2007年05月31日

金刃×大隣:プロ野球ライバル物語

巨人の金刃投手が5勝目を挙げて、新人王の有力候補となっていますが
かつての(?)ライバル、ソフトバンクの大隣はいまだ一軍に上がってきていません。

まだ、「かつての」と付けるほど時間が経っているわけではないのですが、
二人のライバル関係がクローズアップされるようになったのは
05年秋の関西学生野球連盟のリーグ戦で
近大の大隣と立命館大の金刃の両エースが対峙して、
ともに一歩も引かず延長13回引き分け(両投手はともに完投)、
翌日も再び両エースが完投して延長13回までもつれたものの、
最後は近大がサヨナラ勝ちしたあたりからだったでしょうか。

その後、06年秋に大隣が再び金刃と投げ合って、
立命館大をノーヒットノーランで下し、このライバル関係に決着を付け、
大隣の評価もうなぎのぼりとなり、両者の評価は圧倒的に大隣優勢となったのですが…。

金刃が入った巨人が上原、パウエルの出遅れで先発投手の頭数が揃わず、
金刃に早々にチャンスが巡って来たのに対して、大隣の入ったソフトバンクは
先発投手陣が揃っており、故障の大隣をしっかり休ませることが可能という
両チームの環境の差だとは思うのですが、このまま、まごまごしていると
大隣が付け入る隙がなくなってしまうかもしれません。

昨秋のドラフト時点では、金刃よりはるかに高い評価を得ていたのですから、
大隣が完全復調を果たせば、すごいことになるかも? という期待感もありますが
今後、2人のパワーバランスがどのように変化していくのかも楽しみですね。

プロ野球の世界では、このようにアマ時代からライバル関係を
取り沙汰されるような選手たちがしばしば登場してきます。

69年入団の「法政三羽烏」(田淵幸一・山本浩二・富田勝)については既に書きましたが
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/article/18
チーム事情もあって、富田さんがちょっと割りを食いました。
その一方で、入団時には圧倒的に田淵>山本の評価だったはずなのに
最終的には、ホームラン数で浩二さんが田淵さんを上回った
(田淵474本に対して山本浩二536本)というのも、鮮やかな逆転劇だったと思います。

時代が少し下って、75年入団の高校四天王、
定岡正二(鹿児島実-巨人 通算51勝)、土屋正勝(銚子商-中日 通算8勝)、
永川英殖(横浜高-ヤクルト 通算0勝)、工藤一彦(土浦日大-阪神 通算66勝)は
工藤以外は全員がドラフト1位で、唯一2位だった工藤さんがムクれたという話を
聞いたことがあるのですが、その工藤さんが一番最後まで現役を続け、
一番勝ち星を残したというのも皮肉です。

95年秋のドラフトで高校生としては史上最多の7球団から1位指名を受けた
福留孝介に対して、ロッテ・ヤクルトが競合してロッテに入団した沢井良輔。
この時点では「西の福留、東の沢井」と並び称されたものですが、
沢井は05年限りでロッテを退団、この呼び方を覚えているファンも少なくなりました。

最近では、06年入団の「大阪四天王」。
辻内崇伸(大阪桐蔭-巨人1位)、平田良助(大阪桐蔭-中日1位)、
岡田貴弘(履正社-オリックス1位)、鶴直人(近大付-阪神1位)ですが、
辻内のケガが気掛かりです。

しかし、こういう長いスパンで選手の消長が見られるのもプロ野球の醍醐味のひとつ。
現在、結果が残せていない選手たちにも頑張ってもらいたいですね。
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posted by しゅりんぷ池田 |17:24 | 野球 | トラックバック(1)
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2007年05月29日

西武の外野の選手層の厚さに驚嘆

7月発売の予定で西武ライオンズのカードを作っています。
ベースボール・マガジン社では12球団のチームごとのカードを作っているのですが、
このチームシリーズでは基本的に登録全選手をカード化しています。

僕もいろいろなチームのカードを手掛けてきましたが、
今回初めてライオンズのカードを担当することになりました。

先日も西武球団の選手の育成能力の高さについて書いたところですが、
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/article/58
ライオンズの選手層は本当に厚いですね。

選手も70名ほどにもなってくると、「これだれだっけ?」という選手が少なからず
出てくるものですが、例えば、西武の外野手13名は、わたしも全員知っていますし、
ほとんどの選手が一軍でそこそこの実績を残している選手なのです。

