2009年11月08日

■マテウスやシェバは悲劇のヒーローで、川崎はスポーツ界の面汚しらしい 【プレミアF】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091104-00000026-spn-socc

確かに川崎の行為は褒められたものではない。見本にすべきものでも当然ない。 

ただ、正直な事を言うと、この騒動はいまいちピンとこない。 

記憶が正しければ、欧州CLやオリンピックにおいて、このような光景を見ることは少なくなかった。何より、決勝戦や4年に1度のチャンスにすべてをかけて臨んだ選手にとって敗戦という結果は失望以外の何物でもないだろう。 

百歩譲って、力を出し切っての敗戦であれば準優勝という敗北直後の表彰にも笑顔でこたえられるかもしれない。しかし、力が出し切れない、または出し切ったとしても実力不足に愕然とした場合はどうだろうか。 

川崎の場合、間違いなく後者である。彼らはある程度自分たちの形で試合を進められたものの、あっさりと米本に先制ゴールを献上し、焦りからか単調な攻撃が目立った。結果的に平山にも得点を許し、完封負け。自分たちのサッカーができなかった。さらにこれが初めての決勝ならいいが、川崎は何度も決勝へ進出するものの優勝まで手が届かないという事態が続いている。Jリーグでも上位争いを演じるものの2位どまり。 

フロンターレというのはそういった背景を持つクラブなのだ。 

だからなんだと言われればそれまでである。それでも凛とした態度で表彰式に参加するべきだったという意見ももっともだ。 

だが夢破れてた直後に上を向いて歩けるほど人間とは強いものだろうか。私はそう思わない。全力を出しつくした直後くらい、人間の素直な感情を爆発させてしかるべきだと思う。(それでもガムは、まずいが。) 
フロンターレの態度に批判的な皆様が、夢破れてもすぐに笑顔で起き上がれる清く正しく美しい方々なのだとしたら、おっしゃっていることはごもっともだけれども。

でもひとつだけいいたいのは、サッカーとは実に人間的なスポーツなのですよ。私はフロンターレの“素直な”態度も、ある程度は仕方ないと思う。(もちろん全てが許されるわけではないし、繰り返しになるが、ガムは弁解の余地がないと思うけれど。)


そして何よりも考えるべきはこの“事件”とされる出来事に対する世間の反応である。 

9割方、川崎を非難し、Jリーグ側の意見を支持する意見であると認識しているが、なんというか……みんな軸がなさすぎるんじゃないのかな、と思ってしまう。 

1999年欧州チャンピオンズリーグ決勝、カンプノウで行われたバイエルン対マンチェスター・Uの試合は、ユナイテッドが1点ビハインドで迎えた後半ロスタイムに2点をあげ、勝利するという歴史に残るハイライトであった。 

後半終了間際、勝利を確信してベンチに退いたローター・マテイスはピッチ上での出来事に愕然とし、呆然と焦点の合わない視線を宙に向けていた。彼は後に行われた表彰式という“処刑台”で、首に掛けられたメダルを何のためらいもなく外した。 

だがこの光景を見てマテウスを非難する者はいただろうか。少なくとも僕の記憶にはない。彼は今でも“悲劇のヒーロー”として皆の記憶の中にいる。 

あるいは2005年のCL決勝、リバプールに悪夢の逆転負けを喫したミランのほとんどの選手は、メダルを受け取ると同時に首へと手を動かし、首からぶら下がるべき準優勝の証をむしり取った。 

文化が違う、シチュエーションが違う、国の外のお話、日本人はこうするびき、といわれればそれまでだ。ただ見る側としてもプレイする側、負けた側を尊重して一貫して意見すべきではないかと思う。 マテウスやシェバには同情して、フロンターレの選手たちを否定しているような方がいなければよいのだが、現実は必ずしもそうとはいえないだろう。

CLとナビスコカップのグレードの違いを指摘する人間がいるとしたらそれこそスポンサーや大会に対して失礼にあたるだろう。何より、日本サッカー界3大タイトルのひとつであるヤマザキナビスコカップの制覇を夢みて何が悪い。 

私は別に外国びいきをしているわけではなくて、自分の意見には一貫性を持つべきだと思うし、それは国境をまたげば変わる話ではないと思う。海外のことだろうと国内のことであろうと同じ尺度で考えるべきではないのだろうか。(私が間違っているんですかね。)

