2008年10月21日
2008年度のシーズンを東京ドームで
スタートしたレッドソックスの開幕第2戦の様子を
レポートします。
<2008年3月26日>
■日本でのメジャーリーグ開幕第2戦は、
1塁側のエキサイトシートで観戦していました。
エキサイトシートは、打撃練習のボールが飛んでくるため
試合開始前にならなければ、目の前の可動式フェンスを
移動させてもらえません。
ところが、ボールが飛んでくる角度の関係で、
ちょうど座っていたライト寄りには、
一部可動式フェンスがないところがありました。
そこでレッドソックス選手のサインをもらえないかと、
メジャーリーグオフィシャルボールと色紙を持って
待ち構えていました。
ちなみに、このオフィシャルボール1個4,500円もしました。
値段を聞いて、「ええーっ!」と心の中で思いましたが、
次にいつこのような開幕戦に立ち会えるかわからないからと
自分に言い聞かせながら購入しました。
もちろん、前日に投げ終えた松坂大輔投手に
サインをもらうためです。
■座席について周りを見ると、
レフトフェンスからライトフェンスまでずらりと
選手のサインを望むファンがグッズをひもで垂らしていました。
(写真参照)
紙袋に入ったもの、ビニール袋に入ったもの、
カゴに入ったもの、ハンガーにかけられた
レプリカユニフォーム、手紙やメッセージをつけたもの等々、
少しでも選手の気を引こうと工夫を凝らしていました。
■試合開始1時間半前になった頃、
ようやくレッドソックスの選手が姿を見せ始めました。
すると、背番号53をつけた選手が
エキサイトシートにやってきて、サインに応じ始めました。
「この人誰??選手??」と思ったのですが(失礼な話ですが)、
購入したボールではなく色紙を差し出すと
気軽にサインしてくれました。
■しばらくすると、ライトフェンス側でレッドソックスの投手陣が
ストレッチとキャッチボールを始めました。
私達のところには、スッと長身の選手が近づいてきて
いきなり娘にメジャー公式球を差し出してくれました。
感激する娘の横で、
「あの人は・・・、確か前日の試合で松坂投手の次に登板した
ピッチャーで、ホームランを打たれて勝利投手の権利を
消してしまったスナイダ-投手では!」
と、思いつつも素直に喜ぶ娘を見ていると
複雑な心境は吹き飛んでしまいました。
■外野フェンスにずらりと並んだサイン目的のグッズですが、
たまにフェンス際に転がったボールを取りに行った選手が
申し訳程度にサインに応じてくれるくらいでした。
ファンの一番のお目当ては、
松坂投手からサインをもらうことのようでした。
しかしながら、これだけ外野フェンスに人が群れてくると、
グッズだけでなく人までが落ちてきそうなくらい
危険な状況になることは容易に想像がつきました。
おそらく、松坂投手もそのことを心得ていたのだと思います。
そんな中、たった一人だけレフトフェンスから順に
センター方向に向かって丁寧にサインに応じる選手がいました。
その選手とは、「背番号37」岡島投手です。
試合前のウォーミングアップの時間、
前日今季1勝を挙げたばかりの岡島投手。
もちろん、先発投手ではなく、中継ぎですから
この試合に投げる可能性は否定できません。
サインに応じないでウォーミングアップをしていても
責められるようなことはないはずです。
『いったいどこまでサインをするのだろう・・・』
岡島投手は、サインを続けながらセンター前を過ぎて、
とうとうライトポール際までやってきました。
レフトフェンスから始まったサインに要した時間は、
すでに1時間近くになろうとしていました。
レッドソックスの選手は、試合に備えてほとんどの選手が
すでにベンチへ移動していました。
さらに岡島投手は、ライトフェンス際を歩きながら、
今度は1塁側(レッドソックス側)エキサイトシートのファンに
サインを始めました。
1人1人丁寧にサインや写真に応じています。
もちろん、我々親子も2人でボール(あの購入したボールです)と
