2008年05月02日

“アンチ・フットボール”は排除されるべきか? 【プレミアF】

■Fiorentina 0-0 Rangers (0-0) 
Rangers win 4-2 on penalties 

210分の激闘を制し、勇敢なるスコットランドの雄がイタリアの地で雄叫びを上げた。
5月14日、シティー・オブ・マンチェスター・スタジアムで行われるUEFAカップ決勝に進出したのはバイエルンに完勝したゼニトと、レンジャーズに決まった。


■気になるレンジャーズに対する批評

残念ながら、私はこの試合を見ることができなかったのでどのような試合だったかは文字情報でしか確認が出来ていない。それによると、ボールを支配し続けたのはホームのフィオレンティーナだったがレンジャーズの懸命の守備の前に、得点を奪うことが出来なかった。結局120分でも決着がつかず、命運はPK戦へとゆだねられ、その結果レンジャーズがファイナルへの道を切り開いた、というもの。

ただ、私が目を通したこの試合に対する批評の中には残念なものがあった。簡単に要約すると…「試合を支配していたのはフィオレンティーナ。レンジャーズはただ守っているだけの“アンチ・フットボール”に終始していた。そんなチームが勝ちあがったことが悲しい」というもの。

しかし、私はこの意見にどうにも賛同できない。そもそもアンチ・フットボールとは何なのか。いい機会なので考えてみたいと思う。


■レンジャーズは批判されるべきか

一般的に、アンチ・フットボールといわれる戦術として挙げられるのが、パスを繋ぐことや攻撃を放棄し、ひたすら守備に徹するというものかと思う。自陣に引き、ボールを奪ったらショートパスではなく、クリアやロングボールを前線へ送り、後はどうにかしてもらう…というのをひたすら繰り返すもの。確かにこのようなフットボールは一般的には煙たがられ、退屈だと揶揄される傾向にある。

そう考えると、この日レンジャーズが用いた戦術もアンチ・フットボールの類に入るのかもしれない。上記したような批判が出ることも想像がつく。

しかしながら、それでもなおこの批評に賛同が出来ないのは、フィオレンティーナのファンや中立の立場で見ている者はまだしもレンジャーズのファンは彼らの選手たちが披露したフットボールを非難しているとは思えないからである。グラスゴーに居を構える青のチームは、自らの功績に誇りを持ち、ファンたちは賞賛しているに違いないだろう。


■レンジャーズは誰のためにプレーしたのか

(ここからは私個人の考えであるため、異論反論あるかと思うが辛抱して読んでほしい。)

果たしてレンジャーズの選手たちは誰のために戦っているのか。そう考えたとき、私は彼らのファンのためにではないかという考えに行きつく。クラブのために戦っていたにしてもクラブはファンがいなければ成り立たないし、自らの名声のために戦っていたとしてもファンに支持を得られなければ大きな名声は得られない。そもそもプロフットボールはファンがいなければ成り立たないものであり、どんな思想の下、戦っていたとしてもファンたちを避けては通れないのである。

何が言いたいかといえば、選手たちは中立の立場で見ている者を楽しませるためにフットボールを行っているわけではなく、自分たちのファンのために戦っているのだから、ファンたちが楽しみ、喜ぶような戦いをし、そのような結果に終わったのならばどんなフットボールを行おうと許されるのではないか、と私は考えている。

もし内容が退屈であり、ファンたち自身が非難する声を上げるのであれば問題だが、はっきり言って周囲の“部外者”に何と言われようと自分たちが自分たちのフットボールを支持できるのであれば何の問題もない。繰り返すが、クラブはファンのためにある。いくらフットボールが商業化しているとはいえ、この昔から続く根本的思想に疑いの余地はない。


■アンチ・フットボールは排除されるべきか

そしてそもそもレンジャーズは好んでアンチ・フットボールという戦術を取ったのだろうか。いや、そうではないだろう。対戦相手であるフィオレンティーナの戦力や相性を考え、現実的な戦術を選んだといえる。つまりフィオレンティーナの強さをある程度認め、格上ともいえるチームから勝利をもぎ取ろうと必死だったのだ。

私にはこの判断を批判することはできない。むしろ潔い、清清しい判断ではないか。極端な話、マンチェスター・Uと3部リーグのチームが対戦するとき、後者はじっと耐えて数少ない得点機をうかがうしか強敵に勝利する術はない。しかしながらジャイアントキリングを夢見て、希望を持って戦っているのだ。もちろん、彼らのファンもこれを理解している。決して、彼らはフットボールを放棄しているのではない。つまり、こういった戦術を“アンチ・フットボール”と非難することは、力の劣るクラブに「おとなしくくたばれ」と言っているようなものなのである。この方が“アンチ・フットボール”と叫ばれているものより、よほど不健康ではないか。


確かに細かくパスを繋ぎ、攻撃的フットボールでファンを魅了する“理想的”フットボールは見ていて面白いかもしれない。だからと言って、そのようなフットボールだけが“理想”とされ、守備的なフットボールが非難されることは好ましい現象だとは思わない。今回、レンジャーズはファンのために戦い、その姿をファンは誇りに思っている。それだけで十分ではないか。

アンチ・フットボール。このように叫ぶことこそ、本来のフットボールの本質から逸脱した、本当のアンチ・フットボールなのである。


※フットボールの好みは個人個人で変わってくると思います。ここでは“一般的に”考えられるアンチ・フットボール、あるいは理想的フットボールを定義として考えているため、この辺りに関する突っ込みはNGでお願い申し上げます。

posted by so-ma |18:34 | 渾身コラム | コメント(38) | トラックバック(0)
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