2009年07月02日
2002年5月。日韓W杯が開催される直前に、ある出版社の編集者から電話がかかってきた。この編集者は、当時私を可愛がってくれていた同じ職場のT先輩の知人で、私も、T先輩から、私の携帯に編集者ご本人から直接電話がかかってくる事を予め聞かされていた。
「実は、今度、日韓W杯の観戦ガイドを作る事になりまして・・・そこで、海外に長期間滞在された事があって、日韓W杯参加主要国のサッカー事情に精通していて、ご自身の体験談を交えながら素朴な目線でW杯開幕に向けてのそれぞれの国の人々の気持ちの昂りみたいなものを、日本の読者に向けて書いてもらえそうなライターの方達を一般人の中から探しています。貴方は長い間、ミラノに住んでいた大のインテルファンであるとT氏から聞いています。《イタリア・サッカー事情》のコーナーを引き受けては頂けないでしょうか?少しではありますが、それなりにお礼はさせて頂きます。」
依頼内容は、確かこんな感じだった。それまでサッカーに関する文章を一度も書いた事が無かった私だったが、妙に張り切っていたT先輩の面子をつぶす訳にも行かず、「出来栄えは保証できない」という事を条件に承諾した。そして、締切日直前の日曜日に近所の喫茶店にこもって書き綴った原稿が、その何週間か後に発行された日韓W杯観戦ガイドに載り、そのガイドは本屋で積み売りされ、私の家にも何部か出版社から郵送されてきた。「とても面白いです」という編集者のメッセージ付きで。あの時は、とにかく恥ずかしくて、恥ずかしくて、なかなかその雑誌をめくる事が出来なかった事を今でもよく覚えている。
その日韓W杯観戦ガイドが、先日、自宅の本棚の隙間から出てきた。7年ぶりの再会だった。危うく捨てる為に仕分した古雑誌の山の中に埋もれさせてしまうところだった。今、読み返しても当時の恥ずかしさがこみ上げてくる、私が生まれて初めて書いたサッカーに関する記事。見方によっては、今の私の文章よりも面白いかもしれない。恥を忍んで、今日はそれをここに紹介してみたい。
《アッズーリが得点した瞬間 街に雄叫びがこだまする》 (注)
イタリア代表は別名「アッズーリ(Azzurri)と呼ばれ、それは「地中海の空と海の色のユニフォームを着た輩たち」を意味する。この素晴らしく粋なナショナル・カラーには、イタリア国民のアドレナリン分泌量を異常値まで高める効能がある。試合前にイタリア国歌が演奏される中、テレビカメラがピッチに一列に並んだアッズーリを映し出す時、子供は歓喜の声を張り上げ、大人の涙線は緩み、老人の呼吸は乱れ、若者は鼻血を噴き出す。息をする、食べる、寝る、XXXする、といった生理現象に「なぜ?」と問いかけるのが無意味であるように、「なぜアッズーリの試合にイタリア人はそんなに興奮するのか?」という問いは、きっと彼らを困惑させるだけだろう。
イタリア人にとってのアッズーリの試合とは、自動的にW杯か欧州選手権の国際試合を指す。昨年11月に埼玉で行われた日本代表との親善試合などは、恐らく多くのイタリア人からは正規の試合としてカウントされていないだろう。現地のマスコミからも、親善試合で入れた5点とW杯予選で入れた1点とでは、後者の方が圧倒的に重く扱われる。W杯や欧州選手権は、4年に一度必ずアッズーリが戦う行事として受け止められ、予選で負けて本大会に出場できない、という事態はイタリア国民の辞書には存在しない。建国以来、一度も世界大戦で勝利をおさめたことがない国であるにもかかわらず、過去3回のW杯制覇の実績に支えられた国民のこの絶大な誇りと自信には、ただ敬意を表するのみである。
アッズーリの試合がある日は、試合開始30分前になると、ローマも、ミラノも、フィレンツェも、ナポリも街が空っぽになる。「今晩はアッズーリの試合があるから」という免罪符を片手に、終業のチャイムが鳴ったとたん、小走りでエレベーターに飛び込むサラリーマンたちの姿は、まるで股間を押さえながらトイレに駆け込む子供たちのようで、見ていて微笑ましいものがある。試合が勤務時間中に行われる時は、大きな会議室にテレビを設置して、社長以下、社員全員で観戦するところもある。こんな時、受付で電話のベルが鳴り響いても、誰一人テレビの前から動こうとする者はいないだろう。アッズーリの試合中に電話をかけてくる方が悪いのである。
アッズーリが得点した瞬間、人々は眉間やこめかみに青筋をたてながら、ライオン顔負けの雄叫びを上げる。家のテレビの前であれ、運転中にカーステレオでラジオ中継を聞いている時であれ、イタリア人はアッズーリのゴールの瞬間、鬼のような形相で両手の拳を天に突きあげて叫ぶ。試合が地球の裏側で行われていても、アッズーリの得点者の叫びにイタリア国民は共鳴する。アルゼンチン大会やアメリカ大会の時は、シーンと静まり返った夜更けに「ゴール!!」の雄叫びが街のあちこちでこだまし、それに驚いた赤ん坊や犬のなき声がしばらく止むことはなかった。どんな時間帯であれ、アッズーリの得点に共鳴する瞬間を、イタリア人は常に待ち望んでいる。私はアッズーリの試合をビデオで録画して後で見るイタリア人の話を聞いた事がない。
過去のアッズーリのプレースタイルを語る時、「カテナッチョ」という言葉がイタリア人の口からよく出てくる。イタリア語で「カテナッチョ」とは「閂(かんぬき)」を意味する。個人技では勝てない強豪を相手にする時に、ゴール前に厚いディフェンス網を張り、相手にボールを持たせながらも得点のチャンスを与えない、悪名高い「通せんぼ」サッカーのことである。ボクシングに例えると、試合開始のゴングが鳴ると同時にガードを固めて相手に無駄なパンチを散々打たせながら時間を潰し、相手が疲れてきた頃を見計らって一気にカウンターで勝負に出るという、姑息かつ極めてしたたかなその戦術は、ソファーに寝そべって頬杖を突きながら観るようには出来ておらず、相手サポーターのブーイングは最後まで鳴り止む事がない。90分間、最悪の場合はPK戦に至るまで、観戦するイタリア人の表情は苦痛に満ちている。いっそのこと、さっさとダウンして観る側を楽にしてもらいたいものだが、始末の悪いことに、諦めムードが充満し始めると、それまで防戦一辺倒であったアッズーリは、相手の一瞬の隙を突いて反撃し、あっという間に相手のゴールにボールが転がり込んでいたりする。これではうかつに試合中にトイレに行くことも出来ない。
94年アメリカ大会の決勝戦を一緒に観ようと私を家に招待してくれたイタリア人の友人は、試合開始直前に名台詞を吐いた。
「私がこの試合で一番心待ちにしているのは、結果がどうであれ、試合終了を告げるホイッスルの音を一刻も早く聞くことだ。決勝戦までアッズーリと付き合うのは本当に疲れるよ。」
いよいよ日韓W杯が幕を開ける。アッズーリには、ぜひ、またイタリア国民を苦しめてもらいたいものだ。決勝戦の日まで。
【完】
