2008年02月09日
スーパーボウル・レポート3 ~米・フェニックスより帰国、水道橋より~
すいません、間が空いちゃって……。 しかし、いい試合だった、スーパーボウル。緊張感があって。この試合であらためて思ったのが、フットボールって後半、もっと言えば最終クオーターのために試合を組み立てるんだなということ。 ジャイアンツもペイトリオッツもそれぞれの戦略を持って臨んだのだろうが、ジャイアンツのほうがより予定通りの戦いかたをしたのではないかと思う。序盤はRBジェイコブス、ブラッドショウのランでペイトリオッツディフェンスを疲弊、オフェンスでは徹底的にパスラッシュをかける一方でうしろ(DB)はペイトリオッツ得意のパスオフェンスをしっかり防ぐというもの。
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ジャイアンツは最終クオーターまで1Qのフィールドゴールだけだったけど、それでもかまわないという感じの戦いかた。つまり最終的に前に出ていればいいという覚悟ができていたように思える。 逆に、ジャイアンツとしてはそうするしか最強のペイトリオッツに勝てないだろうという気持ちがあったのではないだろうか。だから作戦、戦術を立てるのもある意味で楽だったのかもしれない。
反対にペイトリオッツは、ディフェス陣の年齢が高く、ましてシーズンも最後の試合でそれ相応の疲労があるということで、序盤はゾーン(ディープゾーン)の守備で体力を温存する作戦を取った。これも、後半に勝負どころがあると見てのやり方なのかもしれないが、ただ、結果論かもしれないが、やや受け身すぎたのではないかと思っている。 序盤から経験の浅いジャイアンツQBイライ・マニングにパスラッシュでプレッシャーをかけていれば、展開は違ったものになったかもしれない。たとえば、序盤にイライに何発かサックを入れたり、サックできないまでもプレッシャーを与えれば、『あ、やっぱりペイトリオッツは強い』という畏れを抱かせたかもしれない。 試合はロースコアの接戦のままで推移したものの、チームの『気持ち』的にはジャイアンツが押していたように感じられた。 たがいに最終第4Qを勝負どころと考えていたものの、ジャイアンツの場合はそこで『勝負をかける』という意気込みが混じったもの、ペイトリオッツの場合は『そこまで体力を温存して勝負』という異なる考えのもとにプレイを進めていたのではないか。 残り約4分でペイトリオッツがWRモスのTDレシーブで逆転するが、相手ディフェンスからプレッシャーを受けずに気持ちで圧倒していたジャイアンツにはまだ『逆転できる』という揺るぎない自信があったと思う。 結果論としていえば、だからそのあとマニングとWRタイリーの奇跡的なプレイを可能たらしめたのではないか。そのあとのマニングからWRバレスへのTDパスも、記者席から見下ろしていてプレイが始まる前から絶対に決まると思っていた。テレビでどれだけその部分が伝わったかわからないが、スタジアムではそういう空気をファンは感じ取っていたはずである。 17-14。ロースコアゲームだが、内容は濃かった。
試合後、記者会見に出たあと、ジャイアンツのロッカールームに行ってみた。
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ほとんど誰も期待していなかったジャイアンツのスーパーボウル優勝。それだけに、試合後だいぶ時間が経ってるというのに選手やコーチたちの歓喜は続いていた。 ちょと笑ったのが、ジェイコブスのバスローブ姿。バスローブを着ていることが面白いのではなくて、そのバスローブ、胸にジャイアンツとスーパーボウルのロゴが刺繍された、いわば『スーパーボウル』仕様なのだ。こんなところまでスーパーボウルは特別なんだな、と変に感心してしまった。
イライのロッカーのところにはレポーターの山。で、ちょっと横に視線をずらすと、あら、おんなじような顔。そう、兄のペイトン(インディアナポリス・コルツQB)だ。ペイトンは昨季の第41回スーパーボウルで優勝し、ゲームMVPにも選ばれたが、弟が勝った今年のほうが喜んでいるようにさえ見える。 ゲーム中、ブースのなかでイライがプレイを決めるたびにガッツポーズする姿がTVに写されていたペイトン。なんだか美しい兄弟愛である…。 筆者は昨年のスーパーボウルも取材へ赴いた。そのときのスーパーボウルウィークで、07年シーズンの英国で行われるレギュラーシーズンゲームの記者発表があって、対戦するジャイアンツとドルフィンズの選手が何人かいた。イライもそのなかにいた。 大学時代から実力を認められてきたペイトンに対し、どこか頼り無さげでerratic、エラーが多いと言われてきたイライ。彼がこのスーパーボウルの舞台に立つというイメージは湧かなかった。 それが、まさか1年後に立っているなんて…。そして兄弟で連続のMVP。よくできた話だな、と思わざるを得ない。
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すばらしいゲームが終わって休む間もなく、月曜の朝にフェニックスを経ち、筆者は日本時間火曜の夕方に成田へ降り立った。そしてそのまま直で水道橋にある出版社へ行き、さっそく雑誌の作業へと移った。 夜作業がメインとなるこの仕事。今日は朝の8時に帰宅し、午後3時に起きた。まだアメリカンタイムで生活しているというわけである。
posted by southernmiss |03:33 |
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