2007年03月30日
ベースボール・マガジン社の「大学野球」2007春季リーグ戦展望号が本日発売です。
人気者の「ハンカチ王子」斎藤佑樹投手の早大入学で、東京六大学に注目が集まっており、
今年はベ社以外の各社からも大学野球のムックが発売されるそうですが、
老舗の「大学野球」も今回は発行部数が多そうですね。
これまで置かれていなかった書店にも置かれるようになると思うので
みなさんが目にする機会も俄然増すと思います。
で、今号はいきなり、その斎藤投手が表紙ですよ!
「大学野球」はわたしも小学生のころ以来、かれこれ30年以上愛読しています。
なんで、そんな小さなころから、そんなマニアックな雑誌を読んでいたかというと、
そのころ(1974~77年)は江川卓さんらの世代が大学に在籍中で、
大学野球にすごく注目が集まっていた時代だったんですね。
江川さんと同世代の選手を掲げるとこんな感じです。
【慶大】2年=堀場英孝(広)
【法大】4年=高代延博、3年=江川卓(巨)、袴田英利(ロ)、植松精一(神)、島本啓次郎(巨)
【明大】2年=高橋三千丈、豊田誠祐、鹿取義隆
【早大】4年=松本匡史(巨)、3年=山倉和博、1年=有賀佳弘(急)、岡田彰布(神)
【亜大】3年=古屋英夫(日)
【駒大】4年=森繁和(西)、大宮龍男(日)、中畑清(巨)、平田薫(巨)、二宮至(巨)、1年=石毛宏典(西)
【専大】2年=中尾孝義(中)
【中大】1年=熊野輝光(急)
【東洋大】3年=達川光男(広)、2年=松沼雅之(西)
【日大】4年=佐藤義則(急)
【東海大】3年=遠藤一彦(洋)
【大商大】3年=斉藤明夫(洋)
プロでも活躍した選手がたくさんいますが、プロ入りしなかった選手でも、
江川さんと同級で早稲田の四番を売っていたマックス佐藤こと佐藤清(※)さんは
今年からは千葉の城西国際大の監督に就任されたそうで、
そのインタビューも今号に掲載されています。
※東京六大学で通算14本塁打を放ち、プロ入りを熱望するもかなわず、
日本生命に進んで都市対抗などで活躍。95年から4年間、早大監督を務める。
当時は週末には毎週のように東京六大学がNHK教育で放映されており、
その独特な雰囲気が好きでした。高校野球のようにトーナメントではないので、
1戦1戦にそんなに悲壮感はなく、選手がのびのびプレーしているのが印象的でした。
また、東六ではないのですが、大商大の斉藤投手がサングラスをかけて投げていたことも
覚えています(全日本大学選抜チームでは背番号1が江川、2が斉藤でした。
なんで、そんなことまで覚えているんだ、オレは…)
江川世代、松坂世代もそうですが、優れた個体が出現すると
それに対抗すべく競争が激しくなって、全体のレベルが上昇するのが常です。
現在の東京六大学もなかなか良い素材がひしめいているのですが
斎藤効果によって注目が集まって、さらにレベルが上がっていくのではないでしょうか?
これからが楽しみです。

posted by しゅりんぷ池田 |12:33 |
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2007年03月29日
春のセンバツ3日目に帝京(東京)の大田阿斗里が小城(佐賀)から20奪三振、
6日目に常葉菊川(静岡)の田中健二朗今治西(愛媛)から17奪三振と、
この大会では奪三振ショーが目立っていますが、
こういう好記録が出ると掘り起こされるのが、かつての最多奪三振の記録。
その最多記録はPL学園の戸田善紀が1963(昭和38)年の
1回戦の首里高(沖縄)戦で挙げた21奪三振です。
わたしもまだ生まれていない時代の記録ですが、
わたしぐらいの年代の方なら阪急が75年から78年にかけて
4連覇した当初にローテーション投手として活躍、
76年にノーヒットノーランも達成したピッチャーとして記憶されているのではないでしょうか?
