2009年11月05日

ナビスコカップを情緒的に語る【5】

【5】勝ったから、とことん語る。


味スタでの優勝報告会。
観客の手拍子に迎えられて入場した城福監督に
ドロンパが抱きついたシーンを見て、
なんだかぐっと来て、ウルウルしてしまった。
優勝っていいもんだな、としみじみ思った。

おめでとう!


朝4時から並び、寒かった…、眠かった…。
その時間まで滞在していた場所も含めて、
できる限り5年前のルーティンを再現したつもりだ。
ガムテ貼って名前書いとくだけの「場所取り」が
なぜ成立するのか本当に謎だと思いながら、僕は体で2500番目くらいの順番を確保。
ほんと、次回はガムテなしにしてね。

===
11月3日の太陽は、
決勝に進んだ両チームを称えるように、
前日まで残った雲を吹き飛ばし、青空を見せてくれた。
冷え込みはあったものの、ナビスコのファイナルらしい超快晴。

川崎はACLに参加していたのでナビスコは予選免除。
途中から大会に入ってきて優勝しても面白くないっしょ?
というか、甘い。ナビスコはそんなに簡単じゃない。

選手紹介のスティーブン・スペンサーが問いかけた。
Are you ready to win the Cup again?

イェス。準備はOK。

===

権田はレナチーニョの絶妙かつ強烈なシュートを弾き出し、
川島は米本の、無回転とはいえ守備範囲内に飛んだシュートを止められなかった。
これがある意味、試合の趨勢を決したといってもいいでしょう。

米本があのミドルを打ちそうになったとき、
「いいシュートだ」と思いました。
あの時間帯は押され気味で攻撃のスイッチがなかなか入らない状態。
1本勢いよくシュートを打っておくことそれ自体が大事でした。
それが入っちゃうんだもんなー。さすが僕らのニューヒーロー。

硬かった米本がこれで守備に躍動し始め、
梶山は位置を下げてつなぎ役に徹することができ、
東京は完全に安定感を掴みました。

それにしても、東京の集中力は見事でした。
徳永椋原を含めた4人のDFは皆、強力FW相手に絶妙の間合いを保ち、
行くところは行く、待つところは待つ。

あのシーン以外は崩れませんでした。

そのシーン。ジュニーニョが「オープンネット」にシュートを決められなかったとき、
まさかこれが後々重い1本になるとは思いませんでした。
川崎のFWたちは「数打って当てる」タイプなので、
あれも試合の一部なのです。よく見る光景なのです。

だから、あれを外したことが敗因なのではなく、
「数打ちゃ当たる」に持ち込めなかったこと、つまり
得意の形で攻撃できなかったことが悪かったのだと思います。

東京のDFたちが慌てるような想定外のアイディアも爆発力もこの試合はなく、
陣形に穴を開けるようなダイナミックなボールの動きもありませんでした。
憲剛はバードアイでパスを繰り出しましたが、
いつもより縦パスが多かった印象ですね。


そして権田は、土肥のもとに降ってきた神を再降臨させました。
前後半2本ずつくらい、スーペルなセーブがありました。

東京はやや守備に重きをおきながらも
ロングキックで陣取り合戦をするのではなく、
今野ブルーノ、梶山を中心に、ボールを大切に扱ういつものサッカーに徹しました。

そしてハマりすぎて怖いくらいの追加点。
自陣セットプレーの帰り道。走りまくっていた達也がお膳立てをし、
平山が見事なヘッドで川島の脇を抜いたこの得点は、
川崎のお株を奪うような感じでしたね。

第三者の視聴者がしびれるような試合だったかどうかは、
「当事者」からはちょっとわかりません。
でも、東京の選手たちの落ちない運動量、綻びない集中力は、
感動的でした。日本中に誇れるものでした。
本人たちには申し訳ないけれど、
90分間はあっという間でした。安心して見ていられたから。
目を覆うような「ドラマ」は、起こりえなさそうでした。

