2009年05月27日
石田雄太さんと桑田真澄さんと早稲田大学・・・その2
Numberの最新号は早稲田大学の特集だった。 そこに、今春早稲田の大学院に入学した桑田さんの事を、石田雄太さんが書いていた。 題して「41歳のキャンパスライフ」。 この、桑田さんの大学院入学は新聞や雑誌、またテレビで多く取り上げられて居たので、これと言って新鮮な情報はなかったように感じた。 一番興味を持った箇所が、”あのとき-”と言う書き出しから始まった、あのPL時代のドラフトの一件。 引用してみる。 ≪高校三年の秋、桑田はドラフト会議の前に早稲田大学を志望していることを表明していた。教育学部の推薦枠に願書を提出し、受験票も受け取っていた。桑田は心の中で、「もしジャイアンツに指名されたらプロに行こう」「ジャイアンツが指名しなければ大学に行く」と決めて、大学受験の準備を始めていた。それは彼の人生における優先順位が、一にジャイアンツ、二に早稲田だったからだ。結果的に桑田はジャイアンツに指名されてプロに進んだのだが、決して早稲田を隠れ蓑にしたわけではなかった。≫ 元々この件に対して大きな疑問を抱いていたし、過去にもこの事をエントリーした事がある。しかし、あの頃の桑田さんの選択をとやかく言うつもりは無いのだが、今になって話す言葉にうそを感じてしまう。 まず、あの頃早稲田大学の教育学部が、スポーツの有力選手を推薦で取る受け皿になっていた事。そして、PL学園も早稲田大学も当然桑田さんを採るつもりで居たのだろう。過去にもそのルートでPLから早稲田に進んだ選手は多い。 PL側も、間違いなく進学させるはずだったし、早稲田側もそのつもりで受験させたのだと思う。ドラフトの結果次第で、その方向が変わるのだったら、PLも推薦はしなかっただろう。それなら他の選手を推薦したはずだ。 その頃の桑田さんが付けた優先順位。一番がどこで二番が何であろうと他人には関係ない。彼が言う「ジャイアンツに指名されたら・・・・」と言う最優先順位が目の前にあるのだから、ジャイアンツに行きたかった清原選手に対する申し訳なさは分かるにしても、その時点で入団の意思を示せばよかった事だ。 そして彼は不可解な行動をとる。 早稲田の受験に上京するのだ。上京はしても受験しては居ない。その時の受験票をお守りだと言って、今回の大学院受験に持って行ったと言う。 ドラフトの結果待ちで進路が変わる可能性があったなら。 ドラフトでジャイアンツの指名が無かったなら。 優先順位の二番目の早稲田に進むために、一般受験の準備をすれば良いことだったのではないか。 ジャイアンツに指名されなくても推薦で早稲田に行けるんだ的な身勝手なご都合主義。 高い確率で合格する推薦をもらって、その時は早稲田進学しか公言していなかった。本心が一にジャイアンツだった事を言わなかったのなら、どうして早稲田の進学と言う優先順位の二つ目を口にしたのだろう。 桑田本人もテレビで早稲田進学を公言しているのを聞いて、大学関係者はその進路に何の疑いも持っていなかったはずだ。 桑田さんは、「早稲田大学を隠れ蓑にしたのではない」と言う。確かにそうだ。しかし、優先順位一位のジャイアンツに指名されなかった時の「滑り止め」にしたのだった。 コケにされた早稲田大学。 それまで多くの選手を供給していたPL学園とのパイプは寸断されてしまった。この件のあとに、早稲田大学野球部に進んだPLの選手は皆無ではないか。他のPLの選手にもこんな傾向が見られたのか、他の東京六大学の野球部に進む選手が極端に少なくなった時期があった。かつては、あれだけ名のある選手をこのリーグに輩出していたのに、だ。 自分の選択で、後輩が進む道の一つが無くなった事実に対して責任は感じないのだろうか。 その時の17歳の選択に正義を求める気はないのだが、今になっても相変わらず自分に都合の良いような言い訳には違和感を感じてしまう。 そんな桑田さんの、早稲田大学大学院スポーツ科学研究所・トップスポーツマネージメントコースの受験の合否には興味があった。 そんな経緯があった早稲田がどんな態度をとるのか。 結果は合格。 この記事を読むと、キャンパスライフが楽しくてしょうがないようだ。 あれだけ大学院受験を公言していた桑田さんを落としたとなると、世間の批判が大きいに違いない。まして、人材としては大学にとって有益ではある・・・・・そんな思考が働いたのではと思ってしまう。 この事がきっかけで、再びPLから早稲田大学野球部への道が開かれるのであれば願ってもないことだ。 で、石田さん。 インタビューしながらこの桑田さんの話に何の疑問も感じなかったのだろうか。 つづく・・・・・・。
posted by sohsyu |08:27 |
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