0	大﨑雄太朗	東都大学で史上13人目のリーグ100安打を達成
2	柴田博之	01年113試合93安打20盗塁。元騎手の柴田政人が叔父
5	和田一浩	05年の首位打者。02年から3年連続で30本塁打以上
9	赤田将吾	選手会長。05年116安打、打率.272。06年132安打、打率.293
10	佐藤友亮	04年105試合97安打、打率.317。慶応高-慶大という経歴で頭も良い
39	貝塚政秀	04年112試合118安打75打点、打率.307(リーグ11位)。元捕手
44	高山 久	00年のドラフト1位。二軍通算56本塁打の長距離砲
46	G.G.佐藤	07年46試合49安打13本塁打、打率.304
51	大島裕行	03年96試合78安打33打点、打率307。今季は代打で5打数連続安打
52	栗山 巧	05年84試合85安打10本塁打、打率.297
53	福地寿樹	昨年広島より移籍。06年91試合85安打25盗塁、打率.289
58	松坂健太	西武の「もう一人の松坂」「まつざか」ではなく「まつさか」
65	内田和也	今季ヤクルトより移籍。01年夏の甲子園で優勝した日大三高の三番打者

今季の西武の外野、お気づきでない方も多いかもしれませんが、
実はチームリーダーのセンター・赤田が開幕からケガのため欠場しており
今季は(左)和田、(中)福地、(右)G.G.佐藤という布陣が基本線となっています。
そして、4年目のG.G.佐藤が大爆発しているわけですが、
赤田が万全なら、G.G.は今年も控えだったはずです。

福地にしたって広島在席時には代走・守備固めのイメージしかなかったのに
(広島の12年間で80安打<06年85安打!)
ライオンズでこれほど活躍するとは思いもしませんでした。
西武球団の編成の目の高さはすごいです。

このように外野のレギュラーが流動的なのは今に始まったことではなく、
80年代から90年代の常勝期でも秋山幸二、平野謙が固定されていた以外は
金森永時、田尾安志、岡村隆則、西岡良洋、安倍理、ブコビッチ、吉竹春樹、
羽生田忠克、笘篠誠治、大塚光二ともうとっかえひっかえ選手を使っておりました。

100点満点の正選手を固定して使うよりも、70点ぐらいの選手をローテーションで使う
というのがライオンズのチーム編成の根幹にあるのでしょうか。
100点満点の選手でも、スランプに陥ったり、ケガで出場不能になる場合もあるので
企業経営的にはその方がリスクが少ないのかもしれませんが、
個々の選手の魅力を削いでいるような気もするんですよねえ~。

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posted by しゅりんぷ池田 |11:38 | 野球 | トラックバック(0)
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2007年05月24日

木樽正明(ロ)vs谷沢健一(中)

プロ野球は交流戦が始まりましたが、先日のロッテvs中日戦で
両チームのOBの木樽正明さんと谷沢健一さんの始球式対決がありました。
1974年の日本シリーズでの対決を再現したわけですね。なかなかの好企画ですね。

で、この模様を紹介したスポーツ新聞の記事で
2人が1947年生の同級生だと知って驚きました。
木樽さんが銚子商、谷沢さんが習志野高の出身ですから、
2人は高校時代から対戦していたそうなのです。

木樽さんの全盛期は防御率1位となった69年(15勝)、
21勝を挙げてロッテの優勝に貢献してMVPに選ばれた70年、
24勝を挙げて最多勝投手となった71年ごろで、
一方の谷沢さんは.355の高打率で首位打者を獲得した76年から
アキレス腱を痛めて苦しんだ後、
復活して再び首位打者に返り咲いた80年(打率.369)にかけてと
活躍期間が長かったため、世代が一世代違うような印象があります。

高卒で入団した木樽さんと大卒で入団した谷沢さんの活躍した期間がズレていたわけですね。

どころで、読者のみなさんは木樽さんってご存知ですかね?
木樽(きたる)という名前も相当、珍名さんですよね。
(プロ野球選手には珍名さんが多い、という話を最近BBMのHPのコラムでも書いたばかりです
http://www.sportsclick.jp/sportscard/column01/index33.html)

木樽さんは上記のように短期間に爆発的に働きましたが、
腰痛もあって活躍期間が短く(76年、31歳で引退)、通算勝利数も112で
引退後は裏方(ロッテのスカウト部長を務め、現在は巨人の育成担当コーチ)に
回られたため、知名度がそんなに高くないのが惜しまれます。
なにしろ、全盛時にはあの、アストロ球団とも戦った大投手なんですから!

