2007年12月21日
今更だが、日本代表に起きた衝撃について触れてみたいと思う。
■オシム倒れる
朝、何気なく携帯を開けるとメールが届いていた。いつものこと。時差がある日本と英国なのだから寝ている間に携帯が鳴ることにはもう慣れた。いつものように、何気なくメールを開いた。メールマガジンのタイトルを何気なく読む。
「オシム、倒れる」
眠気が一気に吹き飛んだ。画面に表示されていることが現実のものだとは信じられないほどの内容だったのだから。友人からも同様のメールが届いていたがイマイチよく分からないというのが正直なところだった。
アジアカップで4位に終わったとはいえ、チームは着実に成長していた。それこそ目に見える変化が日本代表には起こっていた。それこそ過去2度の優勝時と比べても私は今回の4位を評価している。そしてそのチームを率いていたオシム監督のことも。
着々と成長し、いざW杯予選に挑もうとしていた矢先の出来事だけに、率直な感想を言えば残念でならない。何より、世界基準へと日本のサッカーを導いてくれようとしているオシム監督の容態が心配だった。(回復されたことを心より嬉しく思います。)
ただ起こってしまったことを悔やんでも仕方がない。繰り返すが私は今、英国におり、ゆえに当然、日本にいる多くの方々より情報を目にする機会が圧倒的に少ないため、分からないことが多い。オシムに対する協会のサポートであったり、岡田氏就任の真相だったり、といったことも詳しいことは何も知らない。
であるからここでは細かいことは抜きにして岡田氏が日本代表監督に相応しいかだけを触れたいと思う。
■代表に何を求めるか
以前の記事(イングランド代表監督について)でも触れたが私は代表に関しては結果を最も重視している。サッカーの内容で観客を興奮させられるか否かは余り重要ではないし、それを期待するならクラブチームの試合を見るべきだ。国の威信をかけた戦いなのだから勝敗が全てであると私は考える。
勘違いされがちなのでもう少し詳しく記するが、ここでいう“内容”とは試合におけるエンターテイメントとしてのサッカー…言い換えれば観客を楽しませてくれる内容のサッカーを披露する必要はないということであって、勝利すれば何事も許されるというわけではない。準備過程(親善試合やアジアカップ……つまりW杯関連以外の試合)で勝利を重ねたからといって目的地であるW杯で良い結果を残せるとは限らないのだから。アジアカップを制し、大会前、開催国のドイツに善戦したチームの本大会におけるパフォーマンスがどのようなものだったかは皆さんご存知だろう。
“つまらないサッカーだがW杯で勝つためのサッカーを体現するための準備”における内容は極めて重要だということはご理解いただきたい。
■岡田氏就任
すんなり岡田氏に決まった感のある選考だが、極めて妥当…というより無難な選択だった印象だ。時期が時期だけに、いきなり海外から実績のある監督を招聘するのは難しい。そうすると当然国内に絞られる。一時期オジェック内定との報道もあったが浦和との契約を更新したばかりだったこと考えれば常識的に考えて外れる。
では代表監督を務められるだけの経験と実績のある人間は誰か。もともと“日本人の良さを引き出してくれる日本のことを理解している人物”に監督の座を任せたかった協会だけに、外国人より日本人になってくる。そう考えれば浮かんでくるのは岡田氏か、アトランタ五輪代表を指揮した経験のある現ガンバ大阪監督の西野氏ぐらい。だが西野氏も現在監督業についているため、消去法ではないにしても岡田氏選出という結論が最も無難な選択だったような印象を受ける。
■岡田氏で世界と戦えるのか
岡田氏は結果の残せる監督であると私は考えている。コンサドーレをJ1に昇格させ、マリノスをJ1王者に導いたことはご存知だろう。もともと戦力が整っていたから勝てたのではないか、という岡田批判も聞こえてくるが、彼の構築する守備の緻密さや短期決戦での実績をみるに、私はその批判が適切なものとは思えない。確かにオシム監督とスタイルは違うし、育成という面では疑問が残るにしろ、自分好みの選手を自由に選出できる代表監督は彼に合っているといえるだろう。
必ずしもA代表のレベルに達しているとは言いがたい徳永を選考したことで批判(「Jを本当に見ているのか?」等)が上がっているが始まりの合宿に自分好みの選手を選出することが悪いことだとは思えない。オシムにしろ、様々な選手を招集し、試してきたのだ。外国人で“語録”とすら表現される彼のユニークな言い回しに納得させられてきたファンも少なくないと思うが、幻惑させられずに適切な判断をしてほしい。岡田監督の選択はごくごく自然のものだと私は思う。
ただ岡田氏には世界で戦った経験があっても世界で勝った経験がない。これは現段階においては埋めることの出来ないオシムとの差であると思う。しかし一方で監督経験のなかったフランスW杯予選の頃とも別人といえる。「カズ、三浦カズ」の発言で世間を二分したあの頃とは違い、着実に経験値は蓄えられている。今後、親善試合やW杯予選等でいかに世界と戦うためのチーム作りをしていくかに注目したい。
最後に、私は岡田武史新監督を支持したいと思う。
posted by so-ma |05:20 |
■日本代表 |
