2007年10月05日

パイレーツ監督交代か!?

名選手が必ずしも名将になるとは限らない。

ありきたりの台詞になってしまっているが、頷ける格言である。

では名将の条件とは何なのだろうか?

まず間違いの無いことは、成果を挙げられるかどうかだと思う。つまり、目に見える実績。プロスポーツなら勝利する、ということが第一条件にくる。
その下に若手の起用など、先見の明に関わる、すなわち目には見えにくい実績が付いてくるのではなかろうか。

ピッツバーグパイレーツ監督、ジム・トレーシーは上記した二つの実績のうち、どちら寄りの監督なのだろうか。

2001年から2005年まで指揮を執ったLAドジャースでは、監督職から退いた05年のシーズンを除く4シーズンで地区優勝を果たした。
LAを離れた後、低迷を続けていたパイレーツ監督に就任。就任から3年目の今シーズンも、パイレーツは下位に留まり、仕事らしい仕事が出来なかった同監督の退陣必至という記事が、地元紙ポストガゼッタ紙に掲載されていた。

選手としてはわずかに2年間シカゴ・カブスでプレーしただけの選手に終わったが、監督としての才覚があることは、ドジャース時代の実績が物語っている。NYヤンキースら人気球団の台所事情と比べれば火の車だったに違いないこのチームではよくやったと言われてもいいのかもしれないが、結果は結果。

監督が変わるという事は、チームの方針も変わるということに繋がる。ベテランの経験を買っていたトレーシー監督の後任はいったい誰になるのか。

MLB復帰、パイレーツ復帰を熱望する桑田真澄にとっては、多少なりとも気になる事ではなかろうか。

果たして、良い監督とはどんな監督なのだろう。

posted by Takayuki Kanno | 13:57 | MLB | コメント(1) | トラックバック(1)
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2007年09月21日

メルボルンのトラキチ<Richmond vs St kilda>

2戦目のこの日、一つのポカをしてしまった。

試合時間を誤って記憶してしまい、会場のMCG(Melbourne Cricket Ground)に着いた時には、既にハーフタイムとなっていた。

この日の試合はRichmond vs  St kildaの一戦。

この日のチケットはGeneral Admissionと呼ばれるもので、自由席のような席。空いていたのは最上階の4階席。上がったスタンドがたまたまRichmondタイガース側で、前半終わって得点差19ポイントとRichmond劣勢の展開。

まずは、Footyの得点について説明しておこうと思う。
得点表示


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posted by Takayuki Kanno | 10:08 | AFL | コメント(1) | トラックバック(0)
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2007年09月10日

初Footy観戦 Coolingwood × Adelaide

セ氏度13℃。日本との気温差は約20℃。上着を着ていても風が吹けば体感気温は10℃以下に感じるような気候の中、気持ちは意気揚々とテレストラドームへと向かった。

試合開始時刻は19:40。週末の金曜日ということもあってか、53000人以上収容可能なスタジアムの大半が観客で埋まった。大半のお目当てはCollngwood Magpiesであっただろう。
1892年に創立され、これまでに14度チャンピオンの座に就いた伝統あるチームで、わかりやすく言えば、阪神タイガースのような存在と、現地在住の方に教えられた。奇遇にもユニフォームも黒と白のストライプである。
主にメルボルンの労働者層を中心にファンを拡大していったチームということもあってなのか、ファンの連中も少し気が荒いことで知られているそうだ。

残念ながら指定席は取れず、最上階の立ち見エリアからの観戦であったが、むしろこの方が良かったと、試合が展開する中で思った。
Footy @ Telstra Dome



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posted by Takayuki Kanno | 14:19 | AFL | コメント(1) | トラックバック(0)
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2007年08月29日

今オーストラリアな理由(ワケ)

きっかけは視線に入ったモニター画面だった。何物かもわからず、夢中とまではいかないまでも気になる存在になっていったモノだった。

それがオーストラリアで盛んなFootyというスポーツだとわかるまで、大して時間を要したわけでもなかった。そして、忘れようと思えばすぐに忘れられる存在でもあった。

しかし、Footyが段々と私の脳から心から侵食していく。スピードこそ遅いものの、勢いは熱帯低気圧並に、私の中身に強風を浴びせてきた。

何故だかわからないけれど、これを見ないといけないと感じた。思ったよりも、感じたのだ。あれから1年が経ち、私はオーストラリアに渡ることになった。Footyを生で観戦するのだ。
友人に言われたようにビールとミートパイを持って。見知らぬ土地ながらも地域住民のように興奮するのだろう。腹同様に心も満たされるのだろうか?