木樽さんは65年の夏の甲子園で準優勝を果たし、
同年秋初めて開催されたドラフト会議でも最も注目を集める選手の1人となりました。
しかし、初年度は指名方法が複雑だったこともあり、
12球団が腹の探り合いをした結果、思わぬ選手が1位指名を受けたり、
ドラフト1位が有力と目されていた選手が1位から漏れたりしたそうで、
木樽が東京の2位、兵庫・育英高の鈴木啓示が近鉄の2位となったそうなのです。
(と、見てきたようなことを書いていますが、わたしは同年7月生)
このような結果、ドラフト1位でなかったことも、
木樽さんの知名度を減退させる一因になっているのかもしれません。

で、このときの甲子園の決勝で戦った三池工の監督が
現在の巨人の原辰徳監督の実父の原貢氏で、
主戦投手・上田卓三は翌秋のドラフトで南海に1位指名されて入団、
のちに阪神に移籍した際の背番号が投手ながら「3」
(卓三の「三」に引っ掛けて「3」なのか?と言われていました)だったのが印象に残っていますが、
同氏のあとに中1年を挟んで背番号「3」を引き継いだのが江川卓だったんですね。
上田さんはのちに南海に復帰、ダイエーの編成部長としても活躍されました。

などと、話はまたまた脱線してしまいましたが、今年は巨人や西武でも
OBの始球式が予定されているそうで、それもまた楽しみですね。
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posted by しゅりんぷ池田 |14:05 | 野球 | トラックバック(0)
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2007年05月23日

野口二郎(セネタース・翼・大洋・西鉄-阪急)

元祖「鉄腕」野口二郎が先日、亡くなられました。
正直、記録マニアのわたしも戦前の選手の方は関心が薄かったのですが、
訃報を報じるスポーツ紙に「戦前の5年間で156勝」
(年平均31勝! なんだ、そりゃ!)というのを目にして、改めて記録を見直してみました。

中京商で37年夏と翌38年の春に優勝。
38年春にはノーヒットノーラン1を含む4完封と
現在に置き換えれば桑田真澄や松坂大輔や田中将大みたいなものだと思うのですが
39年に20歳でプロ入りした野口さんは1年目から69試合に登板(リーグ最多)して
33勝19敗(完投38もリーグ最多)と、とんでもない数字を残します。

その年からの勝ち星が33→33→25→40→25!
投球回数もすごくて、1年目はリーグ最多の459回! 今の投手の2年分ですよ!

戦争に取られる選手が多くなって選手層が薄くなった42年にはさらに投球回が増え、
この年なんと527回1/3を投げるのですが、
さらに驚くことには、この527回1/3がリーグ1位ではないのです!
朝日の林安夫という投手が541回1/3を投げており、
これはNPB史上でもシーズン最多回数の記録でもあります。
(野口さんの527回1/3が史上2位)
今週の「週刊ベースボール」は記録特集なのですが、
http://www.sportsclick.jp/magazine/baseball/070604/index.html
この記録についても言及されていますので、ご覧になってみてください。

しかし、わたしが今回、記録を調べていて気付いて驚いたのは
セネタース(39)-翼(40)-大洋(41~42)-西鉄(43)と
野口さんの所属チームの名称が毎年のように変わっていたことです。
これは、野口さんが4つの球団を渡り歩いたのではなく、
1つの球団が4回名前を変えたのです。

36年に創設された同球団は当時の貴族院議員・有馬頼寧が中心となって設立されたこともあって、
セネタース(米国の上院議員を意味する)と名付けられたのですが、
戦火が厳しくなった折、英語の使用が制限されるようになって「翼」と改称。

この新愛称は有馬伯が大政翼賛会の理事を務めていたことからの命名だそうなのですが
なんともすごい歴史的な話です。

そして、翌41年の大洋は現在の横浜ベイスターズの前身・大洋球団とはまったく無関係で
翼と名古屋金鯱の合併チームの“愛称”だったのです。

名古屋には当時も中日の前身である名古屋軍があり、
名古屋の市場規模で2チームは無理だろうと思われるかもしれませんが、
当時は金鯱も名古屋も東京の後楽園球場を主戦場としていたんですね。
単に名古屋新聞(金鯱)と新愛知新聞社(名古屋)がオーナーの会社という…。
それもまた、今のフランチャイズ制の常識からすると不思議な構図です。