あのボールへの執着は、まさしく、
ベテラン二人がクラブに残した財産だといえるでしょう。

試合前は、ベンチ入りできずに号泣した浅利の話をして
選手をモチベートしたと城福さんは明かしていました。
「藤山と浅利のために」と戦って勝った事実も大事です。
でも本当に若い選手あるいは僕らが学ぶべきは、
藤山が「試合に出たかった」とコメントし、
浅利が泣いたのは「自分がふがいなかったから」だったという点だと思います。

美談に終わることを良しとしない、二人の意地。
その気持ちが、彼らをここまでやってこさせたんでしょう。


=====
カップを奪い取れ~がこだまする中、終了の笛。
準決勝からいろんなことが起こり、
心配したり発奮したり妄想したりを体験しながら迎えた、秋の青空、優勝の笛。

試合の流れをいつの間にか引き寄せてしまったのは、
いつものMoving Footballを実践したからこそ。
徳永とレナチーニョのマッチアップを嫌ったのか、
憲剛を右に置いた関塚さんは、絶好調のチームにある意味手を入れてしまった。

勝つための戦いを90分間高いレベルで徹底できたのは、
カボレや石川の離脱という代償がチームをひとつにしたからこそ。
そして苦しくてもやり通せるという5年前の経験と魂が、コクリツのピッチに残って転がっていたのだろう。
状態の良すぎた川崎は、0-2への準備ができていなかった。且つ、負の経験も生きなかった。

そして米本のウソみたいなシュートをねじ込んだのは、
サポーターだ、絶対(入るとは思ってなかったくせに断言)。



カボレのシャツを着てカップを掲げる羽生。
石川は足を引きずりながら出てきた。

監督が言うとおり、全員の力が結集しての優勝。いない人間の力さえも。


疲れた。酔っ払った。眠かった。
でも気持ちいいね、優勝って。
5年に一度くらいがいちばんいいかな、なんて言うと、
ヒロシに大声で怒鳴られそうだから言わないけどさ。
ヒロミはわかってくれそうだ(笑)


素晴らしき決勝。苦労の結晶。
予選は、やっておくもんだよ。
ナビスコは、春から楽しまなきゃ。
おれ、ACLより、ナビスコが好き。誰がなんと言おうと。


≪シリーズ・完≫

posted by sot-escape |01:32 | FC東京 | コメント(4) | トラックバック(1)
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2009年11月03日

ナビスコカップを情緒的に語る【4】

プレビュー最終回。
あの日を振り返ります。

【4】下馬評も数的不利をも、覆す何か。


後にも先にも、僕はその光景に出くわしたことはない。
みんな、どこか変だった。何かに導かれていたんだ。

自分が応援するチームのゴールに強烈なシュートが飛んできたら--。
普通は、一瞬息が止まる。
普通は、目を背けたくなる。
自分が応援するチームのGKがそのシュートを弾き出したら--。
普通はほっと息を吐く。
普通は「おーっ」と唸って「あぶねぇ」と呟いて、そして拍手をする。
 
プレミアのサポーターなんかは敵のシュートが外れるとすぐに
こぶしを挙げて喜び、GKを称えたり敵をなじったりするが、
日本のスタンドはそんなに図太くない。特に東京のサポーターの反応は正直だから…。
 
ところが、2004年11月3日午後の国立競技場、千駄ヶ谷側ゴール裏は少し変だった。
最初のうちは、「おー」だったのだ、赤い軍団の決定機を防いだときの反応は。
しかし、回数を重ねるにつれ、変わっていった。
土肥洋一が浦和のシュートを防ぐたびに、
ぼくらは、こぶしを突き上げた。
いわゆるガッツポーズである。ゴールシーンのような。イェーイって。
シュートが放たれる瞬間にはもう、こぶしを挙げる準備をしていた、といってもいい。
 
それはもう、滅茶苦茶に劣勢だった。
その数年後にアジア一にまで上り詰めた浦和とは別の種類の強さが、
当時のレッズにはあった。乱暴な強さが。
そのうえ僕らは、ひとり退場で失っている。

そこへエメルソンが来る。田中達也が来る。永井が来る。
  
でも後半の途中から…そう、おそらくは戸田光洋がゴールライン上で
アルパイのヘディングをクリアしたあたりから、
僕らは根拠のない楽観に包まれていた。
コクリツのゴールは、僕らの味方だ、と。
 