川崎を非難する人たちにミラニスタやスカウサーを自称する者たちがいるはずはないと思うが、もしいたとしたら私は問いかけてみたい。両者の違いを。 

同様にマラドーナを敬愛する人たちが、なぜのりぴーを非難するのか。海外のロックバンドのメンバーが薬やるのが当たり前なのに、なぜ日本人がすると躍起になって迫害しようとするのか。 

何度も言うが別に海外がいい、日本がいいって話ではないし、じゃあ日本人もそういう態度をとるべきだとか薬をやっていいって話では絶対にない。 

ただ、もし日本で準優勝のメダルを外すことがマナー違反と叫ぶならば、海外におけるそれもまた非難すべきだろうし、日本で薬をやる人を批判するのならば海外で薬をやる人も非難すべきだし、軽蔑すべきだと思う。 

自らの軸がはっきりあってフロンターレを批判するのならいいだろう。逆もまたしかり。だが同じことをしているにもかかわらず、対象の人、モノが変わっただけで自分の意見まで変えてしまうのは、あまり素敵な思考とは言えないのではないだろうか。


ってずっと思ってるんだけど、なかなかこういう意見ってきっとマイノリティなんだろうな。。。 

そんな謎が多い、今日この頃。

posted by so-ma |01:51 | ■渾身コラム | コメント(20) | トラックバック(0)
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2009年10月04日

■アラン・ワイリーはしっかりロスタイムを取るべきだった 【プレミアF】

 マンチェスターユナイテッド×サンダーランドは、ユナイテッドがロスタイムに劇的な同点ゴールを挙げて、ホームでの敗戦を逃れた。 

 しかしこの試合で最も注目を集めたのは、ユナイテッドが同点に追いつくといういつもの光景ではなく、ロスタイムの長さだったように思う。前節のマンチェスターダービーのロスタイムの長さにより、ユナイテッドが「負けている時はロスタイムが長い」との議論が再燃したからだ。 

 結果的に、サンダーランド戦ではロスタイム表示が「4分」で、アランワイリーが終了のホイッスルを吹いたのは94分4秒だった。表示通りの終了時間となったわけだが、前節の結果を受けて、神経質になっている印象が色濃く残る判定となった。 

 様々な意見があるだろう。しかし僕は、アラン・ワイリーはしっかりロスタイムを取るべきだったと思う。 

 対シティ戦、表示されたロスタイムは4分だったが試合が終了したのは97分だった。確かにロスタイムが7分も取られることは珍しい。だが僕はこの判定は極めて妥当だったと思う。表示が4分だったとはいえ、ロスタイムに2点が生まれれば時間が延びるのは当然であるし、実際詳細に時間を計ってもオーウェンのゴールは時間内ということが証明されている。レフェリーの判定は間違っていなかったのだ。 

 だからこそ、サンダーランド戦が重要だった。この試合は彼らの権威が試される試合だったのだから。 

 にもかかわらず、この、僕が最もプレミアで信頼しているレフェリーは、ロスタイムにゴールが生まれたにもかかわらず、ゴールによって生まれたロスタイムを加味せずに終了のホイッスルを吹いた。 

 ある意味、世間的には公平な判定だったのかもしれない。 

 だが、今回のホイッスルによって、彼らは彼ら自身の手によって審判の権威を落としてしまったと僕は思う。世論、マスコミに簡単に流され、自身の頑固さ、アイデンティティともいえる融通の利かなさや揺るぐことの許されないレフェリーという権威を、看板を、自らの手によって下ろしてしまった。 

 それが残念でならない。 

 ハンドボールを見逃したり、不当なイエローカードを与えたりと、周囲からの信頼を失いつつある審判だが、このフットボールという曖昧で難解で実に適当なスポーツを裁くことの許された唯一の人物は、今なお尊敬されるべき立場にあると思うし、彼らの仕事の難しさをより理解していかなければならないと思う。 

 心情としては権威ある者たちが犯すミスを認めたくないというのが人間だろうし、倫理的にもそうだろう。しかし人間なのだからミスはあるものだ。医者が、警察が、レフェリーがミスを起こすことは「犯罪である」という主張は、権威への期待であると同時に、権威を恐れる者たちの自己防衛の手段であり、権威へ依存する者たちのエゴであり、権威をもつ者も人間だという根本的事実を忘れてしまった者の怠慢ですらあると思う。 

