2007年06月29日
東西ネーミング考:プリンス・フィルダー~関本四十四
ミルウォーキー・ブリュワーズのプリンス・フィルダー選手が ナ・リーグのホームラン王を獲りそうな勢いで本塁打を量産しています。 フィルダーの父親はご存知の通り、阪神タイガースにも在籍し、 帰国後メジャーで本塁打王2度のセシル・フィルダー氏なので、 プリンスには親近感があって、その活躍はうれしいですね。 セシルの息子が、父親に似て巨漢で、野球もやっていて、 なかなか有望というのは日本にも早くから伝えられていましたが、 当時から不思議に思っていたのは「プリンス」というネーミング。 日本では、「ハンカチ王子」斎藤佑樹や「ハニカミ王子」石川遼が活躍中ですが、 海の向こうで活躍中の「フィルダー王子」はそれが本名なんですよね。 日本人の感覚からすると、それってどうなの? と不思議ですが、 ミュージシャンのプリンスも、やはりそれが本名だそうで、 欧米ではわりとよくある命名なのかもしれません。 その辺は文化の差なので、なんとも言えない部分ですよね。 逆に、欧米から見たら、日本人の「一郎」「二郎」「三郎」という 生まれた順番に数字を当てるナンバリングネーミングなんか不思議かもしれません。 太平洋戦争が勃発した当時、アメリカの軍部が日本の連合艦隊司令長官、 山本五十六の名前を見て、「彼は56番目の子供なのか!」と驚いたところ、 「いや、そうではない。彼は父親が56歳のときに生まれた子供だそうだ」という 返答が却ってきて、再度驚いたというエピソードを聞いたことがあります。 その山本五十六と同様の命名例が元ジャイアンツの関本四十四さんですよね。 やはり、父親が44歳のときに生まれた子供ということで、命名「四十四(しとし)」。 関本さんはV9末期に活躍された投手で、 入団4年目の71年に10勝を挙げて新人王を獲得。 新人王の受賞規定では「入団5年目」までとなっていますが、 入団5年目で新人王になったケースはなく、現在も入団4年目での新人王は 98年の小関竜也(当時西武、現巨人)と並んで、史上最も年数のかかった受賞となっています。 関本さんは74年には再び10勝を挙げて、同年は最優秀防御率(2.28)の タイトルも獲得しますが、その当時の背番号は「20」でした。 ところが、翌75年、甲子園の人気者だった定岡正二が入団して背番号「20」となり、 関本投手のそれは「44」となったので、 「あれあれ、関本は活躍したのに背番号降格なのか?」と不思議に思いましたが、 これは、関本さんの背番号変更希望が先にあってのことだったそうなんですね。 名前と同じ背番号「44」というわけです。 関本さんは翌76年に太平洋に移籍し、さらに大洋に移って78年限りで引退。 通算27勝という成績ですが、そういうユニークなエピソードもあって印象深い選手でしたね。 で、そんな関本さんのトークショーが近々あるそうなのですよ。 ジャイアンツが去年から行なっている「集え!ジャイアンツおやG!!」という イベントなのですが、お喋りも上手な関本さんですから、面白い話が聞けそうですよ。 ご興味のある方は申し込みをされてみては、いかがでしょうか? (同イベント参加には当日の試合入場券も必要。詳しくは下記をご参照ください) http://www.giants.jp/G/gnews/news_20070619_0003.html
posted by しゅりんぷ池田 |16:04 |
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