2007年01月16日

ホイラー・グレイシー郷愁(ノスタルジー)

一昔前までの総合格闘技には敵とみなされるべき存在がいた。グレイシー一族という怨敵が。

だがいつからかグレイシー神話と呼ばれた時代は終わりを向かえ、一ファイターになってしまい、過剰なまでのブーイングを浴びることもなくなり、むしろその技術の高さ、試合運びの巧みさが改めて露出する格好となったグレイシー柔術。悪評だった彼らのイメージを変えた一族の一人にはホイラー・グレイシーが挙げられるだろう。

え!?と思われる方々も多いかと思う。vs桜庭和志でのタップアウトしていないという猛抗議を思い出す方もいるだろう。だが、ホイラーほどこのグレイシーと総合格闘技の歴史、時代の変換期を体現している者はいない、と個人的には思っている。

新年初の更新では、このホイラー・グレイシーノスタルジーをお送りしたい。


出現から現在までを振り返った

ホイラー・グレイシーが初めて日本に登場したのは11年前のことだった。時は修斗人気絶頂を迎えようとしていた頃。対戦相手は当時修斗ライト級王者の朝日昇。修斗の中でも完成された寝技を武器とし、総合的にも洗練されたファイターだった朝日がグレイシー一族と対峙するということで、専門誌もこぞってこの対戦を煽りたてていた。結果はホイラー・グレイシーの完勝であった。タックルを仕掛けるとすぐさまバックを取り、チョークで朝日を失神KO。紛れも無い勝利。この大会での修斗勢の敗退が、格闘技通信の「日本最弱」という名コピーを生んだ。このコピーは日本のレベルの低さを表わしたものではなく、グレイシーアレルギーと呼ばれる、ある種強いから認めたくない、許せない、という類いのジンマシンを格闘技ファンに与えた。衝撃的なデビューと言って良い結果であった。

その後PRIDE参戦。プロレスラー佐野友飛に勝利、そしてグレイシーハンターを名乗らせることとなった桜庭戦を経て、ホイラーは寝技世界一決定戦である、アラブ首長国連邦で開催されるアブダビコンバットに出場する。ここでは一族伝統の寝技を用い、大会史上初である3連覇を成し遂げた。
同階級であれば、兄弟のホイス、ヒクソンよりも強いのではないかと言われていたこの軽量級のホイラーも、しかし時代の荒波にのまれ始める。

2001年、元シュートボクシングのエース、当時大阪プロレスの看板レスラーへと成長を遂げていた村浜武洋とDEEPのリングで対戦するも、判定負けに近い引き分け。村浜の打撃に終始圧倒され、見るも無残な結果となった。時代は桜庭の活躍をはじめ、これまで総合の中では居場所が無かったプロレスラーが輝きを取り戻し始める時期と重なる。ホイラーvs村浜もまた、”プロレスラーは強いんです”、という、総合で勝利を挙げたプロレスラーが次々と口に出した台詞の代名詞とも取れる試合であった。

HERO'Sに主戦場を移してからは、須藤元気、山本KID、所英男に敗れている。奇しくも現HERO'Sミドル級トップ戦線にいる者たちだ(須藤は引退を表明)。所戦は記憶に新しいもので、個人的にはDynamiteの中でのベストバウトであった。寝技の技術は流石であったし、引き込みの駆け引きで楽しめるファイターはそうはいない。
だが、ホイラーもこの2007年で42歳を迎える。試合後の会見では引退の時期という質問をいくつか受けていた。断言はしなかったものの、プロのリングに上がる時間はそう残されてはいないだろう。昨年のアメリカUFC大会、ホイス・グレイシーは試合には負けたものの、観客はそのThe Legend of UFCとして、大会初期を支えたファイターに称賛を贈った。グレイシー一族で大会が成り立つことは現代ではなくなってきてはいるが、10年前はグレーシーが席巻していた総合格闘技。グレイシーと名のつくファイターは数多いが、ホイラー・グレーシーほど、流れの速い総合格闘技の波に乗り続けられているファイターは恐らくいない。

大晦日の所英男戦を見ながら、グレイシーノスタルジーを思い浮かべたのにはこうした時代背景があったからだろう。
人に歴史あり。ホイラー・グレイシーに歴史有り、である。

posted by Takayuki Kanno |21:30 | HERO'S | コメント(0) | トラックバック(0)
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