そして、この「大洋」軍は43年には九州の西鉄が新スポンサーとなります。
現在の西武ライオンズの前身・西鉄ライオンズの親会社だったあの西鉄です。
このセネタースの流れを汲む西鉄球団は同年末に解散してしまいますが、
この縁もあって、2リーグ分立時に西鉄がパ・リーグに加入することになります。
(戦前の西鉄と戦後の西鉄は別系統とされ、記録は引き継がれていません)

ところで、設立時のセネタースを後援していたのが当時の西武鉄道
(ややこしいことに、現在の西武鉄道とは別法人だそうですが、
現在の西武新宿線を運営していた会社なので、まんざら他人でもありません)
というのも不思議な縁を感じてしまいますねえ~。

野口さんの訃報から、そんな歴史の勉強をしてみたのでした。
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posted by しゅりんぷ池田 |11:20 | 野球 | トラックバック(0)
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2007年05月22日

優勝経験のない1000勝監督:別当薫

前回も紹介した「ベースボールマガジン」の監督特集号の
http://www.sportsclick.jp/magazine/baseball-q/0707/index.html
12球団ごとの監督を紹介したページに
「監督勝利数ランキングベスト10」というランキングが掲載されています。

ジャイアンツなら14年間で1066勝を挙げた川上哲治監督、
ホークスなら23年間で1773勝を挙げた鶴岡一人監督等の名前が
挙がっているのですが、驚いたことに、ある監督経験者の方が
2つのチームで最多勝利監督になっているのです。

それが標題になっている別当薫さんで、
毎日(現ロッテ)で7年間に497勝、大洋(現横浜)で9年間に494勝で1位なのです。

しかし、これは別当さんの監督としての手腕の高さを表す記録というよりも、
両チームの不振ぶりを現す記録ですね。
最多勝利監督が500勝未満というのは、新設球団の楽天以外には見当たりません。

ロッテの2位は金田正一監督の471勝(8年)、
3位が山本功児監督の324勝(5年)
(このランキングは5月10日現在のものなので、まもなくバレンタイン監督が3位に浮上します)
というのはいかがなものでしょうか?

つい最近指揮を執っていた山本功児監督時代の成績がそんなに奮わなかったことは
みなさんもご記憶にあるところだと思います。
(5年間の順位は5位→5位→4位→4位→4位)

ロッテでは5年以上指揮を執ったことがある監督は
金田・別当・山本・バレンタインの4人だけなんですね。

一方の横浜も事情はほぼ同じで、
勝利数2位が三原脩監督の461勝(8年)、
3位が権藤博監督の219勝(3年)、
4位が近藤昭仁監督の184勝(3年)なのです。

2位、3位はともに優勝監督ですが、
4位の近藤昭仁監督の3年間は5位→6位→4位と不振でした。それでも4位…。

横浜ではロッテよりもさらに監督の寿命が短く、
4年以上監督を務めた人は別当さんと三原さんしかいないのです。

弱いから監督がドンドン代わるのか、
監督がドンドン代わって落ちつかないので弱いのか…。

しかし、別当さんのキャリアはすごいですね。その監督としての履歴は下記の通り。

毎日・大毎(52、54~59)-近鉄(62~64)-大洋(67~72)-広島(73)-大洋(77~79)

実に20年の長きにわたって指揮を取られて通算で1237勝を挙げられたわけですが
1000勝以上を挙げた監督の中で唯一、優勝経験のない監督なのです。

では、別当さんの監督としての手腕がもうひとつだったのかといえば、そうでもなく
最下位が定位置だった近鉄を勝率5割に浮上させたり(63年、勝率.503=4位)、
最初の大洋監督時代は69年から71年まで3年連続3位、
指揮を執った最後のシーズン、79年に大洋を15年ぶりに2位に引き上げたりと
なかなかの手腕だったと思うのです。

そして、別当監督といえば、大毎で山内一弘・榎本喜八、近鉄で土井正博、
大洋で田代富雄と各チームで強打者を育てたことでも有名です。

僕らぐらいの世代だと、別当さんといえばメガネのHOYAのバリラックス2のCMですよね。
スポーツ選手というよりも、成功した実業家といった感じの知的な風貌で、
随分と話題になりました。

しかし、別当さんといえば、どういう野球理論の方だったんですかね?
もうほとんど、ずーっと現場にいらっしゃったので
(監督退任後は大洋球団の常務取締役・球団代表を務められました)
別当さんの解説というのを聞いた記憶がありません。
また、その辺も機会があれば研究してみたいと思います。
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posted by しゅりんぷ池田 |11:46 | 野球 | トラックバック(1)
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2007年05月19日