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2007年12月18日
わずか3年だけであったがその実力を遺憾なく発揮し、歴代のJリーグ助っ人外国人と比較しても彼の残した功績は光り輝いている。
衝撃が走ったのは忘れもしない2005年ゼロックス・スーパーカップ。
一応はタイトルマッチという名目だが、実際にはJリーグ開幕前の“前座”試合という意味合いが強い試合で、当時横浜国際総合競技場に足を運んだ私も多くを期待してはいなかった。
だがここで得たものは大きかった。というよりあるひとりの男によって、忘れられない試合のひとつにカウントさせられた。彼は前年度Jの覇者であるマリノスの堅い守備陣をもろともせず、2回ゴールをこじ開け、なによりパワー、テクニックそして決定力の面において“違い”を示すには十分すぎるほどの活躍を見せた。当時、日本最高DFの名を得ていた中澤を相手に、だ。信じられない圧倒的な実力を見せてくれたのが言うまでもなくワシントンである。
この試合でのパフォーマンスは決してフロックなどではなかった。それは所属していた東京V、浦和レッズのサポーターのみならず、ライトなファンですら彼の名前を覚え、脅威を感じるほどに。
ブラジル全国選手権38試合34ゴール(最多ゴール記録)。
その年、降格した東京Vにおける22ゴール。
そしてレッズのJリーグ制覇に大きく貢献した26ゴール(シーズン得点王)。
今シーズンも16ゴールとACL、CWCで活躍。
プレースタイルの好みはあるにせよ、これら一番目で見えやすい得点という実績を見れば彼の力がいかに絶大なものか認めざるを得ないだろう。そして彼のプレーを同じく空間で観たことのある者ならば余計に彼の力を感じずにはいられない。
「浦和に残りたい」
こう主張しながらもオジェック監督との衝突から退団という結果になってしまったが彼がレッズに残したもの、日本サッカーに残したものは少なくないと思う。ワシントン抜きでは、Jリーグ制覇、ACL優勝、世界クラブ選手権3位というレッズの功績も考えられなかったように思う。
それに一流のストライカーを前にした日本人DFは少なくない世界との差を肌で感じられただろうし、同じポジションに身を置くものたちの手本にもなったはずだ。
正直、彼のプレーを生で見る機会がもうないのかと思うと残念でならない。
ただ、今は「さようなら。ありがとう」といってブラジルへ去る常人より二周り大きな体を持つ心優しい男を送りたいと思う。
そして彼のような…“世界”を感じさせてくれるような外国人プレイヤーが日本へ訪れてくれることを切に願う。
posted by so-ma |23:31 |
■Jリーグ |
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2007年12月17日
■始まりはあの日から…
Jリーグの開幕と三浦知良がサッカーというスポーツを教えてくれた。ドーハで日本がイランにやれた日、学校の教科書やテレビの教育番組からは決して学ぶことの出来ない愛国心と、何よりの悲しさを味わった。マレーシアでサウジアラビアに勝った日、前園真聖の目から“信念”を学び、マイヤミでは奇跡を目にした。
そんな少年がイングランドに心を奪われたのは2002年のことだった。
初めて彼らを目にしたのはおそらく98年だろう。ただその記憶はもはや忘却の彼方だ。オーウェンのセンセーショナルなゴールもベッカムとシメオネの因縁も後に目にした後付の記憶でしかない。曖昧だが覚えているのはフランスワールドカップが終わった後のこと。当時、幸運にも自宅には広まり始めていたケーブル・テレビがあり、スポーツ専門チャンネルで週1試合放送されていたプレミアシップを欠かさず見ていたこと。だからクラスメイトが誰も知らなかったシェイ・ギブン(彼はアイリッシュだが)やJ・コールが私のアイドルになったのだろう。必然的にイングランドにも親近感を持つようになり、日韓大会を迎えることとなる。
決定打となったのはアルゼンチン戦だった。後に村上龍氏は「あの試合を目にし、イングランドのサッカーが好きではなくなった」とどこかのコラムで書いているが、私は逆だった。真逆もいいところだった。
決してコンディションの万全ではなかったオーウェンのドリブルに興奮し、98年の借りを返して見せたベッカムのPKに心臓が高鳴った。そして、アルゼンチンの猛攻から、4年の時を越えたベッカムの魂が奪った虎の子の1点を守っている時間が永遠のように感じられた。
残り30分、時計は時を刻むという自らに課せられた唯一の仕事を放棄してしまったようだった。おそらく腕時計もテレビ画面の隅に映っているデジタル時計も皆、ボイコットだかストライキだかに入ってしまったのだろう。(ああ!なんてことだ!!)多くのイングランドファンがそうであったように、私もまた緊張の連続に疲弊し、手に汗握り、灰になりかけていたし、もはや天命を待つしか手立てはなかった。そんな長く辛くひもじい時間が続いたのだ。
しかしようやくスト(彼らが要求しているものが何かは分からないが、今でもと時々ストは起こる。もちろんフットボールを観ている時だ)が終焉を迎えた時の感情の爆発と理性の喪失、そして極上の安堵感といったらたまらない。
