2008年07月25日

2つのポジションで同時にベストナイン投票1位になった選手

「ホークス70周年記念カード」にまつわるお話の3回目。
今回も、カード制作にあたり、いろいろな資料に当たっていて、「ホンマかいな!」と
驚くような発見が多々あったのですが、その最たるものが標題の件でした。

この選手は昭和40年代前半の南海で活躍した国貞泰汎選手。
同選手は南海が3連覇を果たした1966(昭和41)年に二塁手と三塁手の両部門で
ベストナイン投票の1位になり、結局より得票数の多かった二塁の方でベストナインに
選ばれ、三塁の方は次点だった西鉄のロイ選手が繰り上げ当選となったそうなのです。

この国貞選手、ベストナインに計3回選ばれているものの
通算で1252試合に出場して977安打、57本塁打という成績で
引退後、指導者になられることもなかったので、
現在のファンの方にはもうひとつ知られていないかもしれません。

鶴岡監督と同郷の広島・呉港出身ということもあって、同監督の秘蔵っ子として活躍。
66年から4年連続で100安打以上を放ったものの、鶴岡監督の退任後、広島に移籍。
71年には120安打50打点、打率.274(リーグ9位)でセ・リーグでもベストナインに選ばれ
翌72年も109安打でリーグ5位の打率.293と健闘します。
最後は75年に太平洋に移って現役を退かれますが、
広島の初優勝に立ち会えなかったのは残念でした。

わたしがプロ野球を見始めた頃は既に広島に移籍されていて、当時「少年ジャンプ」で
連載されていた「侍ジャイアンツ」にも1コマぐらい出ていたと思うのですが、
とにかく小さい選手だな(165cm 72kg)という印象が残っています。

しかし、2部門でベストナイン投票1位というのはすごいことですよ。
これが小笠原道大(一塁と三塁)や松中信彦(一塁と外野と指名打者)、
かつての落合博満(一塁と三塁)のように、複数ポジションを守るポイントゲッターなら
まだ理解しやすいのですが、国貞さんはそういうタイプの選手ではありません。

だいたい、票が複数ポジションに分散するのは、
ベストナインの投票上では不利に働くと思うんですけどねえ~。
ちなみに06年のパ・リーグのベストナイン投票では
松中は外野で96票(2位)、指名打者で55票(2位)とやはり票が分散、
外野の3位が和田一浩の82票、4位が森本稀哲の56票で
無事、外野のベストナインに選ばれましたが、少々危ないところでした。

66年の国貞選手の成績はというと、
130試合115安打7本塁打39打点、打率.264(リーグ12位)
というもので、それほど驚くほど突出した成績ではありません。
だいたい、二塁でベストナインに選ばれているのですが、
この年は二塁で80試合、三塁で96試合と三塁を守った試合の方が多いんですね。
同年の二塁手、三塁手がよほど不出来だったのでしょうか?

【二塁手】
国貞泰汎(南)	130試合115安打7本塁打39打点、打率.264(リーグ12位)
バーマ(西)	134試合125安打23本塁打53打点、打率.260(リーグ15位)
青野修三(映)	126試合108安打10本塁打32打点、打率.258(リーグ18位)
八田 正(京)	115試合102安打5本塁打26打点、打率.251(リーグ20位)
住友 平(急)	89試合60安打6本塁打24打点、打率.214(規定打席未満)
小玉明利(近)	121試合105安打4本塁打32打点、打率.245(リーグ22位)

【三塁手】
国貞泰汎(南)	130試合115安打7本塁打39打点、打率.264(リーグ12位)
ロイ(西)	                124試合119安打22本56打点、打率.260(リーグ16位)
西園寺昭夫(映)	134試合119安打7本塁打33打点、打率.271(リーグ11位)
前田益穂(京)	134試合113安打13本塁打40打点、打率.250(リーグ21位)
スペンサー(急)	125試合112安打20本塁打63打点、打率.278(リーグ8位)
クレス(近)	                123試合109安打17本塁打47打点、打率.277(リーグ9位)

う~ん、困りましたね。昭和40年代というのはすごく「投高打低」の傾向がきつかったので
(66年のリーグ全体の打率が.238、防御率が2.88、07年の打率は.262、防御率3.57)
この年の二塁手、三塁手がすごく成績が悪かったのでは? 
という仮説を立てていたのですが、必ずしも、そうでもありません。
この年、22歳の若武者、国貞泰汎のガッツあるプレーが光ったということなんですかね?

