2006年11月20日
今更ながらにして、武術研究家である甲野善紀さんの世界にはまりそうである。甲野さんは、桑田真澄投手を始めプロスポーツ選手に自らが研究なさった術を提供してらっしゃるお人である。
単純に言えば身体の使い方なのだが、これがなんとも理解しにくい世界である。かつて日本人が司っていた動きということらしいが、これがわからない。力を抜く、という風にも受け取れるし、関節の可動範囲の延長、タイミングのずらし方等々、おそらくこれも間違っていないまでも正しくはない解釈なのだろう。
面白い物の一つとして、意識の使い方がある。例えば、ぎっくり腰が起こる理論というのは、自分が予想していたよりも重たい物を運んだり、意識上は大したことではなくとも身体が思っても見ない反応をすることに起因するらしい。もう一つ例を挙げるとすれば、指をどこか柱やドアにぶつけたとしよう。この時も、ぶつかる危険性をはらんだ場所であれば、たとえ本当にぶつけたり挟んだりしても耐えられる痛みではあると思う。これが、全く気にも留めていない時にぶけたり挟んだ時の痛みは尋常ではない。意識が一瞬止まったような感覚の後に猛烈な痛みが来る、ということを誰しも一度は経験しているはずだ。足の小指を角にぶつけた時の激痛なんかは代表的な例だろう。
甲野さんの身体の使い方や、数多くある術は、○は丸。□は四角という具合に凝り固まった人間の意識に、こういうこともあるんだよ、と訴えかけるような感じなのではないだろうか?と思っている。それが筆者には今はわからないだけで、というか、この時点ですでに意識がずらされているのである。
解釈が間違っているのかもわからないが、甲野さんはこうした身体の使い方を、日常生活のふとした事で気付く場合もあるという。
こうしたことが何故か好きな筆者も、これから少し、知らず知らずの内に出来上がってしまっている意識をほぐして生活してみようと思う。
何か面白い発見があるかもしれない。これだけで生活がちょっと楽しくなれそうである。
posted by Takayuki Kanno |11:10 |
身体の使い方 |
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2006年11月16日
「10歳の頃からの憧れでした。」
昨日約60億円もの金額でボストンレッドソックスに落札された松坂大輔投手が、ポスティングによるMLB移籍の意思を表明した際に語っていたメジャーへの憧れ。筆者は偶然にも”松坂”世代と呼ばれる一人であるため、彼のいうところの憧れがなんとなく理解できる。
ちょうど我々(松坂世代という意味合いで)が思春期真っ只中、野茂英雄が海を渡りトルネード旋風が起き、MLBという存在がグッと近づいた。テレビの深夜枠で若干放送されていたメジャーリーグという存在。或いは漫画の世界で誇張されていたメジャーという、日本の野球とは一線を画すといわれていた世界。
本当にMLBはそこまでの魅力ある舞台なのだろうか?こう考える人達もいることと思う。
またまた偶然なのだが、筆者は過去に約3年ほど、米国シアトルに住んでいた。ホームチームであるマリナーズもあってか、当然野球観戦する機会にも恵まれた。
結論から言って、アメリカのボールパークは素晴らしい。野球好きでなくとも、野球をあまり知らない人であっても楽しめる要素で溢れ、何よりも自然芝が太陽光に照らされている様。これが美しい。その中で躍動感に溢れた一流選手達。これもまた素晴らしい。子供心に溢れたプロフェッショナルとでも言おうか、笑顔で全力でプレーしているのだ。
そして観客席では、ビールを買い、ホットピーナッツを買い、選手Tシャツを着て応援する。週末のゲームの家族連れの姿を見ていると、物書きに非ずな表現だが、「良いなぁ」と思ってしまった。
論より証拠とはよく言ったものだ。西武の計らいでアメリカで実際にMLBのプレーを観た松坂投手も実感したのだろう。自分が欲しいものはここにある、と。
憧れという字は、立心編に童(あくが)ると書く。童るとは、心が引き付けられたり、浮き足立つといった意味のようだ。憧れだったままでは通じない壁が幾重にもなっているアメリカに行く松坂大輔。昨日の渡米前の会見を見た限りは、もう自分のすべきことを実行するだけ、という決意が見て取れた。
憧れだけではやってはいけない。憧れ無くてはやってはいけない。
松坂投手には、是非これを実証してもらいたい。
posted by Takayuki Kanno |10:44 |
MLB |
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