2008年06月27日
アメリカメジャースポーツの華といえば、MLBのワールドシリーズだったり、NFLのスーパーボウルだったり、NBAのファイナルのことを、誰もがまず想像するだろう。
毎年々々新たなスーパースターが輝きを放ち、全てのチームの頂点に立つ1チームが決定する。
これを見ずして、といわれる所以だろう。
だが、どんなスーパースターにもキャリアを始める取っ掛かりが必要になってくる。
将来を期待され、スター選手の大多数が通る道。それは、ドラフトである。
posted by Takayuki Kanno |18:54 |
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2008年05月31日
人は皆、繁栄期にあった物事の残像が強く残ることがある。
往年の名選手の絶頂期をリアルタイムで知る者こそ、その目は節穴になってしまうのかもしれない。
既にピークは過ぎていたとしても、その残像が勝り、期待してしまう。
少なくとも、私にとっての野茂英雄はその類のプレイヤーとなっている。
近鉄時代、ドジャース時代、レッドソックス時代、野茂は日本人メジャーリーガーの先駆者として、数々の金字塔を打ち立ててきた。
私の中で最も鮮烈に覚えているのは、野茂がレッドソックス在籍時に記録したノーヒット・ノーランだ。
2001年4月4日のオリオールズ戦でメジャーで2度目となるノーヒット・ノーランを達成した。
私がそれを知ったのは当日の深夜、アメリカスポーツネットワークESPNのスポーツニュースを見ていた時だった。
私の記憶の中の野茂のストレートは、あの時の真っ直ぐだった。
故に、先日まで中継ぎとしてロイヤルズで奮闘していた頃の野茂は、もう野茂英雄ではなかった。
同じように、私の記憶の中では、素晴らしい投球が鮮明に残っている投手がもう一人存在する。
シアトル・マリナーズ、アーサー・ローズだ。
posted by Takayuki Kanno |17:04 |
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2008年03月29日
桑田真澄、引退。
適度に酔いも回った状態でネットを繋いだ私の目に、ハッキリとそのニュース記事が飛び込んできた。
私にとっては、松井秀喜結婚よりも、日本代表バーレーン戦敗戦よりも、目を引く出来事だった。
「ボールを置くことにした」
そう自身のブログで引退について綴った桑田真澄の生の文を読んで、久しぶりに、【桑田真澄 Pitcher's Bible】を開いてみた。
そこで私は、1つの結論に達する。
桑田真澄の引退は、今回で2度目だったのではないだろうか?と。
posted by Takayuki Kanno |18:57 |
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2008年02月28日
2004年、11月。確か夕刻だったと思う。
1970年代後半に、ロッテ・オリオンズが県営宮城球場を準本拠地として以来、約30年振りに地元にプロ野球チームが還ってきた。
大阪近鉄バッファローズの球団売却問題に端を発したことで実現した、東北楽天ゴールデンイーグルスの誕生だった。
街は大いに盛り上がりをみせ、サッカーに次ぐ、おらが村をフランチャイズとするプロスポーツチームの追加に喜びを爆発させた。
私も、プロ野球球団復活に興奮した。心情的には最初に手を挙げたライブドアに片寄りかけたこともあったが、この時は親会社のことなどどうでも良かった。
そう、私は単なる野球が好きな男になっていたのだった。
地元にプロ野球チームが還ってくる。その事実だけで幸せだった。
この時一瞬頭を過ぎったことがあった。それは、一体どういうチームになるのだろうか?と。
男の子なら誰しも一度は夢見ることがある。最強になることと、プロスポーツチームのオーナーになることだと、私は思っている。
かつては地元市民の憧れの的だったメジャーリーグのベースボールチームが、チームの御家事情で本拠地を移転。地元から火が消えた瞬間でもあった。
チームはチームとして存在を続け、移転先の人々に希望と感動を与えたこともあっただろう。だが、オリジナルとして存在したチームを愛し止まなかった市民にとっては、急にkeep outの黄色いテープで締め出された感が強く残り、それが憎悪になった。しかし、憎むべき相手が誰なのか、何なのか、わからなかった。
小説、「ドジャース、ブルックリンに還る」は、そんなブルックリン生まれの2人の少年を中心に展開していく物語である。
posted by Takayuki Kanno |12:13 |
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2007年12月13日
プロスポーツ選手というのは、言葉は悪いが、商品である。
選手達はチームという会社によって、スタジアムに、フィールドに、コートに、サーキットに並べられる。試合またはレースがそれに値する。
彼ら自身の結果が最良、そしてチームの経営状態の安定、或いは向上となればwin×winの関係となる。
しかし、商品にも良品と不良品があり、その判断は会社が決断する。
ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜は、一体そのどちらとみなされているのだろうか?
posted by Takayuki Kanno |21:52 |
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2007年10月05日
名選手が必ずしも名将になるとは限らない。
ありきたりの台詞になってしまっているが、頷ける格言である。
では名将の条件とは何なのだろうか?
