2007年11月04日
いや、逆転優勝、おめでとうございます。
しかし、まだ17歳でしょ? 俺が17の時ってなにやってただろ? 末恐ろしいというより、すでに恐ろしいw
以下、ウィキペディアより抜粋。
浅田 真央(あさだ まお、ラテン文字表記:Mao Asada、1990年9月25日 - )は、日本の女性フィギュアスケート選手。愛知県名古屋市出身。愛称は「真央ちゃん」。血液型はB型。中京大学附属中京高等学校に在籍。姉は同じくフィギュアスケート選手の浅田舞。
12歳の時に特例で出場した2002年全日本選手権で、高難度のジャンプを着氷し注目を集める。2004年全日本選手権では、日本人3人目となるトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を成功させた。2005-06シーズンから参戦したシニアの競技会でも、GPファイナルで優勝。特例によるトリノオリンピック出場を期待する声もあったが、国際スケート連盟の定めた年齢制限に87日足りないため代表資格を得られなかった。
2006-07シーズンにはNHK杯で新採点システムにおいてのISU歴代最高得点を記録し、全日本選手権では初優勝を飾った。2007年世界選手権東京大会では初出場ながら銀メダルを獲得。また同シーズン終了後の現在、女子シングル部門のISU世界ランキング第1位である。
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2007年11月04日
それでも2位につけているのが安藤美姫のスゴイところか。転倒後の演技を立て直せた、ということなのですから。
以下、ウィキペディアより抜粋。
安藤 美姫(あんどう みき、ラテン文字:Miki Ando、1987年12月18日 - )は、日本の女性フィギュアスケート選手。愛知県名古屋市出身。トリノオリンピック女子シングル日本代表。2007年世界フィギュアスケート選手権優勝。愛称は「ミキティ」。トヨタ自動車所属。中京大学体育学部在籍中。
愛知県名古屋市生まれ。名古屋市立見付小学校、名古屋市立城山中学校、中京大学附属中京高等学校卒業。これまでの所属クラブは名東FSC、オリオンFSC。高校卒業後はトヨタ自動車に入社し、中京大学体育学部に社会人学生として在籍中。
2001年、第70回全日本選手権に特例出場し、いきなり3位に入賞し注目を集める。2001年、2003年ジュニアグランプリファイナル優勝、及び2002年には、女子のISU公式大会では史上初となった4回転サルコウジャンプを成功させた。2004年世界ジュニア選手権優勝。
2006年に出場したトリノオリンピックでは15位に終わったが、その後ジャンプを基礎から作り直し原点回帰を図り、コーチにニコライ・モロゾフを迎えた2006-2007年シーズンのグランプリシリーズ初戦のスケートアメリカで当時歴代3位となる高得点で優勝を遂げ復活を果たし、東京で開催された2007年世界選手権では日本人4人目の世界女王となった。この実績により、スポーツ功労者顕彰(文部科学省)、JOCスポーツ賞最優秀賞を受賞した。
少女時代(-2000)
友人に誘われ、8歳でスケートを始める。最初は、ジャンプやスピンの指導を行わないスケート教室に入会したが、当時のコーチに勧められ、門奈裕子コーチが教えるスケート教室に移った。同クラブには浅田舞・浅田真央姉妹らがいた。
1998年の全日本ノービス選手権Bクラスに出場し3位。次季1999年のAクラスで初優勝を飾った。
中学時代(2000-2003)
2000-2001年シーズンから、新横浜の佐藤信夫コーチに師事。早くもこのシーズンから、女子最難度のコンビネーションジャンプとされるトリプルルッツ-トリプルループをプログラムに導入。2000年の全日本ノービス選手権Aクラスで2連覇を達成し、国際競技会ノービスクラスでも2連勝。全日本ジュニア選手権では初出場の前回より順位を上げて3位に入賞した。
2001-2002年シーズン、2001年の全日本ジュニア選手権で優勝を飾り、ジュニアグランプリファイナルでも優勝を果たす。特例で出場したシニアの第70回全日本選手権、2002年の世界ジュニア選手権では共に初出場ながら3位に入賞。
2002-2003年シーズン、2002年の全日本ジュニア選手権で2連覇を達成。連覇が期待されたジュニアグランプリファイナルではショートプログラム5位と出遅れるも、フリースケーティングで女子シングル史上初の4回転サルコウジャンプを成功させ3位となる。2003年の世界ジュニア選手権では2位に入賞した。
高校時代(2003-2006)
2003-2004年シーズン、2003年のジュニアグランプリファイナルでは2季ぶりに優勝し、全日本ジュニア選手権で再び4回転サルコウを成功させ、荒川静香以来史上2人目となった3連覇を達成。第72回全日本選手権でも再び4回転サルコウを成功させ、村主章枝や荒川らトップスケーターを抑えて全日本初優勝を飾った。2004年の世界ジュニア選手権では3季連続表彰台に上がり初の金メダルを獲得、ジュニアグランプリファイナルと併せ世界大会2冠を達成する。荒川が世界女王となったシニアの2004年世界選手権では、初出場ながら4位入賞と好成績を残した。
2004-2005年シーズンからシニアへ完全移行し、シニアのグランプリシリーズに出場。シニア本格参戦でいきなりグランプリファイナル進出を果たし、続く第73回全日本選手権では2連覇を達成した。2季連続で出場した2005年世界選手権では6位入賞にとどまった。
