2007年12月17日
My football life
■始まりはあの日から… Jリーグの開幕と三浦知良がサッカーというスポーツを教えてくれた。ドーハで日本がイランにやれた日、学校の教科書やテレビの教育番組からは決して学ぶことの出来ない愛国心と、何よりの悲しさを味わった。マレーシアでサウジアラビアに勝った日、前園真聖の目から“信念”を学び、マイヤミでは奇跡を目にした。 そんな少年がイングランドに心を奪われたのは2002年のことだった。 初めて彼らを目にしたのはおそらく98年だろう。ただその記憶はもはや忘却の彼方だ。オーウェンのセンセーショナルなゴールもベッカムとシメオネの因縁も後に目にした後付の記憶でしかない。曖昧だが覚えているのはフランスワールドカップが終わった後のこと。当時、幸運にも自宅には広まり始めていたケーブル・テレビがあり、スポーツ専門チャンネルで週1試合放送されていたプレミアシップを欠かさず見ていたこと。だからクラスメイトが誰も知らなかったシェイ・ギブン(彼はアイリッシュだが)やJ・コールが私のアイドルになったのだろう。必然的にイングランドにも親近感を持つようになり、日韓大会を迎えることとなる。 決定打となったのはアルゼンチン戦だった。後に村上龍氏は「あの試合を目にし、イングランドのサッカーが好きではなくなった」とどこかのコラムで書いているが、私は逆だった。真逆もいいところだった。 決してコンディションの万全ではなかったオーウェンのドリブルに興奮し、98年の借りを返して見せたベッカムのPKに心臓が高鳴った。そして、アルゼンチンの猛攻から、4年の時を越えたベッカムの魂が奪った虎の子の1点を守っている時間が永遠のように感じられた。 残り30分、時計は時を刻むという自らに課せられた唯一の仕事を放棄してしまったようだった。おそらく腕時計もテレビ画面の隅に映っているデジタル時計も皆、ボイコットだかストライキだかに入ってしまったのだろう。(ああ!なんてことだ!!)多くのイングランドファンがそうであったように、私もまた緊張の連続に疲弊し、手に汗握り、灰になりかけていたし、もはや天命を待つしか手立てはなかった。そんな長く辛くひもじい時間が続いたのだ。 しかしようやくスト(彼らが要求しているものが何かは分からないが、今でもと時々ストは起こる。もちろんフットボールを観ている時だ)が終焉を迎えた時の感情の爆発と理性の喪失、そして極上の安堵感といったらたまらない。 それらの科学的結合要因を解説できるほどの理系的知識を持ち合わせてはいないが、自分の中に何か抑えることのできない激烈な感情が生まれたことは確かだった。つまりこれがイングランドへの愛(よく“恋に落ちた”という表現が使われるがこの場合“恋”ではなく“愛”だと思う。子どもが産まれた時、彼らに恋する父親はいない。両親が持つのは我が子への愛だ)であり、後に渡英を果たす私の原動力になった唯一無比のエネルギーだった。 ■なぜ英国に行かなければならなかったのか? 人間には選ぶ権利がある。少年時代に少年らしいことをせずに(つまり、目の前にボールやテレビゲームがあってもそれを見過ごし、机に姿勢を正し、腰をかけ、分厚い教科書を片手に、因数分解や英単語の暗記に励むこと。当然僕には無理だった)、私立中学、名門高校、一流大学へ行き、大手企業に就職するのも、ゲームセンターでタバコを吸い、女を従え、すれ違う善良な一般市民たちにガンを飛ばすのも自由だ。 そして人間の思想とは実に不可解であり、不安定であり、時に不条理ですらある。相対性理論の“相”も理解していないのにアインシュタインを崇めたり、歴史の教科書に載っていたというだけで織田信長を尊敬したりする(彼らの多くは信長の宗教弾圧が日本における宗教戦争の撲滅に繋がったことを知らない。彼らが知っているのは“鳴かぬなら殺してしまえホトトギス”だけだ)。ヒットばかりの野球はつまらないと言う者がイチローを敬愛し、バリー・ボンズを嫌っていようともなんら不思議ではない。 私もまた自由を与えられた人間のひとりだ。つまりロック・ミュージックを聴かず、ピアスの穴を開けていない人を殴ったこともない読書好きな青年がフットボールを見にイングランドまで訪れようとも取り立てておかしなことではない。フットボールを死ぬほど愛し、意中にはウエストハムがあり、今こうして英国へ来てしまったこともまたしかり。 ただ、九州や大阪にすら行ったことのない青二才が異国の地(北はスコットランドのエディンバラ、南はポーツマス、サウサンプトンまで)をひとりで歩き回るという行動は日常的なものではない。友人の多くは(2,3年後嫌でも働かなければならないというのに)アルバイトに精を出し、酒とタバコに酔い、就職活動に歩き回っているというのに。 こちらの方が20前後の男にとってはよほど健全で実用的な行動だということも重々承知している。アントン・ファーディナンドの巧みなポジショニングを見なくともアルバイト経験があれば就職してからも自分の居場所を見つけるに苦労はしないだろうし、ベルバトフのテクニックに酔っている間に企業説明会へ行ったほうがよほどためになることなのだろう。 しかしそれらの日常的な生活は私の望むものではなかった。私は金子達仁氏がメキシコ・ワールドカップやスペインである種の世界的フットボール感を体感したことを心から羨ましく思うし、テレビ中継の技術が飛躍的に向上した現代においても後藤氏のスタンスはフットボールの原点を忘れない素敵なものだと思う。そしてニック・ホーンビィがそうであったように私もまたフットボールのスケジュール表が生活の中心にある(残念なことに友人との飲み会や親戚の懇談会は二の次だ。馬鹿騒ぎや世間話に付き合うのも悪くないが、一方でハマーズの勝利やジェラードの強烈なミドルシュートを見逃すことなど耐えられない。例えそれがテレビの向こうの世界だったとしても。パートナーがこんな私を理解ある目で見てくれているは本当に幸いなことである)。 だから人間に与えられた権利を最大限に活用しない手はないと思った。軽挙妄動ではない。異国の地での日々は多事多難なものになるかもしれない。ただひとつ言えることは実践躬行しなければ何も始まらないということである。そのようなわけで英国へ足を踏み入れた。今回は旅行ではなく、約1年間、フットボールの国での生活を満喫するために。
posted by so-ma |23:46 |
■渾身コラム |
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