2007年03月20日

山本昌・鈴木尚~選手の登録名に思う

現在4月下旬発売予定の北海道日本ハムファイターズの
カードセットの制作を進めているところです。
ダルビッシュ有、金村曉、武田久、八木智哉、MICHEAL、田中賢介、金子誠、
森本稀哲、稲葉篤紀の9選手をピックアップした限定セットなのです。

で、選手の情報を調べていたところ、今季から新人の金子洋平が加わったため
チームリーダー、金子誠の登録名が単純な「金子」から「金子誠」に変更となるのですが
同選手は入団当初の表記が「金子誠」だったそうで、
むしろこの変更を喜んでいるという情報を拾い、へ~と思いました。

調べてみると、金子誠が入団した94年には
金子貴博(1)という投手が既に在籍していたのです。

1)船橋法典高-日本ハム(92<7>~96) 一軍試合出場なし

そういえば、今季から横浜の鈴木尚典が登録名を「鈴木尚」にしましたね。
現在、横浜には鈴木姓の選手は1人しかいないのですが、
背番号を活躍を始めたころの「51」に戻したのと同様に
初心に戻るべく登録名を全盛時の「鈴木尚」としたのでしょう。
(鈴木尚が2年連続で首位打者を獲得した97~98年には、投手の鈴木健が在籍)

これは山本姓が1人しかいなくなったのに「山本昌」の表記にこだわって
登録名を「山本昌」とした中日の山本昌広と同じですね。
ある種のゲンかつぎなのでしょう。

これとは逆に、「近鉄の鈴木はオレひとりでいい!」と言い放ったのが
300勝投手の草魂・鈴木啓示。
83年にヤクルトから鈴木康二朗(2)が移籍してきた際の発言ですが、

2)王貞治に756号ホームランを打たれた投手として有名。通算81勝54敗52S

当時のメディアの表記は実際、鈴木啓示は「鈴木」、
鈴木康二朗は「鈴木康」になっていたんですね。
大投手・鈴木啓示の強烈な個性を現すエピソードですね。

また、かつて日本ハムに投手の田中幸雄と野手の田中幸雄と
同姓同名の選手が同時に在籍していた際に、
年長の投手の田中を「田中幸」、野手の田中を「田中雄」と表記した
というのも、有名な話です。

投手の田中幸雄(3)が190cmの巨漢投手だったため、
現在も現役を続ける野手の田中幸雄が184cmもあるのに
「コユキ」と呼ばれるようになったんですね。

3)電電関東-日本ハム(82<1>)-中日(90~91引)。85年にノーヒットノーランを記録

また、表記はともなわなかったものの、
阪神で2000本安打も達成した好打者・藤田平は入団当初に
藤田姓の他の選手がいたわけでもないのに、
入団から引退まで(というか、今現在も)、「フジタタイラ」と呼ばれていましたね。
発音しやすかったということもあるでしょうが、
他チームにも藤田姓の選手・関係者が多くいたため
「フジタタイラ」と一連で呼称した方が話が通じやすかったからではないでしょうか?

考えてみれば、わたしも、「池田」というよくある姓で
子供のころからクラスや学年に複数名いたため、
あまり「イケダ」と呼ばれたことがなく、常に下の名前で呼ばれていた覚えがあります。

鈴木尚や山本昌も、よくある姓なので、単純に「スズキ」、「ヤマモト」と呼ばれることに
違和感があるんじゃないかな? なんて思い至ったのでした。

posted by しゅりんぷ池田 |17:38 | 野球 | トラックバック(0)
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