生え抜き監督が成功しない横浜と生え抜き監督が存在しない日本ハム

今月から隔月刊となった「ベースボールマガジン」の新しい号のテーマは「監督」。
http://www.sportsclick.jp/magazine/baseball-q/0707/index.html
同誌で恒例となっている綱島理友さんとえのきどいちろうさんの対談で
綱島さんが「意外と名監督を生まない球団もあって、ベイスターズがそれ。
生え抜き監督が育たない」という趣旨の発言をされていて(綱島さんは横浜ファン)
日本ハムファンのえのきどさんが「日ハムもそうですよ」とつないでいます。
そう、両球団とも生え抜き選手の監督はうまく行っていないですね。

大洋・横浜では60年初優勝時のメンバー、秋山登・土井淳・近藤昭仁が
監督を務めましたが、いずれも成績を残せず短命政権に終わっています。

以前、往年の大洋のエースだった平松政次さんにインタビューした際に
「たくさんの監督に仕えられました(18年の選手生活でのべ8人!)
が、どの監督が印象に残っていますか?」という質問をしたところ、
「秋山さんなんかは大監督という雰囲気を持たれていたよ。
もっと長くやられていたら…」と残念そうに語られていました。
(ちなみに平松さんは岡山東商で秋山さんの後輩。
そして、球団歴代の最多勝利投手である
平松さんが横浜の監督に迎えられていないのもまた不思議ですが…)

75年に大洋の監督に就任した秋山さんでしたが、
1年目は長嶋巨人の最下位の上の5位(勝率.425)で、
2年目に最下位(勝率.366)だと、翌77年に二軍監督に降格されるという屈辱!
大洋ホエールズを支えた大エースに対する処遇がこれとは…。

弱いチームの常ですが、目先の勝利に拘って、
監督の首のすげ替えばかりやっていてチームが落ち着かず、
また成績が落ち込むという悪循環に陥りがちです。

例えば、後年「悲運の名将」と呼ばれた西本幸雄さんが阪急の監督に就任したのが
63年で、その年から6位→2位→4位→5位と来て5年目にようやく優勝したのです。
近いところでは、ソフトバンクの王監督がダイエーの監督に着任したのが95年で、
その年から5位→6位→4位→3位で、やはり5年目に優勝を遂げるのです。

球団に功績があった秋山さんや土井さんなら、やはり5年ぐらいの猶予は欲しかったですね。

そして、一方の日本ハムはというと、生え抜き監督自体がほぼ皆無。
前身の東映出身の土橋正幸が92年に1年だけ監督を務めたきりです。

このチームは有力な生え抜き選手が晩年にトレードに出される悪しき習慣があり
生え抜き監督自体が生まれにくい状況にあります。

例えば、東映時代からのエースだった高橋直樹は81年に広島に移籍
(江夏豊との交換。西武、巨人を経て86年で引退)、
80年のMVP、木田勇も86年に大洋に移籍、90年に中日で引退、
81年の優勝メンバーでは大宮龍男が88年に中日に移籍、92年に西武で引退、
高代延博も89年に広島に移籍して引退、
島田誠も91年にダイエーに移籍して引退、
古屋英夫も91年に阪神に移籍して92年に引退、
10代で開幕投手を務めた津野浩も92年に広島に移籍して97年にロッテで引退、
現ヘッドコーチの白井一幸も96年にオリックスに移籍して引退、
田村藤夫も96年にロッテに移籍して98年にダイエーで引退、
88年のドラフト1位、武田一浩も96年にダイエーに移籍して、02年に巨人で引退
89年のドラフト1位、中島輝士も96年に近鉄に移籍して98年に引退、
トレンディーエース、西崎幸広も98年に西武に移籍して01年に引退、
井出竜也も04年に巨人に移籍して06年にソフトバンクで引退、
芝草宇宙も06年にソフトバンクに移籍して本年は台湾でプレー中

と有力選手がことごとくチームを放れています。
これでは生え抜き監督が生まれるはずがありません。

現ヘッドコーチの白井一幸、そして先日2000本安打を達成した田中幸雄選手あたりの
監督起用があるでしょうか? 期待しています。
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2007年05月18日

一番遅い2000本安打到達:田中幸雄じゃなくて大島康徳

日本ハムの田中幸雄選手が待望の2000本安打を達成し、
スポーツ紙各紙もその記事に大きく紙面を割いていますが、
その中で「2205試合目での達成は大島康徳の2290試合目に次いで史上2番目の記録」
とあって、改めて大島さんのすごさを思い知った次第です。

