2008年07月13日
これが、あの、【史上最高?!マジャール伝説】か!
この写真のどこにプスカシュがいるのかは良く解らないが、彼はこの中にいるらしい。16歳でデビューした、ホンヴェド・ブダペストの写真か?それとも、18歳でデビューしたハンガリー代表チームの写真か?「プスカシュ」という名前は、当時、マジャール語で「スナイパー(狙撃手)」をも意味した、なんて話も残っている。それだけ、彼の左足から炸裂したミドルシュートは脅威だった、という事か。1950年代最強チーム、Aranycsapat、「黄金のチーム」と呼ばれたあのハンガリー代表チームで83試合に出場、84得点。当時、イタリアのユヴェントスからの破格の100万ドルのオファーをけって、ハンガリー軍のチームだったホンヴェド・ブダペストに残ったという逸話もある。彼自身も軍属だったとか。
これは、あの伝説のイングランドとの試合の時の写真か。とすると、この背番号4番は当時のイングランド代表のキャプテン、ビリー・ライトか。スタジアムはウェンブレー・・・だな。ライトはこの試合の前に記者達に言ったそうな。「ハンガリーのエースってのは、あのポッチャリの事か?」と。そのポッチャリ(プスカシュ)&仲間達に、高慢ちきイングランドがホームでボコボコにされるとも知らずに・・・。この試合、ハンガリー代表の選手達が履いていたスパイクは、踵のくるぶしところが低くなっていて、まるでスリッパを履いているようだった、という記述も見つかった。これを見たライトは、チームメイトの「巨人」モーテンセンに、試合が始まる前に言ったそうだ。「奴らのこの貧しい姿格好から判断して、今日の試合は楽勝だな」と。その、くるぶしの部分が丸出しになる、スリッパのようなスパイクが、ハンガリーの選手達の絶妙なボール・タッチに最適な仕様になっていた事も知らずに・・・。これか!コリバノフさんのフォーメーション図とほとんど同じだ・・・!1953年11月26日。この試合、ハンガリーは6対3でイングランドを撃破、この結果、ハンガリーはサッカーの母国、イングランドにウェンブレーで土をつけた最初のチームになった。この試合でイングランドが放ったシュート数は5本。ハンガリーのシュート数は何と、35本(!)だったそうだ。この後に行われた1954年5月23日のハンガリーでのリターン・マッチでも、イングランドは再びハンガリーに打ちのめされた。この時のスコアは7-1。「ハンガリーはボールを走らせ、イングランドは狂ったようにただひたすらピッチの上を走り回るだけだった」という、この試合に関する記述を読んだ。そうだったんだ。この試合、イングランドの唯一の得点を稼いだブローディスは、試合終了後にこんなコメントを残している。 「試合中、ずっと舌を出して走り回っていたので、舌が日焼けしたよ。」 このハンガリー、52年のヘルシンキオリンピックでは金メダリストに。1950年から1956年までの間、公式戦83試合の中で、負けたのはたったの一度だけ。その一敗が、リメ・カップをあと一歩のところで逃した54年スイスW杯の西ドイツとの決勝戦だった、というから恐ろしい。
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(左上から) 1 - Grosics、2 - Buzánszky、3 - Lantos、4 - Bozsik、 5 - Lóránt、6 - Zakariás、11 - Czibor、8 - Kocsis、 9 - Hidegkuti、10 - Puskàs、7 - Budai II Gusztav Sebes監督 ・・・・早く見てみたい!イングランド対ハンガリーの動画を!
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posted by sinfonia |09:05 |
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この記事に対するコメント一覧
これが、あの、【史上最高?!マジャール伝説】か!
古豪ハンガリーの復活を祈る。
posted by パブリュー | 2008-07-14 14:35
これが、あの、【史上最高?!マジャール伝説】か!
> 「プスカシュ」という名前は、当時、マジャール語で「スナイパー(狙撃手)」をも意味した
そうですか!
エリック・バッティが編纂した「Soccer Coaching: The European Way」の翻訳が、サッカーマガジンに載りましたが、それに含まれたバロティ監督の論考で、「"シューター" フェレンツ・プスカシュや…」という文があります。原書では、単にプスカシュの名前しかなかったので、「?」でした。
狙撃手の意味を乗せたわけですね、うーむ。
貴重な映像を一足先に観戦させてもらい、恐縮です。早く見れるよう、祈念します。
さらに、舌が日焼けする試合も見たいですね。大仕事を終えたハンガリーが、リラックスできた状態になり、ロンドンでの出来以上に流麗なのではと思うと・・・
posted by コリバノフ | 2008-07-15 05:21
はじめまして
こちらのブログ 偶然見つけました。
「紅きダニューブ」 にコメント入れている
sinfoniaさんですね。
「ユーロの風景」
負けた後のその国の様子で
その国のサッカーのレベル分かります。
日本は・・・です。
>早く見てみたい!イングランド対ハンガリーの動画を<
ダウンロード できませんか?
posted by 杉本 | 2008-07-15 07:45
返信:これが、あの、【史上最高?!マジャール伝説】か!
パブリュー様
今のハンガリーとは比べものにならない、物凄いチームだったようですね。「伝説的なチーム」という響きに、私はめっぽう弱いです・笑。
コリバノフ様
申し訳ありません。
でも、特に真ん中の写真を発見した時は、何故か妙に嬉しくて、嬉しくて・・・つい、やってしまいました・笑。
パンの耳を集めてきたような記事になってしまいましたが、少しでも、「!」と思って頂けた「何か」があったのであれば、幸いです。
それにしても、このチーム、イタリアでも、シニアのサッカーマニアの間では、語り草になっているようです。
杉本様
「紅きダニューブ」でのコメントを、いつも楽しく拝読させて頂いております。私も「紅きダニューブ」が大好きです。
動画をダウンロードできないのは、恥ずかしい話ですが、英国の現在の自宅の、前時代的なPCインフラに起因します。高速LANにさっさと変えれば良いのでしょうが、駐在先の借家なので、そこまで気合が入りません・笑。でも、近日中に日本に一時帰国する予定なので、そこでは、必ず見れると思っています。とても、楽しみです。
今後とも宜しくお願い致します。有難うございます。
posted by 筆者 | 2008-07-17 06:53
顔写真!
「伝説」の名手達の顔写真
ありがとうございます。
ゴール場面は 何点目か?
調べてみます。
posted by 杉本 | 2008-07-17 16:39

