2006年08月30日
アメリカンドリームとギャラ
昨日、NHK教育テレビの番組「知るを楽しむ」で、故ジャイアント馬場さんについて、妻である馬場元子さんが馬場さんの人柄について語っておられた。
外国人レスラーから絶大な信頼を得ていた馬場さんだったが、それもこれもプロレスラーG馬場の成功があったから。まだ反日感情が残っていた1960S。馬場さんはアメリカで最初に成功を収めた日本人プロレスラーとして、他の外国人レスラー達からも尊敬の眼差しを受けていたという。
番組中で、生前の馬場さんのインタビューが放送されたが、中でも特に印象に残ったのは、当時の馬場さんのファイトマネーの話だった。サラリーマンの月収が3万円程度だった時分に、一晩で500~600万円を稼いでいたという。もちろん、貨幣価値も変わったし、大袈裟な部分はあったのだろうが、流石にアメリカンドリーム。一攫千金であった。
今はどうかわからないが、プロレスが猪木・馬場時代の日本では、外国人レスラーを招聘する際、週給いくらという契約形態を取っていた。ゴールデンタイム中継されていたころには、新日本プロレスと全日本プロレスの間で、人気レスラー達の引き抜きが盛んに行われていたが、これは週給のギャラの額の争いでもあった。当時新日本プロレスのトップガイジンレスラーであった、スタン・ハンセンが全日本に移籍した際、ハンセンのギャラは週20000ドルであったというから、相当な額であったことが伺い知れる。
時代も変わり、アメリカ最大規模を誇るプロレス団体WWEでは、選手は年間契約を結び、ワンマッチいくらという契約ではなくなった。突然の怪我による保障もあるようで、身体だけが資本のプロレスラーにとっては、なんともありがたい時代になった。日本でも、毎年年度末になると、人気プロレスラーの契約更改がスポーツ紙で報道されるようになった。
生活の保障は誰にとっても大事なことであり、家族を抱えていれば最優先すべきことだろう。ただし、突然の移籍騒動も、近年少なくなっているのも事実。契約違反で裁判沙汰にまで発展しまうケースも多く存在する。
馬場さんの時代は、難しい契約事よりも、プロモーターと客を満足させる試合をして、大金を一夜にして稼ぐというドリームが存在し、今ではネーミングライツや肖像権等の権利が、必ず契約書に組み込まれるアメリカンプロレス。
どちらも成功を収めた者だけが手に出来る特権(=アメリカンドリーム)。
他人事だからかもしれないが、プロレスは、契約事云々に囚われすぎず、広い意味で”アバウト”で良いと思ってしまう筆者もいる。
posted by Takayuki Kanno |12:16 |
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