2009年01月18日
プロレスに大きなダメージを与えた出来事は、1990年代から始まる総合格闘技の登場とそこにおける試合でのプロレスラーの敗北である。その代表は高田延彦である。
高田はプロレスラーとして、新日本プロレスに残っていても大成したと思う。前田と比較して、考え方に柔軟性があり、運動能力的にも前田を遙かに上回り、プロレス特有のとんだりはねたりは大の得意であった。前田の弟分的存在で、やんちゃな兄の前田を常にサポートした。
旧UWF、新日本プロレス復帰、新生UWFと前田程目立ちはしないが、その存在感を示していた。前田追放後も、新日本に残れば、将来のエース的存在を保障されていたにもかかわらず、前田を追って新日本を出た高田を僕は尊敬した。
前田への義理もあったろうが、強さを追求するためには、新日本に残って自己を偽った試合をするより、格闘技色の強い道を歩むことを優先したのであろう。
ただ、新生UWFの頃の高田は、やや体重オーバーで、パッとしなかった。船木との試合などでも船木に圧倒され、説得力のある試合をすることができなかった。
高田が一番輝いていたのは、UWFインター時代であった。身体をしぼり、黒タイツから紫色などのタイツにかえ、オブライトやベーダー、北尾、バービックなどの試合は印象に残るもので、前田と別れて初めて高田はその怖さ・真骨頂を発揮できるようになった。
僕は、UWFインターの復古主義的な異種格闘技戦等に対して疑問に思っていたが、リングス前田に比べて、肉体的なピークと精神的な安定感を備えた高田は、風格もあり、日本人レスラーNO.1の実力を持っていたように思う。
その高田が、UWFインターの経営危機の中で、新日本プロレスと合流し、末期国際プロレスが新日本プロレスと交わり、R木村や浜口などが無惨にも崩されていったように、新日本主導の武藤や橋本との試合においてその輝きを消されていった。高田はさぞかし、無念であったろう。そのような状況の中で、現役を続けていくことに情熱を失い、引退宣言し、国会議員選挙にうって出たりする高田であったが、ヒクソンの存在を知り、格闘技に対する情熱を再燃させていく。
ヒクソン・グレイシー。400戦無敗の神話を持ち、初期UFCにおいて、パンクラスでは当時強さには定評があったシャムロックを破り、僕らに衝撃を与えたホイス・グレイシーをして、数倍強いと言わしめた兄ヒクソン。試合をしなくなった現在でも、総合格闘技において存在感のあるヒクソン。
あれから10年以上たち、ヒョードル、ノゲイラ、ミルコ等、様々な強い格闘家が現れはしたが、ヒクソンの試合は一種独特の抜き差しならぬ緊張感、一つまちがえば、一瞬のうちにしとめられるのではなかろうかという抜け目のなさにおいて、他の追随を許さぬものがあると今でも思う。あのたたずまい、あの表情はただの格闘家の域を超えて、宗教家あるいは求道者とも言えるものをもっている。
そのヒクソンと高田の試合。僕らの甘い予想を完全に裏切って、高田は4分程度で自分の得意技でもある、腕ひしぎ十字固めで完敗する。試合の次の朝、駅まで行き、スポーツ新聞を見た時の落胆、後にそのビデオを繰り返し繰り返し見た時の両者の実力の差に愕然とした。
僕たちが応援してきたプロレス、UWFは何だったのかという心。その現実に自分の心をうまく整理できずに呆然とする自分がいた。新日本プロレスからUWFと培ってきた技術だけでは、総合格闘技という競技の中では勝てないのだという今となっては自明の現実を高田本人は勿論、プロレス関係者はつきつけられたのだ。
そして、プロレスが衰退していく最大の原因になったのは、高田がヒクソンに負けたということではなく、その現実に対して、プロレスラー及びプロレス関係者が仲間である高田を批判したり、直視せず、他人事として対応していったことにある。
猪木は例によって、「一番弱い奴が出て行った」と高田がただ弱かっただけだという意味のことを言い、長州を中心とする新日本は、黙殺した。「プロレスこそ最強である。」ということをまともに信じていた者は、当時にしても少数の者にしか過ぎなかったと思うが、高田の敗北はプロレスに関わる者にとっては衝撃であったはずなのに、高田は負けたが、そりかわりに俺がやってやるといったレスラーはほとんどいなかったのだ。
そんな中、高田を擁護し、その敗北に真正面から反論したのは他でもない旧友、前田日明であった。前田はヒクソンとの試合を模索した。前田の前田たる姿勢をそこでも示し、うちひしがれ、プロレス界に対していいようのない感情を持ち始めた僕らの心にわずかではあるが灯ともしてくれた。
しかし、結局、交渉はまとまらず、ヒクソンは再び高田と戦うことになる。高田はその戦いにも敗れる。しかし、当時の一級プロレスラーの中で唯一、総合格闘技にうって出た高田は、批判や中傷の嵐を一時的に受けはするが、「プライド」は回重ねる毎に人気を博し、やがてパイオニア的な存在として、その勇気ある行動は賞賛されていくことになる。
一方、高田を散々叩きに叩いたプロレス界は、レスラーたちの実力が白日の下にさらされ、プロレスラーは弱い、弱いし、総合に挑戦する勇気もないと判断され、その存在感・人気は奈落の底に落ちていく。そして、高田の後継者たる桜庭が、ホイス等との試合に勝利をおさめ、日本人レスラーの中では光を放ち、「プライド」は全盛期を迎えていく。
