2008年07月31日

アマラオはパンダではない [東京vsオリンピア]

Match No.057 2008.7.31
<サッカー>
プレシーズンマッチ
FC東京vsクラブ・オリンピア
@味の素スタジアム

アマラオに対する感謝の日に充てられた、
クラブ・オリンピアとの親善試合。

レアル・マドリー、ASローマ、バイエルン・ミュンヘン、ユベントスなど
錚々たるクラブと対戦してきた東京だが、
ここ数年、ソウルやらオリンピアやらと、
やる理由すらよくわからない(商業主義ならまだ話が簡単だ)試合を
懲りずに続けている。

僕は5年ぶりに、アマラオのレプリカを着て、
8年前のマフラーをぶら下げて、
鼻歌を歌いながら味スタに向かった。
アマラオの日だから。

そう、アマラオがいたころは、
アマラオに会うためにと言っては大げさだが、
少なくともアマラオの存在が大きな動機となって、
足しげく、開始2時間も前に、味スタへ足を運んでいたのだ。
毎試合、胸を躍らせて。

彼は、そういう存在だった。

だからこそ、僕は大いに、怒りの念も交えながら、
失望している。
6千人しか入らない試合を、アマラオの日に充てるのは、
あまりにも彼に失礼である。
もちろん、このイベントにこぎ着けるまでに、
いろんな人の努力があったのは理解してますが。


始球式


引退試合を正式に出来なかったのは、
リーグの(くだらない)引退試合開催規定があったからだと
理解している。

しかし、アマラオに感謝するセレモニーやら
振り返りVTRやらを流すのは、公式戦でも出来たはずだ。

よもや、今日の演出
(スタメンとして紹介され、選手と一緒に入場し、キックオフと同時に
独走してゴールを決めるという悪ふざけのような始球式)
を実現させるためだけに、非公式試合を選んだのだろうか。
それはそれで、オリンピアに対する礼を失する。

ゲートを入るときに配られたアマラオのカードを見て、
小学生が「お、カボレだ」と言っていた。
彼らはアマラオを知らないのである。

同時代を生きていないファンが増えていっても、クラブにとって大切な人物は、
記憶され続けなければならないのだ。
ボビー・チャールトンのように、ヨハン・クライフのように。

アマラオの写真集やDVDが発売され、映画が作られても、
それは一部の、同時代を生きたファンのノスタルジーにしか役立たない。

子供たちや新しいサポーターたちに、
彼の偉大さを認識してもらう気があるならば、
この試合というチョイスは、完全に間違っている。

伸びそうにないチケット販売へのテコ入れだとしたら、それこそ言語道断だ。

===

さて、少しは試合も振り返らねばならないが、
オウンゴールの1点だけという事実はともかくとして、
特筆すべきことがあるだろうか…。

ひとつ、ノン・ムーブなフットボールを展開し続けるチームにとって
良かったと思えるのは、
オリンピアが見せた、球際の強さ・鋭さ、パスの速さを経験したということだろう。

東京は、ガツガツ足元に入ってきたパラグアイ人の脚を交わしながら、
パスを回さざるを得なかった。
そしてある程度それは出来ていた(連動こそイマイチだったが)。

球離れの早さと素早いポジショニングを強いられたことが、
何かを思い出すキッカケになってくれればいいと思う。

大事な大事なナビスコ準々決勝第2戦@大分を水曜に控え、
手ごたえを掴んでくれただろうか。

来週末の名古屋戦なんか、どうだっていいよ。

大分に、2-0で勝て。それだけだ。


===
余談だが、Jリーグにはどうしても納得できない英語の使われ方がある。
「プレシーズンマッチ」だ。
いまどき、中学生だって「プレ」の意味はわかるだろう。
こんなにシーズン真っ只中なのに、何が「プレ」なのか、教えてほしい。
「プレ五輪」なる大会があるが、それを五輪期間中にやるようなもんだよ。意味不明じゃん。
Jが始まった当時、野球の「オープン戦」に当たるシーズン前の試合を
「プレシーズンマッチ」と呼ぶのを見て、かっこええと思ったのを覚えているが、
それを引きずっているのだろうか…。

なんで「エキシビジョンマッチ」「フレンドリーマッチ」ではいけないんだろう。


東京 1-0 オリンピア



posted by sot-escape |23:58 | FC東京 | コメント(1) | トラックバック(0)
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2008年07月31日

インターハイ観戦記① [弓道] 静かなる決勝戦

Match No.056 2008.7.31
<弓道>
平成20年度全国高等学校総合体育大会
弓道競技男女団体決勝
男子:石岡商業高校(茨城)vs祐誠高校(福岡)
女子:妻高校(宮崎)vs豊橋商業高校(愛知)
@川越運動公園総合体育館

もうすぐ北京五輪ですね。
五輪は日頃見ないマイナースポーツを見られるから好きです。

だから現地に行きたいのはヤマヤマなんですが、
しがないサラリーマンの私には(というか中国という国にあまり興味のない私は)、
現地観戦は鼻から頭にありません。

でも、やっぱり見たいマイナースポーツ。
そうだ、埼玉行こう。というわけで、インターハイです。

しかも、高校野球の予選を見まくってやろうと目論んでいたにもかかわらず
仕事が忙しくてついに1試合しか見られなかった鬱憤を晴らさねばなりません。
待ってろ高校生!というわけで、インターハイです。



と、意気込んでいたものの、
久々に代休を取れた体に早起きを強要するのは無理だった。
大宮でサッカーの3回戦を観戦する予定が、起きたら11時。
競技日程はだいたい頭に入っていた私は、川越に向かった。
この時間から間に合うのはこの競技ぐらいだ。

弓道!