そりゃ、強がりの一種ではあったさ。
半泣きの人もいた。
でも、本当にビクビクして心理的に窮地にいたら、
味方GKのセーブの瞬間にガッツポーズなんか出ない。
 
やっぱりちょっと変なテンションになっていたんだ。
何かが僕らを勝利に導いてくれると、根拠なく信じ込んでいた。
土肥がシュートを弾いてくれると、どういうわけかわかっていた。
事実上、失点が即敗北をもたらすと知っていながら、GKのセーブを楽しんでいた。
 
僕は、後にも先にも、GKのセーブで千人単位のファンがこぶしを突き上げる光景を、
見たことがない。
 
PKでの勝利を得た瞬間、涙する長年のサポーターやおばさんたち。
しかし僕は、ヘンテコなテンションから抜け出すのに失敗し、ヘラヘラ笑っていた。
あとからVTRを見たら、何度でも泣けるというのに。
  
決勝戦の雰囲気というのは、本当に不思議なものだ。



選手の水曜と金曜号のエルゴラッソをお読みだろうか。
2号続けて、そこには戸田光洋のインタビューが載っていた。

僕がいちばん好きな(今でも)選手、戸田。
戸田のファンだったことを誇りに思える内容だった。

あの日、後半終了を目前にしてピッチから退いた戸田は、
そのあとずっと、退場したジャーンと一緒にいたのだという。
責任を感じ、涙が止まらないジャーン(同級生なんだって)に寄り添って、
慰めていたそうだ。
戸田は言う。「ずーっと泣いてましたからね。アイツは男ですよ」。
君がいちばんオトコだよ!

さらに。
石川と戸田は後半ふたりとも脚が攣っていたそうだ。
ところが、ベンチ側に位置していた戸田は、石川のことについては黙っていた。
「俺よりもナオのほうがつっていても走れるし、
ナオを残しておくほうが個人的にも良いと思っていたので。
俺はナオのことは言わずに、自分がパンパンになるまで走って、
原さんに『もう無理です』って告げて交代しました」。

涙が止まらないじゃないか、このやろー!

続けて戸田は語る。
「ジャーン退場でピッチを去らなければいけなかったフミさん(三浦文丈)のことが忘れられないです。
フミさんがどれだけこの試合に懸けていたかも知っていただけに…」

そうだ、僕らも、文丈がピッチを去り、そっとヒロミと握手したシーンは
忘れられない光景として覚えている。



どうやら、決勝戦は、選手たちも別次元の世界へ連れて行くらしい。
こんないい話、そんじょそこらのリーグ戦では出てきませんよ。

文化の日のコクリツは、それはそれは素敵な空間なのだ。

藤山が退団、そして現役続行の意志を表明し(アマラオのように。)、
浅利が現役引退を発表した。
石川は車椅子でコクリツを訪れ、茂庭は顔がへこんでいる。

がんばる理由はいくらでもある。

誰かのためだとかは別としても、
あの日の優勝が僕たちサポーターに残したもの、
そしてピッチにいた当事者たちに残したのを見れば、
カップを掲げることの意味の大きさは語るまでもない。

タツヤよ、戸田のように走れ。
権田よ、土肥のように止めろ。
ブルーノよ、ジャーンのように泣き叫べ。(ただし試合が終わってから)

キックオフまで14時間。
予想外に雨が残った千駄ヶ谷にも、明日は日差しが戻るだろう。

勝とうぜ。

posted by sot-escape |00:20 | FC東京 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2009年11月02日

ナビスコカップを情緒的に語る【3】

あと19時間!

【3】川崎有利には疑いなし

下馬評は、川崎優位。
僕も、100%同意します。
川崎が有利でしょう。かなり。

足踏みが続いたリーグ戦でも首位に立ち、
攻撃陣の調子も至極良好です。
ほぼベストメンバーで決勝に臨むようです。

対する東京。
ああ、僕は柏戦での石川のループシュート、
そして着地に失敗し地面を叩く彼の姿を
一生忘れないでしょう。

あまりにも痛すぎる、エースの離脱。
今年の東京は、FW陣がポストプレーをこなし、中盤とのパス交換に参加し、
最後は石川がどこからか飛び出してくる、という形で
ずっと点を取ってきました。
石川を完全に捕まえることに成功したチームは、ありません。

