2009年05月28日
その本人にインタビューするなら、もちろん戦闘モードでは心を開いてはくれまい。そして予備知識として相手の情報も持っておかなければならない。
取材をしているとその人の魅力に引かれていってしまう事もあるかもしれない。
しかし、この石田さんの週刊ベースボールでのコラムを今まで読んでいて、その洞察力や切り口、そして野球界への提言には敬意を表していたのだが、客観的に見ることが出来なくなったり、取材の対象に感情が入ってしまうと切れ味も鈍るのかなと思ってしまった。
桑田さんが大学院で学んだ事を、今までの競技人生の経験とを合わせて、このままではいけないと思っている野球界を良くしなければならないと言う。そしてその責任があると言う。それが野球界への恩返しだと言う。
これだけの経験をした方がそう言ってくれることは有り難い。
どんな形で恩返しをしてくれるのかも興味があるし、必ずその努力が報われる事を信じている。
ある程度実績を残したプロ野球の選手は、誰もがこの言葉を口にする。しかし、野球界に恩返しする気持ちは、なにもプロ野球出身者だけの専売特許ではない。
口にこそ出さないが、微力だと分かっていてもそう言う志を持って子供たちの指導に当たっている方も多いのだ。
もし、自分の子が入っているチームの指導者に言いたい事があっても言えないと思っているプロ野球経験者、または高いレベルで野球を経験した方、またはそうでなくても子供たちに対する思いが深い方。
そのチームの、その子どもたちのためにと信じて声を上げてください。もちろんけんか腰になる必要などなく、穏やかで前向きで建設的な議論をする事を恐れないで欲しいものです。
以前、桑田さんブログに対してのエントリー。桑田さんを批判した事だけに対してのコメントがほとんどでした。
さらには、この石田さんのコラムでも少年野球の指導者の事に触れてある。そして、双方とも指導者の程度の低さを嘆いている。
こんな影響力のある方たちが、そう決め付けることの怖さを自然と感じてしまった。
一つのチームの一場面だけを切り取って、すべてを決め付けてしまうような論調が残念だったから・・・・・。
どうして、真剣に子どもたちと関わっている指導者たちは声を上げないのだろう。やっぱりそんな指導者は少ないからなのか・・・・・。
posted by sohsyu |08:08 |
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2009年05月27日
Numberの最新号は早稲田大学の特集だった。
そこに、今春早稲田の大学院に入学した桑田さんの事を、石田雄太さんが書いていた。
題して「41歳のキャンパスライフ」。
この、桑田さんの大学院入学は新聞や雑誌、またテレビで多く取り上げられて居たので、これと言って新鮮な情報はなかったように感じた。
一番興味を持った箇所が、”あのとき-”と言う書き出しから始まった、あのPL時代のドラフトの一件。
引用してみる。
≪高校三年の秋、桑田はドラフト会議の前に早稲田大学を志望していることを表明していた。教育学部の推薦枠に願書を提出し、受験票も受け取っていた。桑田は心の中で、「もしジャイアンツに指名されたらプロに行こう」「ジャイアンツが指名しなければ大学に行く」と決めて、大学受験の準備を始めていた。それは彼の人生における優先順位が、一にジャイアンツ、二に早稲田だったからだ。結果的に桑田はジャイアンツに指名されてプロに進んだのだが、決して早稲田を隠れ蓑にしたわけではなかった。≫
元々この件に対して大きな疑問を抱いていたし、過去にもこの事をエントリーした事がある。しかし、あの頃の桑田さんの選択をとやかく言うつもりは無いのだが、今になって話す言葉にうそを感じてしまう。
まず、あの頃早稲田大学の教育学部が、スポーツの有力選手を推薦で取る受け皿になっていた事。そして、PL学園も早稲田大学も当然桑田さんを採るつもりで居たのだろう。過去にもそのルートでPLから早稲田に進んだ選手は多い。
PL側も、間違いなく進学させるはずだったし、早稲田側もそのつもりで受験させたのだと思う。ドラフトの結果次第で、その方向が変わるのだったら、PLも推薦はしなかっただろう。それなら他の選手を推薦したはずだ。
