2009年10月30日
昭和50年の広島東洋カープ(1)
今年がカープの創立60周年の年ということで、 「広島東洋カープ60周年カード」というシリーズが発売されることになりました。 BBM広島東洋カープ60周年記念カード http://www.sportsclick.jp/sportscard/card/2009_carp60th/index.html カープで思い出すのはやはり昭和50(1975)年の初優勝のこと。 自分がプロ野球を見始めたのが昭和48年ぐらいからだったのですが、 当時の少年向けのプロ野球入門書には 「カープは昭和43年に3位になったのがこれまでの最高成績」と載っていて 随分弱いチームだなあ~と思っていたものです。 なにしろ、昭和47年から3年連続で最下位の頃でしたから。 そして迎えた昭和50年。筆者は昭和40年の生まれなのですが、 昭和40年代後半というのがオイルショックなどもあって、えらく暗い時代だったのが 昭和50年代になってきて急に明るくなってきた感じがしたのを覚えています。 昭和50年という年はプロ野球界にとっても、エポックメイキングな年でした。 前年、巨人の連覇が途絶え、スーパースター・長嶋茂雄が引退。 この昭和50年からその長嶋が巨人の監督に就任したのですが、常勝・巨人が最下位に沈み、 万年Bクラスで前年最下位だった広島が初優勝を遂げるという コペルニクス的転換(←大ゲサ)があったのでした。 カープはこの年、外国人監督のルーツを迎え、帽子も赤に変更。ホプキンスとシェーンという 新外国人選手が加入したのですが、ホプキンスが一塁しか守れなかったため、 従前に一塁を守っていた衣笠祥雄が三塁に転向することになりました。 で、衣笠は背番号も「28」から「3」に変更されたのですが、 これはなんだか如実に長嶋のマネをしているようで、感心しなかったですね。 衣笠は後年、連続出場記録を作って「鉄人」の名を欲しいままにしますが、 実はこの「鉄人」というニックネームはマンガの『鉄人28号』と彼の背番号「28」を引っ掛けて 言われだしたものだったのですね。1ケタの背番号よりも2ケタの背番号の方が 彼の広い背中には似合っていると思ったので、この背番号変更を残念に思ったのでした。 そして、打順も前年までの「3番・山本浩二、4番・衣笠祥雄」の打順が 「4番・山本浩二、5番・衣笠祥雄」と順番がズレました。 当時の山本浩二は後年のホームランバッターに変身する前で、 まだ中距離打者のイメージが強かったので、この打順変更も「オヤ?」と思ったものでした。 当時のカープの看板打者といえば山本浩二よりも衣笠であり、マンガ『侍ジャイアンツ』で 主人公の番場蛮と対決したのも、山本浩二ではなく、衣笠だったのですよ!
posted by shrimp |10:43 |
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