色紙にそれぞれサインしてもらいました。
※そのサインの写真は、こちらから。
■ 『感動!!』しました。
すっかり岡島投手のファンになってしまいました。
事情はあれど、松坂投手のサインがもらえなかったファンも
岡島投手にサインをもらって、きっと満足したことと思います。
岡島投手のプロフェッショナルな姿勢に、
背番号37が大きく見えました。
(結局、この日の試合で岡島投手が投げることは
ありませんでしたが。)
■試合は進んで5回裏、レッドソックスのマウンドには
「背番号53」の投手がいました。
『あっ、さっきサインしてくれた人だ!!』と
私たち親子は顔を見合わせながら言いました。
顔も名前も知らなかったその選手は、
デイビッド・アーズマというピッチャーでした。
またまた感動しました。
■たとえ名前が売れていない選手であっても
(この場合、私が知らなかっただけですが)、
ファンと接することで心理的距離感が縮まり、
それがきっかけとなって名前や背番号を覚えたり、
応援するようになることは充分にアリだと思います。
その後も、同じような経験を何度かしました。
たかがサインかもしれませんが、
そういう接点を持った選手には、
成績や所属チームに関係なく
「応援したい!」という気持ちになりました。
それは、一生忘れられない思い出だからです。
この一生忘れられない思い出(経験)を
どうやって作り出していくかは、
経営サイドにとって重要なポイントだと考えています。
球団が用意するファンサービスには、
このような「球団とファン」あるいは「選手とファン」を
つなぐ取り組みがどのようになされているか
注目してみるとおもしろいかもしれません。
posted by sport_biz |20:36 |
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2008年10月20日
松坂大輔投手と岡島秀樹投手が所属する
レッドソックスのシーズンが終わりました。
レッドソックスの2008年度シーズンは、
東京ドームから始まりました。
本日は、2008年3月に東京ドームで開催された
メージャーリーグの日本開幕戦についてレポートします。
<2008年3月25日>
■東京ドームの22番ゲートから回転扉を抜けると、
目の前には、MLBのコミッショナーズトロフィーが
さり気なく飾られていました(写真参照)。
警備員が立っていなければ、
きっと気づかずに通り過ごしていたかもしれません。
2007年のワールドシリーズチャンピオンが
今からこの日本で開幕戦を迎えるんだと
はやる気持ちを抑えつつ、座席に向かいました。
■試合開始1時間30分前に座席に着きましたが、
観客の出足はまだまだこれからでした。
私は、バックネット裏後方上段の
やや3塁寄りに座っていました。
右側には、記者席があったのですが、
どこかで見たことがある長身のイケメンが立っていました。
デニー友利さん。
2008年は、レッドソックスの国際担当顧問をされています。
私の大学時代の友人が、デニーさんと同じ高校で
野球部に所属していました。
なんだかずっと昔から知っていた友人が立っているようで
懐かしい気持ちになりました。
■レッドソックスのバッティング練習を見たのですが、
「すごい!」の一言でした。
東京ドームが小さくなったのではないかと思うくらい
ポンポンとボールがスタンドへ飛び込んでいきます。
特に、オルティス選手の打球は、看板に直撃することも。
場内もどよめいていました。
刻々と試合の開始時間が迫ってきました。
グランド内では、催し物やセレモニーが始まり、
アメリカ国家が響き渡ります。
スタンドもこの辞典でほぼ満席となり、
観客のボルテージは、ますます高まってきました。
そして、いよいよMLB日本開幕戦が始まりました。
1回の表レッドソックスの攻撃。
2番バッターのユーキリス選手が登場すると
「ウゥ~~~」と場内から声が。
んっ? ブーイング??