(注)この記事のタイトルだけはどうしても思いつかず、原稿を読んでもらった編集者にこのタイトルを付けてもらった。また、本文には、素人の味を活かす為か、出版社の方で、校正は一切入れない方針だったようだ。
原稿を書き終わった時、満足感や達成感のようなものは全く湧いてこず、原稿提出日の期限になんとか間に合った事と、決められていた文字数になんとか到達した事だけを喜んでいたような気がする。記事を書いて生計を立てているプロの記者達の偉大さを噛みしめながら。結局、アッズーリは韓国に敗れてしまったが、私は・・・これでも、よく頑張った方だと思う・笑。
この日韓W杯観戦ガイドには、私のイタリアの記事の他に、やはり一般人で現地のサッカー事情を良くご存じの方達が書かれたフランス、スペイン、ブラジル、ポルトガル、ドイツ、アルゼンチン、イングランドの記事も掲載された。どれも、実に面白い記事だった。
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2009年06月21日
今大会はまだ一度も試合を見ていないコンフェデレーションズ・カップ。でも、このカードだけは、無理をしてでも見届けたい。ブラジル対イタリア。明日、午前3時過ぎの放送に備えて、今日は2時間ほど昼寝をした。否、夕方寝か。この試合は、DVD・ハードディスクレコーダーには録らないと決めている。録画した試合は、どうしても、その価値が半減してしまうような気がしてならない。欧州ではこうしたデジタル録画機は日本ほど売れていないと聞く。常に試合と同じ時間の流れをライヴで共感したがる彼らの人生観が、こうした商品の売り上げにも影響するのだろうか。
今大会でイタリア代表が着用しているユニフォーム。トレードマークの青と比べると、かなり薄い青だ。ナポリのユニフォームをほんの少し濃くした感じのこのユニフォーム。実は、1930年代のイタリアのユニフォームを再現したものだ。イタリア代表の呼称である「アッズーリ」は、色の呼称でもある。青とかブルーと呼ぶには薄く、水色よりも若干濃い、この時代に着られていたユニフォームの色は、イタリア建国時の王室、サヴォイア家(日本ではサヴォイ家とも呼ばれている)の家紋に使われている青色だ。イタリア建国時から第二次大戦の後まで(戦後イタリアが今の共和制に移行するまで)続いたイタリアの王室、サヴォイア家(日本ではサヴォイ家とも呼ばれている)のロイヤル・カラーに使われている色からとったものだ。それが今回のコンフェデレーションズ・カップで再現された。左胸についているイタリアのマークも、従来のものに比べると、少し大きめで、これも1930年代当時の胸のマークのサイズを意識して大きくしたのだそうだ。
(訂正:「アッズーロ(複数形=アッズーリ)」という色はサヴォイア家の家紋に使われている色ではなく、正しくはサヴォイア家を象徴するロイヤル・カラー。サヴォイア家の紋章は赤地に白十字。)
ブラジル対イタリア。過去13度の対戦成績はブラジルの6勝5敗2分け。私の中では82年スペイン大会での対戦が最も大切な対戦だが、歴史の紐を解いてみると、初顔合わせは1938年のW杯フランス大会、マルセイユのスタッド・ベロドロームとある。この時、ヴィットリオ・ポッツォ監督に率いられたアッズーリは、2-1でブラジルに勝利し、これで勢いをつけたイタリアは、映画「勝利への脱出」に登場したパリのコロンブ競技場でハンガリーを4-2で破り、1934年のW杯イタリア大会に続いて2連覇を達成。サヴォイア家のロイヤル・カラーで染められた薄い青色のユニフォームは、この頃は世界最強のユニフォームだった。
それから32年の年月が経ち、1970年、W杯メキシコ大会決勝戦。ペレ、ジェルソン、ジャイルジーニョ、カルロス・アルベルト、リベリーノのブラジルにイタリアは4-1で完敗を喫した。準決勝で西ドイツと演じた死闘の代償は大きかった。イタリアの唯一の得点は、私の幼少時代の憧れの選手でもあった、当時のインテルのセンターフォワード、ボニンセーニャの得点だった。
そして、1978年、W杯アルゼンチン大会、3位決定戦。イタリアは2-1でブラジルに敗れ、大会4位に。決勝点となったディルセウの、右サイドから右足のアウトサイドでボールにシュート回転をかけて放った放物線は、私が見てきた歴代ブラジル-イタリア対決のゴールの中では、今のところ、最も美しい、芸術点の高いゴールだ。
そして、忘れもしない、1982年、7月5日、バルセロナ。W杯スペイン大会。準決勝進出を賭けたこの試合で、イタリアは黄金のカルテットを擁する絶対的な優勝候補・ブラジルを、突然目覚めたパオロ・ロッシのハットトリックで3-2で撃破、大番狂わせを演じた。この勝利で勢いづいたイタリアは、決勝で西ドイツを破り、3度目のワールドチャンピオンに。
時と場所はかわって1994年、7月17日、ロサンゼルス。W杯アメリカ大会決勝戦。両チームは延長戦を終えて、0-0、PK戦に。あれほどPK戦のルールの愚かさを呪った日は無いかも知れない。バレージが外し、マッサーロが外し、そして、ロベルト・バッジョが外した。サッキ監督の腕の中で泣き崩れるバレージの姿があの大会のアッズーリのエピローグになってしまった。この試合では、現在ブラジル代表を率いるドゥンガ監督がキャプテンマークを付けてピッチに立っていた。ロマーリオやベベトと共に。
他にも、1998年W杯フランス大会の前座となった1997年6月のフランス・トーナメントでの対戦(3-3の引き分け)や、今年の2月にロンドンのエミレーツ・スタジアムで行われた親善試合(2-0でブラジル勝利)が記憶に新しいところだが、この対戦カードの音の響き、「ブラジル対イタリア」、又はその逆の「イタリア対ブラジル」は、私にとって、特別な響きであり続ける。さて、今回の対戦は、どんな試合になるのだろうか。美味しいコーヒーを入れて、睡魔との闘いに備える事にする。
試合終了。ブラジル3-イタリア0。イタリアはコンフェデレーションズ・カップ予選で敗退決定。
睡魔との闘いの方は、何とか試合終了のホイッスルが鳴るまで持ちこたえたが、イタリアはブラジルに前半にあっけなく沈められてしまい、そこから再浮上する事は一度もなかった。後半からは、ブラジルは省エネ・デモンストレーション・モードに。全世界に露呈されてしまった両チームの「差」。
【攻めるブラジル、守るイタリア】。これがこの対戦カードの伝統的な構図だが、今回は【攻めるブラジル、全く守れないイタリア】だった。あれほど守れないイタリアは、あまりお目にかかった事がない。カカとマイコンには、被害が広がる前に、しっかり番人をつけて欲しかった。それだけでも、だいぶ変わっていただろうに。
ブラジルは、派手さは無いが、無駄な動きがほとんどない、カカを軸に良く引き締まったチームになったと思う。今までのブラジルと違って、試合が始まるまでは強そうに見えないところがまた良い。あれほど簡単に高品質なカウンターサッカーをやってのけてしまう秘訣は何?
