2006年07月13日
無所属であるということ
「タイツにシューズ、それだけでどこへでも行ける。」
一昔前のプロレスラーは皆こんな感じだったようだ。この言葉が表すことは、上がるリングさえあればコスチュームとリングシューズさえ持っていればどこの国でも試合が出来る=金が稼げるという簡単な話である。
確かに言われてみればその通りで、プロレスラーに限らず、実力の世界であれば当たり前のことなのかもしれない。能力があって、オファーがあればそこに行く。それが野球であれ、サッカーであれ、その他のスポーツ、或いは格闘技だって同じ話である。俗にいうフリーランスという肩書だ。
フリーということ
どんな競技でも一緒と前述してしまったが、早速訂正。フリーの野球選手やサッカー選手なんていないことに今気が付いた。
重複になってしまうが、フリーで活躍できるというのは、それ相応以上の実力、人気、価値があるということ。世の中に”フリー”という肩書きを持っている人間で、まともな生活が出来ているのは一握りだと思う。それだけ”free=自由”には試練が多いということの裏返しだろう。
適者生存
今月16日、約2年ぶりにフリーの大物が職場復帰を果たす。
プロレスラー、高山善廣。
脳梗塞でリングを離れてからの2年間、復帰へのトレーニングと並行しながら自身の活動を芸能の分野にまで幅を広げた点は、フリーのプロレスラーとしての彼の価値の大きさを顕著に示していると言えよう。
高山善廣ほど、”フリー”をフルに活用しているアスリートはいないのではないだろうか?フリー転向後に新日本プロレス、NOAHのタイトルを総なめ。また格闘技団体PRIDEにも定期参戦をし、ドン・フライ戦でのひたすら殴りあうファイトスタイルは格闘技しか見ないファンの心をも掴んでしまった。
これらのことは単(ひとえ)に高山がフリーランスだったから。彼ほど自分が活かせる場所を考え、実行出来ているプロレスラーはいないように思える。
元メジャーリーガーで現在はMLB解説者の長谷川滋利さんの著書ではないが、高山善廣を見ていると【適者生存】という言葉が浮かぶ。
フリーな己
かなり私的なことだが、先日付き合いの濃い友人と約3年ぶりに再会した。その友人も筆者も、将来的に海外に拠点を移す事を考えている。そんな話をしている時に、冒頭の「タイツにシューズ、それだけでどこへでも行ける。」というフレーズが頭をよぎった。現時点では実力も、地位も、人気も高山善廣には叶わないが、彼の生き方は、同じフリーランスで活動している筆者にとっての鏡のようでもあるし、励みともなっている。
プロレスラーではない筆者にとっては、例のフレーズは
「PC、インターネット環境があればどこでも書ける。」
差し詰めこんな感じになるだろう。これが当面の目標である。
暗闇?ジャングル?大海原?
世間一般ではフリーランスというと、先行きが見えない、安定が無いというような印象を与えるらしいが、筆者にとっては見えないその課程に一つずつ街灯を設置していくような、そんな楽しみな部分が多い。
スポーツでも他の世界でも、フリーランスって似たような感じなんだろうなぁ、と思ったある日の出来事でした。
posted by Takayuki Kanno |20:58 |
スポーツ |
コメント(0) |
トラックバック(0)


