2007年07月08日
フットボールはハイテク化すべきか?
■Premier League in Hawk-Eye trials (From BBC SPORT) 以前から問題になっていた判定に関して、気になる記事があった。クリケットやテニスなどですでに導入されている手法をプレミアシップが検討しているというのだ。 ハイテク技術の導入。貴方はどう考えるだろうか?まずはわたしが以前書いたコラムを紹介し、わたしの考えを表明したいと思う。(コラムはビデオ判定についてのものです。)
フットボールは常に進化している。それは戦略面であり、戦術面であり、選手個人の能力であり…。しかし、そんな中、最も重要であるにもかかわらず、進化の過程で置き去りになってしまった事項がある。それが「判定」だ。 昔からこの問題は騒がれていたが、特に近年、(フットボールの商業化が進んだことが関係あるかは定かではないが)その勢いは加速しつつある。 例えばプレミアシップの例を取り上げてみよう。後に大きな問題となった04-05シーズン、マンチェスター・U対トッテナム・ホットスパーズの一戦。スパーズのカウンターからペドロ・メンデスが放ったロングシュートをGKキャロルが処理を誤り、ゴールラインを1m近く割った。しかし、カウンターであったため、審判の対応が間に合わず、ゴールは認められなかったのである。このため試合後、両監督は「ビデオ判定の導入」を強く訴えた。 勝ち点をみすみす奪われてしまったスパーズからすれば、審判を批判するのは当然であり、それは仕方のないことである。救われたマンチェスター・Uにしても“明日はわが身”だ。このような判定により勝ち点を失い、結果的に優勝、あるいは残留を逃すクラブは後を絶えない。クラブの財政にとってもこれは大きな問題であり、多くの人間が気に懸けていることである しかし、両監督の言うように、「ビデオ判定の導入」を行ったほうが良いのかというと、一概にそうはいえない。むしろ、私はこれに反対である。確かに現場からしてみれば、自分、あるいはクラブの身体がかかった問題であり、絶対にミスは許せないというのが心情だろう。むしろ当然の主張だといえる。 だが、1試合に審判はどれほどの笛を吹くだろうか?チャージング、ハンド、オフサイドetc…。微妙な判定であれば(そうでなくとも)、必ずどちらか不利になるチームは、審判に抗議を申し入れる。もし、そのたびにビデオでのチェックを行っていたら、試合はどうなってしまうのか。ビデオ判定を行えば、ああ、なるほど、ジャッジは平等になり、ミスは激減するだろう。しかし、試合の「流れ」はいったいどうなってしまうのだ? サッカーの最大の魅力、それは「流れ」であるとわたしは思う。試合の流れ、ボールの流れ、選手の流れ……。いろいろな流れがあるが、もしビデオ判定が導入されれば1試合中に流れが中断する回数は増え、試合自体の魅力は失われてしまう。試合への救済案が、逆に試合を壊す結果となってしまってはどうしようもない。それこそ、今騒がれているファン離れが急速に進むに他ならない。 それにサッカーは採点競技ではない。人が行い、人が人の目で人を裁くことが、最も有意義であるとわたしは思う。経済的に、審判を増やす、あるいは全員をプロの審判に…などということは現実、難しい。しかし、それにしても、やはりジャッジを下すのは審判本人の目であることが好ましい。 審判は現在、疑いや批判の矛先を向けられる一方だが、選手および審判がお互いを信頼し、尊重しあってこそ、スポーツであり、そこがプロフェッショナルな場所であることを信じたい。そして、そうなってくれることを望む。さすれば、このような問題など鎮圧化するであろうことだからだ。きれい事かもしれない。しかしきれい事の実現ほど、理想的で喜ばしいことはない。それに理想を追求してこそフットボールは魅力的な競技となっていくのではないだろうか。 もう一度言う。フットボールの試合をハイテク技術を駆使して裁くことに、わたしは反対である。
いかがだろうか。考え方としてはほとんど変わっていない。現段階ではボールがゴールを割ったか否かなどについての導入を検討している段階ではある。しかしながら、この風潮は徐々に拡張していく可能性がある。上記したビデオ判定導入への流れが加速し、直接的にゴールにかかわるプレー…例えばPA内でのファールやオフサイド判定のために時間が割かれ…といった具合に。 “流れ”を重要視するわたしのような多くのフットボールファンにとってこれは耐え難いことである。ビデオ判定の導入により、クリケットの試合がどのように変化したか、変化してしまったか彼らは知っているはずだ。 フットボールはもともと労働者階級のスポーツであり、元来アナログ的な気質が似合っている。例えばロスタイムなどという曖昧な判定があるからこそ、フットボールは深みを増し、よりエキサイティングな展開を生むのに、ハイテク技術を駆使しインプレーとアウトオブプレーを完全に分離して考えてしまえば魅力的要素は消え去ってしまう。何よりこれは非日常的で現実とかけ離れた無理のある空間だ。 別にバスケットボールを批判するわけではないが、試合終了時間が秒単位で明確に表示され、しかも5秒前でも試合が止まれば時計は動かない、といった状況はロスタイムの面白みを知っている人間からすると物足りなさを感じてしまう。戦略的思考の強い者がみれば面白いのかもしれないが、わたしは試合終了5秒前なのにもかかわらず、時計が進まないことをいいことにダラダラ動くプレイヤーを見ているのは目に耐えない。 終了時間が分からないから必死に動き、必死に考えるからこそ、その時間は感慨深いものになるのではないのか。それがつまり、人生というものではないのか。 あくまでも好みの問題ではあるが、ハイテクを駆使しすぎてはスポーツ本来が持つ魅力を半減させてしまうとわたしは考えている。FAの伝統はどこへやら。クラブチームの経営者にアメリカ人が増えたがために、アメリカ的思考を取り入れてしまうのだろうか。もう一度言うがフットボールは元来アナログ的な競技であり、そのフットボールを生み出した国はイングランドだ。 フットボールがアナログ的側面を失ったとき、あるいは投げ捨てたとき。 その時こそ、フットボールの死ぬ時である。 フットボールのハイテク化。わたしは危惧してしかるべきだと警告を鳴らしたい。
posted by so-ma |22:13 |
■渾身コラム |
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