でも、どうやらブーイングではないようです。
と、この時点で私がそれほどレッドソックスのことに
詳しくないことがバレてしまいましたが、
ユーキリス選手の名前がアナウンスされると
「ユゥ~~~」と声がかかるのが恒例とのことでした。
さて、ほどなくして1回の表の攻撃が終わり、
場内の多くのファンが待ち望んでいた男が
やや小走りで登場してきました。
■『ダイスケェ~~ マズザカァ~』
東京ドーム全体が揺れるほどの大歓声。
早くも「レッツゴー、ダイスケ!」のかけ声も聞こえます。
そして、いよいよきらめくフラッシュの中、
レッドソックス松坂大輔投手、
2008年のシーズン第1球が投じられました。
■観戦しているファンに目を移すと、
いつも以上に外国人のファンが多く、
いつも以上に大リーグのグッズを身に着けた
日本人のファンが多く見られました。
圧倒的にレッドソックスのファンが多いようです。
当たり前のことかもしれませんが、
日本のプロ野球の観戦とは
かなり雰囲気が異なりました。
選手に送る声援や拍手は、
大リーグに詳しいファンが多く集まっていることの
裏返しだと感じました。
■松坂投手の2008年シーズンは、
日本時代を含めても最多となる18勝目(3敗)をあげました。
これは、松坂投手にとって日本時代を含めても
シーズン最多となる勝利数とのことです。
個人的には、もっと勝っている印象だったので
少し意外な気もしました。
アメリカへ渡ったら、
20勝だってありえるだろうと思っていましたが、
その見方は甘かったようですね。
松坂投手とは、仕事の関係で
2度ほど間近で見たことがありましたが、
胸板などの身体の幅が分厚いのが印象的でした。
ゆっくりと身体を休めて、
また来シーズンの活躍に期待したいと思います。
posted by sport_biz |21:20 |
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2008年10月19日
ルイス・ハミルトン選手が今期5勝目をあげて
2008年の総合優勝のゆくえは、
ブラジルGPまで持ち越しとなりました。
本日は、2008年のF1日本グランプリの様子を
レポートします。
レース結果はもちろんですが、
オリンピックやサッカーワールドカップに次ぐ
ワールドワイドなスポーツイベントと言われることもある
1日で10万人を超える集客力を持つF1レースに注目しました。
<2008年10月12日>
■F1日本グランプリ決勝を観戦してきました。
F1日本グランプリは、私自身2回目の観戦でした。
前回の観戦は、2006年で鈴鹿サーキットで観戦しました。
その年は、すでに引退を表明したM.シューマッハが
鈴鹿ラストランの時でした。
昨年から富士スピードウェイに会場を移して開催された
F1日本グランプリですが、レースの結果よりも
試合のオペレーションに関する問題が指摘されていました。
今年のF1日本グランプリは、どうだったのでしょうか。
■私がF1に注目するようになったのは、
当時大学生だった1980年代後半頃からでした。
もともとは、昭和50年代のスーパーカーブームの世代ですし、
「サーキットの狼」「マシンハヤブサ」「ひみつ指令マシン刑事999」
に親しんだ世代です。
スーパーカー消しゴムのタイヤにセメダインを塗って固めて
滑りやすくしたり、ボールペンのスプリングを伸ばして
反発を強くしたりしたのは、遠く懐かしい記憶です。
ミニカーやプラモデル、ラジコンカーを通して、
車への憧れを抱き続けてきました。
今でも、スーパーカーに対する憧れは消えることはありません。
そんなバックグラウンドから
車やレースに対する興味は、もともと高かったような気がします。
■1980年代後半のF1は、日本の自動車メーカーである
ホンダのエンジンを搭載したマシンが
圧勝していた時代でもありました。
もちろん、中嶋悟選手のことも注目していましたが、
中でもアイルトン・セナ選手のドライビングに釘付けになりました。
ずっとセナ選手や日本人選手の活躍を楽しみにしながら
F1中継のある日は、夜更かしをして生中継を見るのが恒例でした。
■1994年、いつものようにF1中継が始まるのを待ちながら
スポーツニュースを見ていたら、臨時ニュースとして
セナ選手が事故を起こしたことを知りました。
あの時の衝撃は、今でも忘れることができません。
セナ選手がその事故で亡くなってから、
私はすっかりF1に対する興味を失ってしまいました。
■それでも、なんとなくでもF1の結果は、注目していました。
セナ選手が亡くなった当時に、
メキメキと頭角を現してきたのが
ミハエル・シューマッハー選手でした。
セナのいなくなったF1界を牽引してきたといっても過言ではない
