2008年08月28日

女子ソフトボール・日本代表、上野由岐子投手の野球カードが登場!?

ベースボール・マガジン社(BBM社)から今月上旬にリリースされた野球カードの
「2008BBMベースボールカード 2ndバージョン」。
http://www.sportsclick.jp/sportscard/card/2008_baseball-2nd/index.html
BBM社では毎年、春先に「2008BBMベースボールカード 1stバージョン」という
シリーズを発行しているのですが、シーズン開幕後に活躍を始めた選手などは
同シリーズへの収録が間に合わないので、
例年、この時期に「2ndバージョン」というシリーズを出しているのです。

で、ここ数年、このシリーズで人気を博している企画カードが「始球式カード」。
これまでも、ほしのあきや上戸彩などのタレントや
橋本大二郎高知県知事(当時)のように政治家までがカード化されており、
マニア心をくすぐってきたわけですが、今回なんと、先の北京五輪で大車輪の活躍を見せた
女子ソフトボール・日本代表のエース、上野由岐子投手の始球式がカード化されているのです!

始球式は今年の4月1日、横浜スタジアムでの横浜vsヤクルト戦で行われたもので、
上野投手はベイスターズのユニフォームをまとっています。
写真に写り込んでいる相手打者はヤクルトの川島慶三選手のようです。

毎年恒例の企画で、特に何か狙いがあって制作されたカードというわけではないのですが、
上野投手のオリンピックでの大活躍もあって、このカードが密かに人気を呼んでいるとか、いないとか…。
「2008BBMベースボールカード 2ndバージョン」は全部で300種類以上あるので
パックを買って同投手のカードを引き当てるのは至難の技かもしれませんが、
カードの専門店(下記リスト参照)ではカード1枚単位でも販売しているので
興味のある方は問い合わせてみてはいかがでしょうか?
http://www.sportsclick.jp/sportscard/shop_list.html
shrimp-44652.jpg


posted by しゅりんぷ池田 |15:32 | 野球 | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年08月19日

シーズン途中の引退表明

昨日、オリックスの清原和博選手が改めて「今シーズン限りでの引退」を表明しました。
欧米のプロスポーツでは珍しくない「今季限りでの引退を表明」という手法ですが、
日本で最初に、この方式をメジャーにしたのは2006年の新庄剛志選手だったのでしょう。
それ以前の日本ではあまり例がない、引退方法だったと思います。

大相撲の元大関・小錦が1997年の11月場所で皆勤しての引退を決意していたものの、
13日目に負け越しが決まると、師匠の高砂親方(元小結富士錦)が引退を示唆したために
過去の慣例にならって、14日目、15日目に出場することなく引退に追い込まれてしまった
という例もありました。その際には小錦への同情論もありましたが、
「引退を表明しながら真剣勝負を戦うのは相手に失礼」という
従来の日本的な考え方が支配的で、「小錦引退やむなし」という線で落ち着きました。

「戦えなくなったと判断したら、そこでスパっと辞めるのが潔い」と思われていたわけですが
プロアスリートがシーズン途中でギブアップしてしまうと、
残りの給料がもらえなくなってしまう可能性もあるわけで、
一概に「辞めなさい」とも言いにくいですね。

シーズン途中の引退というと300勝投手の鈴木啓示さんのそれが有名です。
85年7月の試合でKOされると、自らの限界を悟って翌日、引退を表明。
当時、公共広告機構のCMに起用され、「投げたらアカン」と呼びかけていた
その当人がシーズン途中で仕事を投げ出してしまったわけで、随分と物議を醸しました。

それ以前にも独特のバッテイングフォームで知られた元西鉄の竹之内雅史選手
(当時阪神)が82年5月の試合後に引退を表明したり、
その後も、70~80年代の大洋ホエールズの名遊撃手として鳴らした
山下大輔選手が88年の開幕直前に引退したりという例があったのですが、
それらの記録を調べた(「プロ野球70年史 記録編」 2004年 ベースボール・マガジン社)
ところ、82年の竹之内、85年の鈴木、88年の山下、
いずれも「途中退団」を示す「×」印が付いていません。

彼らは、みな、その日以降、試合には出場しておらず事実上引退状態にあったものの、
書類上はその年度いっぱい契約を満了したという形を取ったわけです。
その時点で引退届けを出すと以降の給与支払いに支障が出かねないので
球団が温情的にそうした措置を取ったものと思われます。
「自らの力が通用しなくなったと悟り、潔く引退の道を選んだ」と伝説的に語られる
「シーズン途中の引退」も、書類の上では、そうではなかったようなのです。

話は戻って、新庄選手や清原選手のような、「今季限りでの引退を表明」という場合、
「シーズン終了後に引退を表明」する場合よりも、記念グッズ等が準備しやすくなるという利点もありますね。
シーズン後には「清原和博引退記念カード」がリリースされたりするのでしょうか?

