2008年06月20日

ユーロの風景(スウェーデン編)

昨日、スウェーデンの首都・ストックホルムを仕事で訪れた。何人かのスウェーデン人の方々と幾つかのミーティングを持ち、それらが終わる度に、私は出席者の人々と握手をしながら、別れ際に一言、彼らに言い残す事を意識していた。

「今晩の試合は、スウェーデンのみなさんにとって、大事な試合になりますね。グッド・ラック!」

人間とは、つくづく面白い生き物だと思う。それまで難しい仕事の話を難しい顔で聞いていた人達が、この一言で満面の笑みを浮かべ、青い目をキラキラと輝かせ、声に張りが出て言葉も弾み、音程も半オクターブは高くなる。

「まだ試合開始まで6時間以上ありますが、今晩のロシアとの試合の事を考えるだけで、(両手で左胸を押さえながら)ほら、心臓がもう、こんなにドキドキしています。」

この日、私には、スウェーデンの人達に配慮する余裕があった。「死のグループ」でダントツの勢いを見せたオランダと、決定的なPKを失敗したルーマニアのエース、ムトゥと、土壇場で運に見放されたフランスのお陰で。ストックホルムで仕事をする前日、我がイタリアは、土俵際で何とか踏み止まってくれた。どう踏み止まったか、という事は、私にとってはさほど重要ではない。踏み止まった、という事実だけが、この日の私には重要だったようだ。それにしても、イタリアは、いつになったら、ソファーの上で寝そべりながら、頬杖をついて見られるチームになってくれるのだろうか。イタリアがオランダに負けるのは30年ぶり。イタリアが90分でフランスに勝ったのも、30年ぶり。30年前、78年アルゼンチンW杯の時のイタリアが頭の中で蘇る。個人的には、あのイタリアの方が、今のイタリアよりもはるかに魅力的なサッカーをやっていたと思うが、アッズーリは、昔も、今も、私にとって、アッズーリだ。日本代表以外にも、この世でもう1チーム、どんな時でも夢中になれる代表チームがある事を、私は神様に感謝している。

しかし、昨晩のロシア対スウェーデン戦の結果を受けて、昨日の昼間にストックホルムで出会った人達は今、どうしているのだろう、と思うと、少々胸が痛む。熱狂の後の「静寂」を、私も何度かミラノで体験した事があるが、あの「静寂」の中で、凹んだ己と向き合いながら、普段の自分を取り戻す、というのは、辛い。とても辛い。ストックホルムという、この時期、日照時間がとても長くなる北欧の美しい街を、今頃、包み込んでいるであろう、白夜の中に染み込む白い闇のような「静寂」の風景を想像してみる。こういう時は、ただただ素直に、誰もが子供のように純粋に、悔しさを噛み締めながらも、これまで自身の中に、街中に、国中に宿っていた「熱狂」を、まるでブラックホールのように跡形もなく呑み込み始める「静寂」の前では、人々は降伏するしかないのだろうか、と、考え込む。たかが、サッカー。されど、サッカーなのだ。2002年日韓W杯で日本がトルコに負けた時も、2006年ドイツW杯で日本がグループステージで姿を消した時も、日本中の人々は熱狂から醒め、落胆した。だが、この「静寂」が日本中を包み込む事はなかった。この「静寂」が東京や大阪を、日本列島そのものを支配する日は、訪れるのだろうか。そうなれば、真の「熱狂」もまた、そこに在るはずなのだが。