その彼が引退を決めて迎えた2006年のF1日本グランプリは、
鈴鹿サーキット開催のラストイヤーでもありました(当時)。
いろんな思いも重なって、鈴鹿サーキットで開催される
日本グランプリをこの目で見たいという衝動に駆られて
鈴鹿へと出かけました。
■今回のF1観戦は、それ以来のことであり、
富士スピードウェイでの観戦は、初めての体験でした。
昨年鈴鹿からバトンを受け継いで開催された
2007年富士スピードウェイでのF1日本グランプリは、
天候不良、スタンドでの視界不良、
輸送オペレーションの不具合もあって
訴訟が起こされる事態になりました。
今年は、トヨタの威信をかけて取り組みがなされていると
報道されていました。
■一観戦者として実際に観戦した感想は、
輸送オペレーションについては
ほぼ完璧だったという印象を持ちました。
「ほぼ」と付け加えたのは、自分が利用したルート以外の
情報を現在持ち合わせていないからです。
今現在、大きなトラブルがあったという報道は聞いていいませんし、
むしろ好評であったという情報に接すると、
今年のオペレーションは、実際に大きなトラブルはなかったものと
推察しています。
■私は、「電車+無料バス」のチケットで移動しました。
自宅の最寄り駅から電車で45分、無料バス乗り場の最寄り駅として
指定されている小田急線「渋沢」駅にて下車。
そこから徒歩20分かけて無料バス乗り場へ移動しました。
その間、駅改札口から駅前陸橋にかけて
20~30m間隔で警備員が誘導していました。
■この改札から陸橋へ向かう途中、
コンビニ屋さんが買い物を呼びかけたり、
タクシー関連のおじさんが、
「無料バス乗り場までは、歩いて20分。
タクシーなら6分くらいだよ~。」
と手作りの札を持って立っていました。
しかし、実際にはタクシーが足りなくて、
タクシー乗り場には行列ができていました。
あれでは、確実に歩いた方が早そうなので歩き始めました。
■その後、横断歩道、交差点、曲がり角の全てのポイントに
警備員・ボランティアが立って誘導してくれました。
その様子の写真は、こちらから。
指示に従って歩いていくと、某企業の敷地内へ誘導され、
そこから無料バスが2台同時運行で
次から次へと出発していました。
ここに至るまでもボランティアスタッフの皆さんが
きちんと誘導していただきました。
鈴鹿サーキットの時は、路線バスを使用していたこともあり、
現地に着くまで20~30分立ったまま乗車しましたが、
今回は観光バスを利用していたので
補助席を使わない程度に満席になったら出発していました。
■無料バス乗車ポイントから会場である
富士スピードウェイまでの移動時間は混雑もなく60分でした。
(事前の目安は100分でしたが)
これも人海戦術といいますか、
バスが曲がるポイントには、看板表記とともに
どんな田舎道でも必ず警備員が立って誘導していました。
■さらに気づいた点は、主な交差点では「交通量」を調べる調査員が
イスに座ってチェックしていました。
これも次年度以降(来年は鈴鹿サーキット)に活用される
データを収集していたものと推察されます。
こうして、何の問題もなく富士スピードウェイまで
到着しました。
■富士スピードウェイでは、行き先別にバスのエリアが分かれており、
数百台のバスが並んでいました。
バスの様子は、こちらから。
(写真が小さくて申し訳ございません)
バスを降りて自分の座席までは、ポイントに誘導係が配置され
ハンドマイクで誘導していました。
それ以外の場所では、案内表示があったので迷うことなく座席まで
たどり着くことができました。
■このような感覚は、
どこかで体験したことがあると記憶を遡ってみると、
2002年のサッカーワールドカップのことを思い出しました。
最寄り駅から無料バスで送迎、
バス到着現場から会場までの誘導は、
2002年のさいたまスタジアムで経験しました。
もっとも、今回のF1観戦では、無料バスの
長い移動距離の全行程をカバーしている点、
10万5,000人という観客動員数を考えると
大規模な取り組みであったことがうかがえます。
裏を返せば、それだけお金を投入しているということですね。
■気温16度。
寒風吹きすさぶスタンドでは、
体感温度はさらに低く感じました。
念のためこの時期にしては、
厚着ではないかと思うほど着込んで行きましたが、
予想以上に気温が低く感じられ、
実際には携帯カイロがあれば欲しいくらいの寒さでした。
■2008年F1日本グランプリ決勝大会には、
観衆10万5,000人(3日間で累計21万3,000人)が、
静岡県小山町の富士スピードウェイに集まりました。
よく「F1が好き」とか「F1を見に行ってくる」というと、
