2007年04月26日
個人的な思い出も含め、「桜庭和志VS田村潔司」戦について
当日は沖縄で取材していたのでこの目で見てはいないのですが、4月8日の「PRIDE.34」における“サプライズ"、桜庭和志選手の登場と田村潔司選手を絡めたやり取りには驚かされました。サプライズの存在がほのめかされ始めた頃から、いろんな噂や憶測(「実はそんなものはないらしい」というものまで)が飛び交っていましたが、これをズバリ言い当てた人はいませんでしたね。それだからこそ、サプライズというものです。 で、新体制にその実現を託されることになった「桜庭和志VS田村潔司」戦。これは皆さんご存知のとおり、何度も実現が期待されながらいまだにたどり着いていない、DSEにとってはまさに“悲願"のカードです。多くのファンにとってもこの一戦は、特別な意味を持っているのではないでしょうか。 この組み合わせが、過去にUWFインターナショナルのリングで実現していることも、ご承知のことと思います。今回の一件で、この対戦を会場で観戦した時のことを思い出しました。 この組み合わせはUインター最晩年に当たる1996年の3月から5月にかけて、3回行われました。日本武道館、仙台、そして日本武道館。自分が生で見たのは、武道館の2回になります。当時、Uインターは新日本プロレスとの対抗戦真っ最中。ですが、田村選手は一人、この路線に背を向けていました。当然、主流のカードには組み込まれません。その中で第1試合で、若手ながらその確かな技術で一目置かれていた桜庭選手と連戦を行ったのです。 自分はこの頃、まだベースボール・マガジン社の社員として、プロレス・格闘技の書籍を制作したりしていました。当時の社内の席は週刊プロレスの隣にあり、あのターザン山本編集長が黄金期の週プロ制作を取り仕切る様子をかぶりつきで見ることのできる立場にいました。 この試合に絡んで印象的なことがあります。当時数人いた編集部の若手&アルバイトたちに、山本氏は会場で生観戦してリポートを提出させるということを命じていました。で、5月の3戦目の試合後、田村選手はシューズ、レガースを脱いで客席に放り投げたのですが、「そんな大きな出来事を、オレにすぐに報告してきたヤツが誰もいなかった!」と言って、その夜遅くに山本氏が激怒していたのです。そう、シューズとレガースを外して投げ込むというのは、普通に考えると“決別"の意思表示。現に田村選手はこの試合を最後にUインターを離れることになるのですが、それを「大きなこと」ととらえていなかった若手に、苛立ちを露わにしていました。 実際、この対戦はその日の興行の中でも、間違いなく異彩を放っていました。それは田村選手の立場の問題でもあり、純粋に試合内容の問題でもありました。「対プロレス」路線に突っ走るUインターの主流とは180度正反対の、黙々と相手の力量を試し合うかのようにしながら展開される攻防。間違いなく、いわゆる「UWFスタイル」そのものでした。 今、両者に期待されている闘いは、言うまでもなくこの試合を土台としたものになっているはずです。桜庭選手がPRIDEでスターになったのは、強豪への連勝という実績もさることながら、ガチガチのバーリトゥードとはひと味違う動きが随所に散りばめられていたからでした。田村選手はPRIDEに初参戦するとき、バーリトゥードというものをほぼ全面否定していました。自分が見せるべきものは他にある、というスタンスを取り、その具現化を模索してきました。その両者がPRIDEのリングで、PRIDEルールで対峙するからこそ、見られる攻防というのがあるはずです。 それは、例えばミルコVSヒョードルのような試合とは、まるっきり違うものになることでしょう。ですがそこにこそ、榊原代表が両者の間に立って言った「この競技の持つ美しさ」が具体化されるのではないか、多くの人もそこにこそ期待しているのではないか、という気がします。 この対戦が実現するのならば、そんなことを頭に置いて、じっくりと見てみたいと思います。 ※こちらもどうぞ。 「ソリタリオの格闘技PRESS!」(もう一つの格闘技ブログ!) http://blog.olga.to/solitario/ 「monologues of solitario」(身の回りのことなど、私的な内容です) http://solitario.exblog.jp/
posted by solitario |21:28 |
格闘技雑感 |
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