2007年09月19日

HERO'SはHERO'S、PRIDEはPRIDE

 HERO'S横浜大会、というかこのところのHERO'Sのキーワードは、「PRIDE化するかどうか」にあるようです。ご存じの通りPRIDEが開催されなくなって半年近くが過ぎ、国内外の主要選手の多くが「今後の身の振り方」を決めなければいけない時期に来ています。もちろん、すでにUFCに闘いの場を求めた選手も多く、また数人の選手はHERO'Sに参戦してきました。
 谷川貞治氏が「PRIDEっぽい」という言葉を会見で口にしたことから、PRIDEファンの渇望感を一気に刺激した部分もありますが、ではミノワマンが参戦し、セルゲイ・ハリトーノフVSアリスター・オーフレイムが組まれた今大会、少なくともその2試合だけでも、「PRIDEっぽかった」でしょうか?
 自分の個人的な印象では、そうは思えませんでした。おそらくファンが求める「PRIDEっぽさ」とは、PRIDEに出ていた選手たちの試合が組まれることではなく、イベント全体に流れていた何とも言えない空気を含めた、「ただならなさ」だったのではないかと思います。それは残念ながら、ハリトーノフ選手が出さえすれば醸し出される、ような簡単なものではないはずです。
 先に言っておくと、HERO'SとPRIDE、どちらが上とか下とか、そんな話をしたいわけではもちろんありません。今回、大会の中で「ハリトーノフVSアリスター」というカードが組まれたことで改めて、「ああ、やっぱりHERO'SはHERO'Sで、PRIDEはPRIDEだよなあ」という当たり前のことを思わされたのでした。
 PRIDEのあの「ただならなさ」は、長い歴史、世界のトップクラスの選手たち、そして舞台設定(マッチメイク、演出など)が混然となって生み出されたものです。その一方で、例えば今回のミドル級トーナメントの顔ぶれを見れば負けず劣らず「ただならない」のに、何だかそれがもう一つ伝わってないような気がするあたりも含めたのがHERO'Sというイベントの個性だったりする、とも思います。HERO'Sはまだ歴史も浅いわけですし。
 今後も、過去にPRIDEで活躍していた選手が参戦してくることはあると思いますが、それでもやはりHERO'SはHERO'Sで、そこに無理に「PRIDEっぽさ」を求めるのも窮屈な話なのではないかなと、両方それぞれに好きな自分は思ったりします。皆さんはどうでしょうかね。


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posted by solitario |22:59 | 格闘技雑感 | コメント(35) | トラックバック(1)
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