2000年代に入って、プロレスと総合格闘技の立場は完全に逆転することになる。総合格闘技の方が世間的にメジャーな存在として、認知されたのだ。あせった猪木新日本は、内輪で総合格闘技もどきの試合を行ったり、永田を送り込んだりしたが、時すでに遅しであった。
新日本プロレスとの戦いに完全に勝利を収めた高田は、プライドとは全く相反する「ハッスル」をスタートさせる。リアルな真剣勝負の場である「プライド」とエンターテイメントを満度に取り込んだ「ハッスル」とを提供し、新日本プロレスのリングで行われているものは、真剣勝負では決してなく、またショー的な要素においても中途半端なのだといわんばかりに。高田はUWFインター時代に受けた屈辱を完全に晴らした。
プロレスはもはや強さを示す格闘技色を全く廃し、プロレスはプロレスとして、別のジャンルに完全になり、しかもショーとしても中途半端なものを提供し、多くの人の興味対象から離れ、ごく少数のマニアだけの娯楽になり果てていく。(つづく)
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2009年01月18日
旧UWF時代の前田はエースの座を与えられてはいたが、藤原や木戸、佐山等との試合においては、まだまだ力不足、若手レスラーの域を超えてはいなかった。何か物足りなさを感じさせた。ただ、佐山との最後の試合は、現在の総合の試合にもない、両者の軋轢から生じる緊張感、打たれてもいっさい退かぬ激しい闘いを見せてくれはしたが。
新日本にカムバックした頃の前田日明は、彼の格闘家人生において最も輝いていた。「UWFでの闘いが何であったのかを確認するために帰ってきました。」というインパクトあるあいさつから始まる前田の鮮烈な登場。あの頃は上半身は比較的スリムで、脚は長くたくましく、その柔軟性は若き日の猪木を彷彿とさせ、肉体的に充実していた。
対新日本という図式が明確で、強さを求めるプロレスの本質から離れつつある猪木新日本に対して、常に「否」を連呼しつづけ、プロレスの進むべき正当な姿を追求しようとしていた。その過激な言動は、反発も多かったが新鮮であり、その頃、プロレスの現状に対して不満を持ち始めた僕らの思いを僕らにかわって、新日本にぶつけ、実際に試合の場で示してくれた。
藤波との試合、越中や武藤とのタッグマッチなど説得力のある試合を僕らに提供してくれた。前田の言動には、常にプロレスに対する危機感があり、このままいけばプロレスはだめになり、そうしないために自分たちは、より激しい試合をして新日本プロレスを元に戻したいのだという気概を感じることができた。
しかし、ピークを越え、腰の引けた猪木は、前田との対戦をさけ、上田やマードック、アンドレ・ザ・ジャイアント、ドン・中矢・ニールセンなどの刺客を送り込み、前田との対戦を徹底的にさけ、「誰の挑戦でも受ける」という長年の姿勢を崩し、猪木ファンの心は次第に猪木から離れていった。
猪木は時間をかけて、真っ直ぐな前田の心を懐柔し、頃合いを見計らって前田と試合をするつもりだったかもしれない。しかし、長州への顔面キックによって、前田は追放され、遂に前田対猪木戦は行われることはなかった。馬場対猪木戦が実現しなかったことで、馬場は猪木に抜かれたと同じように、この時、猪木はその存在感を失っていった。
あの時、前田らUWFの目指したものを、猪木新日本が保身に走らず、その先のプロレス界を見据えて受容し、変革を図っていたのなら、ひょっとして今のプロレスの衰退はなかったのかもしれない。
前田、高田、藤原などがいなくなった新日本プロレスは、危険分子がいなくなることにより、安堵感を得はしたが、少しずつ「闘い」が失われていった。猪木の試合は言うに及ばず、藤波対長州の名勝負数え唄はもう古くさく、新日本の屋台骨を支え始めた武藤、蝶野、橋本の試合は僕を満足させなかった。
特に武藤は、人によって評価は分かれるところだが、彼の試合で脳裏に残っているものはほとんどないのだ。彼が初めてアメリカから帰ってきた頃、ヘルメットをかぶり、入場する姿に感じた違和感は僕からずっと消えはしなかった。柔道というバックボーンを持ち、体格的にも恵まれ、運動神経もよく、アメリカではムタとして活躍したとはいうものの、猪木から始まる新日本プロレスの持つ格闘技の匂い、危険な匂いがスマートな彼からは感じることができず、また、雑誌に時々載る彼のコメントに魅力を感じることができなかった。
蝶野は武藤よりもさらに印象は希薄で、若手の頃、新日本とUWF勢との試合をリング下で見る姿しか思い浮かばない。最も猪木や前田の匂いを持っていたのは、橋本であった。UWFの影響を最も受けていたように見えた橋本が、政治的にも新日本の中心にいて活躍していれば、新日本の行方もまた変わっていたかもしれない。
やがて新日本プロレスは1990年代、プロレスの本質が着実に失われつつあることをバブル全盛のうたかたの繁栄によって直視せず、屋台骨が傾きつつあるのに気づかず、長州を中心に対策をとることをしなかった。その繁栄が、ろうそくの最後の炎であるとも知らず、傲慢な態度を崩さず、気づいた時にはもはや手遅れであった。
