2008年03月30日
現在を見ることが出来ない事は、悲しい事だ。
現実を直視する事が出来ない、懐古主義者。
それは今を生きている人に押しつける人も、稀に存在している。
その姿は、悟り無き老人の様。
年を取ると若かった頃、熱かった頃が懐かしいのだ。
あの頃程、自分が燃えられない故に、
「あの頃が一番良かった」と思ってしまうらしい。
この種の病は自覚症状がないらしく、たちが悪い。
僕もその病に陥っていた事がある。
格闘技に限らず、音楽の好みにおいてもそう。
恥ずかしい限りだが、毎回、治ってから気付いている。
昨今のプロレスについて考えると、
「あの頃は良かった」と呟いている自分に気付く。
ハッスルを愉しめているのが救いだが、
別の懐古主義に陥っているのかもしれない。
実際に、昔のプロレスの方が面白いのかもしれない。
それが冷静な認識なのか、懐古主義な盲目な認識なのか。
正直、分からない。
ただ。
歴史は連続していている。
連続して目撃者であれば、比較的冷静な判断が出来る。
経験上、そんな気がする。
プロレスは、一時期あまりに退屈で離れていた時期がある。
故に、冷静な判断を出来ている自信がない。
前田日明が全盛期の輝きが薄れ、時にズレている感じがするのは、
前田自身があの事件後、姿を消していたからかもしれない。
格闘技界における前田という存在が連続していない。
そして、おそらく前田も格闘技界を連続して見ていなかっただろう。
ブランクを埋めるには、多少の時間が必要だ。
老人になっていなければ、いずれ感覚は戻るはず。
OUTSIDERが面白かったのかどうか。
それは観ていないだけに分からないが、ワクワク感は十分に感じられた。
結果はどうあれ、仕掛けや視点は全盛期のプロレスそのもの。
前田が前田らしくて、嬉しい。
まだ、前田は健在だといえる。
だが、連続している場合のマイナス点もある。
パンチドランカー症状になかなか気付かないのと同様。
連続しているだけに、変化になかなか気付く事が出来ない。
良かった頃の動きを覚えているだけに、その動きを引き摺ってしまう。
「田村VS船木」
この組み合わせを聞いて、そんな事を想った。
田村は連続して、格闘技シーンに存在している。
天邪鬼な行動も結果が伴ってこそ。
実際、最近は冴えない試合が続いている。
だが、連続して田村を見ているので気付きにくい。
回転体の田村、全盛期の田村の動きが戻れば。
今が調子を崩しているだけで、彼のポテンシャルなら。
そんな事を考えてしまう。
ポテンシャル自体が、落ちたかもという仮定はせずに。
それが、良いのか悪いのか。
分からないが、田村にあの頃の田村の動きを求めるのは
酷なのかもしれない。
体格が変わらない(様に見える)だけに、なかなか気付きにくい。
考えれば当たり前なのだが、僕達と同様に田村も老いている。
船木に関しては、逆。
連続していないだけに、今の彼を比較的見る事が出来る。
40を前にした男に、「21世紀の星」といわれた
若々しさを求める訳にもいかないだろう。
それは舟木一夫に高校三年生を歌わせるのと同じ。
本来、理想論だが、その時点時点でのその人を見るべき。
それが格闘技界における船木という存在が、連続していないので容易。
一度、ヒクソンに殺されて第一部は完結している。
今の船木は、これからどうなっていくのだろう。
UWFを懐かしみつつも。
彼等の過去ではなく現在を観たい。
人は少なくとも生きている限りは、現在進行形。
posted by siko_yugi |18:52 |
2008年03月09日
長年付き合った女。
苦楽を共にした特別な存在。
忘れ得ぬ思い出の数々。
様々な事情があり、感情を残したまま別れる。
紆余曲折があった後。
1年ぶりに、よりを戻す。
街並みも変わった。
よりを戻した彼女との新たな日々。
知っている彼女に触れては、安堵する。
2人の歴史が、そこに今も在る事への安堵。
だが、たまに感じる違和感。
よりを戻した時には、あれだけ喜んだのに。
あれだけ感動したのに。
何故か、分からない。
何かが違う。
何かが変わってしまっている。
俺が好きだったのは、あの時の彼女だったのかもしれない。
あの時の彼女は、もう何処にもいない。
そんなパターンになったら悲しいね。
それが嫌なら、生まれ変わるしかないね。
「DREAM」
posted by siko_yugi |12:00 |