いや、勝ち負けへの影響とか、そういうことはいいのです。
石川に、ご褒美をあげたかった…。
凄まじい活躍をしたシーズンの足跡として、
決勝で得点させてやりたかった…。
無念は計り知れません。

しかし、残された選手が、あるいは僕たちが、
頑張るしかないのです。
石川のいない東京でキーとなるのは誰か。

それは平山相太だと思います。
平山のところでボールがしっかり収まるか。
そこに東京の攻撃の大部分がかかっています。
背を向けてもらってキープしろというのではなく、
安定的に競り勝てるか、はたきのパスの精度を保てるか。
中盤に落ちて捌いたあと、すぐに前線へと突入していけるか。

なぜかコクリツに強い平山への期待はかなり高いです。
以前から平山には厳しい言葉を浴びせてきましたが、
今年の平山は変わりました。よく走り、よく粘る。
あとはヘディングでの得点を待つのみです。


また、サイドの攻防もポイントでしょう。
07年の決勝でトイメンの安田に「持っていかれた」森は、
一昨年よりずっと怖い選手。
肩を痛めている長友が上がりを自重したり
上がりすぎたりすれば、ここから東京は崩壊します。

そして今野とブルーノが我慢できるかどうか。
今野は大丈夫でしょう。
ブルーノはテセを引っ張って退場になった例もあり、心配です。
ジャーンに似て、熱くていいやつなのも、逆に不安要素…。

ただ、ロングパス一本でチャンスを作れるので、
奪ったあとのカウンターの起点としてはかなり期待しています。
ナビスコ予選の清水戦では、ハーフラインの後ろからエリア内にいた赤嶺の胸にピンポイントパスを通し、1秒後にはPKを獲得したというプレーがありました。

---
延長に入ったら東京はかなり厳しいです。
控えの層は今かなり心許ないうえ、FWがいません。
延長になったら04年のような展開に持ち込むしかないでしょう。
藤山、浅利を投入!?…あぁ涙が出てきた。

04年の優勝の時には、1ヶ月前のリーグ戦で浦和に完封勝ちしていたという成功体験がありました。あれが大きかった。
しかし今年は川崎には2連敗。
逆転負け×2。且つ、3得点のうち2点が石川です。
川崎は自信を持ってくるでしょう。
東京は、FKは入らないし、GKの経験も向こうが上。
いろんなデータが、川崎に傾いています。

しかし。
コクリツは僕らの庭。
コクリツは僕らの牙城。

いつも屋根からの反響に頼った応援をしている
敵軍の声量には、負けられません。

両軍合わせて3度の決勝体験。
しかし共に、ファイナルで得点したことがないのです。
ところが片方は、優勝したことがある。
大きな違いじゃないですか。
そう、僕らは、「それ」がどんなにスウィートな体験か、知っています。

羨ましい?
だーめ。今年も、お・あ・ず・け☆

最後に、多摩川クラシコの勝敗を。
東京から見て、5勝5分6敗。
順番的には・・・・・・・だよね。

次回はプレビュー最終回。
2004年の魂を持ち込め!の巻。

posted by sot-escape |18:55 | FC東京 | コメント(4) | トラックバック(0)
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2009年11月01日

ナビスコカップを情緒的に語る【2】

ナビスコカップを情緒的に語る

【2】ナビスコって素敵だよね

僕は、この大会の歴史への浦和レッズの貢献について、
その大きさを認めざるをえません。

金曜発売のエルゴラッソの一面には、
2000年の決勝を戦った川崎の集合写真が載っていました。
懐かしい面々が並んでいる以上に衝撃的なのは、
彼らの後ろに写り込んだ国立競技場のバックスタンドが、
空席だらけだという事実です。

当時のJリーグは、磐田と鹿島が交互に覇権を掴み、
玄人目にはひとつの黄金期ではありましたが、
観客動員についてはどこもかなり苦戦を強いられていました。

ナビスコカップも例外ではなく、
その意義はあくまでリーグ戦のおまけでしかなく、
アビスパ福岡の「ピッコリ事件」に象徴されるように、
各クラブのナビスコの位置づけについては温度差がありました。
というか、真剣度が低かったのです。