それらの科学的結合要因を解説できるほどの理系的知識を持ち合わせてはいないが、自分の中に何か抑えることのできない激烈な感情が生まれたことは確かだった。つまりこれがイングランドへの愛(よく“恋に落ちた”という表現が使われるがこの場合“恋”ではなく“愛”だと思う。子どもが産まれた時、彼らに恋する父親はいない。両親が持つのは我が子への愛だ)であり、後に渡英を果たす私の原動力になった唯一無比のエネルギーだった。
■なぜ英国に行かなければならなかったのか?
人間には選ぶ権利がある。少年時代に少年らしいことをせずに(つまり、目の前にボールやテレビゲームがあってもそれを見過ごし、机に姿勢を正し、腰をかけ、分厚い教科書を片手に、因数分解や英単語の暗記に励むこと。当然僕には無理だった)、私立中学、名門高校、一流大学へ行き、大手企業に就職するのも、ゲームセンターでタバコを吸い、女を従え、すれ違う善良な一般市民たちにガンを飛ばすのも自由だ。
そして人間の思想とは実に不可解であり、不安定であり、時に不条理ですらある。相対性理論の“相”も理解していないのにアインシュタインを崇めたり、歴史の教科書に載っていたというだけで織田信長を尊敬したりする(彼らの多くは信長の宗教弾圧が日本における宗教戦争の撲滅に繋がったことを知らない。彼らが知っているのは“鳴かぬなら殺してしまえホトトギス”だけだ)。ヒットばかりの野球はつまらないと言う者がイチローを敬愛し、バリー・ボンズを嫌っていようともなんら不思議ではない。
私もまた自由を与えられた人間のひとりだ。つまりロック・ミュージックを聴かず、ピアスの穴を開けていない人を殴ったこともない読書好きな青年がフットボールを見にイングランドまで訪れようとも取り立てておかしなことではない。フットボールを死ぬほど愛し、意中にはウエストハムがあり、今こうして英国へ来てしまったこともまたしかり。
ただ、九州や大阪にすら行ったことのない青二才が異国の地(北はスコットランドのエディンバラ、南はポーツマス、サウサンプトンまで)をひとりで歩き回るという行動は日常的なものではない。友人の多くは(2,3年後嫌でも働かなければならないというのに)アルバイトに精を出し、酒とタバコに酔い、就職活動に歩き回っているというのに。
こちらの方が20前後の男にとってはよほど健全で実用的な行動だということも重々承知している。アントン・ファーディナンドの巧みなポジショニングを見なくともアルバイト経験があれば就職してからも自分の居場所を見つけるに苦労はしないだろうし、ベルバトフのテクニックに酔っている間に企業説明会へ行ったほうがよほどためになることなのだろう。
しかしそれらの日常的な生活は私の望むものではなかった。私は金子達仁氏がメキシコ・ワールドカップやスペインである種の世界的フットボール感を体感したことを心から羨ましく思うし、テレビ中継の技術が飛躍的に向上した現代においても後藤氏のスタンスはフットボールの原点を忘れない素敵なものだと思う。そしてニック・ホーンビィがそうであったように私もまたフットボールのスケジュール表が生活の中心にある(残念なことに友人との飲み会や親戚の懇談会は二の次だ。馬鹿騒ぎや世間話に付き合うのも悪くないが、一方でハマーズの勝利やジェラードの強烈なミドルシュートを見逃すことなど耐えられない。例えそれがテレビの向こうの世界だったとしても。パートナーがこんな私を理解ある目で見てくれているは本当に幸いなことである)。
だから人間に与えられた権利を最大限に活用しない手はないと思った。軽挙妄動ではない。異国の地での日々は多事多難なものになるかもしれない。ただひとつ言えることは実践躬行しなければ何も始まらないということである。そのようなわけで英国へ足を踏み入れた。今回は旅行ではなく、約1年間、フットボールの国での生活を満喫するために。
posted by so-ma |23:46 |
■渾身コラム |
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2007年12月15日
はじまりがあれば終わりがある。
新しい時代の到来とともに、記憶の奥底へとしまわれてしまうものがある。経済発展に伴う空き地の減少のように、携帯電話の普及に伴う公衆電話の減少のように、あれだけ弱かった浦和レッズがアジア王者になったように、時代は移り変わるもの。
だからこそ、消えていく愛すべきものがある。愛すべき人がいる。
秋田豊。
山口素弘。
決して消えることのない、決して忘れることのない1997年ジョホールバルの歓喜、そして1998年フランスワールドカップに出場した選手である。
詳細は皆さんの記憶とテレビ、雑誌等の特集に多く記載されていると思うので省くが本当に彼らには心からお疲れ様といいたい。
秋田の強靭なフィジカル。
山口のキャプテンシー……何より韓国戦で決めた伝説のループシュートは決して忘れない。
今後、どのような道に進むかはわからないが彼らの今後の発展に期待したい。
posted by so-ma |00:56 |
■日本代表 |
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2007年12月14日
■カペッロ選出は妥当か?
