2006年11月12日
「競技としてのプロ格闘技」とは…
一つ前のエントリーにも書いたように、10日の修斗・後楽園大会は途中入場となってしまいました。大会全体の感想や印象は他の記者の人などからも聞きましたが、一本・KO決着が少なかったこともあり、メインがドローに終わったこともあって、あまり芳しい評価は聞こえてこないようです。 自分が見た範囲では、このところよく思うことですが、「ホントに打撃戦ばっかりだなあ」という印象を受けました。これは他のイベントでも思っていることではあるんですが、最近の修斗には特にその傾向が強い感じがします。 その中にあっては、メインの戸井田カツヤ選手は確かに異彩を放ってはいたのですが、それもやはり「捕まえてこそ、極めてこそ」ということになってしまいます。後楽園大会(いろんな価値観が同居する現状では見えづらくなっていますが、「小さい大会」ではないはずですよね?)のメインがあの結果に終わって、「自分の色は出せた」とコメントした戸井田選手、「勉強にはなった」と語った不死身夜選手とも、主催者や観客の期待ということを考えると、残念ながらそれに応えることはできませんでした。 もう一つ、セミ前で判定勝ちの後、マイクを持った漆谷康宏選手が口にしたのは「こんな試合ですみませんでした。でも、もう3年間、修斗では負けていないので、そろそろタイトルマッチを…」との言葉でした。 前述の「観客の期待」という部分からいけば、この日の漆谷選手、そしてその発言は、あまり支持を得ることはできませんでした。ですが、バンタム級ランキング1位にいる漆谷選手の挑戦表明は、「競技としては」正論ということになります。ここが難しいところです。 常に「競技性」が大きく取り沙汰される修斗ですから、その部分だけを取り上げれば「とにかく勝てばいい」ということになります。ですがその一方で、修斗の大会は観客から入場料を取る「プロ興行」であり、一般的な考えに照らせば「観客を満足させるのも大事じゃないのか」となります。これは常に問題となるテーマで、他の多くの問題と同じく、絶対的な正答などありません。ですが、ずっと考え続けていかなくてはならないテーマだとは思います。 自分の考えも示しておかなければならないでしょうね。自分としては、すべては「主催者がどのような価値観を表明するか」だと思っています。主催者側が「うちはあくまで競技ですから、結果がすべてです。観客の満足などという価値観は関係ありません」というのならそれでもいいのですが、プロ興行として広く宣伝・告知すると、意図せざるところでそうした期待が生まれてしまうという点だけは意識してほしいと思っています。そこに齟齬が生じるのであれば、彼らなりの価値観の定着を徹底する作業が必要でしょう。 例えばDEEPの佐伯繁代表は、公かそうでないかを問わず、「うちは競技じゃないから」と断言し続けています。だから試合内容がよかった選手は(ある程度)起用し続けるし、王座に挑戦できる基準もランキングではありません。そしてこの価値観は、これまでの大会を通じて、観客には比較的認識されていると思います(ま、こちらの方が認識してもらいやすいというのは、当然ありますが)。 以前と違い、修斗の選手は他のイベントにも多く出場するようになり、そうした選手は「修斗の会場にお客さんを連れてきたい」と発言することも多くなっています。現実に、そんな経緯で修斗の会場に足を運んだ観客もいることでしょう。要はそうした観客も含めて、会場で戸惑うことがないようになればいいなと思うのですが。
posted by solitario |15:36 |
格闘技雑感 |
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