僕の興味は完全に追放された前田、新生UWFに注がれた。今だに語り継がれるUWF。もうあれから20年。本当の闘いを見せてくれると期待したUWF。最先端はUWFという意識。多くのマスコミが注目し、もちあげた。あの頃の試合は、レンタルビデオでほとんど見たが、心に残っている試合がいくつかある。
前田と高田や藤原との試合は、その試合パターンが読め、退屈ささえ感じていた。妙に必死な顔で試合をする前田や高田の表情にリアルさを感じることができなかった。田村との試合、鈴木との試合、船木との試合がよかった。若手を圧倒的な力でねじふせる試合は説得力があった。特に船木との二つの試合。前田たち上の世代と船木ら下の世代の軋みが、その試合にも緊張感となって表れ、新鮮な展開を見せてくれた。
この船木との試合一番感じたことは、前田はややピークを過ぎ、船木の若さ、かっこよさが際だっていたことだ。前田の肉体は新日本時代よりかなり体重が増え、その動きにシャープさがなくなっていた。前田自身、自分の後継者は高田ではなく、船木だと考えていただろう。
そして、新生UWFを象徴する東京ドームでの試合で、最も面白かったのは、前田や高田の試合ではなく、鈴木とスミス、安生とチャンプアの試合であった。あの二つの試合は、予定調和を基調とするプロレスとは異質の、本当の闘い、そう簡単には勝たせてくれないリアルな格闘技の匂いを発していた。
そのUWFもやがて、内部分裂していく。一人になった前田のリーダーとしての資質のなさを嘆きはしたが、前田の孤独感を思い、前田ファンを捨てることはできなかった。
一人の前田はリングスを立ち上げる。高田はUWFインターを藤原や船木は藤原組をそれぞれ立ち上げる。あの頃、新日本プロレスを中心とする旧プロレス団体は、それ見たことかとたかをくくって、分裂したUWFの状況を見ていたに違いない。自分たちこそ、プロレスの本道を進んでいるのだと。
前田リングスは、ドールマンらオランダ勢やハンらソ連(ロシア)勢、そして正道会館の協力を得ながら独自の色を出していく。膝の故障をかかえ、かつての動きが次第にできなくなっていく前田であったが、ハンをはじめとして、次々とやってくる新しい外国選手との試合は、スマートさとは全くかけ離れたものであったが、そのゴツゴツとした原始的な試合の展開は悪くなかった。
特に正道会館が参加して以降、佐竹とゴルドー、佐竹と長井の試合などは並々ならぬ緊張感に満ちた試合であった。また、田村と山本の試合なども印象に残っている。やがて、前田は前々から予告した通り、カレリンとの試合を最後にスッパリと引退をしていく。前田らしく、淡々と。前田引退後、リングスは、UFCやプライドの影響を受けながら、より格闘技色の強いKOKトーナメントを開催していく。(つづく)
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2009年01月15日
大のプロレスファンであった僕は、今のプロレスの体たらくががまんできない。あれ程愛したプロレスは遠く遠くなってしまった。プロレスを捨て、総合格闘技に走ってしまった僕のような奴が、日本にどのくらいいるのだろうか。
スカパーのサムライTVをとっているので、今もプロレスを時々見る。そこで繰り広げられている光景は、かつて自分が夢中になって見たものとは全く異なるものだ。一言でいうと「汚い」。地方のどさまわりの田舎芝居に似たもの、そんな印象だ。以前ある雑誌の中で、力道山時代のレスラーが、「かつてのプロレスはもっと高級なものだった。」と発言していた。我が意を得た言葉だった。「プロ」レスではなく、ちょっと練習すれば誰にでもまねできる学生プロレスのレベルのものがほとんどだ。飛んだりはねたり、大技のオンパレード、攻守が安易に変わり、オチャラケの全く緊張感を感じさせない、ダンスみたいなものだ。そこに闘いはみじんもない。高い技術の攻防やプロレスの奥義といったものを感じさせるものもない。そして、今のプロレスラーやプロレスファンはそれを当然と思い、そうでないものを求めてさえいない。
プロレス大好き人間だった僕も、プロレスを諦めてもうかれこれ20年近くなるのではないか。その間、プロレスを衰退させ、プロレスが世の中の人々から見捨てられていくいろいろな事があった。本当にいろいろな事が。
プロレス衰退の原因は様々だが、大きく二つあると思う。一つは、プロレスを見ていた、プロレスを支えていたファンがプロレスに何を求めていたのかをレスラーを中心とするプロレス関係者が真に理解していなかったことだ。もう一つは、プロレスの本質が傾いていくのを気づいていながら、プロレスマスコミがレスラーや団体に遠慮し、適切な批判や助言を怠っていたことだ。
僕にプロレスの面白さを教えてくれたのは、G馬場とA猪木だ。馬場とジン・キニスキー、クラッシャー・リソワスキー、ディック・ザ・ブルーザー、ザ・デストロイヤー、ターザン・タイラー、フレッド・ブラッシー、K・K・コックス、ボボ・ブラジル、ウィルバー・スナイダー、F・V・エリック、ザ・シーク等々の試合を怪獣映画を見るように小学生の僕は金曜日の8時から、わくわくしながら、見ていた。
A猪木とクリス・マルコフ、D・F・ジュニア、J・パワーズ、T・J・シン、J・トロス、K・K・クラップ、B・グラハム、W・ルスカ、M・アリ、大木金太郎、S・小林、S・ハンセン等々の試合を中学生から高校生の頃必死で見ていた。