「お祭り」。私は、誰もが楽しめる催事、イベントを、つい、想起してしまうが、ユーロは、そんな、サッカーの「お祭り」とは違う。「サッカーの祭典」等と気安く呼べるようなものではない。欧州の歴史は、国家間や民族間、宗教間や思想間の因縁や怨恨や血痕が、長い時間の流れの中で、積もり積もって堆積し、それでいて、それぞれの国が、民族が、宗教が、思想が、有機的に関係しあいながら、今日に至っている歴史だ。その、複雑で多様な堆積物によって形成された大地の上で、今、ユーロの本大会は行われている。これもまた、れっきとした欧州の歴史の一部分だ。W杯本大会と比べると、ユーロ本大会には、スポーツとしてのサッカーの枠内には収まりきれない、割り切れない、ヨーロッパならではの、何とも形容しがたい「わだかまり」のようなものが、どんな対戦カードにも潜んでいる。甘くて見栄えも良くて美味しいが、長い、長い時間のゆったりとした流れが熟成した、ほんのりとビターな味が、実は旨味を引き立ててくれる洋菓子の詰め合わせのような、そんなところが、私が感じている、W杯本大会には無い、ユーロ本大会の魅力なのかもしれない。

勝った方には「熱狂」が待っている。そして、負けた方には「静寂」が待っている。それも、国、国家単位で。欧州の人々は、「静寂」を嫌い、恐れる。静けさが嫌な訳ではない。自分の心臓の鼓動が聞こえなくなってしまう程、自身の中が「静寂」に支配されてしまう事を、彼らは極端に恐れる。まるで、本当の「死」を恐れるかのように。

The winner takes it all 
The looser standing small 
Beside the victory That's her destiny ...

(スウェーデンが生んだ男女4人グループ、 1970年代半ばから80年代初頭にかけて世界を舞台に大活躍したアバの名曲、The winner takes it allより)

今朝、車で通勤中にカーステレオから交通情報の合間に流れてきた曲だが、スウェーデンのラジオ局には、この曲を電波に乗せて欲しくない。せめて、あと3日ぐらいは。

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2008年06月05日

モゥリーニョの所信表明

今回はあまり気が進まない、邪道な投稿です(Eurosport、6月4日付けWEB記事(伊語)の意訳です)。でも、面白い内容だったので、皆様にご紹介します。


私がスペシャルだって?いや、インテルがスペシャルなんだよ

モゥリーニョのアッピアーノ・ジェンティーレでの初の記者会見は、終始、流暢なイタリア語による「モゥリーニョ・ショー」と相成った。

「私を、モゥリーニョ、と、呼んで頂きたい。とてもスペシャルなクラブに来た。私自身、偉大な監督であると思っているが、でも、私は常に「私」だ。私の高いモチベーションは、変らぬままだ。そして、それは、私の大好きなこの仕事に反映されて行く。イタリアで監督になる事を以前から望んでいた。そして、インテルはその機会を与えてくれた。マルコ(ブランカ氏、インテルのテクニカル・ディレクター)をはじめ、私をここに望んでくれた全ての人達に感謝したい。」

こうして、モゥリーニョは「スペシャル・ワン」という呼称を、いきなり返上した。スペシャルなのはインテルだけ、という事を強調しながら。

モゥリーニョのイタリア語はとても流暢で、会場の記者達に、英語、ポルトガル語で質問をしないよう、促していた。

「モラッティ会長が私に何と言ったか・・・ね。私は彼に「モゥリーニョであれ」と言われた。つまり、労を惜しまず徹底的に仕事に尽力し、チームの目標、クラブ、ファン達と「結婚」する人間であれ、という事だ。私は、ロベルト(マンチーニ氏)という、私自身も大変リスペクトしている人物の後を任された。私は彼とは違う。彼とはやり方が違う。でも、これが、私の新しい挑戦だ。今から、やらなければならない事はたくさんある。選手達とは、良い、表裏の無いフランクな関係を築きたいと願っている。多くの仕事を皆でしっかりとこなして行く事でのみ、良い結果は得られる。そして、私は、私のやり方、方法論に、自信を持っている。」

モゥリーニョは、これに、インテルからコンタクトを受けた時の裏話も少し付け加えた。

「インテルと私が初めて話をしたのは、インテルがリヴァプールに敗れてチャンピオンズ・リーグから敗退したその翌日の事だった。あの頃は、まだ何も決まっていなかったが、とりあえず、私はイタリア語の勉強を始めた。」