いずれにしても、本邦ではまだ珍しい「今季限りで引退」というスタイルは
今後日本でも定着するのでしょうか? 「今季限りで引退します!」と宣言しても
注目を集めるのは一部の大物選手だけなんでしょうけどね。
shrimp-43435.jpg


続きを読む...

posted by しゅりんぷ池田 |15:01 | 野球 | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年08月13日

ウエスタン・リーグ首位打者の打率が3割を切っている!

今週の週刊ベースボールのファームのページを見ていて、
http://www.sportsclick.jp/magazine/baseball/080825/index.html
ウエスタン・リーグの首位打者が現在、広島のルーキー、松山竜平であることを知りました。
春先、オープン戦で活躍して話題になった選手ですが、お、ファームで頑張ってるんだなと
思ったのですが、よくよくその数字を見ると、なんと「打率.275」ではないですか!
(8月12日現在で.282まで上昇)
http://bis.npb.or.jp/2008/stats/bat_w.html
首位打者の打率が3割を切っているなんて、どういうこと?

一軍の方では戦前の1942年に巨人・呉波(昌征)の「打率.286」での首位打者という記録も
あったのですが、これは戦時中の物資の不足のため、ボールがおそろしく飛ばなかった
という特殊事情があったようです。

しかし、二軍の方では3割を切る打率での首位打者というのは、過去例がありません。
逆に、一軍では例がない打率4割代での首位打者というのが4回記録されているんですが…。
(一番最近では91年に西武の鈴木健が打率.401で首位打者を獲得)

今季は長らく中日の新井亮太が首位打者に留まっていたのですが、
(ときどき3割を切ってもいたが)一軍に昇格して、打席数が不足するようになり
ベストテンから姿を消してしまいました。新井は現在、再び降格しているのですが
8月は昨日までに3本塁打、打率.409と絶好調で通算打率も.322と上げてきています。

ファームの場合、規定打席は試合数×2.7なので
全88試合が消化された段階での規定打席数は238となります。
現時点での新井の打席が173であと65足りません。
そしてファームの中日の残り試合数は15なので届くかどうか微妙なところ。

もっとも、規定打席に到達しなくとも、「不足打席数を凡打として加算しても
最高打率となる場合はこれを首位打者とする」という特例規定があるので
(過去72年の長井繁夫、97年のボニチ、02年の川﨑宗則、06年の狩野恵輔の4例)
これに救われる可能性もありますが、新井がこのまま絶好調だと再び昇格する可能性も
高いので規定打席に大きく届かないということも考えられます。

他に、現在ファームにいる小斉祐輔が165打席で打率.399というハイアベレージで、
残り18試合なので、小斉が首位打者を獲る可能性もありますね。

しかし、今年に限ってこんなに打率が低いのはどうしてなんでしょうね?
今現在、合理的な理由を見つけられていないのですが、
ファームで史上初の打率2割代の首位打者が誕生するのでしょうか? 興味深いですね。
shrimp-42700.jpg


続きを読む...

posted by しゅりんぷ池田 |13:09 | 野球 | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年08月12日

1930打席連続本塁打なしの赤星憲広(神)を上回る日本記録保持者

今週の「週刊ベースボール」を読んでいたら、
http://www.sportsclick.jp/magazine/baseball/080825/index.html
阪神の赤星憲広選手が8月6日に1930打席連続本塁打なしの
セ・リーグ記録を更新した、との報が載っていました。

従前の記録を持っていたのは現阪神コーチの和田豊。
同コーチは91年から93年までの3シーズン、ホームランが「0」だったのです。
自分はその当時、カルビーで野球カードを作っていたのですが、
この和田選手の「連続本塁打なし」記録を
しばしばカード裏面の解説原稿に書いていたのでよく記憶に残っています。
90年には8本塁打もしていたのに、その後3年間は、なぜか本塁打「0」。

そんなに頻繁に試合に出るわけではない選手が本塁打「0」なら当たり前ですが、
当時の和田選手は毎年コンスタントに100安打以上放っており、
首位打者争いにもしばしば名を連ねる巧打者だったのに
3シーズンにもわたって本塁打「0」だったんですね。

2リーグ分立以降、規定打席に到達しながら本塁打が「0」だった打者はのべ57人なので、
かなりのレアケースだと思うのですが、和田選手は1人でそれを3回もマークしているのです。
そして赤星選手も04、06、07年と3度なのですが、
これを史上最多の5度マークしているのが、和田選手と同時期に阪神に在籍し、
二遊間コンビを組んでいた久慈照嘉選手(92、94、96、97、98の5回。98年は中日所属)。