G馬場の試合が面白かったのは、昭和44年頃までだと思う。昭和45年以降、D・ジョナサンやG・モンスーン、ブッチャーなどと試合ではもう面白くなくなっていた。馬場のスポーツ選手としてのピークは、昭和40年前後だったのではないだろうか。
A猪木の試合が面白かったのは、昭和52年頃までだと思う。M・スーパースターやB・マリガン、S・ハンセンが登場する頃になると反発力がなくなっていたように思う。猪木のスポーツ選手としてのピークは、昭和49年頃ではないだろうか。
馬場は、全日本プロレスを創り、当時大物外人を数多く招聘し、順風満帆のスタートを切った。自分の存在を脅かす存在であった猪木はもういない。馬場は安心して、自分の目指す「明るく楽しいプロレス」への道を邁進した。それは、ある種緊張感の薄い、激しさのない、格闘技とは異なるものであった。あの全日本初期の頃、サンマルチノやブラジルなどとの試合は、信頼できる外人レスラーとの友好マッチの色合いが濃く、衰えていく馬場の肉体と共に、その試合は説得力を欠いていった。
あの頃の馬場の試合で印象に残っているのは、大木金太郎との試合、鶴田と組んで大木とキム・ドクとの試合、国際プロレスの木村や草津との試合ぐらいだ。ブッチャーやロビンソン、ブロディ、ハンセンらとの試合はかつて馬場ファンであった僕には見るのがつらかった。かつての馬場を知るものなら昭和50年代のそうした試合を見るに耐えないものと映るはずなのに、あえて名前は伏すが、当時の日本テレビのアナウンサー・解説者は空々しく馬場を擁護し、「世界のG馬場」などと赤面するような美辞麗句を並び立て、ゴングやプロレスなどのマスコミも批判らしいことを書きはしなかった。それどころか、老い衰えた馬場の試合を水戸黄門的な一つの形のあるスタイルとして賞賛さえする有様であった。
馬場だけではなく、鶴田をはじめとする全日本プロレスの試合を見るにつけ、プロレスは衰えていくと感じたのは僕だけではあるまい。ただ、長州力が全日本にやってきて、プロレスに覚醒した天龍が長州が去った後、自分が全日本を去るまでの間、全日本のリングに闘いの近いものを示してくれた期間を除いては。
馬場がもはや昔の馬場でなくなっていった昭和40年代末、それと前後して新日本プロレスを創った猪木は試合の説得力において完全に馬場を超えていた。初期の頃こそ、弱体外人しか呼べず苦戦していたが、坂口が入り、テレビ中継が始まった頃から猪木の躍進は始まった。
あの頃の猪木は、すばらしい身体をしていた。日本プロレス時代よりもスリムになり、他のレスラーにない柔軟なむだのない肉体は美しかった。猪木の試合は地味で、ダイナミックさはなかったが、T・J・シンとの遭遇によって、猪木の持っていた闘争心は目覚めた。他の人たちも言っていることだが、シンこそ新日本プロレスの救世主、猪木を猪木たらしめた、最大のライバルであった。ほとんど相手の攻撃を受けず、攻め一辺倒のシン。時折見せる、強烈なキックや基本的なレスリングの動き。おれはバカやっているが、シリアスに戦っても猪木に匹敵するものをもっているんだというシンのたたずまい。やられやられまくって、怒りをためにためて最後に爆発させる猪木。本当の実力を持った2人の荒々しい闘いは見ていて飽きなかった。
あの頃の猪木は、我々の予期せぬ動きをし、プロレスの予定調和を時に崩し、その意外性が僕らを魅了した。プロレスはしょせんショーだ八百長だとする世間の風潮の中にあって、プロレスという領域が、他のスポーツと比肩しうるものだという自信みたいなものを猪木の試合は僕らマイナープロレスファンの心に植え付けてくれたように思う。
その後、異種格闘技線を経て、他事業に手をだしていくに連れて、柔らかいゴムのようだった身体は硬くなり、猪木の試合に美しさはなくなり、猪木の傲慢さや自分勝手さが鼻につくようになっていった。そして、衰えゆく猪木にとどめをさしたのは、帰ってきたUWFのリーダー、前田日明だった。特に、藤原との試合に勝利した猪木に対して、強烈なハイキックを放ったあの時、僕は猪木ファンから前田ファンになったことを実感したのだ。(つづく)
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2009年01月11日
テレビで格闘技やプロレスを見る時、その試合を実況するアナウンサーと解説者は欠かすことのできない存在だ。その格闘技及びプロレスのアナウンスや解説と大相撲の解説とを比べると決定的に異なる点がある。大相撲の解説は、NHKということも大いに関係あると思うが、比較的淡々と抑揚を控えめに、客観的に冷静に実況している。アナウンサーの個人的な感情を出さず、相撲の状況を的確に伝えることを主眼としている。大相撲経験者の親方衆が解説し、経験者ではなければわからない点を素人の僕たちに伝えてくれる。
そして、現在の大相撲の実況のあり様は、僕が子どもだった時、全盛期の大鵬を応援していた頃の実況のあり様とそう変化していないように思う。それは、ボクシングなどもそうかもしれない。基本的なものは何ら変わっていない。試合の状況を忠実に伝えればいいのであって、おもしろい試合はおもしろいし、つまらない試合はどう脚色したところでつまらないのだから、というスタンス。それは心地よい。