大島さんのことは以前にもこのブログで書いたのですが、
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/article/51
大好きな選手なので、またもう一度取り上げたいと思います。

大島さんは田中選手と同じ高卒22年目での達成ですが、
早くからレギュラーに定着してフル出場を続けていた田中に対して
一方の大島さんは、若いころ、「代打稼業」に甘んじていた
(その理由については上記の回をご覧ください)ため
田中選手以上に試合数がかかったのでしょう。

大島さんの記録達成に幸いしたのは晩年にさしかかっての日本ハムへの移籍です。
移籍直前の成績を見てみると、

84年(34歳)	130試合	551打席	132安打	30本塁打
85年(35歳)	101試合	396打席	90安打	23本塁打
86年(36歳)	110試合	380打席	88安打	20本塁打
87年(37歳)	111試合	313打席	76安打	15本塁打

とまあ、84年までは規定打席に到達していたものの
以降は徐々に出場機会が減って、着実に引退の方向に向かっていたのですが、
日本ハムに移って俄然甦ります。

88年(38歳)	130試合	535打席	136安打	15本塁打
89年(39歳)	130試合	540打席	122安打	18本塁打
90年(40歳)	110試合	417打席	96安打	11本塁打

40歳近いベテラン選手がバリバリのレギュラーになれる
当時の日本ハムの陣容にも問題があったと思うのですが、大島さんには幸いしました。

普通なら引退してもおかしくない、38歳になる年の移籍。
これは当時の星野監督が遂行したトレードですが、
86年のオフに監督に就任した同監督は長らくドラゴンズの看板打者として活躍してきた
谷沢健一に対して「あと3年できないのだったら身を引いてくれ」と
引退を迫ったのとは対照的です。谷沢さんの引退直前の成績は、

84年(37歳)	130試合	572打席	166安打(リーグ最多)	打率.329(リーグ2位)
85年(38歳)	104試合	405打席	104安打	打率.289(リーグ22位)
86年(39歳)	94試合	241打席	60安打	打率.273(規定打席未満)

と、まだまだやれそうな感じだったのですが、谷沢選手には移籍先は準備されませんでした。
なんだか、親疎の差を感じてしまいますね。

話は戻って、田中幸雄選手の2000本安打達成は難産でしたね。

02年(35歳)	132試合	514打席	130安打	53打点
03年(36歳)	78試合	264打席	66安打	32打点
04年(37歳)	35試合	91打席	20安打	0打点
05年(38歳)	98試合	211打席	46安打	5打点
06年(39歳)	58試合	96打席	15安打	0打点
07年(40歳)	32試合	91打席	20安打	13打点(5/17現在)

「このまま記録を達成しないまま引退しちゃうのかなあ~」
と心配していたファンの方も多かったでしょうから、喜びもひとしおでしょう。
田中選手、おめでとうございました!
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2007年05月15日

工藤以前に13球団から勝利を挙げていた投手がいた

今朝、スポーツニッポンに横浜の工藤公康が古巣の巨人から勝ち星を挙げると
68年の中日・小野正一以来の13球団からの勝利となるという記事が載っていて驚きました。
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2007/05/15/01.html

自分も今季、横浜に移籍した工藤に13球団(現存12球団+近鉄)から勝利する
チャンスがあるということは知っていたのですが、
それ以前にこの記録を達成していた選手がいたとは知りませんでした。

この小野投手もまた、「過剰に忘れられている選手」の1人ですね。
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/article/42
通算184勝で20勝以上も3回(60年には33勝!)も果たしているのに
引退後はプロ球界からきっぱり足を洗ってしまったため印象が薄くなっているようです。

小野さんのキャリアをまとめると
磐城高-常磐炭鉱-清峰伸銅-毎日・大毎・東京(56)-大洋(65)-中日(68~70)
となりますが、「常磐炭鉱」「清峰伸銅」というのが時代を感じさせますね。

ご存知のように、パ・リーグは56年まで
阪急・南海・東映・大映・西鉄・近鉄・毎日・高橋の8球団があったので
小野さんは所属の毎日以外の7球団から勝利を挙げ
セに移って2球団に所属し、セの6球団からも勝ち星を挙げて
計13球団から勝利を得ることになりました。