この写真のどこにプスカシュがいるのかは良く解らないが、彼はこの中にいるらしい。16歳でデビューした、ホンヴェド・ブダペストの写真か?それとも、18歳でデビューしたハンガリー代表チームの写真か?「プスカシュ」という名前は、当時、マジャール語で「スナイパー(狙撃手)」をも意味した、なんて話も残っている。それだけ、彼の左足から炸裂したミドルシュートは脅威だった、という事か。1950年代最強チーム、Aranycsapat、「黄金のチーム」と呼ばれたあのハンガリー代表チームで83試合に出場、84得点。当時、イタリアのユヴェントスからの破格の100万ドルのオファーをけって、ハンガリー軍のチームだったホンヴェド・ブダペストに残ったという逸話もある。彼自身も軍属だったとか。


これか!コリバノフさんのフォーメーション図とほとんど同じだ・・・!1953年11月26日。この試合、ハンガリーは6対3でイングランドを撃破、この結果、ハンガリーはサッカーの母国、イングランドにウェンブレーで土をつけた最初のチームになった。この試合でイングランドが放ったシュート数は5本。ハンガリーのシュート数は何と、35本(!)だったそうだ。この後に行われた1954年5月23日のハンガリーでのリターン・マッチでも、イングランドは再びハンガリーに打ちのめされた。この時のスコアは7-1。「ハンガリーはボールを走らせ、イングランドは狂ったようにただひたすらピッチの上を走り回るだけだった」という、この試合に関する記述を読んだ。そうだったんだ。この試合、イングランドの唯一の得点を稼いだブローディスは、試合終了後にこんなコメントを残している。
「試合中、ずっと舌を出して走り回っていたので、舌が日焼けしたよ。」
このハンガリー、52年のヘルシンキオリンピックでは金メダリストに。1950年から1956年までの間、公式戦83試合の中で、負けたのはたったの一度だけ。その一敗が、リメ・カップをあと一歩のところで逃した54年スイスW杯の西ドイツとの決勝戦だった、というから恐ろしい。










(左上から)
1 - Grosics、2 - Buzánszky、3 - Lantos、4 - Bozsik、
5 - Lóránt、6 - Zakariás、11 - Czibor、8 - Kocsis、
9 - Hidegkuti、10 - Puskàs、7 - Budai II
Gusztav Sebes監督
・・・・早く見てみたい!イングランド対ハンガリーの動画を!