その頃の桑田さんが付けた優先順位。一番がどこで二番が何であろうと他人には関係ない。彼が言う「ジャイアンツに指名されたら・・・・」と言う最優先順位が目の前にあるのだから、ジャイアンツに行きたかった清原選手に対する申し訳なさは分かるにしても、その時点で入団の意思を示せばよかった事だ。
そして彼は不可解な行動をとる。
早稲田の受験に上京するのだ。上京はしても受験しては居ない。その時の受験票をお守りだと言って、今回の大学院受験に持って行ったと言う。
ドラフトの結果待ちで進路が変わる可能性があったなら。
ドラフトでジャイアンツの指名が無かったなら。
優先順位の二番目の早稲田に進むために、一般受験の準備をすれば良いことだったのではないか。
ジャイアンツに指名されなくても推薦で早稲田に行けるんだ的な身勝手なご都合主義。
高い確率で合格する推薦をもらって、その時は早稲田進学しか公言していなかった。本心が一にジャイアンツだった事を言わなかったのなら、どうして早稲田の進学と言う優先順位の二つ目を口にしたのだろう。
桑田本人もテレビで早稲田進学を公言しているのを聞いて、大学関係者はその進路に何の疑いも持っていなかったはずだ。
桑田さんは、「早稲田大学を隠れ蓑にしたのではない」と言う。確かにそうだ。しかし、優先順位一位のジャイアンツに指名されなかった時の「滑り止め」にしたのだった。
コケにされた早稲田大学。
それまで多くの選手を供給していたPL学園とのパイプは寸断されてしまった。この件のあとに、早稲田大学野球部に進んだPLの選手は皆無ではないか。他のPLの選手にもこんな傾向が見られたのか、他の東京六大学の野球部に進む選手が極端に少なくなった時期があった。かつては、あれだけ名のある選手をこのリーグに輩出していたのに、だ。
自分の選択で、後輩が進む道の一つが無くなった事実に対して責任は感じないのだろうか。
その時の17歳の選択に正義を求める気はないのだが、今になっても相変わらず自分に都合の良いような言い訳には違和感を感じてしまう。
そんな桑田さんの、早稲田大学大学院スポーツ科学研究所・トップスポーツマネージメントコースの受験の合否には興味があった。
そんな経緯があった早稲田がどんな態度をとるのか。
結果は合格。
この記事を読むと、キャンパスライフが楽しくてしょうがないようだ。
あれだけ大学院受験を公言していた桑田さんを落としたとなると、世間の批判が大きいに違いない。まして、人材としては大学にとって有益ではある・・・・・そんな思考が働いたのではと思ってしまう。
この事がきっかけで、再びPLから早稲田大学野球部への道が開かれるのであれば願ってもないことだ。
で、石田さん。
インタビューしながらこの桑田さんの話に何の疑問も感じなかったのだろうか。
つづく・・・・・・。
posted by sohsyu |08:27 |
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2009年05月26日
週刊ベースボールは愛読書の一つだ。
その中にある石田雄太さんのコラム「閃球眼」は、この雑誌を読む上での楽しみの一つである。最近入れ替えられた写真を見ると、ふっくらとされて居る。仕事が順調で食生活も豊かになられたのかと思うと同時に、体のことを心配してしまった。
最新号のコラムでは、「少年野球の指導者育成を」と題して、知人のスポーツライターとこのことを話題にドリンクバーで語り合ったとある。
自分の子供が野球をしたいと言った時、どんな基準でチームを選択したら良いのだろうと。
そのコラムを引用してみる
≪一致したのは、無意味に傲慢な指導者が多すぎるという事だ。プロ野球選手やOBが、「息子のチームの練習を見に行きたいんだけれど、行けない」と言っているのを何度も聞いた事がある。指導者としての勉強もしていないのに、お山の大将よろしく子どもに威張り散らす指導者を見ると黙っていられなくなるそうだ。だからと言って子どもの前で監督に文句を言うわけにもいかず、だったら見に行かないほうがいいということになってしまう≫