イタリアも、残りあと1年でやるべき事は盛りだくさんのようだ。まずは十八番の守備をたて直さないと・・・。
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2009年06月18日
① 闘莉王のゴール:
打点の高い、ジャストミートされた見事なヘディングシュート。相手のマークは手薄だったが、あのケーヒルに競い勝っている。それよりも感心したのが、闘莉王のクロスボールの落下点までの巧みな動き。ゴール前で捕まらないよう、動きにフェイントを加えながら、混み合ったペナルティーエリアの中を、上手く混雑を避けながら、中村憲剛が上げたコーナーキックにドンピシャで合わせた。闘莉王は、コーナーキックを蹴った中村憲剛とは、セットプレーの練習の中で、うまく呼吸を合わせる練習を積んでいると思われるが、その成果が出た。
② 中村憲剛のコーナーキック・アシスト:
日本にとって不利な「高さ」にあえてチャレンジした中村憲剛と闘莉王。上背があり、体格の良いオーストラリアDF陣との空中戦を、日本で唯一、互角に闘える闘莉王の動きに、一寸の狂いもなくピンポイントで合わせたコーナーキックの精度の高さ。タイミングのはかり方も含め、絶妙なコーナーキックだった。
③ ヒール役を買って出た松井:
いささかオーバーな転び方が目立ったが、さすがは欧州仕込み。その役割の大切さを良く解っている。オーストラリアの選手達を最初にムキにさせたのは、彼の縦のドリブル突破と、ファウルを受けた時のオーバーアクション/少々過剰気味の審判へのアピール。スタンドからもブーイングが起きていたが、そんな事はお構いなし。ああいうゲームでは、心理戦も大切。自身の存在感と「憎たらしさ」を相手に必要以上に意識させる為の非合法すれすれの挑発が出来る選手は、アウェー戦では重要。
④ ウズベキスタン戦からの若干の進歩:
中盤でボールを拾えなかった場面が目立ったウズベキスタン戦。昨日の試合でも、中盤でボールをうまく拾ってつなぐ事が出来なかった日本代表だが、拾えていた場面もあった。ただし、拾えても、攻撃の形を作る前にボールを奪われていたが・・・。結果はよろしくはなかったが、ウズベキスタン戦の再来にならないよう、改善しよう、注意しようという意識は感じられた。
⑤ 試合開始直後だけだったが・・・人数をかけたアクレッシブなボール・ハンティング:
キックオフ直後の数分間、アグレッシブな、それも人数をかけたボール・ハンティングが日本の陣営内のわりと高い位置で見られた。オーストラリアは、これもあってか、試合の序盤の展開は妙に慎重だった。オーストラリアに次第にペースをつかまれてしまい、この日本の試みは長続きしなかったが、少なくとも7万人の観衆を味方につけたオーストラリアを試合開始直後から勢い付かせなかった。
⑥ 前半に見られた、浦和CBコンビの守備での意思疎通の良さ:
阿部と闘莉王の呼吸の合った守備での連携が前半は見られた。普段から同じクラブでやっていると、やはりテレパシーが通じやすくなるのか。後半は・・・。前に出たがる闘莉王とコンビを組むのは、阿部も中澤も楽ではないだろうが・・・。
⑦ 日本の失点は全てセットプレーから:
日本にとっては、失点は失点なので褒められたものではないが、オーストラリアの得点は、2点とも、日本人にはない恵まれた体格と高さをうまく駆使した、セットプレーからの得点だった。体格は、持って生まれたもの。オーストラリアの選手達に比べ、小柄な日本の選手達の体格を責める事は出来ない。こうしたハンディを背負いながらも、大柄な相手に対する応じ方にまだ工夫の余地はあると思うが。いずれにせよ、南ア行きを決めているチームを相手に、アウェー戦で、流れの中で守備をこじ開けられるような失点は阻止する事ができた。そこは3年前のドイツでの対戦と比べたら、進歩かもしれない。
⑧ 前半終了間際に見せた玉田のフリーキック:
あれは良いコースに飛んでいただけに、惜しかった。日本には、遠藤、中村俊輔、中村憲剛、本田・・・そして玉田と、フリーキックキックは上手く蹴れる選手が揃っている。
⑨ オーストラリアに予選リーグを無失点で終わらせなかった事:
戦場での「first blood」は大切。オーストラリアのGKシュウォーツァーが大の字になってがっかりする映像が世界に流れた。
⑩ 南半球の6月の気候を体験できた事:
キャプテンは風邪をひいて欠場したが、これはチームにとって、良い教訓になったはず。日本の選手達が南半球のこの季節の気候を体験できたのは良かった。W杯の過去3大会が暑いフランス、日本、ドイツでの開催だったので、南半球の6月の肌寒さを、この段階で一度体感しておく事は重要。
ふぅ~。しんどい。
posted by sinfonia |20:35 |
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2009年06月14日
著名なサッカー関係者とばったり出会うような事はあまり経験した事がない私だが、この人には会った事がある。
ロンドンに駐在していた頃、仕事でスイス、チューリッヒに行く事が、年に2~3回はあった。チューリッヒの中心街からタクシーに乗り、チューリッヒ湖を右手に見ながら、丘の上に佇む閑静な住宅街の合間をしばらく上って行くと、視界が開けて、展望台のようなところに到着する。「ソネンベルグ」というレストランのテラス部分だ。2004年5月、仕事で知り合った当時チューリッヒ在住の知人に連れられて、このレストランを初めて訪れた時は、昼食時だった。丘の斜面を利用して作られた葡萄畑の向こうに湖が広がる、何とも風光明媚な景色がテラスから一望できた。天気の良い日には、その見晴らしの良さを堪能しながら食事が取れるよう、広々としたテラスには幾つものテーブルが整然と並べられ、白いテーブルクロスの上にはワイングラスが置かれていた。
ここでの私のお気に入りは、子牛肉のソテーの「スモールサイズ」と、ジャガイモのスライスにバターを加えてローストしたポテトグラタン。スモール、ミディアム、ラージとサイズ別に分けられた子牛肉のソテーは、スモールサイズでもざっと300グラム近くはあった。私の胃袋感覚ではとてもスモールとは言えない、とてもラージな「スモールサイズ」だった。でも、そのあたりの詳細を、注文を聞きに来てくれたウェイトレスがスイス・ジャーマン訛りの英語を駆使しながら親切に説明してくれたので、料理が運ばれて来た時の予期せぬサプライズは事前に免れる事が出来た。
欧州には、時間が止まったような空間があちこちに存在する。このレストランも例外ではなかった。午後からの仕事のスケジュールに追われ、そのまどろみを十分堪能できない自分自身に空しさを感じながらも、一瞬の贅沢な時間を少しでも堪能しようと私なりに努力してみたが・・・やはり、普段から人生をゆったりと味わう余裕がない、私のような典型的なジャパニーズ・ビジネスマンにとっては、あまり相応しいところではなかったようだ。
それでも、それからも、大切な仕事の会食の場にこのレストランを好んで何度か利用させてもらった。あれは確か、2007年3月、まだ寒さが堪えた夜の事だった。仕事の関係者数名でこのレストランを訪れた時、予約していた地上階の一般席が満席であった為、二階にあるクラブ会員専用のフロアに案内された。階段の途中には、黄金色に輝くFIFAワールドカップのレプリカが置いてあった。6人がけの丸いテーブルが5つ程配置された小さなフロアの壁には、サッカーのワールドカップをモチーフにした、モダンでカラフルな絵画が並び、広い地上階の一般席とは違う、落ち着いた雰囲気が漂っていた。私達はそのフロアの中央にあったテーブルに案内された。注文をし終わってからしばらく、その不思議な空間に見とれていると、部屋の隅の壁にかかっていた、どこかで見た事がある人物の等身大のイラスト画に目が釘付けになった。最初は、誰だか判らなかったが、その絵のすぐ下に視線を少しずらしただけで、その人物の正体が判明した。本物が、その絵の前のテーブルで、連れの男性1名、女性2名に囲まれながら、食事を楽しんでいたからだ。
「あの人が、FIFAの最高責任者か・・・」そう想いにふけりながらも、そのテーブルの演出の細かさに感服した。あれなら、彼がソネンベルグで食事をしている時は、誰もが私と同じ目線をたどって彼を見つけ出す事が出来る。そのテーブルが彼専用のテーブルである事は容易に想像がついたが、彼がレストランの隣にあるFIFA本部で会長職に就いている事を知らない人でも、彼がそこで食事をしている時は、周囲の人達から自然に注目が集まるような仕掛けになっていた。「あのテーブルにいる人、その後ろの絵に描かれた人にそっくりだよね。誰だろう?」と。嫌みのない、さりげない、それでいて何とも心憎い、良く計算された演出。さすがはFIFA会長、己の後光を人々に認知させる為、細かいところにも抜かりはない。
仕事の話で盛り上がっていた私のテーブルでは、サッカー好きは私だけであった事もあって、彼の存在に気づいていた人は私の他にはいなかった。私も、皆の話に加わりながら、しばらくは目の前に並んだ御馳走に神経を集中させた。
「皆様、ごきげんよう。今晩はお食事を楽しまれていますか?」
振り返ると、そこには彼が立っていた。どうやら食事を終えて、レストランを後にするようだった。スーツにネクタイ姿の日本人ばかりが集まっていた私達のテーブルを見て、JFAの関係者とでも思ったのだろうか。もし、そうだったのであれば、なかなか滑稽な勘違いだ。「美味しく頂いています」と、我々が英語で答えると、彼は満足そうな笑顔で「それでは、今夜はごゆっくり、くつろいでいって下さい」と、いかにも言い慣れた、そつのない、丁寧な口調で我々をもてなしてくれた。FIFAの会長ともなれば、相手が誰であれ、その磨き上げられた品位を惜しみなく発揮する事など、朝飯前なのだろう。彼が立ち去った後、その、突然我々のテーブルの前に現れた初老の紳士の正体を巡り、誰もがレストラン・ソネンベルグの気さくなオーナーではないかと決めつけにかかっていたので、私はためらいながらも、皆に彼の正体を説明した。
「先ほど、我々のテーブルに挨拶に来た人物は、国際サッカー連盟、FIFA会長のゼップ・ブラッター氏です。このレストランの隣にFIFAの総本山があり、彼のオフィスがそこにあります。このレストランは、FIFA本部御用達のレストラン、という訳です。」
昨今の前例のない欧州でのセンセーショナルな移籍話を巡って、あの晩、我々に言葉をかけてくれたブラッター会長は、それを擁護する発言をしたようだ。これに関連するコメントを、彼はコンフェデレーションズ・カップが始まる前にマスメディアに幾つか残したそうだが、今日、その内容をネット記事で読み、呆れ果てた。以下、ブラッター会長が残したコメントの一部だ。
「サッカーのスーパースター達は、(観客に感動と刺激をステージから提供する)音楽界のスター達と同じだ。レアルが投じた9千4百万ユーロという額は、確かに一人の選手を獲得する為の額としては多すぎる。だが、有名な歌手のコンサートに、一体いくら、金が動いているだろうか。その賞賛すべき価値とは?中には正味1時間、それも口パクで歌手が歌う真似だけして終わってしまうようなものもある。クリスティアーノ・ロナウドにそれだけの値がついたという事は、彼のピッチ上でのプレーがその価値に相応しいからである。正しい移籍額が2つのクラブ間で協議されて決まったものだ。彼の移籍は、サッカーにとって良い事だ。」
少し前にロンドンで行われたマドンナのコンサートに口パク疑惑が持ち上がったが、なるほど、あのテーブルに座っていた計算高いサッカー界の権力者にとって、クリスティアーノ・ロナウドは、観客にとって「ライク・ア・バージン」とか「マテリアル・ガール」とか「パパ・ドント・プリーチ」とかをステージの上で披露するマドンナと同じなのか。そういう事なのか。そういう価値観だったのか。
それなら、しかたがない。
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2009年06月08日
「世界を驚かす覚悟がある。」
ウズベキスタン戦の後、日本代表の選手達が着ていた、あの3本線で有名な某スポーツ用品メーカーのTシャツ。全く余計なお世話だが、あれは日本で一体何枚売れるのかと、つい考えてしまった。
「世界を驚かす覚悟がある。」
来年のW杯本大会では、あのメンバーが中心になる。あの戦力で、各地区予選を突破して南アに集結した世界の面々と戦う事になる。その世界の面々を驚かす覚悟がある、それを見ている世界中の人達を驚かす覚悟がある、そういう事か?