「規定打席に到達しながら本塁打0」を3回以上マークしているのは
この3人以外に現オリックスの村松有人(96、97、07)だけなので、
阪神の選手への集中ぶりが目立ちます。不思議な伝統でしょうか。

ところで、この記録は「セ・リーグ記録」なわけですが、
日本記録保持者は元近鉄の日下隆選手で2088打席連続で本塁打なしだったそうです。
う~ん、なんだか見覚えがあるような…しかし、ほとんど知らない選手です。
調べてみたところ、同選手は鳴尾中から法大を経て1952(昭和27)年に近鉄に入団、
636試合543安打1本塁打137打点96盗塁、打率.268という成績を残し
58年限りで引退された選手だそうなのです。

法大3年秋のシーズンでは、打率.458で首位打者にも輝いています。
50年に設立された近鉄球団は初代監督の藤田省三さんが法大の元監督だったため
球団創設当初は関根潤三さんや根本陸夫さんなど法大出身の選手がすごく多く、
日下選手が入団した52年で見ると31選手中、実に8名が同大出身でした。

そして、日下選手は2年目の53年からレギュラーとなり、
53年	126安打25盗塁	打率.285(リーグ10位)
54年	142安打19盗塁	打率.296(リーグ6位)
55年	114安打26盗塁	打率.293(リーグ13位)
という好成績を残し、54年にはオールスターにも出場しますが、
これが近鉄の野手では初の球宴出場だったそうです。

しかし、167cm 64kgという小兵だったため、長打力には欠け、
2年目の53年に1本のホームランを打っただけで、以降は1本のホームランも打つことなく
現役を退かれたそうなのです。とまあ、日下選手は巧打者ではあったものの、
ホームランがほぼない打者だったのですが、近鉄では時にクリーンアップも務めていたそうで
設立当初の同球団の苦闘ぶりがうかがえます。

ところで、日下選手は実兄の日下章も阪神でプレーしており、
こちらの章氏は引退後、尼崎市の市議会議員を務められたそうで、
さらには日下兄弟の父・梅吉氏は兵庫県議会議員でもあったそうなのです。
一方、隆氏は引退後、高校野球の指導者に転進。母校の鳴尾高や三田学園、育英高で
監督を務められたのですが、三田学園時代の教え子が後年プロでも活躍した
山本功児、淡口憲治、羽田耕一らだったそうです。そして、さらに、隆氏の長男が
93年に育英高を夏の甲子園優勝に導いた日下篤監督なのだとか!

記録を追究ていたら最後は思わぬところまで来てしまいましたね。
赤星選手はその後も本塁打なしのままですが、果たして、日本記録更新はなりますか?
shrimp-42463.jpg


続きを読む...

posted by しゅりんぷ池田 |12:08 | 野球 | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年08月11日

最下位チームからの最高勝率投手なるか:岩隈久志(楽天)

8月10日の対ソフトバンク戦で今季15勝目を挙げた岩隈投手。
昨日は7回を自責点0に抑えて防御率も2.04となり、
ライバル、ダルビッシュの防御率2.07を上回り、
勝ち星、防御率、勝率の3部門でトップとなりました。
シーズンはまだ1か月半以上残っているので、久々に20勝投手が誕生しそうですね。

とまあ、素晴らしい成績なわけですが、中でもすごいと思うのが
チームが最下位(8月10日現在。以下同)なのに、勝率が1位というところ。
最下位というのは「最低勝率チーム」なわけで、そのチームから「最高勝率投手」が
出るというのはすごく珍しいケースだと思うのですね。過去にそういう事例があったのか?
「最下位チームからの最高勝率」というキーワードで検索してみたら出てきました。
なんと、自分のブログですよ。

「日本プロ野球史上最初に全12球団から勝ち星を挙げた投手、野村収の軌跡」
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/article/92

最下位チームから最高勝率投手が出たのは
上記、75年の野村収投手(日本ハム)が11勝3敗の勝率.786、
98年、黒木知宏(ロッテ)が13勝9敗の勝率.591(これは史上唯一の5割台の勝率1位)
の2例しかないんですね。ちなみに、パ・リーグでは86年からこのタイトルの条件として
「13勝以上」という制限が設けられているので、
75年の野村投手のケースは、現在なら対象外となっているところです。
この前2例に比べても岩隈投手の15勝3敗、勝率.833という数字は突出しています。

同投手はこのタイトルを既に1回獲ったことがあり、
それは近鉄最終年の2004年で15勝2敗の勝率.882でしたが、
同年の近鉄は5位(6位のオリックスには12ゲーム差あった)だったんですね。

今回は史上3例目の「最下位チームからの最高勝率投手」が誕生となるのか、
それとも、楽天が最下位を脱出してこの珍記録を阻止するのか? 
静かに見守りたいと思います。
shrimp-42321.jpg


続きを読む...

posted by しゅりんぷ池田 |12:30 | 野球 | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加