 だが試合のロスタイムに関しては、明らかにレフェリー自身の手で裁くことのできる範疇にあった問題だった。選手たちの入り乱れるPA内でのファールを見逃すことはあっても、自らの腕に巻かれた時計の針を見逃すことはないだろう。あってはならない。 

 しかしながらサンダーランド戦の判定により、彼らは弱さを露呈した。新たな議論をよぶだろう。「ブラックキャッツ戦ではロスタイムを取らなかったのに、なぜシティ戦では本来のロスタイム表示より長かったのか」「シティ戦ではロスタイムを長く取ったのになぜ今回はゴール分を含まなかったのか」。そう言われても仕方ない判定を下してしまったのだ。 

 試合の長さを正確に計らないということは即ち、時間という不変なものすら変えてしまう意図、雑念、負のオーラに侵されたということである。 

 それが、本当に心から、残念でならない。 

 これでは、彼らの権威は落ちる一方である。もし権威を取り戻したいのならば、より厳格なルールを持ってピッチへ上るか、世論やマスコミと対話する姿勢を示さなければならないだろう。 

 なにはともあれ、これからの世間の反応に、注目していきたい。

posted by so-ma |10:59 | ■渾身コラム | コメント(4) | トラックバック(0)
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2009年06月07日

■日本サッカー12年の歩み ~日本×ウズベキスタン~ 【プレミアF】

■Uzbekistan 0-1 Japan

今回の結果における感想はさまざまなものがあるだろう。

アウェイの劣悪な環境の中つかんだ切符に対する歓喜。W杯ベスト4を目指すには物足りない内容に対する怒り。レフェリングも含めて不可解な点が多かった“アジアの試合”に対する呆れ。どれも正直な感想だと思う。どちらにしても、もちろん試合から教訓を得て反省するのは必要だ。しかし長く厳しい戦いが終わり一区切りついた今、少しは浮かれても許されるのではないだろうか。

そんな私の正直な感想は、ホッとしているといったところだろうか。


私にとって今回の予選は、過去を見返しても“最も熱くなれない予選”だった。

理由は大きく分けて2つ。信頼と、経験である。

岡田監督が目標としているW杯ベスト4に値する強さかは別として、アジアにおける日本の位置づけはトップ、控え目に言ってもトップクラスだと思う。個々のレベルの高さはもちろんのこと、過去3度W杯に出場している経験、監督の技量etc…。トライアルのキリンカップでのパフォーマンスは、もちろん課題も多かったが十分に及第点を与えられるものだった。何より相手の強行日程や無気力を差し引いても、同じ条件でチリとベルギーに内容的にも数字の面でも勝利を収められる国が他にいくつあるだろうか。

W杯で勝てるかはまだわからない。しかしアジアを勝ち抜くだけの実力は備わっている。もちろん厳しい戦いになるだろうが、最終予選とはどんな時でもどんな地域でもどんなレベルでも死闘が繰り広げられるもの。死闘を制すための経験と実力を日本は持っている。

これが日本に対する“私なりの”正当な評価だった。“信頼”と言い換えることができる類の評価である。


そして日本がW杯に出場するための条件が、難しいものではなかったゆえに、「なんだかんだで出場できるだろう」との楽観があったのも事実だと思う。そして多くのファンの方も同様の思いだったのではないだろうか。

私のW杯への戦いは1993年から始まった。当時、日本はまだW杯へ出場したことがなかった。実力が明らかに劣っていたわけではないが、韓国や中東勢に比べて勝った経験がなかった。そして当時、アジアに与えられた出場枠はわずかに2。本当に厳しい戦いだったのだ。結局日本は最後の最後で出場権を逃す。世にいう“ドーハの悲劇”である。しかし4年後、迎えたフランスW杯予選も同様に厳しい戦いだったが、第3代表決定戦にてイランに競り勝ち、“ジョホールバルの歓喜”を演じた。2002年には自国開催のW杯を経験し、2006年ドイツへの道も勝ち抜いてみせた。

もちろん、今回の予選も厳しかった。特にこの試合では、息の詰まる思いをされた方も多かっただろう。しかし選手たちには、監督には、そして少なくない我々ファンには勝った経験があった。アジアを勝ち抜いた経験があった。

自信と経験。

つい12年前、W杯は文字通り夢舞台だった。日本人は誰一人としてW杯のピッチに立ったことはなかったし、W杯に出場することが最大の目標だった。クライマックスの舞台はフランスではなく、ジョホールバルにあった。