「世界を驚かす覚悟がある。」
どこのコピーライターが考えたコピーかは知らないが、「世界を驚かす」に、「覚悟がある」ときたか。このタイミングでのお披露目になった訳は、きっと、予選を突破してW杯本大会出場を決めるまでは世に出せなかった、何らかの事情があったのだろう。「事情」という言葉は、ビジネスの世界では多用されるが、使い手にとっては実に都合の良い言葉だな、と、最近つくづく思う。
「世界を驚かす覚悟がある。」
この「覚悟がある」が付くと付かないでは、このスローガンも印象がガラリと変わる。「世界を驚かす」だけなら、一時の感情の昂りによって、勢いあまって口走ってしまった、身の程知らずの戯言のようにも聞こえるが、それに理性的にブレーキをかけるような一言「覚悟がある」が加わる事で、だいぶ抑制が、ある種の条件が加わったメッセージになる。これは、来年のW杯本大会に向けて、過度な期待を日本国民に持たせまいとする配慮なのだろうか。
「世界を驚かす覚悟がある。」
「覚悟」とは、ある意味であきらめること。そして、「明らかに究める」こと。希望でも、絶望でもなく、事実を真正面から受けとめること。・・・・なかなか良いではないか。本当にそうなのであれば。
「世界を驚かす覚悟がある。」
私は、このTシャツは買わないかも知れないが、ここでこのスローガンが出てきた事に、好感を抱いている。「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」とか、「W杯本大会でベスト4を目指す」なんかよりも、妙な力みを痛々しく感じる事のない、日本的な謙虚さも程よくブレンドされた、好感を持ち易いスローガンに、マニフェストに、結果的に仕上がっていると思う。ちなみに、2006年ドイツW杯の優勝チーム、イタリアのスローガンは「Orgoglio azzurro, Italia nel cuore 」(青の誇り、イタリアを心に秘めながら)だった。コピーとしてはいま一つインパクトに欠けるが・・・それでも代表チームは世界一になれたのだから、良しとしようか。
サッカー日本代表には、個人的に貸しがある。丁度3年前の6月、駐在先のロンドンから、日本の知人、友人とその人脈を頼りに頼って、やっとの思いで手に入れた一枚の切符を握りしめながら、残業明けの朦朧とした意識に鞭をふるいながら明け方にコーヒーを一杯、胃袋の中に流し込み、ロンドン郊外にあるスタンステッド空港に車を走らせ、エアー・ベルリンのB737-700機の翼の先端に付いているウイングレットを小さな窓から眺めながら、まだか、まだかとニュルンベルクに到着する時を心待ちにしていた、あの日。初夏の日差しを受けながら、試合前にニュルンベルクの旧市街に立ち寄り、ハウプトマルクト(中央広場)に建つ、可愛いフラウエン教会の前で赤と白のチェッカーフラグをなびかせたクロアチア人親子と固い握手を交わした後、地下鉄でさらに東に移動し、フランケンシュタディオンを探して広大な公園の中を歩きながら、戦争勝利の後にナチス党大会が開催される筈だった、巨大な岩の塊のようなコングレスハレの異様な存在感に圧倒されて池のほとりで貴重な時間を潰し、さらに公園内で道に迷い、さまよい、焦り、走ったこと、走ったこと・・・走ったこと。スタジアムに駆け込んで、自分の座席を見つけた時には、吹き出ていた汗も引き、疲弊しきっていた、あの日。
そして、あの試合。
帰りのフライトでは、朝から何も食べていなかったにもかかわらず、出された機内食を口にする事ができなかった私。あれから3年経った今でも、あの日の凹みから、傷悴から、未だに完全には立ち直っていない私。
世界を驚かす前に、あんな惨めな思いをさせた私を、まずは驚かせてほしい。来年の今頃には。私なら、W杯本大会でベスト4を目指してもらいつつも、「グループリーグ1勝」で、良いよ。残念ながら、南アには行けそうにはないが、中身の濃い1勝を、記憶に残る1勝を、ひとつ、宜しく。
私にだって、「覚悟」がある。
posted by sinfonia |11:24 |
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2009年06月03日
【Per 20 anni nostro rivale, ma nella vita sempre leale】
今年の2月のミラノダービーの時に、サンシーロ・スタジアムで熱狂的なインテルのサポーター達が陣取る「クルヴァ・ノルド」に出現した、この横断幕。この試合は、ミランの主将、パオロ・マルディーニにとって、現役最後のミラノダービーとなった。この試合が始まる前に、ミランの選手達の紹介が場内放送で流れはじめると同時に、このスタジアムの一角で鳴り響いていたブーイングの口笛も、「マルディーニ!」とアナウンスされた時だけは、盛大な拍手に置き換わっていた。インテリスタ達にとっても、彼は、別格なのだ。
Per 20 anni nostro rivale
20年以上にわたって、彼はインテルにとって、インテリスタにとって、最大のライバルであるミランの主軸を担ってきた。私も何度か彼が出場したミラノダービーをサンシーロ・スタジアムで観戦する幸運に恵まれたが、彼のピッチ上での存在は、インテルにとって、常に大きな脅威だった。90年代後半の当時、インテルの戦略は「ロナウド」だった。ボールを持って加速したその「超常現象」がボールを射程距離内に持ち込む前に、ロナウドの背後から追走してクリーンにボールを奪取する技術を持った選手が当時いたとすれば・・・それは、マルディーニしか思いつかない。「疾走」という言葉が、本当によく似合う選手だった。
イタリア代表でも、彼はイタリアの輝かしい左SBの伝統を守った。ジャチント・ファケッティ、アントニオ・カブリーニと、優れた選手が続いたイタリアの左SBの伝統を、見事に継承し、代表出場キャップ数では、この偉大なる前任者達が持っていた記録を超えた。
猛暑の中で行われた94年アメリカW杯決勝・ブラジル対イタリア戦。試合は0-0のまま延長戦に入り、固唾をのむ試合展開になった。その中で、消耗しきった体力を振り絞るように、左サイドを、顔をしかめながらもボールを持って駆け上がるあのマルディーニの姿が、今でも私の中に焼きついている。
ma nella vita sempre leale