ところが、現在の格闘技及びプロレスの試合の場合はどうだろうか。なぜ、アナウンサーはあれ程うるさく、叫ぶのか、おおげさなのか。また、そこで行われている試合と関係のないことをグダグダ言うのか。かつてのプライドや現在の戦極においてはそれ程には感じないが、プロレスやK1やドリーム、ダイナマイト等における感情的で的確な表現に乏しいアナウンスには閉口する時がある。あれなら、ない方がよいのではないかとすら思える。実際、ボリュームを下げて見ることもある。
オーバーでくどく、同じことを繰り返せば、視聴者はその番組を見ようとすると思い違えているバラエティ番組と同じで、その試合に感動もしていないくせに、それ程格闘技が好きでもないくせに、それを隠すためかしらないが、感情を露わに絶叫することがいいアナウンスとでも思っているのだろうか。また、高阪や鄕野の解説は的確でいいと思うが、谷川氏の解説は「すごい試合」「感動した」とかといった賞賛の言葉を安易に乱発したり、短絡的なものが多く食傷ぎみになる。さらにあの女性ゲストたちは何なのだろうか。視聴率をあげるために、肩を露わにして幼稚なコメントを述べる彼女たちは格闘技の番組に本当に必要なのだろうか。素人の解説者はいらんと思う。
かつてプロレスが現在の総合格闘技のような存在であった頃、僕がプロレスが大好きでよく見ていた頃、忘れられないアナウンサーが2人いる。一人はG馬場全盛の日本プロレス時代の日本テレビのアナウンサー、清水一郎氏である。独特の言い回し、落ち着いた、品のある、知性を感じさせるしゃべり口。冷静にしゃべりながら、時に熱く語るメリハリのある実況。後にある雑誌のインタビューで、清水氏がジャイアント馬場と言わずにわざとジャイアンツ馬場と発音していたのだということを話されていて、確かにそう聞こえていたなあと思ったものだ。プロレスというものを自分の中でうまく捉え、消化しながら見る者に心地よいアナウンスをしていたのが忘れられない。その横で解説を担当していた芳の里の解説はほとんど覚えてはいないが。清水氏と対照的でくどかったのが、徳光アナウンサーだった。
そしてもう一人は、A猪木全盛の初期新日本プロレス時代のテレビ朝日(あの頃はNETか)のアナウンサー、舟橋氏である。昭和40年代末、最も猪木が強く美しかった頃、パワーズやシン、マリガンやコロフなどハンセンが登場するまでの猪木の試合を情熱を持って、しかもいやらしさがなく、解説の桜井氏と絶妙なコンビを組みながら実況し、僕らを納得させてくれた。その舟橋氏の指導を受けながらプロレスのアナウンスをし始めたのが古舘伊知郎だったと聞く。
現在の格闘技及びプロレスのアナウンサーの多くが、古舘伊知郎の影響を受けている気がする。古舘氏のような実況をすることが、すばらしい格闘技の実況なんだと。確かに古舘氏は、それまでのアナウンサーにない、豊富な語彙、そのレスラーを適切に表現する新しい造語を駆使しながら、マシンガンのようにしゃべり、リングで繰り広げられる試合の模様をさらに大きく膨らませ、我々に伝えてくれた。ハンセンやホーガン、タイガーマスク、キッドから前田や高田に至るまで、新日本の全盛期を、あの頃きら星の如くいた有能なレスラーと共に創った功労者であるとは思う。ただ、古舘氏はあの時代のあの新日本プロレスであったからこそ、光を放つことができたのだと思う。古館氏のこれでもかという言葉の嵐に耐えるだけの試合をするに足るレスラーがいたからこそ、古舘氏の言葉が空虚に聞こえなかったのだ。また、口泡とばす、しゃべりのシャワーの中にいても、その自分を冷静に見つめながら、彼は解説していたように思う。
古舘氏が新日本を去り、かつての猪木はもはやいず、タイガーマスクや前田は去り、プロレスは疲弊していく。プロレスがその本質を忘れていく中にあっても、古舘氏の残像はその後のアナウンサーたちの心の中に残り、古舘チュルドレンたちは、古館もどきのアナウンスを連呼するが、彼らの叫びは空しく響く。古舘氏が去ってもう何年になるのか。元祖古館を超えるアナウンサーは未だ現れていないと思う。現れるためには、古舘氏とは全く異なる色を出す必要があるだろう。
先日、雑誌の記事の中で、戦極の代表が「戦極は競技性を追求していく。」と断言していた。それは、もう旬の過ぎた選手、実力のないタレント的な選手等を廃し、知名度はなくても、真面目に格闘技に取り組み、しっかりと技術や精神を鍛えた者同士による戦いを戦極は求め、提供していくという意味であろう。その言葉に僕は深く共鳴した。格闘技ファンが格闘技に求めているのは将にそこなんだと。その競技性を追求していくのを支えるために、アナウンスや解説は無駄な装飾は省いて、より客観的に冷静に、感情を抑えつつ、プロとしてリングで行われていることを的確に言葉として表現するものであってほしいと思う。
posted by sogofunkyozo |22:57 |
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2009年01月07日
