の仕方を許す
ビジネスの臭いをかぎ分けている大人たちです。
どうか、このままの傾向が行き過ぎて
スポーツの大切な部分を誤らないでほしい。
そう願います。
せめてもの救いは、
「現状五輪は厳しい」
という解説がなされていたこと。
夢と理想と現実。
メディアと選手とファン、視聴者。
これらの距離感を、
どうか適切に伝えてほしい。
そう願います。
posted by sportstamasii |23:26 |
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2007年11月06日
ナビスコカップ決勝は、
唯一といっていいほど
フジテレビが真剣に国内大会を中継する試合です。
サッカー中継を考えた時、
「民放地上波ならフジテレビ」
と信頼感をよせる人は多いはず。
そのフジテレビが事前にすぽると内でも
コーナーを作って盛り上げ、
むかえた当日。
国立は超がつくほどの満員。
緊張感のあるゲーム。
視聴者の満足感は高かったのではないでしょうか。
フジテレビの立場になれば、
ワールドカップバレー
一色になっても
おかしくないタイミングであったはずです。
にもかかわらず、
当日は時間の短縮が可能なバレーボール特番を
ナビスコカップの後ろに持ってくる
番組編成でした。
延長、PKに対応できるように。
この姿勢には心から敬意を表したいです。
サッカーを伝えるということ、
スポーツを伝えるということ、
優勝が決まるということ、
涙を飲むチームが決まるということ。
これらを考えた時に
中途半端な形での中継は考えられません。
「しっかりと伝える」
という核の部分が大切にされていた
といえるのではないでしょうか。
スポーツと、それに関わる全ての人にとって
盛り上げすぎるのも罪、
取り上げないことも罪、
だと私は思います。
大切なのは
現実と理想、
選手とサポーター、
作り手と視聴者、
メディアと世論、
・・・
これらの距離感を適切に掴むこと。
いろいろな問題や利害関係は絡むと思います。
それでも根本の、純粋なスポーツの魅力が
もっとも引き出される形を
これからも期待していきたいです。
posted by sportstamasii |22:25 |
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