僕は1998年の決勝戦、ジュビロ磐田対ジェフ市原を
部活帰りにふらっと立ち寄る感覚で当日券を開始間際に買いだいぶ余裕のある上層スタンドであくびをしながら見た覚えがあります。
決勝とはいえナビスコなんてそんなもんでした。

98年の市原にしろ、00年の川崎にしろ、
そもそも決勝に残ってはいけないレベルのチームでした。
これは、他のクラブがナビスコを真剣に戦っていなかったひとつの証拠だと思います。

しかし、浦和レッズは、いや浦和サポーターたちは、そんなナビスコの状況を、
見事にひっくり返してしまったのです。

2002年の鹿島対浦和の決勝は、
J2という地獄を見た浦和が初めてタイトルをかけた一戦。
2003年の同カードは、
その浦和がついに初タイトルを手に入れた一戦。

のちに浦和がアジアを制するに至る過程をなぞるうえで、
この両年の決勝戦は大きな歴史的意義を有するといっても過言ではないでしょう。
そして、国立を真っ赤に染め上げ、
ほんの2000円かそこらのチケットを宝石に変えてしまった浦和サポーターは
ナビスコカップ決勝戦の価値を高め、
このタイトルがサポーターを心の底から喜ばせることができるのだと
他クラブの選手やフロントに気付かせたのです。

そしてそれ以降、
ナビスコカップ決勝はほとんど「ハズレ」のない試合を提供し続け、
それぞれに物語を残しています。
(2007年の川崎には少しがっかりしましたが…)

2004年の決勝は史上最高のスコアレスゲームと
(確か識者の誰かによって)評される好ゲームで
首都に初めてタイトルをもたらし、
2005年はオシムサッカーがひとつの結晶を残しました。
PK戦を見ずに下がってしまったお爺さんには笑ったものです。
翌年は3年ぶりに得点が決まり(笑)、思えばこれば離散前の最後の
ジェフ黄金期メンバーの勇姿でした。

そして昨年は、弱小財政の田舎クラブ、大分の初載冠。
「サポーターがどうやって国立に行くのか」からして話題になるなんて、
なかなかありえない出来事です。


とにもかくにも僕たちは、
浦和サポーターに感謝しなければなりません。
(でも、もうチケット争奪戦の相手にはならないでください。)

ナビスコカップは立派に育ちました。
「ベストメンバー使え」と言いながら、
「若手だけの大会にしてしまえ」などとのたまう某御仁は、
苦しい時代にもスポンサーを離れずにいてくれた
ヤマザキナビスコ社様に対して失礼だと思わないのでしょうかね。

代表戦のウラで1億円をかけて平日に予選を戦う「快感」。
満員の国立で1発勝負にかける「快感」。
たまりまへん。

ありがとう、オレオ。ありがとう、リッツ。


次回は、「大胆にも今年の決勝を占う」の巻。

posted by sot-escape |22:56 | FC東京 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2009年11月01日

ナビスコカップを情緒的に語る【1】

最近涙腺が緩くなっている僕は、
愛するFC東京の決戦を前に、
ちょっとしたことでウルウルしてしまいます。
2004年のVTRを見てはウルウルし、
東京の小学生年代から送られた千羽鶴に書かれた熱いメッセージを見てはウルウルしています。

ナビスコの良さは、決勝の前に物思いに耽る時間がたっぷり用意されていることでしょう。
天皇杯では慌ただしすぎて難しく、リーグ戦に関しては「決勝戦」的な最終節を体験したことがないのでわかりません。

年間100試合観戦計画を達成した筆者は久しぶりに筆をとり、
数回に渡ってほとばしる思いを書こうと思います。
長くなりますがお許しを。
======

【1】あれから5年、僕たちは…

初タイトルを勝ち取ったあの日は、
東京にとって「終わりの始まり」だったのかもしれない。
 
すでにリーグ戦においては、東京は衰退の兆しを見せていた。
前年の第2ステージは最終節の一歩手前まで優勝戦線に残り、
ケリーを軸にしたダイナミックな「攻撃サッカー」はチームの代名詞にもなっていた。
 