朝青龍の言動に関する記事が再び、紙面をにぎわしている。またか、という感じ。思うことは「はやく引退せよ。」ということ。「心技体」の「心」が備わっていないものが、横綱になってしまっている。彼の言動や表情を見ると、中学生程度の精神性のままで、誰からも指導されず、大人になってしまったといった感だ。彼に対して、尊敬の念が一つも湧いてこない。こうしたことは、大相撲界だけでなく、他のスポーツ、格闘技界においても言えることではないか。
先日の「戦極」において、「礼節」という点において感心したことが二つある。一つは、以前に比べて総合的にレベルアップしたアントニオ・シウバが、中尾に勝利した後、中尾の状態を心配そうな顔で見ながら、、日本人選手が見せるように正座をして、おじぎをした場面だ。シウバの強さをもう少し見たいと思った矢先に終わってしまった試合だったが、シウバのこの態度を見た時、精神的にも彼は強くなったのだと思った。
僕が、ノゲイラやヒョードルが好きだったのは、彼らが強かったからだけではない。彼らの試合前や試合後の態度が好きだったからだ。常に謙虚で、控えめで、物静かな好青年といった彼らは、大口を叩いたり、相手選手を必要以上に批判したりすることがなかった。ノゲイラが第2回KOKトーナメントで優勝した時の表彰式で、前田から受け取った王冠を頭に載せて、アナウンサーのインタビューに穏やかに答えるその姿は、田舎から出で来たばかりの朴訥な青年といった風で、試合における強さとは対照的にうつり、思わず微笑んだものだ。今や「皇帝」と賞され、圧倒的な強さを誇るヒョードルは、リングに向かう花道を歩く時も、顔は恐ろしい程静かで、試合前に相手と対峙して、レフェリーの注意を聞く時も、いつも下を向いて相手を威嚇したりすることもない。そんな彼らのその礼節をわきまえた態度こそ彼らの強さの源になっているのだと僕は思う。
二つ目に感心したことは、タイトルマッチの前と後で登場した福田氏の和服姿とその態度だ。「戦極」というイベント名は、これまでのプライド、ヒーロー、ドリームといったカタカナのタイトルに比べて、日本的な名前であり、日本的な名前だからこそ、インパクトがあり、斬新さを感じていた。その「戦極」という名前にふさわしい試合を心から望んでいるであろう、福田氏は自らの装いを和服姿という正装で整え、初めてのタイトルマッチに臨んだ。タイトルマッチ宣言をするその言葉は、その試合の重さを表すように気合いや覇気に満ちていた。信じることができると思った。
シウバと福田氏とは対照的に「礼節」という点で、気になったことがいくつかある。一つ目は試合前日の調印式における五味の服装だ。他の3人はノーネクタイの者もいたが、一応スーツを着ていた。五味だけは、普通のあんちゃんの服装で臨んでいた。人によって感じ方は様々であろうが、僕は不快に感じた。本気で試合に臨んでいるのか。この試合を軽く見ているのではないか。という疑念がわき上がるのを抑えることができなかった。かつて猪木は、アリとの異種格闘技戦における調印式で紋付はかま姿で臨んだ。それは、猪木一流のショーマンシップでもあったろうが、そこにその試合に臨む猪木の本気さをひしひしと感じたものだ。場にあった服装というものがある。多くの人が見ている、相手もいるという場面においては、あんちゃん服はふさわしくないと僕は思う。
二つ目は北岡の入場から試合にいたるまでの態度・表情だ。いっさいの衣をまとわず、裸で登場する姿は悪くないと思ったが、あの夢遊病者のような一種異様な表情は理解しがたかった。対戦相手の五味を含めて、自分以外のいっさいのものをシャットアウトして、試合に集中するための彼独特のパフォーマンスではあるだろうが、見ていて気持ちが悪かった。特に国歌吹奏の時にも、その表情を崩さなかった場面は不快であった。試合に勝利した後、しゃべり始めた姿を見て、彼も普通の人なんだと安心するまでは。
そして三つ目は、サンチアゴのサングラスだ。試合前、サングラスをつけようが、モーのようにハーレム状態で入場しようがそれはそれでいいと思う。僕が気になったのは、試合後、福田氏からチャンピオンベルト等を受け取る時にもサングラスをかけていたことだ。和服姿の正装の福田氏が、そのすばらしい試合の勝者にうやうやしくベルトを渡すというのに、サングラスなんぞ、はずせやと僕は思った。それは、たとえ外国人でも日本のリングで試合する者の最低限のマナーではないかと思う。
そうした試合以外の場での礼儀作法を福田氏を中心とした「戦極」の関係者は、まだまだ若者に過ぎない選手諸君に指導していってほしいと思う。技術の向上だけではなく、格闘技は礼に始まって礼に終わるという精神、日本人がかつて持っていた美徳を彼らに身につけさせることにも配慮して欲しいと思う。
posted by sogofunkyozo |23:08 |
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2009年01月04日
今日、戦極を観た。最近の格闘技イベントの中では、久しぶりに心が満たされる内容であった。緊張し、居住まいを正しながら観て、終わった後、何とも言えない幸福感・満足感に満たされた。これまでの戦極は、何か物足りなさを感じ、かつてのプライドの域にはまだまだ達していないもどかしさを感じたものだった。それが今夜、六回目にして初めてそのもやもや感が払拭され、これから戦極が進むべき道を示してくれたように思った。
