2006年07月05日

アスリートに求められること

表現者とは、常に外に何かを発信しなければいけない存在であると、私は思う。無の状態から有を創りだす者、形あるも物の形を変えながら新しいものを構築していく者等、それぞれ形は違えど何かを作り、そしてそれを発表していくことが、表現者たる部分だと勝手ながら思っている。
鍛え上げられた肉体、記録や競技に対する姿勢を見せることこそ、スポーツ選手に求められるべきパフォーマンスとされてきた。だがしかし、現代のスポーツ選手には”話す”技量も求められているように思う。

もっと聞きたい生の声

先日突然の現役引退を表明した中田英寿さんの引退声明は、大変失礼ながら現役スポーツ選手のコメントの範疇を遥かに超えた文章であった。これはおそらくは、彼が現役生活の過渡期を海外で過ごしたことに起因することと思う。欧州のサッカーでよく見られることだと思うのだが、試合後のインタビューで、その日の戦術面や試合状況について、きちんと論理的見解を基調に、ところどころ感覚的な表現を織り交ぜている選手をよく見る。教科書的発言だけでは取り上げられないこともあるのだろうが、自己主張当たり前の海外では、メディアも選手の声を聞きたいのだろう。
「一生懸命やるだけです。次はがんばります。」というような発言だけでは、瞬時に情報が世界を行き来するこのご時世、メディアどころか観客もファンも納得するような時代ではない。スポーツ選手にも個を強調する”発言”が求められている時が来ているように思う。

侍ハードラー

発言するアスリートの最たる例として、昨年ヘルシンキで開催された世界陸上400mハードルで銅メダルを獲得した為末大が挙げられる。

哲学的。

簡単に言ってしまえばそう形容されるのだが、為末選手の場合、一語一語をきちんと選別し、自らの感覚や考えをメディア、またはファンに伝えたいという意思がうかがえる。今こうしてこの文章を書いている物書きの私にとっても、自分が思うことを文章や言葉として紡ぐことの難しさは重々承知している。だとすれば、身体を鍛え、競技に専心することを本業としている為末選手にとってはどれだけ大変なことなのだろうか?
しかし、例え言葉足らずのことがあったとしても、自分の言葉できちんと何かを伝えようとしてくれるスポーツ選手には感情移入してしまう。それが私なりのファン心理である。

現在はちょっと?将来的には◎の可能性ある新走法への手応え

時折、感覚的過ぎて伝わらないこともある為末選手だが、それはおそらく彼自身にとってもまだまだ謎多き事柄なのだろう。現在取り組んでいるという姪っ子のハイハイする姿勢から考案した”ハイハイ走法”。彼の発言がより明確になればなるほど、その走法が完成に近づいていることを示すのだろう。その日を楽しみにしている。

為末選手を初め、今後も喋れるアスリートに注目したい。}

posted by Takayuki Kanno |11:45 | スポーツ | コメント(0) | トラックバック(0)
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