しかし、パでは1球団にしか所属しなかったため、古巣・毎日からの勝利はなく
全球団からの勝利には至らなかったため、この「13球団からの勝利」という珍記録が
見過ごされていたのだと思います。

しかし、高橋は57年に大映に吸収され、翌58年にはその大映も毎日に吸収されて
消滅したので本当にギリギリの到達だったのですね。

この小野さんのベストシーズンは60年で
リーグ最多の67試合に登板して33勝11敗(勝率.750)、
防御率1.98で最高勝率、最優秀防御率、最多勝利の投手3冠を獲得しますが、
MVPはホームランと打点の2冠を獲得した同僚の山内和弘に譲ります。

60年の大毎は後年、「悲運の闘将」と呼ばれた西本幸雄監督の下、
榎本喜八・山内・田宮謙次郎・葛城隆雄らのミサイル打線が爆発して
10年ぶりのリーグ優勝を果たし、日本シリーズでも圧倒的に有利と見られながら
知将・三原脩率いる大洋に4タテを喰らったエピソードは有名ですね。

この60年の小野の成績を見て驚くのは、先発はわずか22試合に過ぎず、
33勝中21勝を救援で挙げていることです。

この小野投手、身長は185cmと当時では異例の長身投手で奪三振が多かった
(200奪三振以上したシーズンが5回で通算2244奪三振は歴代11位)一方、
コントロールに難があったようで、59年から5年連続でリーグの四球王でもありました。

その後、65年に大洋、68年に中日に移籍しますがいずれも無償トレード。
引退前年の69年に13勝、最後の70年も7勝(防御率3.75はリーグ20位)と
そこそこの活躍を見せながらも引退と、キャリア後半はやや不可解な感じがします。

その小野さんも2003年に既に故人となられており、
工藤の13球団からの勝利が迫って、再び、その記録が掘り起こされたわけですが
生前にその記録にスポットが当たることがなかったのが残念だと思い、
ここに書き記しておく次第です。
20070515-00.jpg


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posted by しゅりんぷ池田 |13:06 | 野球 | トラックバック(1)
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2007年05月11日

ローズ、外国人選手の最多出場記録を更新:出戻り外国人は活躍できない?

オリックスのローズが昨日の試合で1354試合目の出場となり、
元阪急のバルボンが持っていた外国人選手の最多出場記録を更新したそうです。

ローズは今季、外国人選手として初の1000打点にも到達しましたし、
NPBにおける外国人選手の打撃記録では、ほとんどの部門で1位となっています。
(下記記録は5月10日現在)

試合	1位	ローズ	1354	2位	バルボン	1353
得点	1位	ローズ	922	2位	リー	786
安打	1位	リー	1529	2位	ローズ	1462
二塁打	1位	ローズ	252	2位	ローズ(横)	238
本塁打	1位	ローズ	371	2位	リー	283
打点	1位	ローズ	1017	2位	リー	912
三振	1位	ローズ	1321	2位	ブライアント	1186

しかし、今季、NPBに復帰したローズがここまで活躍することを
予想していた人は少なかったのではないでしょうか?

熱心なプロ野球ファンの方なら
「出戻り外国人は活躍しない」というジンクスをご存知のことでしょう。

このジンクスの元になったのは、
おそらく元阪急のスペンサーと元西武のデストラーデのケースだと思います。

1964年に来日して、日本野球に革命をもたらしたと言われたスペンサーは
64~68年の5年間で568安打、142本塁打をマークしましたが
中2年のブランク(この間はまったくの引退状態だった模様)を経て
71年に再来日したものの2年間で47安打、10本塁打という惨憺たる成績で
晩節を汚した形となりました。

また、89年途中に来日して4年間に436安打、154安打をマーク
(本塁打王3回、打点王2回)して、西武の3年連続日本一にも貢献したデストラーデは
93年にはMLBの新設球団フロリダ・マーリンズの四番バッターに迎えられますが、
翌年途中に解雇され、95年に西武に復帰も、
出場わずか46試合で40安打、6本塁打の成績に終わります。

さらに時代を遡ると、54年の首位打者、レインズは翌55年から再び米国に戻り
57~58年にはMLBでもプレーしましたが、62年に8年ぶりに阪急に復帰
(この年32歳)したものの、73試合の出場のみで1年で帰国という例もありました。

このように、夢よもう一度とブランクを挟んで再来日を果たしてもうまくいかなかった例が
強烈に印象に残っているために、そんなジンクスが囁かれるようになったと思うのですが、
最近ではそれを覆すケースも出てきました。