パパラッチ達がスクープ欲しさの為にスター選手達に四六時中カメラを向けているようなイタリアにおいて、彼ほどスキャンダルとは無縁のスター選手はいなかったのではないだろうか。彼の父、チェーザレ・マルディーニ氏もまた、60年代にミランの選手として活躍し、98年のフランスW杯ではアッズーリの指揮を執った人物だ。サラブレッドの血統とはいえ、パオロの人としての魅力は、常に真摯なその彼のアスリートとしての生きざまにあったと思う。彼がミラン一筋で選手生活を終えたのは、多分に彼のそのまじめでひたむきなカルチョに対する姿勢がそうさせたような気がする。ここ数年、彼がピッチの上で見せる表情に、彼のプレーに、年輪の深さを感じる事がしばしばあったが、彼がボールを追いかける「目」だけは、10代後半に彼がセリエAデビューを果たした頃と、なんら変わってはいなかった。アスリートとして、彼ほど練習に真剣に打ち込み、体調管理を徹底して行ってきた選手はいないのではないだろうか。それを20年以上も続けてきた事に、ただただ頭が下がる。ミランの内部だけに留まらず、他のチームの関係者達からも、彼のその姿勢は敬われ、いつしかマルディーニ=「プロの鏡」という図式が、イタリア人の心中に出来上がっていた。
1988 セリエA優勝・スクデット獲得
1989 UEFAチャンピオンズリーグ優勝
1989 トヨタカップ優勝
1989 欧州スーパーカップ優勝
1990 UEFAチャンピオンズリーグ優勝
1990 トヨタカップ優勝
1990 欧州スーパーカップ優勝
1992 セリエA優勝・スクデット獲得
1992 イタリアスーパーカップ優勝
1993 セリエA優勝 ・スクデット獲得
1993 UEFAチャンピオンズリーグ準優勝
1993 トヨタカップ準優勝
1993 イタリアスーパーカップ優勝
1994 セリエA優勝・スクデット獲得
1994 トヨタカップ準優勝
1994 FIFAワールドカップ準優勝
1994 UEFAチャンピオンズリーグ優勝
1994 欧州スーパーカップ優勝
1994 イタリアスーパーカップ優勝
1995 UEFAチャンピオンズリーグ準優勝
1996 セリエA優勝・スクデット獲得
1998 イタリア杯(コッパ・イタリア)準優勝
1999 セリエA優勝・スクデット獲得
2000 欧州選手権(ユーロ杯)準優勝
2003 UEFAチャンピオンズリーグ優勝
2003 イタリア杯(コッパ・イタリア)優勝
2003 欧州スーパーカップ優勝
2004 セリエA優勝・スクデット獲得
2004 イタリアスーパーカップ優勝
2005 UEFAチャンピオンズリーグ準優勝
2007 UEFAチャンピオンズリーグ優勝
2007 クラブワールドカップ優勝
以前から、彼が現役を引退した後に、時系列で、一つずつ、書いてみたかった。ミラニスタ、パオロ・マルディーニが今までに勝ち取ってきた戦果である。これを金字塔と言わずして、何と言うのか?
「あなたは20年以上、我々のライバルだったが、あなたの人生においては、あなたはいつも真摯だった。」
ミランに対しては情け容赦ないインテルの熱狂的なサポーター達でさえ、真摯に向き合った、そんな一人のカンピオーネが、イタリア風に表現するならば、今シーズンを最後に、「壁に打ちつけた釘にスパイクシューズを吊るす」。また一つ、時代が過ぎ去ったような気がする。
posted by sinfonia |12:28 |
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2009年05月17日
17。ようやく、追いついた。ミラノの従兄弟達のスクデット獲得回数に。4年前は、こんな日がこんなに早く訪れるとは夢にも思っていなかった。「ミラノで二番目のチーム」のレッテルが貼られていたインテル、だったはずなのだが。もっとも、インテルは、1908年にミランからスピンオフしてクラブが誕生した時から、ミラノで「二番目」のチームだが。
2006年のカルチョポリ・スキャンダルの勃発によって、セリエAの戦国地図は著しく変わってしまった。「カルチョは、死んだ」とイタリア中を深い嘆きと悲しみに陥れたあの事件の後、「一人横綱」としてカルチョを支えてきたインテル。このセリエA4連覇の価値は、まずはそこにあると私は思う。ミラン、ユヴェントス、ローマには、出来るだけ早期に復活を果たして頂きたい。
チャンピオンズリーグでの勝負弱さは本物だ。本物だから・・・マンチェスター・ユナイテッドとの対戦を「事実上のCL決勝戦」と売り出したマスコミの一部には驚いた。インテルがCLファイナリストにふさわしいクラブチームだって?どこが?!インテリスタ達を赤面させるような報道はやめて頂きたいものだ。恥ずかしい。今、欧州では、インテルよりも上のクラブチームは、実際の今シーズンのCLファイナリスト達も含めて、少なくとも4、5チームはある。
突っ込みどころ満載のインテル。今シーズンのスクデットまでの道のりを選手ごとに勝手に採点してみる事にする。満点=10、及第点=6。
GK ジュリオ・セーザル:【9】個人的には、今シーズンのインテルのMVP。今、世界最高のGKではないだろうか。
GK トルド:【6】まだまだやれそう。こういう人生の選択もありだろう。
DF サムエル:【8】文句無しの守備の要。もう、怪我はしないで欲しい。
DF コルドバ:【6】この功労者にも、安定感に衰えが。そろそろ後継者を・・・。
DF キヴ:【6.5】個人的には非常に買っているユーティリティープレーヤーだが、故障し易いのが玉にキズ。来季はCB専任か。
DF ブルディッソ:【5】年々、インテルで要求されているレベルから遠ざかっているような・・・。
DF マテラッツィ:【5.5】ベンチを良く我慢したが、そろそろお別れか。
DF リヴァス:【5】チャンスはあったはずだが、活かしきれなかった。
SB マイコン:【8.5】彼が怪我をしなければ、もう少し早くインテルはスクデットを決められただろう。インテルでは、今シーズンが今のところ彼のベストシーズン。
SB サントン:【7.5】モゥリーニョ監督もさぞかし鼻が高いことだろう。今シーズン最大のサプライズ。バンディエラに育って欲しい。
SB マクスウェル:【5.5】サントンの陰に隠れてしまったが、よくインテルに留まってくれた。
MF サネッティ:【7】今シーズンのセリエAで、ここまでのプレー累計時間3104分はチームでナンバーワン。キャプテン、御苦労様。
MF カンビアッソ:【8.5】昨シーズンは私が選んだMVP、今シーズンは影のMVP。抜群の安定感。来季は新キャプテン?
