2007年05月23日

野口二郎(セネタース・翼・大洋・西鉄-阪急)

元祖「鉄腕」野口二郎が先日、亡くなられました。
正直、記録マニアのわたしも戦前の選手の方は関心が薄かったのですが、
訃報を報じるスポーツ紙に「戦前の5年間で156勝」
(年平均31勝! なんだ、そりゃ!)というのを目にして、改めて記録を見直してみました。

中京商で37年夏と翌38年の春に優勝。
38年春にはノーヒットノーラン1を含む4完封と
現在に置き換えれば桑田真澄や松坂大輔や田中将大みたいなものだと思うのですが
39年に20歳でプロ入りした野口さんは1年目から69試合に登板(リーグ最多)して
33勝19敗(完投38もリーグ最多)と、とんでもない数字を残します。

その年からの勝ち星が33→33→25→40→25!
投球回数もすごくて、1年目はリーグ最多の459回! 今の投手の2年分ですよ!

戦争に取られる選手が多くなって選手層が薄くなった42年にはさらに投球回が増え、
この年なんと527回1/3を投げるのですが、
さらに驚くことには、この527回1/3がリーグ1位ではないのです!
朝日の林安夫という投手が541回1/3を投げており、
これはNPB史上でもシーズン最多回数の記録でもあります。
(野口さんの527回1/3が史上2位)
今週の「週刊ベースボール」は記録特集なのですが、
http://www.sportsclick.jp/magazine/baseball/070604/index.html
この記録についても言及されていますので、ご覧になってみてください。

しかし、わたしが今回、記録を調べていて気付いて驚いたのは
セネタース(39)-翼(40)-大洋(41~42)-西鉄(43)と
野口さんの所属チームの名称が毎年のように変わっていたことです。
これは、野口さんが4つの球団を渡り歩いたのではなく、
1つの球団が4回名前を変えたのです。

36年に創設された同球団は当時の貴族院議員・有馬頼寧が中心となって設立されたこともあって、
セネタース(米国の上院議員を意味する)と名付けられたのですが、
戦火が厳しくなった折、英語の使用が制限されるようになって「翼」と改称。

この新愛称は有馬伯が大政翼賛会の理事を務めていたことからの命名だそうなのですが
なんともすごい歴史的な話です。

そして、翌41年の大洋は現在の横浜ベイスターズの前身・大洋球団とはまったく無関係で
翼と名古屋金鯱の合併チームの“愛称”だったのです。

名古屋には当時も中日の前身である名古屋軍があり、
名古屋の市場規模で2チームは無理だろうと思われるかもしれませんが、
当時は金鯱も名古屋も東京の後楽園球場を主戦場としていたんですね。
単に名古屋新聞(金鯱)と新愛知新聞社(名古屋)がオーナーの会社という…。
それもまた、今のフランチャイズ制の常識からすると不思議な構図です。

そして、この「大洋」軍は43年には九州の西鉄が新スポンサーとなります。
現在の西武ライオンズの前身・西鉄ライオンズの親会社だったあの西鉄です。
このセネタースの流れを汲む西鉄球団は同年末に解散してしまいますが、
この縁もあって、2リーグ分立時に西鉄がパ・リーグに加入することになります。
(戦前の西鉄と戦後の西鉄は別系統とされ、記録は引き継がれていません)

ところで、設立時のセネタースを後援していたのが当時の西武鉄道
(ややこしいことに、現在の西武鉄道とは別法人だそうですが、
現在の西武新宿線を運営していた会社なので、まんざら他人でもありません)
というのも不思議な縁を感じてしまいますねえ~。

野口さんの訃報から、そんな歴史の勉強をしてみたのでした。
20070523-00.jpg


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posted by しゅりんぷ池田 |11:20 | 野球 | トラックバック(0)
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