今後のチーム編成の話に質問が移ると、モゥリーニョは、このテーマでも、かなり明確な考えを持っている事を披露した。

「美味しいオムレツを作る為には、良質の卵がいる。現在のインテルの「卵」達の質は、どうだろう?新しい卵は必要か?私は、21人の選手達+3人のゴールキーパー達と仕事がしたい。でも、新聞を読んでいると、選手達は皆、インテルに来たがっていて、クラブ経営者達は皆、インテルに自分の選手達を売りたがっているような事が書いてあるが、そんな事はない。既存のメンバーを抜本的に見直す必要はない。インテルの選手達は皆、素晴らしい選手達だ。インテルがさらに良くなる為には、2、3人程度の補強で十分。そこから先は、私がチーム(チームの哲学)を変えて行く事になる。私があたかもヨーロッパ中から優秀な選手達を集めようとしているような事が報道されているようだが、それは真実ではない。インテルのゲームを、私は数多く見て来た。このチームのメンタリティーは好きだし、このグループを、私は信頼している。7月14日の「始動日」が待ち遠しい。一刻も早く選手達と共に仕事にとりかかりたいので、すぐにでも始動したい。」

ビッグイヤー獲得、チャンピオンズ・リーグ優勝が、来シーズンの目標の中に入って来るインテル。ここでも、モゥリーニョは言葉を選ばなかった。

「チャンピオンズ・リーグ優勝は、誰もが夢見る事だ。私の考えでは、11チーム(イタリア3チーム、イギリス4チーム、スペイン3チーム、ドイツ1チーム)が、このタイトルを来シーズン、狙ってくると思う。私はチャンピオンズ・リーグを「ディテールのコンペティション」と呼んでいる。繊細なディテールの部分が、違いを生み、勝負を決める。ポルトでは、マンチェスター・ユナイテッドを相手に、試合終了間際の得点で勝った。だが、チェルシーでは、2度も、このディテールの部分によってチャンピオンズ・リーグから敗退する事になった。私はチャンピオンズ・リーグで一度優勝し、二度、準決勝まで駒を進めている。チャンピオンズ・リーグとは、相性は悪くないと思うし、それをチームに伝える自信と経験はある。私は欧州各地で様々なサッカー経験を積んできているので、それらを私の選手達に教えられる。チャンピオンズ・リーグは、「ディテールのコンペティション」であると同時に、「異なる文化が競い合うコンペティション」でもあるのだ。」

モゥリーニョは、この記者会見で、笑いをとる事も忘れていなかったようだ。「チェルシーからエッシェンとランパードを獲るのか?」という記者からの質問に答えなかったモゥリーニョに(彼は、チェルシーの選手達に絡んだ質問には「ノーコメント」を貫いていた)、あるイギリス人記者が、同様の質問を続けざまにした時の、モゥリーニョの返答は、会場に集まった記者達や関係者達の爆笑を誘った。

「どうして、またチェルシーの選手達に関する質問をするのか?」
「答えを頂けなかった前の方の質問を、もう一度繰り返すのは、賢いやり方だと思いますが。」
「そうかもしれないが、私はそんなにアホではないぞ。」

問題児・アドリアーノについては、「まずは直接この目で見てみてから」という慎重な姿勢の中に、期待と信頼を示唆する意志も垣間見れた。

「アルゼンチン、ブラジルには、私の選手達を視察する為にも、そして、アドリアーノを直接観る為にも、足を運ぶつもりだ。アドリアーノがインテルに復帰する事を望んでいるのは、私も知っているが、まずは彼と話さなければならない。その後で、一緒に決めたいと思う。」