行かなきゃわからないから行くのだ。

理由なんて要らない。Footyを知ってしまったから。

それだけで十分だ。

posted by Takayuki Kanno | 21:49 | AFL | コメント(0) | トラックバック(0)
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2007年08月15日

桑田ロード

夢は必ず覚める。生きていれば必ず厳しい現実にぶつかる。

ピッツバーグパイレーツは、桑田真澄投手に、今期戦力外であると告げた。19試合で防御率9点台では何も言えない。そんなことは本人が一番わかっていたことだ。

クビだと宣告される側よりも、する側の方がどれだけ心が痛むだろうか。それを人としても友人としても尊敬に値する人間に対してならどれだけ辛いのか。パイレーツ監督以下、GMにしてもきっとそうだったのだろう。

地元ピッツバーグポストガゼッタ紙によれば、パイレーツは桑田になんらかの形でチームに貢献してもらいたい、と、選手以外の分野での残留を望んでいるようだ。それがコーチとしてなのか、フロントとしてなのかは定かではないが、それだけ桑田の経験を買っているのだろう。そこに投手としての成績が伴うことをずっと祈っていたのかもしれない。

「感謝の気持ち、それだけです。」

ピッツバーグパイレーツ桑田真澄としての最後の記者会見でこう話した桑田に悲壮感など微塵もなかった。堂々と、しっかりとした口調で。でもどこかスッキリとした表情のように見えたのは私だけだっただろうか?

再挑戦か、それとも引退なのか。メジャー挑戦も子供の一言で決断したというくらいだから、「家族と相談して決めたい」、というのは本心からのことだろう。

ジャイアンツ2軍球場の外野には、一部芝が剥げてしまった部分がある。肘の手術後、リハビリに励んでいた桑田が走り続けてそうなった場所で、桑田ロードと呼ばれている場所だ。ただのランニングにも生き様が映っていたようだった。桑田真澄の野球人生には、だから惹かれるのかもしれない。

栄光から挫折。肘の手術からのカムバック。引退説を吹き飛ばすメジャー昇格。夢から覚めても、辛い現実にぶつかろうと、「さぁ行こう!!」と、いつつでも前に進む姿をファンに見せてきた桑田なら、悔いの残らない道を決断するはずだ。

これまでもずっとそうだったのだから。

posted by Takayuki Kanno | 20:18 | MLB | コメント(0) | トラックバック(1)
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2007年08月02日

フロリダ州タンパといえば、カール・ゴッチだった。

太陽の陽が煌々と照らす緑の芝生にそぐわない一本の垂れ下がったロープ。それは太く、まるで注連縄のようでもあった。

そこに群がる海パン姿の筋骨隆々とした男たち。おもむろにそのロープを握り、腕の力だけで上に上がりだす。想像に難くないが、すぐに腕はパンパンになり、握力も萎えてくる。しかし登りだしたら止まれない。止まる事は許されなかったのかもしれない。

場所は、アメリカフロリダ州タンパ。プロレスの神様こと、カール・ゴッチの自宅だった。

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posted by takayuki kanno | 19:30 | プロレス | コメント(0) | トラックバック(0)
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2007年07月14日

Marinersイチローは心も身体もシアトラー

少しだけ昔話をさせてもらう。

6年前の4月。初めての飛行機が初めての海外渡航になり、私にとって初めての外国生活となった年、同じ土地に一人の日本人メジャーリーガーが降り立った。イチローという名のその東洋人は、7年連続首位打者という偉業を肩に下げ、アメリカに挑戦する為にシアトルにやって来た。