「同じところを何周も走っているのを見て何が楽しいの?」
と聞かれることがあります。
F1マシンは、自動車メーカーの最新技術を搭載しています。
それにもかかわらず、極めて人間味溢れるのが
モータースポーツのおもしろいところだと思います。
周回を重ねるごとに刻々と状況は変化していきます。
ほんのわずかなミスが致命的であったり、
チームの作戦やクルーの支えがあったり、
完璧なレース展開をしていても
ゴール目前でマシンが突然煙をあげることもあります。
マシンとドライバーが一体となって
高速レースを展開する様子はとても魅力的だと思います。
■さて、サーキットに集まる人たちは、
普段ではあまりお目にかかることがない
F1グッズに身を包んだ人達を多く見かけます。
本当に足の先から頭の上まで、全身をさまざまなグッズに
身を包んでいます。
サッカーワールドカップや
クラブワールドカップ選手権ほどではありませんが、
海外からの観戦者も見られ、自国のドライバーや
ひいきのチームを応援していました。
■私は、A2のメインスタンドで観戦していました。
会場に到着した時は、スタートの13:30まで
まだ3時間ありました。
しかし、ポルシェのワンメイクレースや
F1ドライバーの場内パレードなどの催し物のおかげか
あっという間に時間は過ぎていきました。
いよいよ待ちに待ったスタートの瞬間。
2日間の予選から進められてきた準備の全て、
そして観客の期待の全てが
この決勝レースのスタートに集約されているようで、
心臓がドクンドクンと脈を打つのを感じながら
その瞬間を見守っていました。
■レースが始まってしまうと、座席では、
目の前を爆音と共に高速で駆け抜けていく
マシンを見ているだけなのですが、
場内に設置された大型ビジョンでは
まるでテレビを見ているような感覚でレースの進行を
把握することができます。
■さて、場内のメインスタンド周辺のトイレは、
いつも行列ができていました。
スポーツイベントでトイレの行列は、
特別珍しいことではありませんが、
それにしても日産スタジアムやさいたまスタジアム、
東京ドームと比較してもキャパが少ないように感じました。
■喫煙コーナーもありましたが、
ただ灰皿が置いてあるというだけで囲いはなく、
煙が観客席に流れ込んでいましたし、
そこに人が溜まると通りにくい状況になり、
その間たばこの煙を吸ってしまうので
嫌いな人にはちょっと辛いかもしれませんね。
■メインスタンドの座席角度は、傾斜がありとても見やすかったです。
スタンドでの観戦では、耳栓と座席クッションが必需品であることは
前回の鈴鹿での経験が活きました。
食べ物は、種類が豊富でしたが少し並ぶことは、
覚悟する必要があります。
決勝日のような天候(寒いとき)には、
温かい食べ物や飲み物が人気のようでした。
それにしても雨が降らなくて本当に良かったです。
■帰りは、少し早めに自分の席を立ち、
レース中の他のスタンドの様子や売店の様子を視察しました。
いろんな場所で立ち止まって見ている人がいるのだなと感じました。
無料バスは、少し早めに出てきたこともあり、
待ち時間もなく乗り込むことができました。
帰りの道路で少し渋滞がありましたが、
行きと比べて10分長い程度で70分後に
来たときと同じ無料バス乗り場へと到着しました。
帰り道の駅までの道のりも、誘導係が無線で連絡を取り合って
誘導してくれました。
■レース終了後には、帰路の混雑を分散させるために、
お笑いタレントのステージがあったり、
中嶋悟さんや、片山右京さんといった元F1レーサーや
脇坂寿一さんらによるユニセフチャリティオークションが
開催されました。
■ところで、F1観戦と言えば、大勢の人、F1マシンの爆音、
そしてヘリコプターを思い浮かべます。
選手役員は、主にヘリコプターで移動しているからです
(全員がというわけではありませんが)。
次から次へとヘリコプターが離発着を繰り返す様子も
F1の名物だといえるかもしれません。
来年は、再び鈴鹿サーキットでレースが行われる予定です。
■ところで、今回の日本グランプリでは、レース会場を含めて、
至る所にボランティアスタッフの皆さんがおられましたが、
どのスタッフの皆さんからも積極的に挨拶をしていただき、
本当に気持ちよかったです。
来場者をもてなそうというホスピタリティの点でも
他のスポーツイベントより感じが良かったという印象でした。
■中嶋一貴選手のパドックで、日の丸に「必勝」と書かれた
はちまきをしていたクルーがいたのですが、
あれは・・・、琢磨さん。。。
posted by sport_biz |19:33 |