「インテルは、いい感じで、今シーズン、セリエA優勝を成し遂げた。今シーズン前半のインテルは良かったが、シーズン最後の数ヶ月間は調子を落とした。でも、チームの結束力がスクデット獲得にインテルを導いたと思う。2、3人の新しい選手達を加えて、私はインテルの新しい時代を創って行きたい。このチームは、すでに強力だ。私は、メディアには、(欲しい)選手達の名前は絶対に明かさない。マルコ(ブランカ氏)とモラッティ会長は、私が誰を欲しがっているか、良く解っている。だが、彼らは、私が、結果に対して柔軟に対応出来る人間である事も知っている。彼らからの朗報を待ちたいと思う。私はただ、私のアイデアをインテルに持ち込むだけだ。そのアイデアは、当然ながら、ロベルト(マンチーニ氏)のそれとは違う。私は強くて、表裏の無いフランクな選手達との絆を望んでいる。私は自分に、自分のやり方に自信がある。だから、現時点で、もう、すでに、「このチームは世界最強のチームである」と言い切る事が出来る。もっと小さなチームの監督をしていた頃に言っていた事だ。インテルに対しても、今、言えないことはないだろう。」


以上、モゥリーニョの所信表明でした。    《意訳、sinfonia/黒青鬼》

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2008年06月03日

マンチョの名誉

1997年の今頃だっただろうか。ラツィオのエリクソン監督(当時)のラブコールに応えて、彼が長い間在籍していたサンプドリアを去ったその翌日に発刊されたジェノバのローカル紙には、サンプドリアのファンやジェノバ市民に対する、彼からの感謝のメッセージが大きく掲載されていた。そういう粋な事が出来る男が、自身の社会的イメージに配慮する事を忘れない男が、この度、インテルからあっさりと解任された。その彼は今、彼の弁護士を通じて、インテルを名誉毀損で訴えようとしている。

彼の名誉とは何だったのか。

マンチーニはあと4年、2012年までインテルとの契約期間が残っている。マンチーニが黙ってインテルを去ったとしても、インテルは契約が切れるまで巨額の給料(毎年600万ユーロ×4年間)をマンチーニに支払わなければならない。

それでも、マンチーニは名誉にこだわる。きっと、カネだけでは割り切れない、世界中で、ロベルト・マンチーニにしかわからない、守るべき何かがあるのだろう。


2004-05シーズン: コッパ・イタリア(イタリア杯)優勝

2005-06シーズン: (カルチョポリ・スキャンダルの勃発により)セリエA繰上げ優勝、コッパ・イタリア(イタリア杯)優勝、イタリア・スーパーカップ優勝

2006-07シーズン: セリエA優勝、イタリア・スーパーカップ優勝

2007-08シーズン: セリエA優勝

3年連続でも、2年連続でも、どちらでも良いが、今シーズン、マンチーニのインテルはセリエA連覇を達成。彼のこの4年間のインテルでの功績は、監督としては60年代半ばに欧州最強、世界最強だったグランデ・インテルを率いた「魔術師」、HH(エレーニオ・エレーラ)に次ぐ功績である。18年間もイタリア・チャンピオンの座から遠ざかっていたミラノの「悲しい半分」の方の市民に歓喜と開放をもたらした功績の大きさは、例えようが無い。カルチョポリ・スキャンダルというアブノーマルなエピソードが大きく関係したとはいえ、長い間、頭が上がらなかったライバル、ミランとユヴェントスに対する我々インテリスタ達の精神的優位性を取り戻してくれたインテル(精神的健全性はまだ取り戻せていないが・・・)。マンチーニのインテルの4年間は、ミニ黄金時代であったと言っても過言ではない。

この数々の成功への道のりは、マンチーニにとって、決して簡単な道のりではなかった。たとえ、インテルというクラブが金に糸目をつけない、セリエA屈指の資金力にバックアップされたクラブであっても。否、彼のコミットメントの対象がインテルというクラブであったからこそ、他のクラブでは簡単に済む事も極めて難しくなってしまう局面に遭遇した事も、多々あったはずだ。