2005-2006年シーズンより拠点をアメリカに移し、スコーバレーオリンピック女子シングル金メダリストのキャロル・ヘイス・ジェンキンスに師事。3連覇が期待された第74回全日本選手権では6位に沈んだものの、グランプリシリーズの代表選考ポイントでトップを維持し、トリノオリンピック日本代表に荒川静香、村主章枝と共に選出された。
五輪前の年末に右足小指を骨折。本番前に完治したと語ったものの、鎮痛剤を服用しての100%ではない状態だった。髪をショートヘアにして迎えた本番、ショートではミスを連発し8位と出遅れる。フリーでは4回転ジャンプに挑むも回転不足で転倒(練習でも成功率は僅か2割だった)、その後のジャンプでも次々と転倒し、総合15位と惨敗で終わる(荒川は金メダル獲得、村主は4位入賞)。しかし、安藤は順位を求めに来たわけではなく、4回転を跳びに来たと語っており、4回転にトライできて良かったと初の五輪を笑顔で締め括った。五輪終了後には、日本スケート連盟の特別強化選手から強化選手に一度格下げされたが、荒川静香のプロ転向で、再び特別強化選手に格上げ指定された。
大学生時代(2006-)
2006-2007年シーズンからニコライ・モロゾフに師事。さらに門奈裕子コーチの下でジャンプを基礎から作り直し、モロゾフの指導で体を絞って迎えたグランプリシリーズ初戦のスケートアメリカでは、ショート・フリー共に持ち技のトリプルルッツ-トリプルループのコンビネーションジャンプを久々に決め、ほぼノーミスの演技を披露し、ショート首位だった浅田真央を逆転してグランプリシリーズ初優勝。パーソナルベストを大幅に更新し、当時歴代3位の高得点をマークした(荒川がトリノ五輪で金メダル獲得時の得点をも上回った)。続くエリック・ボンパール杯では、フリーで冒頭のトリプルルッツで転倒するも、ジャンプを立て直して総合2位となり、3季連続でグランプリファイナル進出を果たす。グランプリファイナルでは、ショートでパーソナルベストを更新し2位スタートとなったが、フリー当日に腹痛で体調を崩し、殆どのジャンプを跳ぶことができず1回転ジャンプとなるミスを連発。総合5位に終わり、同シーズンでは唯一表彰台を逃した。12月28、29日に地元名古屋で開催された第75回全日本選手権では、ショートで2位スタートとなったが、演技中に右肩を脱臼した(全治3週間)。フリーでは、中盤のトリプルフリップで転倒、直後のスピンで再び右肩を脱臼するが、モロゾフの「Go! Go!」のサインでストレートラインステップからラストのビールマンスピンもこなし2位を守った。3位内に入ったため、東京で開催される2007年世界選手権の代表選手に浅田真央、中野友加里と共に選出された。右肩脱臼により、出場予定だったインカレ氷上選手権、冬季ユニバーシアードは欠場した。
3度目の出場となる2007年世界選手権では、封印してきた4回転ジャンプに挑戦する意欲を見せていた。2007年3月24、25日の本番、ショートではパーソナルベストを更新して2位スタート。フリーで最終滑走となった安藤は、事前のモロゾフの判断で4回転ジャンプは試みなかったものの、パーソナルベストを更新するほぼノーミスの演技で浅田真央を僅差で抑えて総合1位。荒川静香以来3年ぶり、日本人歴代4人目の世界女王となった。翌日、歌手の絢香が生で歌う中でエキシビションを行った。世界選手権の金メダル獲得により、前年のオリンピックシーズンの不調から完全復活を遂げた。
オフシーズン中には、北米のアイスショー「スターズ・オン・アイス」に招待され、4月5日からカナダで行われた7公演に参加。同月29日に行われたジャパンオープン2007では、トリプルフリップで転倒したものの、女子個人成績1位で日本チームの2連覇に貢献した。7月7日にはアメリカのニュージャージー州ハッケンサックで行われたアイスショー「Miki Ando & Friends」に出演。
現在(2007-)
世界女王として迎える2007-2008年シーズン、グランプリシリーズ開幕前の日米対抗戦でショートプログラムを滑走したが、冒頭のトリプルルッツで転倒した際に右肩を強打し、演技を一時中断する事態となるも最後まで滑り切った。開幕戦のスケートアメリカでは右肩故障の影響で3回転-3回転は跳ばず、ショートはストレートラインステップでエッジが引っ掛かり転倒する思わぬミスがあり2位スタートとなったものの、フリーで追い上げて1位。総合では僅差で2位となり、連覇を逃した。
スケート技術
ジャンプ
ジャンプではサルコウジャンプが得意であり、女子シングルでは世界で唯一ISU公式試合で4回転ジャンプ(サルコウ)を成功させた選手であり、この偉業はギネスブックにも記載された。[1]
現在、女子では最高難度とされている3回転ルッツジャンプ-3回転ループジャンプのコンビネーションジャンプを国際スケート連盟公認の競技会で成功させたことがあるのは、安藤とロシアのイリーナ・スルツカヤの2人だけである。
インサイドエッジで踏み切らなければいけないフリップジャンプを安藤は以前までアウトサイドエッジで踏み切ってしまっていたが、エッジの使い分けを厳しく判定するようになった2007-2008年シーズンからインエッジ踏み切りでの矯正に成功している。
スピン・スパイラル
4回転ジャンプを成功させた世界で唯一の女子選手であることから「ジャンプの安藤」と思われがちだが、スピンやスパイラルではほとんどがレベル4の最高評価を獲得し、取りこぼしが少なく、むしろジャンプよりも高い位置で安定している。
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