しかし、12年経った今、決して過信や慢心ではなく、我々は自信と経験という2つの大きな武器を持っている。W杯に出場することが目標と語っていた指揮官は、W杯でベスト4に入ると豪語している。我々が期待するクライマックスの舞台は、ウズベキスタンではなく、南アフリカにある。

これは間違いなく進歩であり、素晴らしいことだと思う。

それがわかったことが、私は何よりもうれしかった。だから今回は、大喜びするわけでもなく、怒りをあらわにするわけでもなく、日本が“順当に”夢舞台への切符を手にしたことに、ただただホッとしている。


さて、本当の闘いはこれから。

アジアで勝てることは十分わかった。だから喜びもほどほどに、来年の本番に目を向けよう。

世界で戦える自信を、世界に勝った経験を、是非とも手にするために。本大会で熱くなろうではないか。

posted by so-ma |23:19 | ■日本代表 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2009年05月15日

■正義と悪の間 ~チェルシーvsバルセロナで見えてきたもの~ 【プレミアF】

何が面白くて何がつまらないのか。

何がエキサイティングで何が退屈なのか。

攻撃的思考が英雄の条件なのか。守備的思考が弱者の証なのか。

何が正義で何が悪なのか。


改めて考えさせられる試合が、スタンフォードブリッジにはあった。


■疑いのない最高の対決

2009年5月6日、ロンドン・スタンフォードブリッジで行われたチェルシー対バルセロナの試合はイニエスタの劇的ゴールによって幕を閉じた。スタジアムは海を渡ってきた熱狂的なソシオたちが集まる一部を除き、沈黙に包まれ、ロンドンは怒りに満ちた夜を迎えることとなる。

良い意味でも悪い意味でも見どころの多いゲームであったことは間違いない。

世界最高といっても過言ではない技術が結集されたバルセロナの攻撃はもはや芸術と呼べる域に達している。そしてこの日対峙したオランダ人監督の英知が集められた戦術と最高の選手たちによる守備もまた、感動すら覚えるレベルのものであった。

前者にたった1本のショッツオンターゲットも許さず、後者の思惑通りに進んだ90分はある種の美しさを帯びた完全なる作品と思えた。そして前者の執念が生み出したアディショナルタイムでのゴールもまたドラマティックこの上ないものだった。

選手個々を見てもそう。ランパードの執念とJTの闘争心は感動に値した。先制点をあげて以降も止まらないエッシェンの運動量や、2年前バルセロナでヒーローだったベレッチの相変わらずの上手さは驚嘆する以外になかった。しかし彼らをも上回ったバルセロナの恐ろしいほどの冷静さとイニエスタの輝きには文句のつけどころのない美しさがあった。

試合のレベル、展開、そして選手たちの想い。どれをとっても最高の試合だったことに疑いの余地はない。


■浮上する残念な事実

しかしながら残念なことは、この歴史的激戦が試合以外の、本質とは違うところに話題を持っていかれてしまったところである。

チェルシー側の主張によれば少なくとも5度PKを見逃されており、バルセロナによればアビダルの与えられたレッドカードは明らかに不公平なものだった。確かに5回は言いすぎだとしても2度(特にピケのハンド)はPKが与えられてもおかしくなかったように思う。同じように、アネルカがあのまま抜け出していればほぼ確実にチェルシーのスコアボードが「2」に変わっていたとはいえ、あの接触で退場を宣告されることは納得しがたいことだろう。

ゆえに「レフェリーに勝ちを盗まれた」「最低のジャッジだった」といった類の論調が多く、信憑性は別にして“死の宣告”まで飛び出す始末だ。

気持ちはわかる。私自身、昨シーズンの準決勝第2レグを同じスタンフォードブリッジで観戦し、決勝進出の歓喜を味わった人間である。イニエスタのゴールに絶望を感じ、チェルシーの敗戦に心底落胆している。間違いを犯したレフェリーはバッシングされてしかるべきであり、レベルアップを促すに痛み・批判は必要不可欠な要素だ。だからレフェリーに関しては議論していくべきだと思っている。