MF ムンタリ:【6.5】好不調のムラがあり過ぎるが、決して悪い買い物では無かった。
MF ヴィエラ:【5】これほど悪いとは・・・引っ越し先は母国フランスか。
MF フィーゴ:【5.5】このスクデットを花道に・・・さようなら。
MF スタンコビッチ:【7】窓際に追いやられると思いきや、新監督の信頼を勝ち取った世渡り上手。
MF クアレズマ:【4】・・・幸運を祈る。
MF マンシーニ:【4.5】もう、インテルでは活路は塞がれてしまったか。
MF ヒメネス:【4.5】存在感が薄すぎる。
MF オビンナ:【4.5】同上。
FW アドリアーノ:【3】もう、帰ってくるなよ。
FW クレスポ:【6】転職先が決まったようで。ローマ戦での同点弾は忘れない。
FW クルス:【5.5】スーパーサブも出番は僅かだった。この↓の男のせいか。
FW イブラヒモビッチ:【9】インテルを去るのなら、せめてセリエA得点王になって去って欲しい。
FW バロテッリ:【7】サントンより上の点数は付けられない。今後さらなる飛躍が期待され、彼の高い潜在能力は誰もが認めるところだが、もう少し大人にならないと。
監督 モゥリーニョ:【7.5】ポルト、チェルシー、そしてインテルと、これで3つの異なる国でリーグ制覇という偉業を成し遂げた。「あのインテルの戦力なら、誰が監督を務めてもセリエA優勝だ」と言われそうだが、彼の今シーズンの最大の功績は、決断の速さにあった。4-3-3を見限った判断、愛弟子・クアレズマを見限った判断、発掘したての新星サントンに賭けた判断、「お前らはXXみたいなチームだ!」と檄を飛ばしたタイミング・・・どれを取っても、指揮官が少しでも躊躇していればスクデット獲得に黄信号、赤信号が灯っていた。今シーズンのインテルが今までのインテルに比べて安定していたのは、例年のように肝心なところでパニックに陥らなかったのは、彼のロッカールーム・マネージメントの手腕によるところが大きいだろう。巷で言われているような、攻撃的でスペッタコラーレなサッカーは目指さなくても良い。もっとも、彼ならボールポゼッションの変な美学に陥る事もないだろう。欲を言えば、もう少し選手間のテレパシーを引き出して欲しいものだが。
“zeru tituli”(モゥリーニョ監督がポルトガル語訛りのイタリア語でマスコミの前でミラン、ローマ、ユヴェントスに対して言い放った「お前らは今シーズン、獲得出来るタイトルは一つもない!」という意を込めたメッセージ、正しくは“zero titoli”)は、今シーズンのセリエAの流行語大賞にノミネートしたい。あと何年インテルの監督であり続けるのかは知らないが、これからもこの調子で楽しませて頂きたい。もちろん、勝ちながら。それにしても、イギリスでも、イタリアでも、全く軸がぶれない、誰にも媚を売らない、聞き手に別の解釈の余地を与えない彼のメディア・リレーション能力には頭が下がる。今シーズンはまだ終わっていない。マンチーニ前監督の昨シーズンの勝点数85を上回る為にも、残り3試合、全勝で有終の美を飾って頂きたい。
・・・誰か、忘れてはいないか・・・。
最後に、インテル:【7】・・・とりあえず、良くできました。
posted by sinfonia |18:57 |
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2009年04月29日
「カルチョ・トターレ (calcio totale)」。「トータル・フットボール」をイタリア語にすると、こうなる。これがイタリアではどのように認識されているのかについて、イタリアのウィキペディアを意訳してみる事にする。ただ訳すのではつまらないので、私なりの疑問や気づきも交えながら。最後まで眠くならなければ、だが・・・。
http://it.wikipedia.org/wiki/Calcio_totale
まずは、大前提(定義)から。
「カルチョ・トターレとは、個々のサッカー選手が、自身のポジションから外れる際に、即座にチームメイトがそのポジションに置き換わることにより、チーム全体の戦術的陣形に変化を与えることなくそれを維持するサッカーのスタイルを表す表現である。このプレースキームにおいては、選手達は、誰一人、自身のポジションに固定される事はなく、試合中に、状況に応じて、誰もがFW(攻撃)、MF(中盤)、DF(守備)の選手になってプレーする事が出来る。」
―カルチョ・トターレの大前提をまず確認しておく、その試みと内容に、特に違和感はないが、興味深いのは、この大前提確認の部分に、70年代のオランダも、クライフのアヤックスも出てこないという事だ。まだ、出てこない、という方が正しいか。さらに、この大前提には、改行後に続きがある。
「カルチョ・トターレはまた、体系的なプレスとオフサイド戦術を採用したプレースタイルでもある。」
―この辺りが、あの出来すぎオランダを率いたミケルズ氏の「発言」に基づく正しい「落としどころ」の見極めが難しくなるところか。ここで言うプレスやらオフサイド戦術とは、この時代(70年代)においては、守備形態を示唆する際に本質から派生した副産物に過ぎないと思うが。
―ここで、興味深い事に気づく。「カルチョ・トターレ」には、名詞、代名詞的な認知のされ方と、動詞、形容詞的な認知のされ方がある。この、どちらを都合上選択するかで、一つの表現から異なる着地点に導かれる可能性はある。混沌を招く分水嶺は、こういうところなのかもしれない。この大前提を書いた筆者も、「・・・サッカーのスタイルを表す表現である」と、慎重に言葉を選んでいる。「サッカーのスタイル」とは断言せずに、あえて「サッカーのスタイルを表す表現である」としたところに、編集者の迷い、自信のなさを感じる。
次に進もう。今度は『歴史 (storia)』。カルチョ・トターレの歴史。
「1930年代には、すでにオーストリアがカルチョ・トターレの原始的な形態を採用したサッカーをやっていたが、このプレースタイルの原型を創る為に必要な諸要素は、アヤックスの監督、ジャック・レイノルズ氏(アヤックス監督就任時期:1915~25年、1945~47年)によって抽出された。リヌス・ミケルズ氏はレイノルズ氏の下でプレーをした後、1965年にアヤックスの監督になり、現在認識されているようなカルチョ・トターレの基を定義し、それをアヤックス、そしてオランダに採用する事により、カルチョ・トターレの父となった。ミケルズ氏は1971年の夏にバルセロナの指揮を執る事になり、アヤックスのカルチョ・トターレはルーマニア人のステファン・コバックス氏に受け継がれ、他の欧州諸国でも、カルチョ・トターレを採用するチームが増えていった。」
このカルチョ・トターレを最も高い次元で具現化したのが、1972年の欧州チャンピオンズカップの決勝で、インテルを2-0で破った、コバックス氏が率いたアヤックスであったとされている。この試合で、ヨハン・クライフはセンターフォワードとして出場し、2得点をあげたが、一つ一つのプレーの状況に応じて、終始、能動的に、最も相手にとって脅威となるポジションを求めながら、ピッチ上を縦横無尽に動き回った。彼のチームメイト達はクライフのこの動きに連動し、全てのポジションを、常に同じ選手によってではなくても、常にカバーした。」
―ここで小休止。ジャック・レイノルズ氏?誰?でも、その後の、ミケルズ→コバックスと続くカルチョ・トターレの系統に、違和感はない。あくまでも、狭義の意味(=オランダのトータル・フットボール)でのカルチョ・トターレの系統だが。
1972年にロッテルダムで行われたこの欧州チャンピオンズカップ決勝戦は、インテリスタ達にとっても「伝説」になっている。当時、ミラノで小学生になったばかりだった私の記憶には、ぼんやりとした白黒の映像と、クライフ&Co.を誰の手にも負えない怪物の集団のように形容しながら真顔で延々と語っていたミラノの大人たちのイメージしかないが、インテルを翻弄し、「(動き回る)クライフの周りには、まるで渦が巻いているようだった」と誰かに言わせた、恐怖の権化のごとき「カルチョ・トターレ」の存在は、幼少の頃にインテリスタになった私にとっても強烈だった。私は、恐らく、あれから数年後、中学に入学した後に、メタファーとしての「渦巻き」やら、この場合の「トータル」という言葉の意味を、ようやく《人の、相互補完的で流動的なポジショニングの在り方》という実体のあるものとして、ある程度理解できるようになったような気がする。子供のころに理解できなかった事でも、それを子供なりに五感でしっかり捕まえて離さなければ、いつか、頭の中で、点は線になり、それらが面に展開して、一枚の絵が浮かびあがる事もある。だが、それまでは・・・クライフ&Co.のアヤックスは、ただ単に「怖い、インテルも歯が立たなかった存在」でしかなかったが・・・。ウィキペディアに戻ろう。