彼は、ピッチの上ではインテルと敵対する相手のチームと、ロッカールームでは世界屈指のスーパースター達一人一人のパンパンに膨らんだ自意識と、そして、インテルのフロントの実権を握るオーナーのマッシモ・モラッティ会長と、常に戦わなければならなかった。これほど孤独な仕事が、他にインテルにあっただろうか。マンチーニが袖をまくって、自身がラツィオから引っ張ってきたミハイロビッチやヴェロン、スタンコビッチと共にインテルで自分のサッカーをやってみようと試みたのは、彼がインテルの監督に就任して迎えた最初のシーズンだけだったような気がする。それ以降の彼は、モラッティ会長の思惑通りのサッカーに合わせるような采配へと変化していったように思える。それにつけ込むかのように、常に全試合スタメン・フル出場を望む選手達からは非難され、そんな選手達を懸命になだめ続け、また、特に今シーズンは度重なる主力選手達の故障によって開いた「穴」を何とかやりくりして埋め続け、チームドクターと故障した選手達の戦列復帰の時期を巡って対立し、彼は次第にインテルの中で孤立して行った。孤立する事が、彼のプライドを守る唯一の方法だったのかもしれない。

そんな中でも、あのモラッティ会長との均衡を取り続けたマンチーニだが、一見紳士的でインテルの選手や監督やファン達に慈悲深いモラッティ会長の、節操の無い、仁義と信頼を欠いた、結局最後は全てカネで解決してしまう数々の不条理な行動に、彼も耐えなければならなかった。2005-06年シーズン、モラッティ会長が現イングランド代表監督で、当時ユヴェントスの監督だったカペッロとシーズン中にコンタクトを取り、2006-07年シーズンからのインテルの監督はカペッロに決まりかけていた話は有名だ(この話は、カルチョポリ・スキャンダルの勃発によって実現しなかったが)。そして、今シーズンもモラッティ会長はシーズン中にモゥリーニョとコンタクトをとっては、ポスト・マンチーニの最有力候補としてモゥリーニョ招聘に、かなり前から動いていた。モゥリーニョはもう5ヶ月も前からイタリア語の勉強をしているそうだ。明日、アッピアーノ・ジェンティーレで予定されているインテル監督就任発表の席上で、「スペシャル・ワン」は流暢なイタリア語で所信表明をする事になるだろう。また、モウリーニョは、自分のスタッフを早々と北イタリアにあるインテルの夏季練習場に送り込み、こっそりと設備を視察させている。

こうした不憫な一連の動きがマンチーニの耳に届いていなかったはずは無い。それが、あの3月11日のCLリヴァプール戦の後の記者会見の席上での爆弾発言につながったのではないだろうか。

「私は、今シーズン限りで、インテルの監督を辞任する。」

あれは、孤独と重責と背信に耐え切れなくなった男の、堪忍袋の緒が切れた瞬間だったのではないだろうか。あれは、彼の、彼なりの、理不尽なインテルのフロントに対する、精一杯の抵抗だったのではないだろうか。

このマンチーニの監督辞任騒動はマンチーニ自身によって撤回され、インテルのフロントも今シーズンの終盤にさしかかる前までは「来シーズンもマンチーニで行く。彼との契約は2012年まで残っている」と、マスコミの前では主張し続けていた。だが、マンチーニ解任の空気は、この頃にはイタリアのマスコミも嗅ぎつけており、インテリスタ達の間でも噂されるようになっていた。モラッティ会長も、インテルが負けたミラノ・ダービーの直後辺りから、「マンチーニとはシーズン終了後、一度会ってじっくり話し合い、お互いを確かめ合う必要がある」と、それまでの「来シーズンもマンチーニで行く」というスタンスとは違うニュアンスを、言葉を選びながらマスコミに伝え始めている。「マンチーニ、解任か?!」という憶測は今シーズン終了間際になって、イタリアの新聞やテレビで大々的に取り上げられるようになったが、それも最終節にまでもつれ込んだ今シーズンのスクデット争いやローマ対インテルのコッパ・イタリアの決勝戦等もあって、白黒はっきりしない状態が数日前まで続いていた。