■美しさを謳う、美しくない論調

前置きが長くなってしまったが、最も残念なのは、一部のファンの反応である。

「正義が勝った」
「弱者の戦術」
「あんな守備的なサッカーをするチームは負けて当然」

バルセロナを“正義”と称し、あたかもチェルシーを“悪”かのように語る論調がいかに多いことか…。言い換えれば、攻撃が正義で守備が悪ということなのだろう。

確かにバルセロナの攻撃は魅力的である。ショートパスを何本もつなぎ、華麗なドリブルで相手を切り裂きゴールを奪うスタイルは(スタイルの異なる)マンチェスター・Uと並び、世界でも随一だろう。だがそれが果たして正義なのか。準々決勝でバイエルンを5対1と一蹴し、誰にも止めることができないと考えられていたバルセロナの攻撃を180分「0」に抑えた守備は“悪”なのか。

否である。

ショートパスを繋ぐ攻撃を美しいと思う者がいれば、ロングボールと肉弾戦こそサッカーだと考える者もいる。そしてもちろん、相手をゼロに抑える守備の美学は存在し、感動を覚える者もいる。

事実私は、世間では凡戦といわれているカンプノウでの第1戦ほど素晴らしいと感じた試合は今期他になかった。A・コールやリッキーが不在で不安要素の多くある中、チェルシーはあのバルセロナを敵地で「0」に抑えたのだから。一般的に攻撃的なチームが強者、守備的な戦術を用いるチームは弱者と見られがちだが、このゲームに関してはバルセロナの攻撃がチェルシーの守備に“屈した”のだ。熟考された戦術と選手たちの決意、体現する彼らの想いには感動を覚えたほどである。

楽しい、つまらないといった感情は各人間の感性の問題であり、議論すること自体意味をなさない。しかしだからこそ、その感性を尊重しなければならないのではないだろうか。

バルセロナには攻撃に長けた選手がおり、自分たちのスタイルを貫く戦術をとった。
チェルシーは守備に長けた選手がおり、柔軟性を生かし最善の方法として守備を用いた。

どちらもあっぱれ。どちらも素晴らしい。どちらが正義でも、どちらが悪でもない。お互いが精いっぱいに、ピッチの上で戦っている。

ただ、それだけでいいのではないだろうか。

スタイルの違いがあるからこそサッカーは面白い。仮にすべてのチームが攻撃的だったら面白いのだろうか。私はそうは思わない。攻撃的なチームがあり、守備的なチームがある。守備的なチームがあるからこそ、攻撃的なチームがリスペクトされる。リスペクトされる攻撃的チームを完封することで、守備的なチームにリスペクトが集まる。

サッカーとはそういうものだ。



結果的にバルセロナは決勝に進み、チェルシーは敗れた。
スペインでは歓声が上がり、ロンドンは沈黙した。

そう、忘れてはならないのだ。

この日のピッチにあったのは正義と悪の戦いでもなんでもなく
純粋に勝利を目指した男たちのボールの蹴り合い。

ただそれだけである。

posted by so-ma |00:47 | ■渾身コラム | コメント(25) | トラックバック(1)
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2008年08月24日

■アーセナル、フラムに屈す 【プレミアF】

Fulham 1-0 Arsenal

Fulham: Schwarzer, Pantsil, Hughes, Hangeland, Kallio, Davies, Bullard, Murphy, Gera, Zamora, Ki-Hyeon. (Teymourian, Dempsey, Baird.)
Subs Not Used: Stockdale, Nevland, Stoor, Milsom, 

Goals: Hangeland 21. 

Arsenal: Almunia, Sagna, Toure, Gallas, Clichy, Walcott, Eboue, Denilson, Nasri, Adebayor, Van Persie. (Song Billong, Bendtner, )
Subs Not Used: Fabianski, Ramsey, Wilshere, Djourou, Gibbs. 

Att: 25,276 

今期、初のロンドンダービー(といってもプレミアだけで5つのクラブがあるロンドンのしかも場所も離れたクラブというだけあって、普通のダービーほどライバル意識の燃え滾ったものではないのだが…)にアーセナルを迎えたフラム。戦前は苦戦を予想する声が多数を締めていたが、蓋を開けてみれば意外な結果が待っていた。

前半、いつものように主導権を握りたかったアーセナルだったがセスクの欠場やCHが本職でないエブエがセンターに入ったことにより、ガナーズ特有のパスサッカーを展開するには至らなかった。それどころか、地味だが実力の確かなフラムの中盤が主導権闘争に勝り、ポゼッションでもアーセナルを上回る。するとCKからハンゲランドが先制ゴールを上げ、ホームのフラムが1点を先制した。