プロ野球選手やOBが親でなくても、そう思っている父親は多いのではないだろうか。それは間違いない事実でしょう。しかし、この石田さんがどれほどの数のチームや指導者を見たのだろう。そうじゃない指導者だっていることを分かって欲しい。これだけ影響のある方がこう断言すると、これを読んだ多くの方がそう思ってしまう。
≪勝利至上主義に陥ると、上手な子どもに練習をさせ、そうでない子どもには練習をさせなくなってしまう。チームの人数が多いのに、どの子もボールに触れているとしたら、それは「練習を組み立てる人、実際に教えている人の技術、グラウンドの使用条件、年少の子どもへの教え方」が優れていて、それがチーム力につながってくるのだと、近所のライターは力説していた≫
確かにそうだと思う。これを切り口に希望するチームの練習を見ると参考になると思う(見極める事ができるか否かは別だが)。
「勝利至上主義」・・・これに陥る指導者は多い。しかし、その原因には親のエゴも必ずあることを分かってほしいし、外から見えるだけでは分からない複雑な実態がある。
自分の子の事だけしか見えない親。勝つためには下手な子は出さないで欲しいと願う親。その一方では、勝たなくても良いからうちの子を出して欲しいと願う親。どこに落としどころを持ってくるのか。傍で見るより指導者の苦悩は深い。
「勝ちにこだわらない野球をするチーム」と言う事で入部したのに、勝てない試合が続くとそれが不平不満に繋がる。そして、親同士の連携で勝てない監督を追い落とす事もよく起こっている。
確かに「のびのび野球」だの「楽しい野球」だのと言う指導者のチームがあるが、その多くはそれを勝てない理由にしている。しかし、勝ってこそ、優勝してこそ味わえる野球の楽しさもある。勝たなきゃ分からない野球の醍醐味もある。
そこが理解できていない指導者の割合は多い。
自分の指導力の無さを、高圧的で威圧する指導者。
勝てない理由を子どものせいにする指導者。
そんな指導者が多い事は否定はしない。
≪指導者はボランティアだから、と言う声をよく聞く。ボランティアだからという甘えは、事態を余計、ややこしくする。野球を始めたばかりの子どもを預かる責任を思えば、まず指導者としての基礎を身につけるのは当然のことなのだ≫
ボランティアだからといって批判を封印する事はよくある。それは指導者側からであったり保護者自らであったり。この言葉が足かせになっている事は同感だ。
指導者としての基礎を身につけるのは当然・・・・・理想論は耳にやさしく響く。しかし、それが出来る余裕のあるチームがどれほどあるのだろう。
だから石田さんは、プロ野球界が少年野球の指導者育成をすべきだと仰る。そして、一日も早く指導者ライセンス制度を導入すべきだとも仰る。確かにきちんとした指導者マニュアルがあれば、どれだけ心強いかとも思う。
でもキレイゴトにしか聞こえない。
現実はそうではないと思うから。
指導者に適した人材が居るか居ないか。その方が出来るか出来ないか。良い指導者になるために努力で出来るか出来ないか。安心して預けられる指導者なのか否か。
そんな高いハードルを超えられる指導者は当然少ないはずだ。だからそんな指導者しか目に入らなかったのだろう。
それより、まったく有償の野球塾にしてしまったほうが解決が早い。そこにはボランティアと言う言葉は存在しない。
ボランティア・・・・志願者。奉仕者。自ら進んで社会事業などに無償で参加する人。
少年野球は無償じゃないし奉仕でもない。
見返りがあるし、それを期待している指導者も多い。
それは何か?
子どもたちの笑顔だ。
それを見たいがために、一生懸命になっている指導者の存在があると言う事も分かって欲しい。
子どもたちと一緒になって、泣いて笑って汗にまみれる指導者が居る事を分かってほしい。
ん?・・・・・・
前にもこんな事を書いたような気がする。
そうだ、桑田真澄さんのブログについてだった。
なんか同じような事を仰ると思っていたら、繋がった。
今発売中の「Number」に桑田さんの記事があるが、それを書いているのがこの石田さん。
つづく・・・・・・。
posted by sohsyu |08:52 |
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