「バルセロナをリーガ優勝に導いたミケルズ氏は、74年西ドイツW杯のオランダ代表チームを率いる事になるが、この時、彼のオランダは、2つのブロック、アヤックスの選手達と、フェイエノールトの選手達によって構成されていた。この2つのブロックは、互いに反発し合い、妬み合い、クラブ・ユース時代からの確執、怨恨が分ける仲であった。さらに、ミケルズ氏はプロの選手ではなかった当時34歳のGK、ヤン・ヨングブロードを正GKに選んだ。チーム内に様々な問題を抱えながらも、オランダはアルゼンチンに4-0で勝利し、次いで、豪雨の中で東ドイツを2-0で下し、さらに、ブラジルにも2-0で勝利した。西ドイツとの決勝では、オランダはホームチームの西ドイツがボールに触れる前に先制したが、それ以降は、クライフはベルティ・フォクツの巧みなマン・マークを受け、彼の能力は次第に無力化されていった。ヘーネス、ベッケンバウアー、オベラーツが中盤を支配し、西ドイツは試合をひっくり返す事に成功し、オランダに2-1で勝利した。
多分、恐らく、このオランダの敗北と、それから4年後のアルゼンチンとの決勝での敗北によって、カルチョ・トターレは今日においても質の高いサッカーとして称賛されているその一方で、「勝てないサッカー」という受け止められ方をされている面もある。しかし、その実際は、ミケルズ氏の指揮下でアヤックスは4度、オランダのリーグチャンピオンになり、3度、オランダ・カップを獲得し、70年代前半の欧州チャンピオンズカップは、オランダのクラブチームによって3連覇が成し遂げられた(当時のフェイエノールトも、アヤックスと同様のトータル・フットボールを採用していた)。さらに、ロバノフスキー氏が指揮を執ったディナモ・キエフがカップ・ウィナーズ・カップを2度制覇し(75年、86年)、80年の欧州選手権ではベルギーが決勝まで駒を進めた。そして88年の欧州選手権で欧州チャンピオンに輝いたオランダのベンチに座っていたのは、ミケルズ氏だった。
イタリアで最も次元の高いカルチョ・トターレを具現化したチームは、G.B.ファッブリ氏が指揮を執ったラネロッシ・ヴィチェンツァ(今のヴィチェンツァ)で、77年/78年シーズンにセリエAで2位になっている。」
―少々眠くなってきたが、だいたい以上が、今日、2009年4月29日現在、イタリアのウィキペディアに記載されている「カルチョ・トターレ」の歴史編の内容だ。74年のオランダのロッカールームには亀裂が何本も入っていた、それでも、オランダはW杯決勝まで進み、トータル・フットボールは一世風靡した、という記述は実に面白い。閃きの共有を含む各場面での的確な状況判断は、仲が良くないチームメイトとでも可能なのか。個人的には、この状況は理解できる。コンビネーションにおける成功時の手柄も、失敗時の責任も、試合では、必ず「個人」に降りかかってくる。「連帯責任」という発想を、私はあまり持った事がない。チームメイト同士の責任のなすり付け合いや手柄の奪い合いなど、試合後のロッカールームでの小競り合いは、ミラノで過ごした高校時代に何度か体験した事があるが、チームメイトとの仲が悪くても、トータル・フットボールは実現可能?これが本当なら、面白い事を発見したような・笑。十分可能だと思う。当時は、アヤックスも、フェイエノールトも、やっていたのは、トータル・フットボール。「誰でも、どこでも」さえピッチの上で合言葉になっていれば、個々の互換性を確保するのに苦労はしなかっただろう。逆に、目の前の敵と交戦している時でも、チームメイトの顔色を窺いながら、チーム内の決め事を細かく守ろうとする日本には、このオランダのようなトータル・フットボールの具現化は難しいかもしれない。
80年の欧州選手権のベルギーは、あのパフ、ゲーレッツ、クールマンスのベルギーか、なるほど。イタリアではヴィチェンツァが・・・そうだったのか。知らなかった。あの、パオロ・ロッシがセリエAの得点王になったヴィチェンツァが、カルチョ・トターレをかなりのレベルで具現化していたとは・・・気がつかなかった・笑。
最後の『戦術と技術 (tattica e tecnica)』の部分の意訳に取りかかる事にする。
「カルチョ・トターレの成功は、個々の選手達が複数のポジションをこなせる事に大きく依存する。選手達がピッチ上で効果的なポジション・チェンジを展開する為には、それぞれが高度な戦術眼/状況分析能力を身に着け、質の高い技術と、しっかりと準備された身体能力を伴っていなければならない。中盤と攻撃の選手達が相手のボール保持者に対し、ピッチのいたるところでアグレッシブにプレスを仕掛けなければならないその一方で、守備の選手達はゾーンで守り、オフサイドを仕掛ける。両サイドバックがクロスボールをあげる為にサイドをボールを持ちながら駆けあがる際に、攻撃の選手は守備に戻ってその空いたところを援護する。カルチョ・トターレがゾーン方式のサッカーと違うのは、選手達がボールの位置に応じて動くのではなく、チームメイトの位置に応じて動くところにある。それは、このプレースタイルには、誰かがポジションから離脱した事によって空いたスペースを、チームメイト同士でカバーし合う事により、常に同じ戦術的陣形を保つ事が不可欠だからである。
味方がボールを保持している時にスペースを作る事は、カルチョ・トターレを具現化する際に、満たされていなければならないもう一つの重要な条件だ。このプレースタイルは、スペースを作ったり、埋めたりすることで実現される。それが出来ない場合は、ボールを運んだり、パスを出す道が失われてしまい、効果的な攻撃を企てる事は出来なくなる。しかしながら、選手達のピッチ上での完全に連動した動きの連続と、ボールを持たない選手達の執拗なオーバーラップは、マン・マーク守備に凝り固まる相手の守備陣を困難に陥れ、また、横方向へのボールつなぎは、攻撃の選手達が敵のマン・マークを動いて外す事により攻撃脅威度を増す為の時間を稼ぐ事にもなる。
ピッチ全域でのプレス行動は、チーム(のライン間隔)を短く保つ為にも効果的であり、これはチームの攻撃参加、守備参加をし易くする。しかし、これはGKのプレーにも影響を及ぼす―GKはほとんどリベロと化し、ペナルティー・エリアからの飛び出しや足を使ったボールさばきによって、ペナルティー・エリアを主体的にコントロールしなければならない。」
―中盤、攻撃の選手達はピッチのいたるところでアグレッシブにプレスを仕掛けて、守備の選手達はゾーンで守る・・・ゾーンで守備??オランダというよりは、サッキのミランだ、これは。
以上、Calcio Totale Wikipedia内容意訳(2009年4月29日現在)
訳者 sinfonia/イル・ビショーネの寝言
・・・さすがに、瞼が重いし、頭ももう回らない・笑。読み直す気力もないが、とりあえず、投稿してみる事にする。
posted by sinfonia |04:23 |
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2009年04月20日
ユヴェントスのファン達の一部が、先日、トリノで行われたインテル戦で、イタリアの醜態をさらした。インテルのバロテッリがユヴェントスのクルヴァからおぞましいチャントのターゲットになった。彼がインテルの先制点を入れた事に対するブーイング?それなら、まだかわいい。彼のピッチ上での感情表現やリアクションが傲慢で、挑発的で、横柄で、それがトリノの観衆の鼻についたから飛んだ野次?そうであれば、まだ理解しようという気にもなる。でも、バロテッリがスタディオ・オリンピコ・ディ・トリノで浴びたチャントの中身は、その程度では済まなかった。
悪質だ。ユヴェントスのクルヴァはバロテッリを試合開始から終了まで罵り続けた。彼に対してだけにではなく、彼の父親、彼の母親に対しても。一人の人間のオリジンを、生まれ持った肌の色を冒涜するフレーズが、一人の人間として生きている事を否定するフレーズが、スタンドで合唱された。それと、インテルの先制点がどう関係するのか。それと、彼の勝気な性格がどう関係するのか。それと、サッカーが好きで、その非凡な才能を活かせる職業に就いた19歳の青年、マリオ・バロテッリがどう関係するのか。ましてや、彼は、正真正銘のイタリア人だ。それも、将来、アッズーリをW杯で引っ張って行く逸材だ。すでにUNDER21代表チームでイタリア国旗を背負っているではないか。