しかし、「2つのポジションで同時にベストナイン投票1位」というのが
未曾有の快挙なのは確かです。こんな記録を残した選手がいたことを覚えていてください。
20080725-00.jpg


posted by しゅりんぷ池田 |13:11 | 野球 | トラックバック(0)
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2008年07月24日

ホークス背番号物語「28」

昨日に続いて「ホークス70周年記念カード」の話です。
今季、ホークスはかつての南海のユニフォームを復刻して話題を呼びましたが
せっかくなので、その写真を使ったサブセットを作ることにしました。

で、カードの裏面に何を入れようかと悩んだのですが、
その選手の背番号を着けていた過去の選手の一覧を載せることにしました。
しかし、これがなかなか面白い結果になったのです。
例えば、現在、大隣投手が背負っている背番号「28」の歴代選手はこんな感じ。

1942~43、46	長沼要男
1948~50	松本勇
1952~56	大神武俊
1957~62	福田昌久(弘文)
1963~78	林俊宏(俊彦)
1979	山下慶徳
1980~83	山本雅夫
1985~88	田口竜二
1989	原田賢治
1990	西村英嗣
1990~91	杉本正
1992	新浦壽夫
1993~2003	渡辺正和
2005	フェリシアーノ
2007~ 	大隣憲司

大隣投手はアマ時代から「江夏2世」という異名を取っていたこともあって
江夏豊投手の阪神時代の背番号「28」を踏襲しているわけですが
(同投手は南海に所属していたこともあって、その当時の背番号は「17」だったのですが…)
ホークスでも28番は左腕投手が目立ちます。

現在、投手コーチを務めている杉本正以降5代続けて左腕投手というのは、
やはり江夏さんの影響があると思うのですが、
ホークスでは同氏の登場(67年入団)以前にも、左腕の28番がいたのですね。

その選手は63年に中京商から入団した林俊宏(70年4月まで「俊彦」)投手。
この選手のことを覚えている方は、けっこうなオールドファンだと思うのですが、
わたしがプロ野球を見始めた頃には、既に打者に転向しておりました。

中京商時代には元中日の木俣達彦とバッテリーを組んで
62年、春夏の甲子園に連続出場してともにベスト4に進むという活躍を見せたそうなので
注目された投手だったのでしょう。3年目の65年には開幕から12連勝して17勝3敗で
最高勝率(.850)のタイトルを獲得、防御率も2.25でリーグ4位という好成績で、同年は
ファン投票1位でオールスターにも出場、巨人との日本シリーズでも1勝を挙げています。
しかし、以後は勝ち星が挙らなくなり71年に打者に転向。
主に代打として活躍し、守備では一塁を守っていました。

わたしの記憶の中に残っている林さんというと、やはりズングリムックリした体型ですね。
記録では175cm、87kgという数字が残っています。
投手時代は球質の重い、剛速球投手として鳴らしていたそうで
その辺は現在の大隣(175cm、85kg)にも通ずる部分がありますね。

林さんが活躍していた野村監督時代の南海というと、
野村さん、門田さん、林さんとズングリムックリした体型の選手が多かったのですよ。
林さんは常時出場していたわけではありませんが、
あの時代の「南海」を、ある意味、体現していたような選手だったと思います。
立派な体格で、長打力がありそうに見えて、そんなに打球が上がらないというのは
後の藤本博史に受け継がれていたような…。

林さんの通算成績は投手としては150試合に登板して29勝17敗、防御率3.13、
打者として498試合で132安打10本塁打54打点、打率.219というもので
残念ながら今回の70周年記念カードには登場していませんが、
背番号一覧の中になつかしい名前を見つけて、つらつらと書いてみました。

細かいカードの裏のデータですが、読み込んでみると、なかなか面白い発見がありますよ。
20080724-00.jpg


posted by しゅりんぷ池田 |12:35 | 野球 | トラックバック(0)
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2008年07月23日

