2008年07月24日

ホークス背番号物語「28」

昨日に続いて「ホークス70周年記念カード」の話です。
今季、ホークスはかつての南海のユニフォームを復刻して話題を呼びましたが
せっかくなので、その写真を使ったサブセットを作ることにしました。

で、カードの裏面に何を入れようかと悩んだのですが、
その選手の背番号を着けていた過去の選手の一覧を載せることにしました。
しかし、これがなかなか面白い結果になったのです。
例えば、現在、大隣投手が背負っている背番号「28」の歴代選手はこんな感じ。

1942~43、46	長沼要男
1948~50	松本勇
1952~56	大神武俊
1957~62	福田昌久(弘文)
1963~78	林俊宏(俊彦)
1979	山下慶徳
1980~83	山本雅夫
1985~88	田口竜二
1989	原田賢治
1990	西村英嗣
1990~91	杉本正
1992	新浦壽夫
1993~2003	渡辺正和
2005	フェリシアーノ
2007~ 	大隣憲司

大隣投手はアマ時代から「江夏2世」という異名を取っていたこともあって
江夏豊投手の阪神時代の背番号「28」を踏襲しているわけですが
(同投手は南海に所属していたこともあって、その当時の背番号は「17」だったのですが…)
ホークスでも28番は左腕投手が目立ちます。

現在、投手コーチを務めている杉本正以降5代続けて左腕投手というのは、
やはり江夏さんの影響があると思うのですが、
ホークスでは同氏の登場(67年入団)以前にも、左腕の28番がいたのですね。

その選手は63年に中京商から入団した林俊宏(70年4月まで「俊彦」)投手。
この選手のことを覚えている方は、けっこうなオールドファンだと思うのですが、
わたしがプロ野球を見始めた頃には、既に打者に転向しておりました。

中京商時代には元中日の木俣達彦とバッテリーを組んで
62年、春夏の甲子園に連続出場してともにベスト4に進むという活躍を見せたそうなので
注目された投手だったのでしょう。3年目の65年には開幕から12連勝して17勝3敗で
最高勝率(.850)のタイトルを獲得、防御率も2.25でリーグ4位という好成績で、同年は
ファン投票1位でオールスターにも出場、巨人との日本シリーズでも1勝を挙げています。
しかし、以後は勝ち星が挙らなくなり71年に打者に転向。
主に代打として活躍し、守備では一塁を守っていました。

わたしの記憶の中に残っている林さんというと、やはりズングリムックリした体型ですね。
記録では175cm、87kgという数字が残っています。
投手時代は球質の重い、剛速球投手として鳴らしていたそうで
その辺は現在の大隣(175cm、85kg)にも通ずる部分がありますね。

林さんが活躍していた野村監督時代の南海というと、
野村さん、門田さん、林さんとズングリムックリした体型の選手が多かったのですよ。
林さんは常時出場していたわけではありませんが、
あの時代の「南海」を、ある意味、体現していたような選手だったと思います。
立派な体格で、長打力がありそうに見えて、そんなに打球が上がらないというのは
後の藤本博史に受け継がれていたような…。

林さんの通算成績は投手としては150試合に登板して29勝17敗、防御率3.13、
打者として498試合で132安打10本塁打54打点、打率.219というもので
残念ながら今回の70周年記念カードには登場していませんが、
背番号一覧の中になつかしい名前を見つけて、つらつらと書いてみました。

細かいカードの裏のデータですが、読み込んでみると、なかなか面白い発見がありますよ。
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posted by しゅりんぷ池田 |12:35 | 野球 | トラックバック(0)
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2008年07月23日

背番号「9」を20年間独占し続けた男

8月中旬の発売を目指して、「ホークス70周年記念カード」を制作中です。
これまでも、巨人・阪神・中日・西武と各球団の「周年もの」カードを作ってきましたが
これまで知らなかったいろいろな発見があって、なかなか勉強になります。

今回、掲載しているのは、戦後の鶴岡・南海の黄金時代に
「5番・レフト」を長く務めた堀井数男さん。
わたしが生まれる前に既に現役を退かれており、
わたしがプロ野球を見始めたころは、南海のスカウトをされていたと思うのですが、
当時からそのお名前は存じておりました。

というのも、同氏の長男の堀井和人さんも70年から80年にかけて南海に所属しており
当時から親子選手として有名だったからです。
堀井和人さんは現在もオリックスのスカウト部長を務められているので
ちょくちょくスポーツ新聞でもお名前を拝見します。
しかし、長男の名前を鶴岡監督と同じ読みの「かずと」と付けたあたり、
その親密ぶりがうかがえますね(そして、和人氏は鶴岡監督と同じ法大出身)。