ところが大きな期待を背負った2004年は、
調子の波が激しく、ケリーの故障も重なって、勝ったり負けたりが続いた。
リーグ戦の最終戦績は10勝9敗11分けと、平凡以外の何物でもなかった。
ナビスコカップ獲得は幸福をもたらしたが、年間を通した強さはむしろ減退していたのだ。
 
あえて冷徹な見方をすれば、
初タイトル獲得は、原政権のひとつの集大成だったとともに、
ひとつの限界点でもあった。
 
クラブは、故障から帰ってきたあとに空回りをしていたケリーとの契約を解除。
拙速にも思われた決断だったが、チームは梶山や馬場といった若手の成長に託された。
 
ところが、2005年は夏場まで降格圏付近をさまようほど苦悩。
ナビスコも予選で敗退している。
終盤戦に見せた負け無しの快進撃と、セレッソを沈めた今野のゴールという
モルヒネによって我々は嫌なことを忘れにかかったが、
やはりクラブは原政権の限界と判断し、ヒロミとの甘い4年間は終わりを告げた。
 
それ自体は必要なことだったと思う。
しかし、それ以後が拙かった。
 
ガーロ。エバウド。ワンチョペ。
定評のあった外国人招聘が相次いで失敗に終わったことに象徴されるように、
フロントと指揮官の迷走が選手に混乱をもたらした。
クラブ初の外国人指揮官は、謎のマンマーク戦術で嘲笑を買い、シーズン途中で解任。
翌年に第二次政権を引き受けさせられた原監督は新味を出せずに終わり、同情を買った。
 
05年からの3年間について思い出すことといえば、
ジャーンや戸田や宮沢や土肥との別ればかりである。
フロントのチーム作りそのものが迷走しているにもかかわらず、
思い出を共有してきたベテランが半ば斬られてゆくのを見るのは、辛かった。
一体何度「若返り」をしたら気が済むのか。一体いつ「成長中」を抜け出すのか。
僕は不満に満ちていた。

そして昨年現れたのが城福浩である。
昨年のブログにも書いたように、僕は彼をイマイチ信頼できずにいた。
なにしろ、いままでの東京のサッカーをガラリと変えようとしていたのだから。
加えて、記者会見で語られる言葉が空虚に思えて仕方なかった。

ただ、選手は前を向いていた。
なかなか結果は伴わなかったが、方向性の正しさを信じさせる能力が
城福監督にはあるのだろう。

進化と変化は少しずつ、結果につながっていった。
リーグ戦の終盤には上位に食い込み、
明確に優勝の意図を持って天皇杯を勝ち進んだ。
待っていたのは準決勝での悔しすぎる敗戦だったが、
僕らは久しぶりに気がついた。
タイトルが欲しい!と。

2004年11月3日から5年。
もちろん、そんなに深刻に悩んでいたわけではない。
降格の恐怖があったわけでもなく、
選手バスを取り囲んだこともない。
東京サポーターは基本的にお気楽主義だ。

だがこうして改めて振り返ってみると、
このナビスコカップ決勝が、
5年前とは全く違う味わいを持つことに気づくのだ。
前回はとにかくガムシャラに初タイトルに邁進し、はしゃいでいれば良かった。
アマアチュア時代から見守るファンを除けば、
積年の悲願という感覚は薄く、
感傷を呼ぶのは、アマラオにカップを渡したかったという気持ちくらいだった。

しかし、僕らは5年分歳をとり、
それぞれの胸に去来する思いもそのぶん分厚くなった。
石川は横浜の地に倒れ、梶山は北京で階段を昇り損ね、
何人もの「若手ホープ」が去っていった。

5年間、それなりに苦しかったではないか。
今年のチームには自信がある。選手にカップを獲らせてやりたい。
城福浩のことも信じよう。いや正直、いまやあんたが好きだ。

さぁ、5年分の苦労を、ぶつけようぜ。

…川崎の苦労に比べれば軽いって?
敵のことまでは気が回りません。

=====
次回は、「浦和レッズに感謝しよう」の巻。

posted by sot-escape |18:19 | FC東京 | コメント(0) | トラックバック(0)
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