背番号「9」を20年間独占し続けた男

8月中旬の発売を目指して、「ホークス70周年記念カード」を制作中です。
これまでも、巨人・阪神・中日・西武と各球団の「周年もの」カードを作ってきましたが
これまで知らなかったいろいろな発見があって、なかなか勉強になります。

今回、掲載しているのは、戦後の鶴岡・南海の黄金時代に
「5番・レフト」を長く務めた堀井数男さん。
わたしが生まれる前に既に現役を退かれており、
わたしがプロ野球を見始めたころは、南海のスカウトをされていたと思うのですが、
当時からそのお名前は存じておりました。

というのも、同氏の長男の堀井和人さんも70年から80年にかけて南海に所属しており
当時から親子選手として有名だったからです。
堀井和人さんは現在もオリックスのスカウト部長を務められているので
ちょくちょくスポーツ新聞でもお名前を拝見します。
しかし、長男の名前を鶴岡監督と同じ読みの「かずと」と付けたあたり、
その親密ぶりがうかがえますね(そして、和人氏は鶴岡監督と同じ法大出身)。

そんなわけで、お名前だけは存じていたのですが、
どんな選手だったかはよく知らなかったのです。
そこで、今回、調べてみたところ、これがなかなかの名選手だったのですよ。
46年から55年にかけて10年連続で100安打以上しており、
ベストナインに選ばれた53年には打率.314でベストテンの3位。
51年から55年にかけては毎年全試合に出場という、南海の中心選手だったのですね。
主要タイトルの獲得がなく、現在に伝わっていない選手ではありますが、
通算1513安打は野村、門田、広瀬に次いで球団歴代4位の記録ですから
70周年記念カードに当然収録されるべき選手なのです。

カード表面には、その選手の在籍期間を表示(堀井さんの場合、1943-44, 46-59)し、
在籍中に背番号変更があった場合は裏面にその変遷を表示しています。
堀井さんの場合は ※背番号は43年=「18」、46~59年=「9」 と書いているのですが、
お気づきでしょうか? 44年の背番号がありません。

実は44年という年はリーグ全体で背番号制度がなかったのです。
そもそも、戦局が相当厳しい状況になっていたであろう、44(昭和19)年にプロ野球の
リーグ戦が存続していた(ただし35試合のみで途中打ち切り)こと自体が驚きです。
さらに、堀井選手はこの年も全35試合に出場しているのです。
この年の南海軍(途中「近畿日本」と改称)の登録メンバーは、なんと15名のみ!

そして、堀井さんは、戦後は一環して背番号「9」で通します。
背番号表を確認していて気付いたのですが、同氏は引退したあとも65年まで
コーチでありながら背番号「9」を着けていたのです!
翌66年になって背番号「62」に変更するまで、
実に20年間に渡って背番号「9」を独占し続けたわけですよ!

現在では、引退してコーチになった場合は現役時代の背番号を返上して
重い番号に変更することが一般的ですが、昔は必ずしもそうではなく、
引退後もしばらく同じ番号で通すことがままあったようです。

例えば、53年の首位打者&MVPの岡本伊三美さんは63年限りで引退後も
65年まで24番でコーチを務め、通算315盗塁の森下整鎮氏も66年で引退も
67、68年は現役時代と同じ背番号「16」のコーチだったのです。
この頃は、毎年、ユニフォームを作り変えたりしなかった、
という経済的な事情もあるような気がするのですが、いかがでしょうか?

しかし、わりと最近でも82年限りで引退した藤原満さんが翌83年、
現役時代と同じ背番号「7」でコーチを務めたという事例もあります。

有名なところでは、現在ホークスで監督を務める王貞治監督が現役引退後も
背番号「1」で巨人の助監督を務めていましたが、この場合は永久欠番となることが
規定路線だったので、特別なケースでしょうね。

いやあ、今回も目からウロコの発見がたくさんありました。
そんなエピソードをまた当ブログでお伝えして行こうと考えておりますので
また、よろしくお願いいたします。
20080723-00.jpg


posted by しゅりんぷ池田 |15:26 | 野球 | トラックバック(0)
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