開幕戦、第一打席。センターオーバーのヒットは、シアトル市民に期待を抱かせ、在留日本人の誇りとなった。
私もまた、当時のホームステイ先でイチローについて訪ねられ、彼ならやれるさ、と鼻高々につたない英語で言ってみたもんだった。アメリカの学校の宿題はとても多く、まだまだ生活のペースが掴めなかった私にとっては毎日がまさしく闘いであった。自分が悪いと言えばそれまでだったけど、0点を取ってしまい、それを挽回するために、日に一時間睡眠というスケジュールで勉強に励んでいた(今思えば異常でした。)。
通学時間は片道約一時間。バスの中で居眠りする時間が朝の定番だったその年の6月。2001年は、シアトルでMLBのオールスターゲームが開催されることになっていた。
バスが高速を降り、法定速度に落ちた辺りで目が覚めた私の右側にはセーフィコフィールドが大きくそびえ立っていた。主力選手のパネルがチームグッズ店の壁に大きく並んでいた。

イチローの姿が、早くもそこにあった。

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posted by Takayuki Kanno | 19:58 | MLB | コメント(0) | トラックバック(1)
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2007年07月11日

橋本真也の痛いプロレス

7月11日にすることがある。破壊王 橋本真也を思い出し、そして彼が去ってしまった事の重たさを実感する。

今年は橋本真也3回忌でもある。
橋本真也といえば、リング内外に問わず豪快を地でいく人で、その手のエピソードには事欠かない近年では稀なほどプロレスラーらしい人だった。
豪快なプロレスラーはいつの世にも存在する。だが、橋本真也のプロレスは、豪快であり、”痛い”プロレスなのだと、個人的に思っている。象徴するような試合は何試合もあるが、私は特に、天龍源一郎との2試合について、この3回忌である7月11日に記してみたいと思う。

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posted by Takayuki Kanno | 13:13 | プロレス | コメント(3) | トラックバック(0)
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2007年06月28日

追悼 クリス・ベンワ

何から書き始めればいいのだろう。事実だけを挙げれば、妻子を殺害し、自ら命を絶った一プロレスラー。大方、そういう見方を世間はする。
検死結果がまだ出ていないようなので、何故クリス・ベンワがそうした行動を取ったのかはわからないし、誰にもわかりえないことだろう。

焦燥感とでも言おうかコノ大きな心の穴。

WWEは急遽追悼番組を制作した。同じスーパースターズ(WWEの人気プロレスラーのことをこう呼ぶ)達からのコメントからは、一様に、クリスは誰からも愛され、尊敬される人間であり、友達であり、プロレスラーだった、という言葉が聞かれた。

私と同世代のプロレスファンならば、クリス・ベンワという名前よりも、ワイルド・ペガサスというリングネームの方がより馴染み深いかもしれない。今でこそ最高峰と云われる新日本ジュニアだが、その流れを作った一人に、必ずワイルド・ペガサスというプロレスラーが挙げられるだろう。

私事ではありますが、今回をクリス・ベンワ追悼記事とさせていただきます。

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posted by Takayuki Kanno | 21:22 | プロレス | コメント(4) | トラックバック(3)
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2007年06月11日

桑田真澄と47年前のオールドルーキー

その昔、メジャーリーグにDiomedes Olivoという投手がいた。ディオメデス・オリーボとでも発音するのだろうか?
わかっていることは、彼がドミニカ共和国出身で、ドミニカウィンターリーグではほぼ全てのタイトルを獲得たことがある左腕投手ということだけ。

もう少し調べてみた。

身長185センチ、体重85キロ。決め球まではわからいものの、メジャー昇格を果たした翌年のシーズンは62試合に登板、5勝1敗、防御率2.77の好成績を残していることから、セットアッパーの要だったと思われる。

そしてこの投手は、ピッツバーグパイレーツでメジャーデビューを果たしている。しかも41歳という年齢で。

時計を正常に戻し2007年。似たような境遇のオールドルーキーがもう一人、同じパイレーツに所属している。桑田真澄、39歳である。

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posted by Takayuki Kanno | 10:30 | MLB | コメント(2) | トラックバック(0)
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