2011年01月10日
高校サッカーより~なぜ高校スポーツは面白いんだろう?~
高校サッカーの頂点、いわゆる『選手権』は 滝川第二の優勝で幕を閉じた。 毎年、年明けは学生スポーツに引き込まれる。 高校だけでもサッカー、ラグビーがTV中継され、 今年からはバレーボールも1月この季節になった。 大学スポーツも軒並み日本一が決まる季節だが、 今回は高校サッカーを中心に、高校スポーツのもつ魅力について 考察を行ってみたい。 スポーツそのもののレベルを見る時、 当然高校生のレベルは落ちる。 「高校生なのにすごい」という感想はあっても、 競技そのものとしてのハイパフォーマンスを私たちは高校スポーツに求めていない。 しかし、のめりこむ。 なぜか。 もちろん、力の差がひっくり返りやすい故に生まれるドラマ、 選手一人一人にあるドラマ、彼らを支える人々のドラマが 私たちを熱くさせるという面は確かにある。 しかし、それだけではないだろう。 まず挙げたいのは、高校スポーツは、誰しもが自分の過去に重ねることができること。 高校生活は多くの人々が経験している。 部活動を経験している者はそのまま重ね合わせるし、 していなくとも例えば「サッカー部」は身近に存在してきたはずだ。 プロのサッカー選手は身近にはなかなかいないが、 部活なら想いを寄せることができる。 自分たちの延長線上。そう思えるのだ。 地域として自分が過ごした、戦った大会の延長であったり、 同じく経験した3年間という刹那性を思い起こしたり、、、 といった様々な角度をひっくるめての、追体験。 学生スポーツの魅力である。 もう一点あるとすれば、 それは高校を卒業し、社会で働く者にこそ響く、 スポーツの、とりわけ高校スポーツの純粋性ではないだろうか。 高校生たちは3年間のすべてをスポーツにささげてきた。 その上で、結果は純粋に勝敗で決まる。 このクリアな世界にどこか憧れを抱いてはいないだろうか。 社会に出れば、あらゆるところに曖昧さがあふれ、 グレーで染まったまま物事が動く。 勝ちか負けかもわからない政治的な世界の中で どこに向かってよいかも分からず進まざるを得ない。 そんな経験を誰もがつむ。 だからこそ、高校スポーツの持つシンプルさ、純粋さは輝いて見えるし、 曇りなくその世界に身を置ける彼らにどこか羨望を持つのではないだろうか。 自分もそこにいたことを思い出し、 勇気をもらうことができるのではないだろうか。 あの頃あれだけ純粋にがむしゃらに打ち込んでいた自分に、 もう一度出会える気持ちを奮い起こしてくれるのではないだろうか。 根拠もデータも何もないが、 これが「なぜ高校スポーツがこんなに熱くなるんだろう」という 問いへの私の考察だ。 数年前の高校サッカーテーマソングの歌詞が胸に響く。 ” いつか今日が過去に変わり 今に負けそうになっても 僕たちは思い出すだろう 情熱に染まった日々を ”
posted by sportstamasii |21:00 |
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