特に出色は三崎とサンチアゴの試合であった。我々格闘技ファンは、あの一試合だけで十分堪能した。あの試合だけで、多くの人を納得させるものを持っていた。数日前のダイナマイトの数多くの試合が束になってかかっても及ばない格闘技の奥義、これぞプロフェッショナルとも言うべき内容であり、総合格闘技の模範ともいうべき試合、誇りを感じることができる試合であった。それは、両者、実力伯仲で、立ち技でも寝技でも対応できる、総合格闘家の持つべきレベルの高い技能を保持していたからだ。一瞬のすきも許さない緊張感と柔らかい身体の流れるような動き。2匹の動物が、立ち、寝て、また立ち、途切れることなくしなやかに動き、反応し、相手のほんの少しの間隙を狙い、トドメを刺そうとするかの如き試合に釘付けとなった。達人同士の技術と精神の応酬は、我々の心を晴れやかなものにした。空を切ることの多かったパンチは、急所に当たったら一発で決まる緊張感を醸しだした。三崎対秋山戦を上回る好試合の予感をいやが上にも高めていった。的確なローキックを蓄積し、立ち技でやや上回る三崎が主導権を握ったかにみえた。三崎の勝利を日本人として心のどこかで願う自分がいた。4R、立ち技主体の試合の中にあって、一瞬の隙をついてサンチアゴが腕ひしぎにいったが、三崎はそれをうまくしのいだ。しのぎはしたが、その時、サンチアゴの脳裏に「立ち技では勝てない。勝つためには寝技しかない。」という思いがよぎったのかもしれない。5R、三崎を絶妙のタイミングでタックルで倒したサンチアゴは、残り2分を切った最後のチャンスを逃さず、首じめでしとめた。見事なフィナーレ。三崎を応援していた自分も思わず、拍手を送った。4R、左目を負傷した三崎の視界が狭くなったのが敗因か、5R、勝利を間近にした心の隙が敗因か、それはわからない。ただ、自分はこの試合に納得した。久しぶりに、この試合はもう一度観たいと思った。試合後、観客席の石井と朝青龍が映し出されたが、2人とも笑みもみせず、何か圧倒され、凄いものを観たという表情をしていた。特に石井は、これから自分の進むこの世界が容易ならざる世界だということを実感したのではないだろうか。現在、青木とならんで、日本人格闘家の中で頂点に立つのは三崎であることを再認識した試合であった。
そして五味と北岡の試合。この試合は緊張感では三崎の試合を上回るものであった。ただ、北岡が戦前に言っていたように短時間であっさりと終わってしまった。しかも、昔懐かしいアキレス鍵固めで。北岡のあの極めの強さに驚きはしたものの、それよりもなお五味のあっさりとしたギブアップに愕然とした。北岡の強さよりも、五味の勝負に対する執着心のなさを強く感じたのだ。戦前から両者のこの試合に賭ける情熱・温度の差を自分は感じていた。完全に五味は圧倒されていた。五味という選手は、プライドの頃から試合によってその取り組みや内容に差があるなと感じていたが、それを今日の試合ではなお一層感じた。プライドのチャンピオンとなり、自分のジムを持ったりしたことで、戦いに対する情熱、何のために戦うのかという本質的なことがやや失われてしまったことに、一番の敗因があるような気がしてならない。この試合は決してつまらない試合ではなかったが、パンチで倒そうとする五味とそれをかいくぐりながら寝技にもっていこうとする北岡のギシギシするような攻防をもう少し長く観たかったと思うのは僕だけではないだろう。
他の試合も悪くはなかったが、今日のイベントはこの2試合に尽きる。特に三崎の試合は、ボクシングや魔裟斗の試合に匹敵しうるものであると断言できる。無駄な装飾や客寄せパンダを廃し、総合格闘技のレベルを進化させるべく、戦極はこの路線をあせらず、地道に歩んでいってほしい。10年先、20年先を見据えつつ、ゆっくり着実に進んで欲しい。今日のような試合をするならば、我々格闘技ファンは間違いなくついていく。支えていく。
posted by sogofunkyozo |21:17 |
総合格闘技 |
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2009年01月03日
あまり期待せず、ダイナマイトを見た。予想通りであった。視聴率を上げるために組んだ安易なカードがむしろ、視聴率を下げているのを知るべきだと思った。谷川氏は、リングスの解説の頃から知っているが、間近な視点でしか格闘技を考えていないように思う。何年か先を見据えたマッチメイク、格闘技の将来というものを真剣に考えて欲しいと思う。いろいろな問題を起こし、とうの昔に旬を過ぎたボブ・サップをなぜ、使うのだろうか。マーク・ハントもミルコ・クロコップももう必要ない。つい最近、反則をおかしたバダ・ハリをなぜ、すぐにリングにあげるのか。あの時、魔裟斗が解説席で怒ったように、僕たち格闘技ファンはバダ・ハリのあの態度に対して不快感と憤怒の気持ちを禁じ得なかった。一年間くらいは出場しないものと思っていたのに。そうした姿勢も多くの良識あるファンの反感を買い、視聴率等に何らかの影響を与えたであろう。