戸田がこの記録を作った当時は沖縄はまだ日本に返還されておらず
(この歴史的な事実自体、今の若い方はご存知ないかもしれませんね)
本土との交流がほとんどなかった沖縄の高校野球のレベルはそんなに高くなかったので、
この記録も多少は割り引いて考えないといけない(1)のですが、
それにしてもすごい記録です。
1)この試合、戸田は21三振を奪って被安打1のみの完封で8-0と圧勝も、
2回戦ではこの大会で準優勝した北海高に10安打を喫して(奪った三振は6)、5-3で敗退。
プロ入り後の戸田の成績を改めて見ると、開花にすごく時間がかかっており
ようやく頭角を現したのがプロ入り8年目の72年で、この年8勝。
後年のインタビューでは当時の阪急の投手陣の陣容がものすごく厚く(2)
若手の戸田にはなかなかチャンスが巡ってこなかったと述懐されています。
2)同時代の阪急の先発投手陣には、梶本隆夫(通算254勝)、米田哲也(同350勝)、
石井茂雄(同189勝)、足立光宏(同187勝)、山田久志(同284勝)らがいた
以後、8→6→11→12で、76年5月11日の南海戦でノーヒットノーランを達成し、
戸田は、この年、自己最多の12勝を挙げながら、
オフに4対3の大型トレードで中日に転出。
このトレードは
阪急=戸田善紀・大石弥太郎・森本潔・小松健二
中日=稲葉光雄・島谷金二・大隅正人
と、両チームとも主力選手を交換しあう大型トレードとして話題になったのですが、
その結果が両球団で好対照となったトレードとしても知られています。
戸田善紀 76(急)12勝5敗 → 77(中)6勝7敗
※82年までに中日で通算20勝25敗
稲葉光雄 76(中)3勝7敗 → 77(急)17勝6敗
※83年までに阪急で通算58勝40敗
森本潔 76(急)120試合82安打16本塁打46打点 打率.228
77(中)49試合17安打2本塁打13打点 打率.172
※79年までに中日で188試合64安打12本塁打46打点
島谷金二 76(中)129試合123安打21本塁打54打点 打率.278
77(急)130試合155安打22本塁打74打点 打率.325
※82年までに阪急で694試合704安打112本塁打408打点
とまあ、阪急側が大成功、中日側が大失敗という結果になり、
当時の阪急は75、76年と連続日本一になりながら、
さらに戦力充実に努めたトレードとして野球史的には記憶されています。
最多奪三振の話題となると、戸田さんの名前が挙がるのですが、その名前を聞く度に、わたしはこのアンバランスな結果に終わったトレードのことを思い出します。
戸田さんは引退後、名古屋で焼肉店を経営されているそうですが、
スポーツ新聞紙上で回顧されるご自身の記録を見て、
どんな気持ちを抱かれているのでしょうか?
posted by しゅりんぷ池田 |16:37 |
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2007年03月27日
先日発売になったベースボール・マガジン社の
「2007年プロ野球カラー写真名鑑」には
http://www.sportsclick.jp/magazine/baseball/070425b/index.html
日本人メジャーリーガーのプロフィールも載っているのですが、
イチローの身長が175cmとなっていたので驚きました。
日本にいたころのイチローの身長は180cmと公表されていて
実際パーティーで間近に同選手を見たことがありますが、180cmの方が実寸だと思います。
なんで、こんなに背が縮んだかというと、MLBの放映でイチローの身長が
5フィート9インチ(175.26cm)と記されているのを翻訳したからなのでしょう。
このセンチからフィート・インチの換算時に間違いがあったと思うんですね。
イチロー本人が換算したのか、関係者が換算したのかは分かりませんが
6フィート(182.88cm)より1インチ(2.54cm)低いから5フィート9インチと
誤ってしまったのでしょう。6フィート=10インチではなく、6フィート=12インチなので
6フィートより1インチ低いのは5フィート11インチ(180.34cm)なのです。
フィート・インチの表記に不慣れな日本人がやりがちなミステイクです。
そのうち訂正されるだろうと思っていたのですが、一向に修正されません。
だれかイチローに言ってあげてください!