この問題は、イタリアで最も輝かしい戦歴を誇るクラブチームのファン達の中で、スタジアムのあちこちに陣取る犯罪者集団の卑劣な愚行だけにとどまらないだろう。今のイタリアには、こういう下劣な事を面白半分に平気でやる輩達がいる、という事実を、イタリア中に、否、世界中に、本来ならイタリアの財産とも言うべきカルチョの、それも、最も象徴的な対戦カードの一つを通してさらけ出してしまった事に対しての空しさ、情けなさは、言葉にならない。トリノだけに限った事ではない。ミラノにも、ヴェニスにも、フィレンツェにも、ローマにも、ナポリにも、パレルモにも・・・他のイタリアの街にも、こういう輩達は、いる。そういう事なのだろうな、と、思う。今のイタリアという国は。
FIGC(イタリア・サッカー協会)は、この問題を近く審議し、この試合の主催者であったユヴェントスに対する制裁内容を決定すると思うが、個人的には、ユヴェントスに対する制裁だけでは無く、イタリアに対しても、FIGCに公の場で次のような声明を出して頂きたい。この伝統のカードが、イタリアの一部に存在する、このような愚かさ、卑劣さ、無知を世にPRする媒体になってしまうのであれば、Derby d'Italia、【イタリア・ダービー】の呼称そのものを、今後この世から抹消する、と。
インテリスタだから書くのではない。イタリアが好きだから、カルチョが好きだから、そして、私の中にあるユヴェントスという名門チームを汚したくないからだ。
"♪non ci sono negri italiani♪"
(黒人種のイタリア人はいない)
"♪se saltelli muore Balotelli♪"
(あなたが(スタンドで)飛び跳ねれば、バロテッリは死ぬ)
・・・何が「イタリア・ダービー」だ。
(ご参考)
-Derby d'Italia、【イタリア・ダービー】について、少々-
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/sinfonia/article/60
posted by sinfonia |23:00 |
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2009年04月16日
自問自答してみる。
一昨日のCL準々決勝、チェルシー対リヴァプールは、
Q1.面白かったか 【A.○】
Q2.ハラハラ、ドキドキしたか 【A.○】
Q3.CLの歴史に残る名勝負になったと思うか 【A.○】
Q4.ドラマチックなゲーム展開だったか 【A.○】
Q5.10年後も想い出せる試合になったか 【A.○】
Q6.今シーズンのCLで最も盛り上がった試合になったか 【A.○】
Q7.サッカーの魅力が詰まった試合だったか 【A.○】
Q8.どちらが勝ってもおかしくない試合だったか 【A.○】
Q9.選手達の良いプレーは見れたか 【A.○】
Q10.いい試合だったか 【A.×】
Q11.何故、最後のQ10では【A.×】なのか
【A】
インテルのモゥリーニョ監督がこの試合をどう評価したかは知らないが・・・何年か前に、5-4に終わったアーセナル対スパーズの試合結果を、当時チェルシーの監督だった彼がdisgraceful(みっともない)と酷評した時と同じサッカー観なのであれば、一昨日の試合も彼のdisgraceful口撃を免れないかもしれない。もちろん、モゥリーニョ監督のこのサッカー観が全てではない。でも、この見方を頭から否定できない何かがある。CLのベスト4をかけた試合で、あのチェルシーが、あのリヴァプールが、90分間でそれぞれ4点もとられるとは、誰が予想していただろうか。世界中が注目する中で、人々の予想を覆す派手な撃ち合いがエキサイティングな試合の定義なのであれば、この試合はハリウッドのアクション映画並みにエキサイティングだったと思うが、問題は、何故、このスコアになったのか、という事ではないだろうか。
攻めるリヴァプールと守るチェルシーの構図は、2週間前のアンフィールドでの試合結果によって、試合が始まる前から決まってしまっていた。中盤で小刻みにボールを回しはするものの、なかなか相手の防衛ラインを突破しようとしない退屈なポゼッション・サッカーだけは見ないで済みそうな予感はしていた。蓋を開けてみれば、抜きつ抜かれつの壮絶なノーガードの撃ち合い。息をのむ、手に汗を握る展開が待っていた。両チームのキャプテンがそろって出場していたら、また違った展開になっていたかもしれない。
チェルシーは守備に脆さが目立った。クロスボールがチェルシーのゴール前にあがる度に、GKのチェフを中心に、チェルシーの守備陣はパニック状態に陥っていたようにも思えた。そのチェルシーのパニック状態を可能な限り長く保つ為に、リヴァプールはチェルシーをペナルティーエリア内に何度か押し込んでは、勇猛果敢に攻めこんではいたが、チェルシーの守備を思い通りに崩せたのは、前半にべナユンの見事な中央突破で生まれた得点のチャンスをトーレスが左足で外した時と、後半のカイトの4点目の時だけだったと思う。
それにしても、リヴァプールの先制点となったファビオ・アウレリオのあの30メートルFKの弾道を、何故、チェルシーの選手達は予測出来なかったのか。ファビオ・アウレリオは、あのFKの数分前に、同じような位置から、やはりFKで、素晴らしいロングボールをチェルシーのゴール前に入れてチェフ&Co.を慌てさせている。予行演習までやってもらっていたのに・・・ファビオ・アウレリオのあの位置からの直接フリーキックの精度を用心出来なかったのか。
守備の脆さはリヴァプールの方にもうかがえた。ドログバにはペナルティーエリアの中を好きなようにひっかき回されていたし、ゴール前での空中戦も、安心して見てはいられなかった。後半開始早々のチェルシーのゴールも、右サイドで味方のサポートを受ける事もなく、単独でボールを持って上がっていたアネルカに、リヴァプールは二人も並走させていながら、何故、ああも簡単に、あの位置から、あの精度のグラウンダーのクロスボールを入れさせてしまったのか。
リヴァプールの4点目も、中盤から左サイドに走り込んだリエラにあっなくボールが渡り、ゴール前のターゲットはカイト一人だけ、そこにリエラは窮屈な位置から速くて低いクロスボールを出すしかなかったにもかかわらず、チェルシーのあの横一列の受け身な守り方は何だったのか。あの時、チェルシーはランパードの3点目で安心モードに入ってしまっていたせいか、集中力が完全に切れていたとしか思えない。
そして、両チームとも、中盤でのタクティカル・ファウルが多かった。ファウルで止める方も止める方だが、止められる方も、動きが硬く、足元でのボールコントロール、ボールの足離れのリズムが悪かったから削られていた場面もあった。両チームのタクティカル・ファウルの多さは、中盤でのゲームの質を荒く、大味なものにした。中盤を制する為の選択肢が、両チームとも少なかった。もちろん、相手あってのタイトな中盤での攻防だ。だが、結果的には、この中盤でのタクティカル・ファウル合戦があだとなって、前半はチェルシーが泣き、後半はリヴァプールが泣いた。チェルシーも、リヴァプールも、こんなチームだったのだろうか・・・否、実は自分が良く知らなかっただけで、前からこんなチームだったのかも知れない。
プレミア勢独特の試合のテンポの速さ、終始濃密で闘志溢れる両チームの激しいプレーには好感を持てたし、得点にならなかったシュートも含め、両チームとも、見事なフィニッシュを幾つか見せてくれた。互いに知り尽くした、拮抗した実力を持つ欧州屈指の強豪チーム同士が、CL準決勝進出という、大きな目標を達成する為にモチベーションを共に高揚させてぶつかり合った試合。でも、それだけでは、このスコアは生まれないだろう。ミス、特に守備での決定的なミスの数もまた、拮抗していなければ、あのような乱打戦にはならない。
だから、Q10では○を付けられなかった。10年後も想い出せる試合になったが、11年後には、別の試合の記憶に上書きされているかもしれない。もっと、いい試合の記憶に。
特に後半になって、攻め続けるしか道がなくなってしまったリヴァプールと、そのリヴァプールと最後の最後までがっぷり四つに組まなければならなかったチェルシー。CL準決勝に進出するために、両チームがそれぞれあの試合の流れの中で何をしなければならなかったかを考えれば、4-4のファイナル・スコアは、ある程度は正当化出来るのかも知れない。だが、CLの大一番の試合で、両チームがあれだけミスを犯していながら、共に世界中から拍手喝采を浴びるというのは、極めて稀な出来事だ。これを肝に銘じて、チェルシーにはバルセロナとの準決勝に臨んで欲しいと思う。
『私はチャンピオンズ・リーグを「ディテールのコンペティション」と呼んでいる。繊細なディテールの部分が、違いを生み、勝負を決める。』
どこかで聞いたことがある、誰かのコメントだが・・・。
posted by sinfonia |23:22 |
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