2007年05月19日

生え抜き監督が成功しない横浜と生え抜き監督が存在しない日本ハム

今月から隔月刊となった「ベースボールマガジン」の新しい号のテーマは「監督」。
http://www.sportsclick.jp/magazine/baseball-q/0707/index.html
同誌で恒例となっている綱島理友さんとえのきどいちろうさんの対談で
綱島さんが「意外と名監督を生まない球団もあって、ベイスターズがそれ。
生え抜き監督が育たない」という趣旨の発言をされていて(綱島さんは横浜ファン)
日本ハムファンのえのきどさんが「日ハムもそうですよ」とつないでいます。
そう、両球団とも生え抜き選手の監督はうまく行っていないですね。

大洋・横浜では60年初優勝時のメンバー、秋山登・土井淳・近藤昭仁が
監督を務めましたが、いずれも成績を残せず短命政権に終わっています。

以前、往年の大洋のエースだった平松政次さんにインタビューした際に
「たくさんの監督に仕えられました(18年の選手生活でのべ8人!)
が、どの監督が印象に残っていますか?」という質問をしたところ、
「秋山さんなんかは大監督という雰囲気を持たれていたよ。
もっと長くやられていたら…」と残念そうに語られていました。
(ちなみに平松さんは岡山東商で秋山さんの後輩。
そして、球団歴代の最多勝利投手である
平松さんが横浜の監督に迎えられていないのもまた不思議ですが…)

75年に大洋の監督に就任した秋山さんでしたが、
1年目は長嶋巨人の最下位の上の5位(勝率.425)で、
2年目に最下位(勝率.366)だと、翌77年に二軍監督に降格されるという屈辱!
大洋ホエールズを支えた大エースに対する処遇がこれとは…。

弱いチームの常ですが、目先の勝利に拘って、
監督の首のすげ替えばかりやっていてチームが落ち着かず、
また成績が落ち込むという悪循環に陥りがちです。

例えば、後年「悲運の名将」と呼ばれた西本幸雄さんが阪急の監督に就任したのが
63年で、その年から6位→2位→4位→5位と来て5年目にようやく優勝したのです。
近いところでは、ソフトバンクの王監督がダイエーの監督に着任したのが95年で、
その年から5位→6位→4位→3位で、やはり5年目に優勝を遂げるのです。

球団に功績があった秋山さんや土井さんなら、やはり5年ぐらいの猶予は欲しかったですね。

そして、一方の日本ハムはというと、生え抜き監督自体がほぼ皆無。
前身の東映出身の土橋正幸が92年に1年だけ監督を務めたきりです。

このチームは有力な生え抜き選手が晩年にトレードに出される悪しき習慣があり
生え抜き監督自体が生まれにくい状況にあります。

例えば、東映時代からのエースだった高橋直樹は81年に広島に移籍
(江夏豊との交換。西武、巨人を経て86年で引退)、
80年のMVP、木田勇も86年に大洋に移籍、90年に中日で引退、
81年の優勝メンバーでは大宮龍男が88年に中日に移籍、92年に西武で引退、
高代延博も89年に広島に移籍して引退、
島田誠も91年にダイエーに移籍して引退、
古屋英夫も91年に阪神に移籍して92年に引退、
10代で開幕投手を務めた津野浩も92年に広島に移籍して97年にロッテで引退、
現ヘッドコーチの白井一幸も96年にオリックスに移籍して引退、
田村藤夫も96年にロッテに移籍して98年にダイエーで引退、
88年のドラフト1位、武田一浩も96年にダイエーに移籍して、02年に巨人で引退
89年のドラフト1位、中島輝士も96年に近鉄に移籍して98年に引退、
トレンディーエース、西崎幸広も98年に西武に移籍して01年に引退、
井出竜也も04年に巨人に移籍して06年にソフトバンクで引退、
芝草宇宙も06年にソフトバンクに移籍して本年は台湾でプレー中

と有力選手がことごとくチームを放れています。
これでは生え抜き監督が生まれるはずがありません。

現ヘッドコーチの白井一幸、そして先日2000本安打を達成した田中幸雄選手あたりの
監督起用があるでしょうか? 期待しています。
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posted by しゅりんぷ池田 |00:03 | 野球 | トラックバック(1)
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