posted by しゅりんぷ池田 |17:39 |
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2007年03月20日
現在4月下旬発売予定の北海道日本ハムファイターズの
カードセットの制作を進めているところです。
ダルビッシュ有、金村曉、武田久、八木智哉、MICHEAL、田中賢介、金子誠、
森本稀哲、稲葉篤紀の9選手をピックアップした限定セットなのです。
で、選手の情報を調べていたところ、今季から新人の金子洋平が加わったため
チームリーダー、金子誠の登録名が単純な「金子」から「金子誠」に変更となるのですが
同選手は入団当初の表記が「金子誠」だったそうで、
むしろこの変更を喜んでいるという情報を拾い、へ~と思いました。
調べてみると、金子誠が入団した94年には
金子貴博(1)という投手が既に在籍していたのです。
1)船橋法典高-日本ハム(92<7>~96) 一軍試合出場なし
そういえば、今季から横浜の鈴木尚典が登録名を「鈴木尚」にしましたね。
現在、横浜には鈴木姓の選手は1人しかいないのですが、
背番号を活躍を始めたころの「51」に戻したのと同様に
初心に戻るべく登録名を全盛時の「鈴木尚」としたのでしょう。
(鈴木尚が2年連続で首位打者を獲得した97~98年には、投手の鈴木健が在籍)
これは山本姓が1人しかいなくなったのに「山本昌」の表記にこだわって
登録名を「山本昌」とした中日の山本昌広と同じですね。
ある種のゲンかつぎなのでしょう。
これとは逆に、「近鉄の鈴木はオレひとりでいい!」と言い放ったのが
300勝投手の草魂・鈴木啓示。
83年にヤクルトから鈴木康二朗(2)が移籍してきた際の発言ですが、
2)王貞治に756号ホームランを打たれた投手として有名。通算81勝54敗52S
当時のメディアの表記は実際、鈴木啓示は「鈴木」、
鈴木康二朗は「鈴木康」になっていたんですね。
大投手・鈴木啓示の強烈な個性を現すエピソードですね。
また、かつて日本ハムに投手の田中幸雄と野手の田中幸雄と
同姓同名の選手が同時に在籍していた際に、
年長の投手の田中を「田中幸」、野手の田中を「田中雄」と表記した
というのも、有名な話です。
投手の田中幸雄(3)が190cmの巨漢投手だったため、
現在も現役を続ける野手の田中幸雄が184cmもあるのに
「コユキ」と呼ばれるようになったんですね。
3)電電関東-日本ハム(82<1>)-中日(90~91引)。85年にノーヒットノーランを記録
また、表記はともなわなかったものの、
阪神で2000本安打も達成した好打者・藤田平は入団当初に
藤田姓の他の選手がいたわけでもないのに、
入団から引退まで(というか、今現在も)、「フジタタイラ」と呼ばれていましたね。
発音しやすかったということもあるでしょうが、
他チームにも藤田姓の選手・関係者が多くいたため
「フジタタイラ」と一連で呼称した方が話が通じやすかったからではないでしょうか?
考えてみれば、わたしも、「池田」というよくある姓で
子供のころからクラスや学年に複数名いたため、
あまり「イケダ」と呼ばれたことがなく、常に下の名前で呼ばれていた覚えがあります。
鈴木尚や山本昌も、よくある姓なので、単純に「スズキ」、「ヤマモト」と呼ばれることに
違和感があるんじゃないかな? なんて思い至ったのでした。
posted by しゅりんぷ池田 |17:38 |
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2007年03月13日
斎藤佑樹投手の早大進学、そして今回の西武の栄養費問題で
早稲田の応武篤良監督がしばしばテレビの画面に登場されていますが、
個人的には、「応武さん、なつかしいなあ~」という思いがあります。
応武監督は広島・崇徳高3年時の76年の春のセンバツで優勝したのですが、
実は、自分はこの時初めて甲子園を訪れて観戦したので、
この大会に出場した選手のことを、よく覚えているのです。
大阪の親戚宅に1週間ほど滞在して、3日ぐらい観に行ったと思います。
で、この年の秋のドラフトで、応武監督は近鉄から3位指名を受けたものの
これを拒否して早大に進むのですが、
この年の崇徳高から同監督を含む4名もの大量指名があって話題となりました。
エースの黒田真二が日本ハムの1位、内野手の山崎隆造が広島の1位、
外野手の小川達明が広島の5位と、そうそうたる顔ぶれだったのです。
黒田は入団を拒否して社会人に進み、
83年にドラフト外でヤクルトに入団しますが、プロでは未勝利のまま引退。
その後、打撃投手に転向されたので、練習で登板する黒田さんを見る度に
「ああ、崇徳の黒田だ…」と76年大会のことを思い出したものです。
山崎はカープで長く活躍していたので、ご記憶の方も多いでしょう。
現在も同球団の二軍監督を務められています。
また、この年のドラフトでは、崇徳高以外にも
福岡の柳川商(現・柳川高)から3名が指名されたのです。
太平洋の1位が外野手の立花義家、近鉄の1位が投手の久保康生、
日本ハムの3位が末次秀樹でした。
立花は現在も西武のコーチとして在籍していますが、
若くして主軸に抜擢され、チームの苦境期を支えました。
(入団1、2年目はクラウンライター・ライオンズ。3年目から西武に)
久保は近鉄・阪神で71勝を挙げ、現在は阪神のコーチ。
この年の夏の大会で8打席連続安打の快記録を作った
末次はこの指名を拒否して中央大に進み、
のちに柳川高の監督となって、しばしば母校を甲子園に導きました。
02年には長男・峰明が四番を打って夏の大会に出場し話題となりましたが、
「ああ、あの末次さんの息子が、もう高校生になったのか」と、感慨深い思いがしました。
この76年に高校3年生だった1958(昭和33)年組は、かなりの豊作年だったのですね。
そして、大学を経由してプロ入りしたので、同期ということを忘れがちですが、
この世代の最大のスーパースターは、現巨人監督の原辰徳だったのです。
いやあ、原監督、若いですねえ~。「永遠の若大将」という感じです。
選手名鑑で広島の山崎二軍監督や西武の立花コーチの顔も確認できるので、
見比べてみてください。
しかし、応武監督が近鉄に入団していたら、どうなっていたんですかね?
