2007年04月13日

一番、ピッチャー、外山(ヤ)

昨日、わたしの高校の先輩、三原脩さんのことを書きましたが
わたしが野球を見始めたころはヤクルトの監督をされており、
アニメ『侍ジャイアンツ』でも、娘婿である中西太コーチとセットでよく登場されていました。
その73年が監督として指揮を執った最後の年で、
眼鏡をかけておられて、もう相当「おじいちゃん」という感じに描かれていたのですが、
調べてみると、三原さんはその年62歳。
今の野村監督(72歳)、王監督(67歳)よりも若かったのですよ。不思議ですねえ~。

で、この三原監督、「知将」「魔術師」というニックネームや
「三原マジック」という言葉が残っていますが、奇手を弄する人だったんですよね。
先発メンバーを当て馬だらけにしたり、
ヤクルト在籍時には外山義明という選手を投手と野手の二刀流で使ったりしました。
(これ以前の近鉄時代にも後に首位打者を獲り、
マンガ『あぶさん』のモデルになったと言われる永淵洋三を二刀流で起用)

外山は投手として通算9勝22敗、打者として85安打、9本塁打という
成績しか残していないので、ご記憶の方は少ないと思うのですが、
後年、南海に移籍した際に背番号29の外野手となり
選手名鑑上ではあの門田博光さん(背番号27)の真下で
2人の経歴が同じ「天理高-クラレ岡山」だった(出身中学も同じなのだとか)ことが
個人的には強く印象に残っていました。

で、改めて、この外山選手の成績を調べてみたところ、
1年目の70年は43試合に登板して4勝10敗ながら規定投球回をクリアして
防御率3.39はベストテンの13位という成績ですから、なかなかのものです。

翌71年も33試合に登板して5勝11敗、防御率3.25の一方で
外野手としても起用され74試合で20安打、3本塁打、11打点、打率.211と
投手兼任の打者としては非凡な成績を収めます。

で、この年の8月22日の大洋戦(神宮)で、三原監督は外山を「一番・投手」で
先発させたのですよ! しかし、この奇策は成功せず、
外山は被安打4与四球4の大乱調で5点を失って1回1/3で降板してしまいます。

今や、光の部分しか語られない三原監督ですが、
多分、こういう無茶をして失敗したケースも多々あったと思うのですよ。

で、折角、二刀流で売り出した外山なのに、
そのオフにはロッテにトレードに出されてしまいます。
しかも、交換相手は外国人選手のロペス。
外国人選手とのトレードというのも珍しいケースなので、記録マニアのわたし的には、
この件でも外山義明さんの名前がインプットされているのです。

ロペスは東京・ロッテでの4年間で596安打、91本塁打を放った
優良外国人だったので、交換相手も相応なレベルが求められたのでしょう。

しかし、外山さんはその後、投手としては1勝も挙げられないまま、
74年に南海に移籍して中学時代からの同僚・門田さんと再び合流、
主に代打として78年まで現役を続けられ、
91年に44歳の若さでお亡くなりになるのですが、
なんとも、運命に翻弄された感があります。

「一将功成りて万骨枯る」という言葉が頭の中を去来した次第です。
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posted by しゅりんぷ池田 |12:12 | 野球 | トラックバック(0)
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