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2008年10月18日
<2008年10月15日>
■2010サッカーワールドカップ南アフリカ大会の
アジア最終予選を観戦してきました。
いつも可能な限り早く会場へ行って、
会場の内外を見るようにしています。
この日は、仕事の関係もあって午後4時過ぎに
電車に乗ることができました。
■さいたまスタジアムの最寄り駅である浦和美園駅を降りると、
久々に「チケット譲って下さい」と書かれた紙を持った人を見かけました。
試合開始までは、あと1時間30分(午後6時)。
あたりはすっかり日が暮れていました。
最近関東で行われた日本代表戦の試合と比べると、
どうやら観戦者の数は多いようです。
■駅からスタジアムまでの距離は、徒歩約10分。
スタジアムが見えてくると、
外観がジャパンブルーにライトアップされていました。
写真は、こちらから。
スタジアムが近づいてくるにつれて気分も高揚してきました。
■駅の改札口から座席へたどり着くまでにもらうことができた
チラシ広告などの配布物は、
・アディダス・ジャパン社のチラシ広告
・帰りの電車時刻についてのチラシ
・朝日新聞社のチラシ広告
・JTBの「日本代表vsカタール代表観戦ツアー0泊3日」の
チラシ広告
(ちなみに1人218,900円でした。燃油サーチャージ込)
・鈴木啓太選手と田中マルクス闘莉王選手の
コンピレーションアルバム発表のチラシ広告
・コニカミノルタのチラシ広告
・JFAマッチボールプレゼント抽選番号の入った
ポケットサイズのスタジアムガイド
・JFAグリーンプロジェクトの一環として
「未来を変える種をまこう」と書かれた
芝生の種をもらいました
(ちなみに、6万人が植えると
サッカーグランド1面分の芝になるそうです)。
■今回観戦した席は、メインスタンドロアーのVIP席横付近でした。
やはり最近の日本代表戦よりも観客が入っていると感じました。
いつもは入場口で配られる青いカード(選手入場の時に掲げるもの)ですが、
今回はややコンパクトサイズで、ドリンクホルダーに丸めて入れてありました。
なぜいつもと違うのか、選手が入場してきた際にわかりました。
それは、バックスタンド側でカードを掲出すると
日の丸の模様になっていたからです(画像を参照下さい)。
あらかじめ、座席に丸めて入れていったのは、
どの席で何を掲げるかその場所が決まっていたからですね。
■ところで、試合全体を通してゴールシーンを除いて
一番場内が盛り上がったのは、どのタイミングかおわかりですか?
それは、国歌斉唱に和田アキ子さんが登場した時です。
会場は、大歓声に包まれました。
さらに、いつも以上に国家を歌う人が多く感じました。
■これまでの予選と比較して、最終予選になって気づいたことは、
ピッチサイドの広告看板の企業名が変わっていること、
試合のボールがアディダス社からナイキ社に変わっていたことです。
スポーツビジネスの視点から考えると、ここ数年はアディダス社の
独壇場でしたので、とても大きな変化のように感じました。
そういえば、
駅の近くでアディダス・ジャパン社のチラシ広告を配っている場面は、
これまで見たことがなかったのですが、ボールばかりでなく、
ピッチサイドの広告もアディダス社から
ナイキ社に変わっていたことを考えると、
チラシを配っていた意味が理解できるような気がします。
■さて、試合の結果は、すでに皆様ご承知の通りですが、
場内に詰めかけた55,142人の落胆は、
決して小さくはなかったと感じました。
私は、いつも観戦した試合がテレビで放映されていると
録画して後からチェックするようにしています。
その理由は、現場で感じたこと、耳にしたこと、目撃したことが
テレビではどのように伝えられているか、そのギャップを知るためです。
ニュースの中で紹介されるスポーツの結果についても
同様にチェックするようにしています。
試合開始前から終了まで、おおよそ2時間前後は会場にいますが
ニュースで紹介されるのは、長くても2~3分程度なので
どのシーンを流しているか、
どのように結果が紹介されているのかを知るためです。
テレビ局は、当然のことながら番組として放送しているので
現場の出来事を全て伝えることはできないのですが、
現場でしかわからない、または感じることができないことは
かなり多いのではないかと確信しています。
■それにしてもこの日は、とても月がきれいでした。
「熱狂のスタジアムと満月」
ライブ観戦の醍醐味ですね。
posted by sport_biz |11:34 |
サッカー日本代表 |
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