ところが、皮肉にも、数日前、マンチーニとモラッティ会長の短い会談が数回行われた後、あのリヴァプール戦直後のマンチーニの爆弾発言を、インテルのフロントは、マンチーニ解任という結論にクラブが至った大義名分として位置付け、それを公表してしまった。「人道的にはこのクラブの決定をマンチーニに伝えなければならなかった事は残念だ。離縁とは辛いものだ。勝者としてインテルを去る事が、マンチーニにとっても、一番良いと思う。この4年間、マンチーニは良くやってくれたと思う」と、味気ないモラッティ会長のコメントと共に、ついにインテルはマンチーニ監督の解任を正式に認めた。そして、マンチーニのプライドは踏みにじられた。

私は、インテルで4年間を過ごしたマンチーニを監督として評価していない。否、「評価していない」のではなく、「評価できない」と言った方が正しいかもしれない。考えてみれば、モラッティ・インテルの指揮を執ってきた歴代監督も、自分の中でしっかりと評価出来たためしがないが、特にマンチーニは評価出来ない。インテルの監督のミッションは、他のセリエAのチームの監督のそれとは違う。インテルというクラブは、勝たなければダメ。でも、勝っても、ダメな時はダメなのだ。モラッティ会長に従えば従うほど、選手達の我侭を通せば通すほど、自分のカラーは出せなくなる。そして、責任を取らされるのは、どんな時でも、監督。フロントは絶対に責任を取らない。そんな中でインテルの監督を続ける為には、就任当初はチヤホヤされても、時間の問題で必ず押し寄せてくる【孤独】を背負って、敵、味方を問わず、全方位を相手に戦い続けなければならない。

マンチーニは、それを4年間、常に結果を求められる、インテルならではのプレッシャーに耐えながら、続けてきた。そんなマンチーニに同情する声も少なく無い。「巨額の富をなし、イタリアの経済界に大きな影響力を持つモラッティ財閥は、温室育ちで世間知らずの御曹司、マッシモを財閥の本業である石油関係の事業の重要ポストに就かせる訳には行かず、インテルを彼の玩具として買い与え、何とかモラッティ財閥はこの問題児を本業から遠ざけている、と、ミラノでは囁かれている。玩具は、マッシモ・モラッティの言う通りにならなければ、玩具ではなくなってしまう。インテルの監督は、誰がやっても、気の毒な仕事なんだよ」と、ミラノ在住のあるイタリア人の知人は、数日前に私を諭すように話していた。

マンチーニには、是非、新天地で、インテル時代には制約が多すぎて披露できなかった「マンチーニのサッカー」、「マンチーニが作ったチーム」を披露してもらいたいと思う。彼はまだ若い。まだ、自身の思い描いているサッカーに何度もチャレンジ出来るはずだ。モゥリーニョには、インテルがどんなクラブなのか、その特殊性を事前に十分に理解した上で、モラッティ会長と握手をしてもらいたい。彼がインテルの監督になってから「こんなはずではなかった・・・!」と、頭を抱える展開になるのは、何としても避けて欲しい。インテルは今、イタリアで一番強いチームかもしれないが、同時に、イタリアで一番厄介なクラブである事も、頭の片隅で絶えず理解していて欲しい。いくら「スペシャル・ワン」でも、このインテルを無事に栄光に導く事は簡単ではないはず。一方、モラッティ会長は、モゥリーニョがインテルの監督になったからといって、いきなりビッグイヤーを持ち上げられると思わない方が、モゥリーニョにとっても、チームにとっても、インテリスタ達にとっても良いだろう。ビッグイヤーは、カネだけでは、手に入れることは出来ない。高価で希少価値がある玩具をピッチの上に好きなように並べるだけで勝ち取れるタイトルでは無い。

posted by sinfonia |02:55 | My thoughts | コメント(8) | トラックバック(0)
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