前述した安易な視聴率稼ぎの客寄せパンダ的な選手の登用はもう通用はしない現状を知るべきである。そしてさらに、武蔵とムサシ、武田と川尻など総合格闘家対立ち技格闘家の異種格闘技戦的なマッチメークはレベルの高い技術の攻防が少なく、その試合を深く印象づけるインパクトに欠け、わかりやすくはあるが底が浅く、格闘技の奥深さや難しさを観客に訴える力に欠けているのは明白である。安易なわかりやすさが人を惹きつけると勘違いしているのではないか。子どもでもそれが本物かどうかはある程度わかる。本物は少々理解するに難易でも、その深さやレベルの高さは何となくわかるものなのである。僕はこれを「格闘技のバラエティ化」と読んでいるが、底の浅い、真剣さののないものは人の心をとらえない。
緊張感のない試合がほとんどだった中で、唯一まともな試合、かつてのプライドの匂いを放っていた試合は、予想通り、青木の試合であった。あの試合だけは、格闘技好きの僕たちを満足させる試合であった。なぜ、青木の試合が魅力的かというと、かつてのノゲイラのように打撃に終始せず、最後はきちんと寝技・関節技できれいに相手をしとめる力、美しさがあるからだ。その動きの展開に今まで見たことのない新しさがあるからだ。そらに、雑誌等における青木のコメントから、あくまでも格闘技に対して真摯な態度で接して、これからもなお向上していこうという心が僕たちに伝わり、そして嫌らしさがなく、その言動を試合で具現化しているからだ。日本人総合格闘家の中で、今最も輝き、僕たちファンが信頼しているのは青木をおいて他にないだろう。青木とペンの試合は青木が言うまでもなく、見たいカードのベスト3に入るだろう。
一方、緊張感では青木の試合を上回り、その試合内容は最低の試合が桜庭と田村の試合であった。今なお、前田日明ファンである僕は、UWF当時から見ている人たちと同様、この試合を一種独特な感情で見ていた。新生UWFの頃、新人田村は前田との試合で容赦ない膝蹴りを浴びて、KOされ、顔面を骨折し、しばらく欠場を余儀なくされた。その後、UWFインターを経て、リングスに入り、しばらく、エースの座に座っていたが、あの頃、誰かが田村はいずれ去っていくだろうと予言した通り、リングスを去った田村。その後、プライドに上がり、シウパやノゲイラ、吉田等と試合を行うも、ほとんどインパクトを与えることなく、当時まだ最後の輝きの放っていた桜庭と大きくその存在感に差をつけられていた田村。プライド後期、速やかにヒーローに移った田村。
「赤いパンツの頑固者」と言われ、けっこう雑誌にも登場してくる田村のしたたかさ、狡猾さにある種の嫌悪感を持っていたのは前田日明や桜庭だけではあるまい。その田村と桜庭との試合は予想通りの展開だった。タックルにいくが、倒せず下になり、ひたすらパウンドを浴び、消耗していく桜庭。最近の桜庭はいつもこのパターンでやられているにもかかわらず、下になって動けず、浴び続ける。UWF的な回転体の展開を勝ちにこだわるあまり一切せず、関節技に移行するそぶりさえみせず、ワンパターンのパウンドを打ち込む田村。総合格闘技初期の頃の膠着状態のおもしろみのない展開。2R、桜庭の今の実力を見極めた田村は、自分から寝技に移行し、余裕のあるところを見せたりもした。そして、この試合の中で一番いやな気持ちになったのは、試合後、田村の勝利が宣せられた時、桜庭がにこにこしながら、田村の手をにぎり、「もう一度やりましょう」というそぶりを見せた時だ。僕が、桜庭という選手に惹かれないのはああいったところなのだ。戦前の舌戦はまるでうそだったかのように、好きでない先輩田村になぜ、歩み寄り、微笑むことができるのか。かつて輝いていたあの頃、格闘技ファンの熱い声援に応えていたあの頃の実力が今はもうとうになく、あの頃やれば難なく勝てたであろうかつての先輩に、なすすべもなく敗れてしまった自分に真っ向から向かい合い、握手したり、にこにしたりすることなく、無念さを全身ににじませ、桜庭の勝利を望んでいた多くの観客に対して涙流しながら、謝罪し、風のように去って欲しかった。多くの人が思ったように、日本総合格闘技界の救世主であった桜庭にはもう、幕を引いて欲しいと切に思う。そして、田村。勝利の手を挙げられた彼は、うれしそうではなかった。リングスでヘンゾ・グレイシーを破った時のような感慨は全くなく、彼の勝利を賞賛する者も多くないというのを会場の雰囲気から痛切に感じたであろう。むしろ、ある種の罪悪感に似た感情に支配されていたのではあるまいか。5年前、まだ桜庭であった頃の桜庭と戦い、負けていた時の方が彼に多くの人が拍手を送ったであろう。誰もが感じていた、今頃になってなぜ、桜庭対田村なんだという疑念の気持ちを一番理解していたのは田村自身だろう。ちょこっと登場した前田日明がコメントを求められ、「何も言うことはない」と葉巻をくゆらせながら言った。前田よ、あなたの言うとおりだ。あなたは正しい。僕たち、以前からのプロレス・格闘技ファンにとって、桜庭対田村は、何も残しはしなかった。
総評として、今回のダイナマイトはドキドキしなかった。チャンネルを時々かえた。その程度のイベントだった。「ドリーム」は視聴率等にふりまわされず、地上波はしなくていい。僕らマニアを納得させるカード・試合を提供してほしい。僕らマニアに伝わらないで、一般の人に伝わるはずがない。明日の戦極に期待しよう。
posted by sogofunkyozo |22:01 |
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