2007年07月10日

日本代表についての見解(後編)

■的外れなオシム批判に対する反論

・千葉枠について

このような議論が持ち上がることすら、わたしにとっては疑問でならない。監督の思想を理解し、体現できる選手がいるのであれば、その選手はピックアップされてしかるべきだろう。例えばリバプールのベニテス監督はイングランドの地にスペイン人を呼び寄せている。チェルシーのモウリーニョ監督はポルト時代の戦友をスタンフォード・ブリッジに招いている。だが彼らは友達をピクニックに誘う感覚で、選手を選んでいるわけではない。

新監督に就任するに辺り、全くのゼロからチームを立ち上げるのと予め自分のスタイルを理解した血をチームへ組み込むことのどちらが賢明な選択だろうか。わたしだったら間違いなく後者のやり方を選択する。監督が信頼を寄せている選手がいるのなら彼らに手伝ってもらわない手はない。

またこれはオシムチルドレンのためだけの措置ではない。オシムイズムを理解した“ピッチ上の監督”の存在はチームへの戦術浸透度を飛躍的に向上させる。千葉の選手が有利になる選考なのではなく、日本を強くするためにオシムは選考を行っている。

それに千葉の選手たちが咎められるほどレベルが低いとは思えない。皆さんは生で羽生直剛の動きを見たことがあるだろうか?わたしはあれほどフリーランニングの上手い日本人プレイヤーを知らない。世界的に見てもあれほどピッチを駆け回り、相手選手を釣れ、チームの血液循環をスムーズにしてくれる選手は少ないのではないか。ポジション、役割は違うがある意味DFラインの裏をひたすら狙い続けるフィリッポ・インザーギのような選手だ。確かに基本技術は高くないがフリーランニングの少ない日本において、必要な選手であることは明らかである。

終了間際の決定機にしてもあの時間にあの動きができたのは羽生が羽生であったからだ。他の選手は止まっていたが彼だけは労を惜しまず足を動かし続けていた。決定機を外したことは咎められても仕方ないが、どうして決定機が生まれたのかを考え直すべきである。

水野にしてもドリブルで勝負でき、あれだけ精度の高いクロスを上げられる選手がJにいるだろうか。水本ぐらい若くして、人に強くアグレッシブな守備を展開できるDFがいるだろうか。個人的に山岸は苦手だが、彼にしても選考されるだけの基準はある。

千葉枠?そんなもの選ばれた選手の能力・特徴ではなく、紙に書かれた所属クラブを見ただけの幼稚な茶々に過ぎない。


・激怒した記者会見

これについては、次の試合以降を見なければ判断できないがひとつ言えることはまず彼が怒った意味を考えなければならない。単純な印象としては「大人気ない」と映るかもしれないが、彼の怒りには意味がある。

選手に発破をかけ危機感を煽り、次節に備える。マスコミへの警戒・警告でもあるだろう。自分がどれだけ怒っているかを伝えて、ファンたちの楽観ムードを取り払う意味もあるかもしれない。

もちろんメンタル的な効果を期待しているだけに、表面的な効果を窺うことは難しいが、無意味に怒っていたのか意味を持った怒りだったのかは次節以降の内容で明らかになるだろう。また、ひとつひとつの行動、発言を考えていくことで彼のパフォーマンス(?)は意味をなすのである。


■警戒すべきオシムの言葉

最後に、これだけオシム監督を擁護する趣旨の発言をしておいてなんだが、わたしは特別オシム信者というわけではない。日本のことを想い、責任感の強い同監督が日本にとって必要な人材ではあることに疑いの余地はないが我々は正しい判断を行わなければならない。島国精神、言い換えれば外国人恐怖症の日本人は多く、外国人の発言を必要以上に重要視してしまう傾向にあるように思う。

例えばわたしがよく例に挙げているのは中田英寿さんとオシムの言葉である。

なぜオシムの言葉は語録として記録されるのに、中田英寿の発言は“単なる変わり者のたわごと”“協調性のない自分勝手な意見”としか片付けられていたのだろうか。なぜオシムの“質問の意味が分からない。何が聞きたいのですか?”はマスコミの質問のレベルの低さが問題視されるのに、中田英寿の“ちゃんと話し聞いてます?”には「生意気だ」と反発があるのだろうか。