今季も日本ハムの主軸を務めるセギノールは02年にオリックスに在籍、
89試合の出場で23本塁打したものの、.204の低打率で1年限りで解雇。
ヤンキースを経て04年に日本球界に復帰して44本塁打でホームラン王に輝きます。

また、その前には96、97年のセの打点王、ロペスが98年にダイエーに移籍後、
1年のブランク(米独立リーグでプレー)を経て、
00年途中から広島に復帰(この年36歳)。
00年に20本塁打、88打点、01年は32本塁打、100打点と活躍しますが
02年は同僚の前田智徳が自分のヒットで生還しなかったと激怒して
殴打という事件を起こして、その年限りで退団してしまいます。

さらに、現在もMLBで現役を継続しているフリオ・フランコは
忘れられているかもしれませんが、やはり出戻り経験者で
95年にロッテで145安打、10本塁打、58打点、打率.306、
中2年を経て98年、37歳(?)で141安打、18本塁打、77打点、打率.290の
好成績を収めます。フランコの場合は3度目の来日も期待してしまいますね。

しかし、これらのケースは日本球界を離れている間もプレーは続けていたわけですが
ローズの場合は昨年まったく引退状態にあったわけで、今回のビッグカムバックは驚きです。
NPBのレベルが低下したのか? と心配になってしまいますが、
まあ、見事な活躍だと思います。ローズがこのまま好調を維持していけば、
外国人選手として史上初のカムバック賞受賞も現実味を帯びてきそうですね。
20070511-00.jpg


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posted by しゅりんぷ池田 |17:07 | 野球 | トラックバック(1)
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2007年05月10日

西武球団の高卒新人の育成能力の高さについて

ベースボール・マガジン社の新しいムックシリーズ「野球彩色」の第1弾、
「高卒ルーキーの光」が素晴らしく面白いです。
http://www.sportsclick.jp/magazine/baseball/mook476/index.html

98ページで980円(1ページ10円!)とそんなに厚くないのですが
3000円分ぐらい楽しめたので、是非ご一読ください。

その中の岡江昇三郎のコラムで近年高卒1年目で活躍したのは
清原和博、近藤真一、立浪和義、松坂大輔ぐらい、と書かれていたのですが
その中の2選手が西武ライオンズというのは偶然ではないと思います。

もちろん、清原、松坂は頭抜けた能力を持っていたので
おそらく他球団に入っていても成功していたとは思いますが
(清原が志望していたのは巨人、松坂は横浜でしたね)
他の例を見ても西武球団の高卒新人の育成能力はズバ抜けていると思います。
(岡江さんが挙げた4名のうち残り2人は中日ですが、これは球団の伝統というよりも
星野仙一監督の胆力に寄るところが大きいと思います)

伊東勤、工藤公康、渡辺久信、秋山幸二、清原和博、田辺徳雄、鈴木健、
松井稼頭央、小関竜也、松坂大輔、中島裕之、涌井秀章
と歴代の主力選手が高卒入団ですが、
この中で高校時代から騒がれていたのは清原、松坂以外では
工藤と鈴木ぐらいではないでしょうか?

裏金問題で騒がれている西武球団ではありますが、
そのスカウティングの目は確かなようです。

そして、西武の何がすごいかというと、「今年からこの選手を使う」となったら
頑固にその方針を貫いて、実際、その選手がちゃんと活躍してしまうところです。
例えば

秋山	81年入団3試合(米国留学)84年54試合	85年130試合40本塁打
田辺	85年入団2試合	87年(背番号6に変更)78試合	88年74試合	89年114試合
松井	94年入団	95年69試合	96年130試合
小関	95年入団2試合	98年104試合(新人王)
中島	01年入団	02年4試合	03年44試合	04年(背番号3に変更)133試合

と、こんな感じ。他のチームだと、レギュラーを獲得する若手は、
毎年少しずつ出場機会が増えて行ってレギュラーになるというパターンが多いのですが、
西武の場合は、前年までほとんど一軍に出場していなかった選手が
ある日突然レギュラーに抜擢されるというパターンが多いですね。

チームの肝の据わり方がすごいです。
不祥事でバッシングを受けている西武球団ではありますが、
良い部分は良いと言っておきたいと思います。
将来的に西武が球団を手放すような事態もあるかもしれませんが、
この伝統は引き継いでもらいたいものです。
20070510-00.jpg


posted by しゅりんぷ池田 |12:26 | 野球 | トラックバック(0)
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