2008年02月08日

「K-1の打ち合い偏重」に反対

 以前にも書いたとおり、先日のK-1 MAXでは尾崎圭司VS城戸康裕の一戦で序盤からレフェリーによる注意が入るなど、いつにも増してパンチ中心の展開に誘導したいような場面が見られました。谷川貞治イベントプロデューサーの発言などを見ても、どうも「積極的=パンチで打ち合いにいく」という方向に傾いている気がします。もちろん、以前からあったことではあるのですが、最近はそれがいっそう顕著になっているような。
 主催者側やテレビ局が、「好ましい方」、つまり「より多くの視聴者が喜ぶ(と予想される)方」に向かって誘導するということは、実は格闘技に限らずどんなスポーツにもある話で、それはオリンピック種目になっているような競技にもあったりします。それが成功するか失敗するかは、その時々によるわけですが。
 今書いているK-1の件も、やはりパンチの打ち合いの方が分かりやすく、また比較的簡単に視聴者・観客を興奮させることができるということなのでしょう。ですが、そうした誘導によってあまりにも「パンチ偏重」「打ち合い偏重」になるのはちょっと違うような。
 昨年、今は引退して岡山県でジムを開いているガルーダ・テツさんという元キックボクサーを取材しました。テツさんはプロボクサーを引退した後に初めてキックボクシングを見て、「この程度のパンチ・テクニックなら、オレなら楽勝」と思ったそうです。ですが、自信満々で臨んだキック・デビュー戦で勝つことはできませんでした。確かにパンチのテクニックでは上だったのですが、そこに足技が混ざることで攻防は全く違うものになっていたのでした。
 ショックを受けたテツさんは、パンチから蹴りにスムーズにつなげるにはどうしたらいいか、というのを必死に研究したそうです。その末にたどり着いたのが、「ワンツーからロー」。「キックボクシング」は「ボクシング」ではないわけで、パンチだけでなく足も混ざるからこその攻防と、戦法が存在します。
 K-1もキックボクシングも同じことで、パンチャーに対抗する蹴りのテクニック、逆に蹴りを封じるためのパンチの入り方、様々な作戦なり闘い方があります。いろんなタイプの選手が相手のタイプに対応、対抗するためにいろんな作戦を練る。その上で、あえて足を止めての打ち合いに行くこともあるでしょう。要はそうしたことから生まれる幅の広さが、表面だけでない「面白さ」を生むと思うのです。
 もちろん、覚悟を決めての打ち合いに興奮させられた試合もたくさんあります。ハードパンチャーたちが作ってきたK-1の歴史というのも、確固たるものがあります。でもその一方で、93年、最初のK-1トーナメントでモーリス・スミスを仕留めたアーネスト・ホーストのハイキックの衝撃を、いまだに忘れられないのも事実です。ハードパンチャーと同時に蹴りのアーティストもどんどん出てくれば、この傾向もまた変わってくるのかもしれません。結局、同じような選手、同じような試合が量産されることが、最も恐れられるべきことではないかと思うのですが。




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posted by solitario |18:12 | 格闘技雑感 | コメント(17) | トラックバック(0)
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