Capello set for England hot-seat
ミラン、ローマ、ユーべ、そしてレアル・マドリードetc…。数々のビッグクラブを指揮し、各クラブでビッグタイトルを獲得してきたファビオ・カペッロ氏が遂にフットボールの母国イングランドを率いることになりそうだ。
彼の就任に関して、早速議論がなされている。カペッロの経歴や指導力をかってサー・アレックスやアルセーヌ・ヴェンゲルが肯定する一方で、監督という“国内資源”の成長を阻める要素となりうる外国人の就任にギャレス・サウスゲイトやマーク・ヒューズなど否定的な見解を示している者も少なくない。
前者たちにとっては他所の国の他人事、後者からすれば母国の一大事なのだろうが、個人的には前者に賛同したいと思う。後者の意見ももっともだが、マクラーレンの失態直後ではやや説得力に欠ける。ユーロ本戦出場を逃した損失を考えても失敗を繰り返すことは出来ない。そして何より、監督も含めた人材育成はクラブの仕事である。現時点でマクラーレンやその他のイングランド人監督に適任者がいないのであれば実績のある外国人監督の招聘は極めて妥当な判断といえよう。
■カペッロのスタイルを受け入れるべきなのか?
“勝利至上主義”とまではいかなくとも現実的な戦術で結果を追い求める彼のスタイルには賛否両論ある。ミランを率いていた1994年、CL決勝でクライフ率いるバルセロナを4-0で破ったことや近年低調だったレアル・マドリードでタイトルを獲得したことは間違いなく彼の指導力の賜物だろう。
だが一方で、“理想的フットボール”だったバルサ黄金時代が敗れてなお、今も語られているのに比べ、同時期のミランが会話に登場する回数は極端に少ない。そしてタイトルは獲得したもののスペクタクルなフットボールを夢見るマドリーにまたしても受け入れられなかったことが彼のスタイルを象徴しているだろう。
結論から言えば、私はカペッロのスタイルが今のイングランドに合っている気がしてならない。
現在、イングランドに必要なのは結果であると思う。ワールドカップ予選で失敗が許されないのはもちろんのこと、本戦でも結果を残し、失われかけている代表チームへの威厳を回復させなければならない。クラブチームの発展が著しい一方、代表チームが足踏みしている現状を放置しておくことは危険である。
そしてイングランドは堅く勝つことの出来るチームである。ジェラードやランパードに代表されるように直線的な選手が多いイングランドにおいて、スペクタクルを求めるのは難しいと思う。変化をつけられるのはJ・コールやルーニーくらいだし、彼らにしてもチーム全体の堅さに押され気味だ。クラブチームでは外国人選手が担っていることの多いこの役回りを一手に任せられるだけの選手は残念ながら見当たらない。
そもそも召集期間の短い代表チームにおいてスペクタクルな内容を求めるのは酷だと私は考えている。面白いフットボールを見たいのであればクラブチームの試合を観にいけばいい。代表戦は国の威厳、プライドをかけた戦いであって、結果がものをいう世界なのだから結果の出せる監督が就任するべきだろう。
だからこそ結果の残せるカペッロの組織的なチーム作りと堅実に勝つフットボールがイングランドには必要なのだ。そう私は考えている。
今後、どのような動きを見せるかはわからないが動向に注目したいニュースである。
posted by so-ma |21:40 |
■07-08 英国フットボール |
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