2006年07月10日
橋本真也 1周忌
プロレスラー橋本真也さんが亡くなって、明日7月11日で1年が経つ。二十歳を過ぎた辺りから時間の経過というもののスピードの速さには毎年驚くばかりだが、橋本さんの死を振り返るという行為に対してもまた、時の速さを実感してしまう。
橋本さんの訃報を知ったのは、梅雨中には珍しく晴れた日の夕方だったと思う。Yahoo Japanのニューストピックにあった死亡記事を目にした。人間のというか、私個人の脆(もろ)さが露呈された瞬間でもあった。
恐る恐るその記事にカーソールをあてがい1クリック。そこには橋本真也死亡の第1報。驚き→疑い→怒り→冷静という末期ガンの告知を受けた人間が取るとされる精神課程が自分の中で発生してしまった、謂わば事件だった。
アレから1年。この1年で思った事を今回はここに書き記すことにする。
やっぱりプロレスかな 橋本さんが亡くなってから、よりプロレスが好きになった。というか、やっぱりプロレスファンはプロレスに還ってくるということを改めて思った。 私は野球もサッカーもバスケットボールもゴルフも見る。オリンピックだって、もちろん格闘技だって見る。これらの競技とプロレスを同じ土俵に置く事は難しいだろう。けれど、”楽しむ”ということに関してはプロレスが一番難解ということは言える。 野球やサッカー等の競技の醍醐味は、迫力のあるプレーだったり、素晴らしいチームプレー精神だったり、或いは目の覚める個人技だったりすると思う。プロレスとは違うが、格闘技においての醍醐味は、一瞬で試合が決まる緊張感、立ち技・投げ技・寝技の技術の攻防、或いは間合いの攻防だと思う。どれもどの競技には大切で不可欠であるし、それらを理解するには競技のルールや選手のことを知らなければ理解することが出来ない、という偏差値の高さがある。 プロレスの偏差値というものは、上記のスポーツとはまた違うものである。原則として、プロレスのルールは3カウント、ギブアップで勝敗が決まる。反則行為も5秒間ならば認められている。これほどまでに曖昧なルールのスポーツは恐らくプロレスだけだろう。だが裏を返せば、ここまでやる側・みる側の想像力を掻き立てられるスポーツもない。 ∞の入り口 プロレスの”お決まり事”とされているロープにふったら必ず返ってくるという行為を例に挙げてみよう。アレは、ロープにふるという事で次の展開が無限に広がることを意味している。確かに返ってくる場合が多いのは事実だ。ただし、出来るプロレスラー同士のロープワークは、それだけでも見るに値する。 ロープにふって相手が返ってくる。そのまま単に技に移行せずに返ってくる相手の足元に伏せ、それを飛び越えていく相手が反対側のロープの反動を使って再びリング中央に戻ってくる。伏せていた側は今度は向かってくる相手をジャンプして飛び越え、再々反対側のロープに走っていく相手。ここで相手の走るタイミングを掴んでいる伏せていた選手が攻撃を加えようと待ち構えるが、再三ロープワークを繰り返す側もそれはお見通し。リング中央に戻ると見せかけて今度はロープにもたれかかってタイミングをずらすことをしたりする。そこからやれドロップキック、スープレックス(投げ技)、トラースキック(下から突き上げるサイドキック)の応酬、という展開になることもあるし、またはそれぞれの選手の得意パターンがある。 活字で伝わったかどうか自信は無いのだが、1つの概念の中に無数に存在する自由がプロレスというスポーツである。ロープワークは一つの流れでしかないが、プロレスムーヴを見て興奮や感動を覚えられるかどうかは、観る側の理解力・寛容性が肝心なのだ。それが、プロレスを楽しむ為の偏差値ということである。 破壊王への弔い 少々プロレスに熱が入ってしまったが、本題は橋本さんのことだった。 全く持って個人的なことなのだが、橋本さんが亡くなってから、同じくプロレスフリークの友人と酒を飲む度に続けていることがある。乾杯の際に、田中秀和元新日本プロレスリングアナが行っていたコールを言ってからグラスを重ねるということを。 183センチ、135キロ。橋本ぅ真也~~!・・・チン という具合に。 アレから明日で1年。友人と私の間だけで交わされてきたこの法要を、橋本さんの1周忌を迎える今週でひとまず終えようと思う。宗教的理由は一切無いが、1年間続けようと決めていたから。 来年もこのブログを続けているかどうかはわからないが、どういう形であれ、7月11日には橋本真也のことを綴り・語り継いで行きたいと思っている。}
posted by Takayuki Kanno |13:04 |
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