なんとか挽回したいアーセナルだったが後半も流れが大きく変わることはなく、フラムの激しいチェックを掻い潜るべく悪戦苦闘することに。好転する気配のない流れを変えるべく、ウォルコットに代えてベントナーを、トゥレに代えてソングを投入したが、個人の力で打開を図り、セットプレーを獲得することが精一杯だった。フラムはカウンターを図る一方で、最後まで守備のバランスと集中力を欠くことなく、虎の子の1点を守り切ることに成功。アーセナルは結局、最後まで本来の流れるようなパスワークを披露することはできず、シーズン第2節にして早くも1敗目を喫することとなった。逆にホームであるクレイブン・コテージの主は、大きな大きなシーズン初白星を難敵ガナーズから勝ち取ったのである。


やはり今シーズンのフラムは一味違う。開幕戦でハル・シティーに敗れたときはどうなることかと思ったが第2節でアーセナルを破ってしまったのだから。(なぜ私がフラムを押すのかに関してはこちらを参考にしてほしい。)

前線で体を張り基点を作りながら、アーセナルの統制の取れていない最終ラインの裏を狙うボビー・ザモラと、その傍らを走り回る伏兵ソルギヒョンの2トップは文字通りガナーズの守備陣をかき回した。中盤の構成はゾルタン・ゲラ、ダニー・マーフィー、ジミー・ブラード、そしてサイモン・ディヴィス。なんという渋さ。円熟味の増した4人のパス回しは時にアーセナルのお家芸に匹敵するほどの素早さとイマジネーションをみせた。そして最後まで集中力を失わなかった守備陣は、ノースロンドンに本拠地を構えるこの赤いクラブを完封して見せた。

アーセナルの柱であるセスク・ファブレガスの欠場や開幕して間もないこと、4バックは昨シーズンのレギュラーメンバーだったとはいえ、トゥレは今期初出場で統制を取りきれなかったことなど、いくつかのエクスキューズを用意することは出来る。

ただ、昨シーズン、ギリギリで残留を果たしたチームがビッグ4の一角を破るということはそれだけで快挙といえるだろう。ハル・シティー戦では左サイドバックに入ったポール・コンチェスキーの致命的なミスにより最後に勝点を落としたが、この勝利で悪い流れは一掃されたといっていい。

フラムにとって、この試合の前半が今期の理想といえる。ポゼッション・パス・サッカーを基調とするアーセナルを相手に、ポゼッションで上回ってみせた。フラムの中盤の構成力の高さが窺える結果である。彼らを基盤に、中盤の闘争で相手を勝ることが出来ればストライカー陣にチャンスは広がり、得意のセットプレーは脅威となることだろう。まだたった2節。ただされど2節、である。今期黒星でスタートしたフラムのシーズンは、そう暗いものになるわけでもなさそうだ。


一方のアーセナルにとっては厳しい結果となってしまった。昨シーズンは3つしか喫していない黒星を早くも対戦表に刻まなければならないのだから。

もともと“攻撃は最大の防御”との考えのもとに構成されているアーセナルの守備陣だけに、基本的な守備力は決して高くない。全盛期のガナーズであれば圧倒的なポゼッションを誇り、相手のカウンターで例え裏を取られようとも身体能力の高いスプリントできるディフェンダーがカバーできていた。だが大前提ともいえる攻撃面の長所を発揮できないとなると、このような結果になってしまうわけだ。

前節のWBA戦は相手の寄せの甘さに助けられ支配力を上げることは出来たが、この日のフラムくらいタイトに来られると現在のガナーズでは厳しいものがあるのだろう。なにせ本職ではないエブエがCHとして名を連ねているほどなのだから。また、守備面では前回のミラー同様、ザモラを押さえつけることが出来ず、フラムに主導権を握られるに至った。

つまり、攻守においてセスク・ファブレガスの不在は予想以上に痛手なのである。打開策…といわれてもセスクの代わりなどいない。デニウソンやエブエの急成長をいきなり望むことも酷といえる。この2戦、全く何もしていないウォルコットがもう少し仕事をすれば変わってくるのだろうが、いきなり覚醒するとも思えない。まずはリーダーであるセスクが復帰するまで、じっと耐えるくらいしかないのではないか。

そのセスクはCL予備予選で復帰するとの情報が流れている。はたして若きリーダーはガナーズを歩むべき道へと導くことが出来るのだろうか。注目である。

posted by so-ma |08:44 | ■08-09 英国フットボール | コメント(0) | トラックバック(1)
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