2009年05月15日

■正義と悪の間 ~チェルシーvsバルセロナで見えてきたもの~ 【プレミアF】

何が面白くて何がつまらないのか。

何がエキサイティングで何が退屈なのか。

攻撃的思考が英雄の条件なのか。守備的思考が弱者の証なのか。

何が正義で何が悪なのか。


改めて考えさせられる試合が、スタンフォードブリッジにはあった。


■疑いのない最高の対決

2009年5月6日、ロンドン・スタンフォードブリッジで行われたチェルシー対バルセロナの試合はイニエスタの劇的ゴールによって幕を閉じた。スタジアムは海を渡ってきた熱狂的なソシオたちが集まる一部を除き、沈黙に包まれ、ロンドンは怒りに満ちた夜を迎えることとなる。

良い意味でも悪い意味でも見どころの多いゲームであったことは間違いない。

世界最高といっても過言ではない技術が結集されたバルセロナの攻撃はもはや芸術と呼べる域に達している。そしてこの日対峙したオランダ人監督の英知が集められた戦術と最高の選手たちによる守備もまた、感動すら覚えるレベルのものであった。

前者にたった1本のショッツオンターゲットも許さず、後者の思惑通りに進んだ90分はある種の美しさを帯びた完全なる作品と思えた。そして前者の執念が生み出したアディショナルタイムでのゴールもまたドラマティックこの上ないものだった。

選手個々を見てもそう。ランパードの執念とJTの闘争心は感動に値した。先制点をあげて以降も止まらないエッシェンの運動量や、2年前バルセロナでヒーローだったベレッチの相変わらずの上手さは驚嘆する以外になかった。しかし彼らをも上回ったバルセロナの恐ろしいほどの冷静さとイニエスタの輝きには文句のつけどころのない美しさがあった。

試合のレベル、展開、そして選手たちの想い。どれをとっても最高の試合だったことに疑いの余地はない。


■浮上する残念な事実

しかしながら残念なことは、この歴史的激戦が試合以外の、本質とは違うところに話題を持っていかれてしまったところである。

チェルシー側の主張によれば少なくとも5度PKを見逃されており、バルセロナによればアビダルの与えられたレッドカードは明らかに不公平なものだった。確かに5回は言いすぎだとしても2度(特にピケのハンド)はPKが与えられてもおかしくなかったように思う。同じように、アネルカがあのまま抜け出していればほぼ確実にチェルシーのスコアボードが「2」に変わっていたとはいえ、あの接触で退場を宣告されることは納得しがたいことだろう。

ゆえに「レフェリーに勝ちを盗まれた」「最低のジャッジだった」といった類の論調が多く、信憑性は別にして“死の宣告”まで飛び出す始末だ。

気持ちはわかる。私自身、昨シーズンの準決勝第2レグを同じスタンフォードブリッジで観戦し、決勝進出の歓喜を味わった人間である。イニエスタのゴールに絶望を感じ、チェルシーの敗戦に心底落胆している。間違いを犯したレフェリーはバッシングされてしかるべきであり、レベルアップを促すに痛み・批判は必要不可欠な要素だ。だからレフェリーに関しては議論していくべきだと思っている。


■美しさを謳う、美しくない論調

前置きが長くなってしまったが、最も残念なのは、一部のファンの反応である。

「正義が勝った」
「弱者の戦術」
「あんな守備的なサッカーをするチームは負けて当然」

バルセロナを“正義”と称し、あたかもチェルシーを“悪”かのように語る論調がいかに多いことか…。言い換えれば、攻撃が正義で守備が悪ということなのだろう。

確かにバルセロナの攻撃は魅力的である。ショートパスを何本もつなぎ、華麗なドリブルで相手を切り裂きゴールを奪うスタイルは(スタイルの異なる)マンチェスター・Uと並び、世界でも随一だろう。だがそれが果たして正義なのか。準々決勝でバイエルンを5対1と一蹴し、誰にも止めることができないと考えられていたバルセロナの攻撃を180分「0」に抑えた守備は“悪”なのか。

否である。

ショートパスを繋ぐ攻撃を美しいと思う者がいれば、ロングボールと肉弾戦こそサッカーだと考える者もいる。そしてもちろん、相手をゼロに抑える守備の美学は存在し、感動を覚える者もいる。

事実私は、世間では凡戦といわれているカンプノウでの第1戦ほど素晴らしいと感じた試合は今期他になかった。A・コールやリッキーが不在で不安要素の多くある中、チェルシーはあのバルセロナを敵地で「0」に抑えたのだから。一般的に攻撃的なチームが強者、守備的な戦術を用いるチームは弱者と見られがちだが、このゲームに関してはバルセロナの攻撃がチェルシーの守備に“屈した”のだ。熟考された戦術と選手たちの決意、体現する彼らの想いには感動を覚えたほどである。

楽しい、つまらないといった感情は各人間の感性の問題であり、議論すること自体意味をなさない。しかしだからこそ、その感性を尊重しなければならないのではないだろうか。

バルセロナには攻撃に長けた選手がおり、自分たちのスタイルを貫く戦術をとった。
チェルシーは守備に長けた選手がおり、柔軟性を生かし最善の方法として守備を用いた。

どちらもあっぱれ。どちらも素晴らしい。どちらが正義でも、どちらが悪でもない。お互いが精いっぱいに、ピッチの上で戦っている。

ただ、それだけでいいのではないだろうか。

スタイルの違いがあるからこそサッカーは面白い。仮にすべてのチームが攻撃的だったら面白いのだろうか。私はそうは思わない。攻撃的なチームがあり、守備的なチームがある。守備的なチームがあるからこそ、攻撃的なチームがリスペクトされる。リスペクトされる攻撃的チームを完封することで、守備的なチームにリスペクトが集まる。

サッカーとはそういうものだ。



結果的にバルセロナは決勝に進み、チェルシーは敗れた。
スペインでは歓声が上がり、ロンドンは沈黙した。

そう、忘れてはならないのだ。

この日のピッチにあったのは正義と悪の戦いでもなんでもなく
純粋に勝利を目指した男たちのボールの蹴り合い。

ただそれだけである。

posted by so-ma |00:47 | ■渾身コラム | コメント(25) | トラックバック(1)
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