同じような問題点を独特の表現方法で周囲へ伝えようとする辺りは2人とも変わらないのに、なぜボスニア・ヘルツェコビナから来た白人の意見には共感が集まり、世界を知っている日本人の発言には耳を傾けないのか。

こういう現象を見るに、問題の本質を見抜けない日本人が増えているような気がしてならない。わたし自身、見抜けているかどうかは分からないが、常に本質を探そうと意識している。しかし世間では意識すらしない人も増えているのではないか。

オシムの言葉であっても全てを重要視する必要はないし、それを聞き分けられる耳を持たなければならない。逆に日本人の発言であろうとも彼らが発しようとしている問題の本質を見抜かなければならない。

そんなことを意識して日本代表やJリーグを見ていけば、サッカーファンの底辺は底上げされていくのではないかと思う。

posted by so-ma |16:06 | ■日本代表 | コメント(37) | トラックバック(0)
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2007年07月10日

日本代表についての見解(前編)

カタール戦で引き分け、日本代表はまずまずのスタートを切った…とわたしは判断しているが当然世間では様々な議論がなされている。皆、日本の勝利を信じて疑わなかったのだろう。引き分けを憂う者、選手個人を批判する者、あるいはオシムへの不信感を露にするものetc…。

ただいずれの主張にも共通して言えることは“長期的な視野の欠如”であると思う。ゆえに説得力に欠ける主張が多い。言い換えれば、偉そうなことを書いている割に“ポッと出の感情論”ばかりといった印象なのである。前回書いた「日本代表 ~教訓を得た価値ある初戦~」のコメント欄で、この問題点を指摘する方が多かったのが証拠といえるだろう。

わたしとしては、ある程度前回のコラムを支持していただいたことに感謝すると同時に、多くの感情論ブログと同様に扱われぬよう、日本代表に対する見解を改めて記しておく必要性を感じた。よって簡単にではあるが、日本代表について、筆を…ではなくキーボードを走らせたいと思う。


■日本の方向性は合っているのか

まずわたしは基本的に長期的なヴィジョンを持たない指揮官やプランが苦手である。口では目標を語るものの、やっていることが伴っていない人物はなおさら。例えば日本代表の前任者であるジーコはこれに当たる。彼のチーム作りはチーム作りと呼べるものではなかった。ブラジル的自由主義はただの放任主義であって、少なくとも日本のスタイルではない。案の定、チームはその場凌ぎを繰り返し、一貫性のないパフォーマンスを修正しようとせず、あるいは修正できるだけの技量を持っていなかったジーコのチームを見ているのは苦痛ですらあった。

オーストラリアに敗れた際、戦前から分かりきっていたハンデである「フィジカルの差」という理由を挙げていたのだから呆れてしまう。監督というのはその差を埋めるためにチームを作らなければならないのに…。敗れたのは全て選手のせいといわんばかりのコメントも残しているのだから絶句である。

そういった側面においてオシム監督はどうなのか。結論から言えばわたしは彼のプランニング、チーム作りを支持している。

  • W杯での躍進を意識した逆算的チーム作り
  • 日本人にフィットしたサッカーの確立
  • チャレンジ

彼の頭には常にこの3つがあるのだろう。コンセプトが明確で、日本人らしいチームを作ろうとしている一方で、変に日本風に染まることなく自らのスタイルを貫き通している辺りはさすがといえる。選手に刺激を与え、ファンに考えさせ、あれだけマスコミに強く物事を訴えられる監督は日本において珍しい。そして彼のやり方が世界のスタンダードなのだから、多くの側面において勉強になる。日本代表チームとしてではなく、ファン、マスコミも含めた国力の成長に繋がっているのではないか。日進月歩進化していると、わたしは信じて疑わない。