まず間違いの無いことは、成果を挙げられるかどうかだと思う。つまり、目に見える実績。プロスポーツなら勝利する、ということが第一条件にくる。
その下に若手の起用など、先見の明に関わる、すなわち目には見えにくい実績が付いてくるのではなかろうか。
ピッツバーグパイレーツ監督、ジム・トレーシーは上記した二つの実績のうち、どちら寄りの監督なのだろうか。
2001年から2005年まで指揮を執ったLAドジャースでは、監督職から退いた05年のシーズンを除く4シーズンで地区優勝を果たした。
LAを離れた後、低迷を続けていたパイレーツ監督に就任。就任から3年目の今シーズンも、パイレーツは下位に留まり、仕事らしい仕事が出来なかった同監督の退陣必至という記事が、地元紙ポストガゼッタ紙に掲載されていた。
選手としてはわずかに2年間シカゴ・カブスでプレーしただけの選手に終わったが、監督としての才覚があることは、ドジャース時代の実績が物語っている。NYヤンキースら人気球団の台所事情と比べれば火の車だったに違いないこのチームではよくやったと言われてもいいのかもしれないが、結果は結果。
監督が変わるという事は、チームの方針も変わるということに繋がる。ベテランの経験を買っていたトレーシー監督の後任はいったい誰になるのか。
MLB復帰、パイレーツ復帰を熱望する桑田真澄にとっては、多少なりとも気になる事ではなかろうか。
果たして、良い監督とはどんな監督なのだろう。
posted by Takayuki Kanno |13:57 |
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2007年08月15日
夢は必ず覚める。生きていれば必ず厳しい現実にぶつかる。
ピッツバーグパイレーツは、桑田真澄投手に、今期戦力外であると告げた。19試合で防御率9点台では何も言えない。そんなことは本人が一番わかっていたことだ。
クビだと宣告される側よりも、する側の方がどれだけ心が痛むだろうか。それを人としても友人としても尊敬に値する人間に対してならどれだけ辛いのか。パイレーツ監督以下、GMにしてもきっとそうだったのだろう。
地元ピッツバーグポストガゼッタ紙によれば、パイレーツは桑田になんらかの形でチームに貢献してもらいたい、と、選手以外の分野での残留を望んでいるようだ。それがコーチとしてなのか、フロントとしてなのかは定かではないが、それだけ桑田の経験を買っているのだろう。そこに投手としての成績が伴うことをずっと祈っていたのかもしれない。
「感謝の気持ち、それだけです。」
ピッツバーグパイレーツ桑田真澄としての最後の記者会見でこう話した桑田に悲壮感など微塵もなかった。堂々と、しっかりとした口調で。でもどこかスッキリとした表情のように見えたのは私だけだっただろうか?
再挑戦か、それとも引退なのか。メジャー挑戦も子供の一言で決断したというくらいだから、「家族と相談して決めたい」、というのは本心からのことだろう。
ジャイアンツ2軍球場の外野には、一部芝が剥げてしまった部分がある。肘の手術後、リハビリに励んでいた桑田が走り続けてそうなった場所で、桑田ロードと呼ばれている場所だ。ただのランニングにも生き様が映っていたようだった。桑田真澄の野球人生には、だから惹かれるのかもしれない。
栄光から挫折。肘の手術からのカムバック。引退説を吹き飛ばすメジャー昇格。夢から覚めても、辛い現実にぶつかろうと、「さぁ行こう!!」と、いつつでも前に進む姿をファンに見せてきた桑田なら、悔いの残らない道を決断するはずだ。
これまでもずっとそうだったのだから。
posted by Takayuki Kanno |20:18 |
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2007年07月14日
少しだけ昔話をさせてもらう。
6年前の4月。初めての飛行機が初めての海外渡航になり、私にとって初めての外国生活となった年、同じ土地に一人の日本人メジャーリーガーが降り立った。イチローという名のその東洋人は、7年連続首位打者という偉業を肩に下げ、アメリカに挑戦する為にシアトルにやって来た。
開幕戦、第一打席。センターオーバーのヒットは、シアトル市民に期待を抱かせ、在留日本人の誇りとなった。
私もまた、当時のホームステイ先でイチローについて訪ねられ、彼ならやれるさ、と鼻高々につたない英語で言ってみたもんだった。アメリカの学校の宿題はとても多く、まだまだ生活のペースが掴めなかった私にとっては毎日がまさしく闘いであった。自分が悪いと言えばそれまでだったけど、0点を取ってしまい、それを挽回するために、日に一時間睡眠というスケジュールで勉強に励んでいた(今思えば異常でした。)。
通学時間は片道約一時間。バスの中で居眠りする時間が朝の定番だったその年の6月。2001年は、シアトルでMLBのオールスターゲームが開催されることになっていた。
バスが高速を降り、法定速度に落ちた辺りで目が覚めた私の右側にはセーフィコフィールドが大きくそびえ立っていた。主力選手のパネルがチームグッズ店の壁に大きく並んでいた。
イチローの姿が、早くもそこにあった。
posted by Takayuki Kanno |19:58 |
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2007年06月11日
その昔、メジャーリーグにDiomedes Olivoという投手がいた。ディオメデス・オリーボとでも発音するのだろうか?
わかっていることは、彼がドミニカ共和国出身で、ドミニカウィンターリーグではほぼ全てのタイトルを獲得たことがある左腕投手ということだけ。
もう少し調べてみた。
身長185センチ、体重85キロ。決め球まではわからいものの、メジャー昇格を果たした翌年のシーズンは62試合に登板、5勝1敗、防御率2.77の好成績を残していることから、セットアッパーの要だったと思われる。
そしてこの投手は、ピッツバーグパイレーツでメジャーデビューを果たしている。しかも41歳という年齢で。
時計を正常に戻し2007年。似たような境遇のオールドルーキーがもう一人、同じパイレーツに所属している。桑田真澄、39歳である。
posted by Takayuki Kanno |10:30 |
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2007年05月31日
天候も違えば人柄も違う。それを実感できるのも、海外生活の特権なのかもしれない。
食べ物にしたって、この国のこの場所で食べると美味しいけれど、それ以外の場所ならば美味しさは半減、いやそれ以下になる。そんなことだってある。
posted by Takayuki Kanno |12:59 |
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