2007年02月24日
盛岡商と拝啓、父上様
栄冠を引き寄せた盛岡商の積極策 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/hs/85th/column/200701/at00011970.html 新チャンピオンはセクシー http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/hs/84th/column/200601/at00007341.html 先日たまたまテレビを見ていると、ドラマがやっていた。 テレビっ子なので たいていのドラマタイトルとその内容は把握しているのだが、 最近実際見ることはなかった。2月に入ってずっと旅行に出ていたので、 初めからあきらめていたのかもしれない。 しかし、「拝啓、父上様」は良かった。 別に話しとしては、新しいわけでもないし (「前略おふくろ様」を踏まえている)、斬新な構成でもない。 けど、何か大切な芯のようなものをしっかりと捕らえている気がする。 さすが倉本作品である。 まだ、見ていない人がいれば、ネタバレになるとイヤなので、 内容は話さないが、 何だか僕らがすでに失ったものは、大きいような気がした。 昭和というと古いイメージがあるが、 あの時はよかったという気持ちがなんとなく分かった気がした。 僕はそういうノスタルジーを今日の日本にした大人が感じるのは、 お門違いなのではないかと批判してきた。 しかし、大切なものというのは、 いつの時代も揺るがない気がしてならない。 なんだ、スポーツの話しじゃねーかと思われるといけないので、本題に入る。 少し古い話になったが、今年の高校サッカーは盛岡商業が優勝した。 本命が次々と姿を消してゆく中で、彼らはなぜ勝てたのだろうか。 前年度大会、つまり第84回大会は 「セクシーフットボール」野津が優勝した。当然、初めての優勝である。 リンクから引用するが、『セクシーなフットボールとは何だろうか。 そもそも、セクシーさ自体が何を持って定義するのか曖昧(あいまい)だ。 だが、例えば女優の美しい裸体を「セクシーなヌード」と表現するように、 サッカーにおいても重要な要素となる「美しさ」を表現する言葉 と言えるのではないか。 しかし、それだけでは「美しいサッカー」ではあっても 「セクシーなサッカー」とは言い難い。 私が考えるに、セクシーフットボールとは、 美しいだけでなくこだわりと大胆さがなければならないのだ。 野洲は、美しいサッカーを見せただけでなく、 大胆さを忘れずに自らのスタイルを貫徹した。 だからこそ、彼らはセクシーなフットボールで 王者の座を手に入れたと言えるのだ。』 サッカー界に新しい風が吹いたことは間違いないようである。 現在高校サッカー界は、以前よりもレベルが下がったと言われる。 また、優秀な選手を輩出できなくなるのではないかと言われている。 それは、なぜか。 簡単に言うと、Jリーグのユースクラブに人材が流出しているのである。 サッカー王国と言われる静岡が最近、高校選手権で追い成績を 収めていないのは、このあたりにも影響があると思う。 例えば、九州にはアビスパだけに対して、 静岡にはエスパルスとジュビロの2チームがあることだとか。 そういう流れもあって、 高校チームとユースチームが唯一対戦機会のある、 高円宮杯全日本ユースサッカー選手権も真の高校日本一決定戦としての 意味合いが高まってきている。 つまり、高校サッカー自体に魅力がなくなったと言うよりも、 様々なチームに選手が分散し、 高校選手権の魅力やその意味が薄まってきているのである。 そういった中でセクシーフットボール野津の登場は、 TV局側にとって朗報だっただけでなく、 高校選手権に対する見方を変えたのではないか。 一般的にも、TV局側も、ファンタジスタや怪物を望んでいる。 このへんは、ONから続く、スポーツ界のヒロイズム傾向の影響であろう。 しかし、そう簡単にヒーローは現れない。 特にサッカーでは、競技の性質上、TV局側が勝手に煽っていることが多い。 そんな個が小粒な状況は、個を見るのでなく、 全体を見るような流れに変わってきている。 その最たるものが、昨年度のセクシーフットボール登場である。 さて、今大会。 セクシーフットボールよりも乾が注目されていたように思う。 昨年は乾よりも山本佳司監督が注目されていた。 監督が注目されていると言うことは、 チーム全体を見るべきと言う一つのバロメーターであろう。 さて、そんなセクシーフットボール野津も3回戦で敗れた。 今大会、本当に点が入らず、PKが多かったのは (3回戦までの40試合でPK戦決着が15試合、うち10試合は0-0から。)、 攻撃力を重視したのではなく、 守備重視のチームが多かったように感じる。 そして、3回戦以降、PK決着がなくなったのは、体力的な面も考えられる。 疲労の蓄積もあるし、準決勝以降の国立の試合は、 90分であるからだ。(普段は80分。) そしてここに盛岡商業が今年度の高校選手権大会を優勝できた要因がある。 その一つが、盛岡商業は走り込みを重視していたのである。 例えば、高円宮杯が終わった後、9月下旬に1週間にわたって ダッシュやインターバル走などで20キロ以上を走り込んだ。 これは、この時だけでなく、走りこみを重視し、走ることの大切さを 選手が分かっていたことは間違いない。 そして、選手権全体、90分走り続けるだけの体力を持てた。 また、盛岡商業 齋藤重信監督はこう語っていた。 「今大会、あまりチームで点が取れていなかったが 『守って守って、というのは嫌だ』と選手に話をした。 同じ守るのでも、果敢に攻めて守るというか、 攻撃的なディフェンスをしなさいと言った」 これは選手たちにとって、非常に安心感が持てるコメントだと思う。 つまり、リスクを多少おかしてでも、 攻撃できたり、ディフェンスができるのである。 このような経験の浅いチームだと、 選手権決勝という注目中で結果を残すことは難しいのだが、 力が発揮できたのは、リスクをおかせる安心感を持てたからであろう。 『苦しまなければ手に入れられないものがある。 盛岡商の齋藤監督は 「この年代は、テクニックとかタクティクスとか、 教えれば伸びるのかもしれない。 だが、もっとも人間として基本的に大事な部分を頑張るとか、 人を思いやるとか、一番感性がある時期なので、 鍛えれば鍛えるほど、いい大人になってくれると思っている」と語り、 一つの興味深いエピソードを教えてくれた。 「生徒には 『デパートに“お前が頑張る気持ち”を100万円で売っているなら、 先生は買ってきてあげる。残念ながら売ってねえんだ。 1000万円でも買ってきてあげる。 でも売ってないから、それだけは自分でやるしかない』 という話をよくする。 何でもお金で身につけられる時代だが、 精神的なもの、心の部分は、歯を食いしばってつらい思いをしながら、 最後に達成感を得られるのだと思っている」』 こんな話しを聞くと古臭い気がするが、 僕らはまだ大切なものを失っていないようだ。
posted by soron |12:58 |
高校サッカー |
コメント(0) |
トラックバック(0)