「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」

このような言葉があるわけだが、わたしはまさにこれだと思っている。今、小さな恥(=引き分けや負け)を気にしてどうするのか。日本はサッカーにおいては発展途上国である。様々な側面を学び、未来の栄光に向けて今のうちに多くの恥をかいておくべきだ。

オシムは目の前の勝利よりその先にある大きな成果を得るため戦っている。日本人である我々が恥じることを気にしてどうするのか。プロフェッサーは必死だ。本気だ。我々も臆することなく、学んでいくべきである。


■今一度振り返るカタール戦

概ね前回の記事で書いた考えで変わりはない。日本の方向性は間違っていないと思うし、過ごしてきた日々の経験は着実に積み上げられてきている。もちろんあまりにもまずい状況に陥った際には決断を下さなければならないが、今がその時期ではないのは明らかである。

今回はコメント欄にあった気になる議論や疑問について書いていきたい。


・遠藤、中村俊輔の併用について

これに関してはまだ見守る段階だと考えている。パスを回しすぎたのは彼らの思考によるところが大きかったとはいえ、ドリブルでアクセントをつける役割を担っていた山岸があまり仕掛けられなかったこと、サイドバックのオーバーラップが少なかったことなど上手く機能しなかった要因は他にもある。(逆にはまったシーンは素晴らしい攻撃となった。そう、得点シーンを演出したのは今野のオーバーラップである。)

それに何度か上手く行きそうな場面も見られた。コンビネーション不足から微妙なズレが生じたが、改善できるレベルの問題であるため、次節に期待したい。

個人的な意見としては羽生か水野を俊輔のポジション(右サイド)に入れ、俊輔、遠藤、憲剛のうち2人をチョイスしてトップ下とボランチに配置してみても面白いと思うが。


・試合運びについて

繰り返しになるが初戦だっとということや現地の環境、ピッチコンディションなどを総合して考えるとあのような試合運びになるのは致し方ないことでだったように思う。むしろ高温多湿に慣れているカタールの選手たちに運動量で劣らなかったのだから収穫といってもいい。

ただ勝負どころや畳み掛けるべき場面でのプレースピードの変更の必要性は感じた。ギアの切り替え、といった方が分かりやすいだろうか。90分通して走り続けていては体力が続かないが、勝負どころの5分10分、あるいは1プレーぐらいテンポを変えなければ決定的な場面を作ることは難しい。相手にトドメを刺すことができれば残り時間をより楽な形で送れた可能性もあった。

昨日はリズムがほとんど一定だった。羽生が入ったことによりやや活性化はしたが劇的な変化までとはいかず。勝負どころを察知する力や実行に移すことのできる力がほしいところ。次節以降は経験豊富な中村俊輔辺りにこのリーダーの役割を期待したい。

(続く)

posted by so-ma |13:02 | ■日本代表 | コメント(11) | トラックバック(0)
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2007年07月10日

日本代表についての見解(予告編)

こんにちは。課題をやらずに代表戦を見てブログなど書いていたがゆえにこんな時間までレポート作成を行う羽目になったso-maです。

この度はわたしの予想を上回る反響と、コメント欄での議論が展開されていて、嬉しいと共に若干混乱および困惑しているところです。明日は普通に移籍情報や欧州サッカー関連のコラムを書こうかと思っていたものの、もはやこの状況を無視できる状況ではなくなりましたので。また、ひとり一人にコメントを返すのがわたしのモットーですが、今や難しい状況になっているようです。

そのため、近いうちにわたしの日本代表に対する見解および、オマーン戦総括、そして次節へ向けた課題などを新しい記事としてアップしようと思うのでしばしお待ちください。また大変恐縮ではありますが、触れてほしいことや質問等ありましたら、受け付けています。未熟なわたしの考えでよろしければ記事に書きたいと思いますので。

アップした際には、皆さんのご意見をお聞かせいただくと共に、議論の場ができるよう期待しています。(もちろん、日本代表 ~教訓を得た価値ある初戦~のコメント欄での議論は続けていただいて構いません。モラルとマナーを守った上でよろしくお願いします。)

posted by so-ma |03:55 | ■日本代表 | コメント(3) | トラックバック(0)
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