本川越から、ご丁寧に15分おきに出ているシャトルバス(乗客3人)で
総合体育館へ。到着すると、すでに男女団体決勝の準備は整っていた。

経験ないですか?電車の中で、弓を持った高校生に出会ったこと。
私の場合、邪魔くさいな、と思うことが10回に1回。あとの9回は、
「なんかかっこいいな」である。
車内の目線に耐えつつ、彼らの勤しむスポーツとは一体どういうものなのか。
当然初めての観戦である。

体育館の床には緑のカーペットが敷いてある。
そして的が10個並ぶ。

審判員(?)のおっさんが、「男子団体決勝を始めます」と告げ、
男子の2校、石岡商(茨城)と祐誠(福岡)が入場してくる。
5名ずつ、10人。袴姿が清清しい。
アナウンスでひとりひとりが紹介され、お辞儀をする。

静まる会場。午前からトーナメントを行っていたので
敗退した多くの選手がまだ会場に残っている。当方は立ち見でござる。

選手10人は各自の的の前(といっても28メートルもあるが)に並び、
そしておもむろに、試射を始めた。
と思ったら、ん?んんん?あれれ、どうやら本番のようだ。
待て、こっちはまだ心の準備ができていない。

弓道の場合、各校が順々に撃つというわけではないらしい。
それぞれのチームは「一の立ち(一番の選手)」、「二の立ち」と順番に撃っていくが、
ひとりの矢を引いたくらいの時にはすでに次の射手が準備に入っている。
前の射手が矢を放った10秒後くらいにはもう矢を放っているのである。

一本矢を撃ったあとは座り、また順番が来るのを待つ。これを4回繰り返す。
その所作ひとつひとつが美しい。

アーチェリーと違って、弓道の場合、的に当たりさえすれば
真ん中に近くなくてもよい、というのはどこかで聞いたことがあった。
的の当たったときはカポッというような心地よい音が響き、
応援の部員が「よしっ」あるいは「よーし」(イェーッスと言ってるように聞こえる)
と短く声を発し、短く拍手する。
逆に、外れると、畳を刺す矢の音はむなしい。

各チーム5人が4本ずつ矢を放つ。
そして的に当てた本数で勝負が決するというシンプル極まりないルール。
ルールだけ見ると、それは立派な「勝負事」である。

しかし、両軍の選手たちが守っているのは、作法と、矢を射る順番だけ。
制限時間はどうやらあるようだが、
各人はあくまでも自分の間合いで、的へ連なる見えない低空の道だけを見据える。
敵チームという存在を全く、これっぽっちも、意に介していないのだ。

○と×が順に掲示板に記されていくから、勝負の趨勢を計ることもできるだろう。
しかしおそらく、彼らはそれをしていない。

非常に淡々と、ものの5分かそこらで終わってしまう、全国大会の決勝戦。
しかしその短時間に、10個の「世界」が現出する。
なんたる濃密な時間、空間。

技術が矢を的から逸らせるのではないのだ。
自分の「世界」に、「時間」や「相手」や「欲」の概念が侵入したときに、矢は逸れるのだろう。
これは競技を知らない者の闇雲な分析ではないと思う。


所作は審査対象なの?


割と速いテンポで射ていた祐誠が先に終え、
やがて全員が4本ずつ射終えた。

係員が当たった矢の数を最終的に確認し、
審判員が「17対15、優勝、石岡商業高校」と告げ、
会場が大きな拍手に包まれた。これで終わりである。
ノーガッツポーズ、ノーハグ。選手たちは整然と控え室に消えていった。

5分の間にルールを理解し、その世界観を自分の中で処理しなければならずに
頭が混乱していたせいもあり、脚が少し震えていた。
坊主頭の射手たちに、私は完全にやられていた。
なにか、すごいものを見てしまったような気分だ。

続いて女子が同じように競技の準備に入ってゆく。
今度は落ち着いて選手を観察し、的に刺さった矢を数えることが出来た。

おそらく矢を放つ瞬間、射手は呼吸を止めるのだろう。
矢を放ちその行方を見届けると、弓を下ろし、息を吐き出す。残心というやつかな。
選手の背中に尋ねたい。
その吐息には、どんな思いが交じっているのか。
的を外した時、一瞬頭に血が昇る自分を静める吐息なのか、
それともため息なのか。

それにしても、一番手の選手の荷は重い。
各々が自分の世界に入るにしても、最初の矢の行方くらいは目に入る。
最初に×が記されたら、あとに続く選手たちの精神は、
多少なりとも乱れるのではないか。
その重圧に耐え、両校の一番手は、実に堂々としていた。

宮崎の妻高校(すごい名前)は20本中18本を命中させ、4本の差をつけて豊橋商を破った。

あだち充のH2で、雨宮ひかりがやっていた弓道。
新体操の高校王者である浅倉南にしろ、ひかりにしろ、
個人競技にヒロインたちを充てたのは、作者の都合か、
それとも何らかの深い意図があるのか…と余計なことを考えつつ、
弓の「道」のにわか体験を私は終えた。


==
さて、ひとつだけ疑問。
競技の後、「納射」という儀式があり、
弓道何段かの方が、1つだけ残された的に向かって射た。
で、2本とも外してしまったのだが、あれはわざとなんでしょうか。
そういう決まりなんでしょうか。

ご存知の方がいたら教えてください。

最後に、
石岡商業高校、妻高校、優勝おめでとう。
いくらなんでも、控え室ではガッツポーズしたよね?


男子 石岡商業(茨城) 17-15 祐誠(福岡)

女子 妻(宮崎) 18-14 豊橋商業(愛知)


posted by sot-escape |23:57 | 弓道 | コメント(0) | トラックバック(0)
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