この当時の近鉄は梨田昌崇、有田修三という捕手の2枚看板がいた
(梨田は88年、有田は85年まで在籍)ので、
入団しても長い下積み生活を強いられたことでしょう。
現在は渋面ばかり放映されている応武監督ですが、
春季リーグ戦での早大の健闘を祈ります。
posted by しゅりんぷ池田 |16:47 |
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2007年03月08日
巨人の大卒2年目、会田有志の評判が良いですね。
70年代にヤクルトで活躍した会田照夫さんの息子ということで、
自分も高校・大学時代から注目していた選手ですが、
ドラフトでも下位の指名だったので、
「ありゃりゃ、これは、あまり期待されていないのかな?」と心配していたのですが、
今季から父親同様にアンダースローにフォームを変更して(もともとはサイドスロー)、
一躍、評価を高めています。
思えば、最近は二世選手が増えましたね。
これまでは、長嶋茂雄・一茂親子、野村克也・克則親子に代表されるように、
「二世選手は大成しない」というジンクスが成り立ちそうなぐらい、
成功例が少なかったのですが、最近はそうでもなくなりつつあります。
主な二世選手とその父親の成績を比較してみると、こんな感じになります。
坪井智哉(日本ハム) 828安打 32本塁打
坪井新三郎(中日他) 35安打 2本塁打
定岡卓磨(ロッテ) 一軍試合出場なし
定岡智秋(南海) 785安打 88本塁打
堂上剛裕(中日) 0安打 0本塁打
堂上直倫(中日) 2007 ROOKIE
堂上 照(中日) 35勝49敗7S
田村領平(阪神) 一軍試合出場なし
田村政雄(大洋他) 9勝16敗4S ※中央大で39勝。76年のドラフト1位
内海哲也(巨人) 16勝22敗0S
内海五十雄(巨人) 1安打0本塁打 ※五十雄は哲也の祖父。背番号はともに26
会田有志(巨人) 一軍試合出場なし
会田照夫(ヤクルト) 29勝45敗3S
黒田博樹(広島) 91勝81敗1S
黒田一博(南海他) 578安打 32本塁打
金城龍彦(横浜) 967安打 58本塁打
金城晃世(近鉄) 0安打 0打点
自分が知っているのはこのぐらいですが、実際はもっといるのかな?
阪神の葛城育郎の父親が、大毎などで活躍した葛城隆雄(58、59年の打点王)の
息子だという情報も見たことがありますが、未確認です。
こうして見ると、坪井、黒田、金城あたりは父親を上回る実績を既に残していますね。
かつては、かなり稀少だった二世選手が最近増えてきて、成功例も増してきたのは
どの辺りに原因があるのか、定かではないのですが、面白い現象ですよね。
実は、大相撲の世界でも、かつては「二世力士は出世しない」というジンクスがあったのですが、
最近では逆鉾・寺尾兄弟、若乃花・貴乃花兄弟、栃東と成功例が多くなっています。
これは、なんとなく理由が分かりますね。
相撲の場合は裾野が限りなく狭まった(土俵や相撲部がある学校はマレですよね)結果、
子供のころから相撲に慣れ親しんでいる大相撲関係者の師弟が
重要なリクルート源となっているからなのでしょう。
ジャイアンツの会田有志投手は、かねがね「父の通算29勝を上回るのが目標」と
語っていますが、その記録を大きく上回る活躍を期待したいですね。

posted by しゅりんぷ池田 |11:08 |
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