そんなわけで、お名前だけは存じていたのですが、
どんな選手だったかはよく知らなかったのです。
そこで、今回、調べてみたところ、これがなかなかの名選手だったのですよ。
46年から55年にかけて10年連続で100安打以上しており、
ベストナインに選ばれた53年には打率.314でベストテンの3位。
51年から55年にかけては毎年全試合に出場という、南海の中心選手だったのですね。
主要タイトルの獲得がなく、現在に伝わっていない選手ではありますが、
通算1513安打は野村、門田、広瀬に次いで球団歴代4位の記録ですから
70周年記念カードに当然収録されるべき選手なのです。

カード表面には、その選手の在籍期間を表示(堀井さんの場合、1943-44, 46-59)し、
在籍中に背番号変更があった場合は裏面にその変遷を表示しています。
堀井さんの場合は ※背番号は43年=「18」、46~59年=「9」 と書いているのですが、
お気づきでしょうか? 44年の背番号がありません。

実は44年という年はリーグ全体で背番号制度がなかったのです。
そもそも、戦局が相当厳しい状況になっていたであろう、44(昭和19)年にプロ野球の
リーグ戦が存続していた(ただし35試合のみで途中打ち切り)こと自体が驚きです。
さらに、堀井選手はこの年も全35試合に出場しているのです。
この年の南海軍(途中「近畿日本」と改称)の登録メンバーは、なんと15名のみ!

そして、堀井さんは、戦後は一環して背番号「9」で通します。
背番号表を確認していて気付いたのですが、同氏は引退したあとも65年まで
コーチでありながら背番号「9」を着けていたのです!
翌66年になって背番号「62」に変更するまで、
実に20年間に渡って背番号「9」を独占し続けたわけですよ!

現在では、引退してコーチになった場合は現役時代の背番号を返上して
重い番号に変更することが一般的ですが、昔は必ずしもそうではなく、
引退後もしばらく同じ番号で通すことがままあったようです。

例えば、53年の首位打者&MVPの岡本伊三美さんは63年限りで引退後も
65年まで24番でコーチを務め、通算315盗塁の森下整鎮氏も66年で引退も
67、68年は現役時代と同じ背番号「16」のコーチだったのです。
この頃は、毎年、ユニフォームを作り変えたりしなかった、
という経済的な事情もあるような気がするのですが、いかがでしょうか?

しかし、わりと最近でも82年限りで引退した藤原満さんが翌83年、
現役時代と同じ背番号「7」でコーチを務めたという事例もあります。

有名なところでは、現在ホークスで監督を務める王貞治監督が現役引退後も
背番号「1」で巨人の助監督を務めていましたが、この場合は永久欠番となることが
規定路線だったので、特別なケースでしょうね。

いやあ、今回も目からウロコの発見がたくさんありました。
そんなエピソードをまた当ブログでお伝えして行こうと考えておりますので
また、よろしくお願いいたします。
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posted by しゅりんぷ池田 |15:26 | 野球 | トラックバック(0)
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2008年05月22日

原田治明さん(元巨人)インタビュー@ベースボールマガジン

昨日、西武の岡村隆則コーチについて
「思いのほか、数字を残していないので驚いた」と書きましたが、
この時期の西武の準レギュラークラスの選手には、
活躍したイメージと実際の数字に差がある選手が多いですね。

西岡良洋	636試合293安打39本塁打
広橋公寿	536試合251安打13本塁打
安部 理	646試合365安打35本塁打
岡村隆則	493試合149安打10本塁打
笘篠誠治	884試合381安打90盗塁
吉竹春樹	544試合282安打15本塁打
森 博幸	374試合155安打15本塁打
(数字は西武在籍時の通算成績)

といった感じなのですが、常勝期のチームというのは、
レギュラーが固定しているので、控え選手の登場機会がごくごく限られています。

常勝チームといえばV9期の巨人なわけですが、この時期もレギュラー選手は固定されており
「一番センター柴田、二番セカンド土井、三番ファースト王、四番サード長嶋…」という
スターティングメンバーを今でもそらんじることができるオールドファンの方も多いと思います。
それだけに、控え選手の出番は本当に少なかったのですが、
そうした巨人の控え選手たちの通算成績がいかほどのものだったのか
興味がわいてきたので、調べてみました。そうすると…

滝 安治(64~73)	456試合126安打15本塁打
上田武司(67~78)	616試合215安打15本塁打
槌田 誠(67~76)	440試合104安打14本塁打
阿野鉱二(70~76)	89試合33安打5本塁打
萩原康弘(70~75)	272試合65安打6本塁打
富田 勝(73~75)	269試合109安打10本塁打
原田治明(73~80)	342試合74安打4本塁打
(数字は巨人在籍時の通算成績)

とまあ、ある程度予想はしていましたが、やはり数字はあまり残せていません。
しかし、当時は巨人戦のナイターが毎日テレビのゴールデンタイムで放映されていたので
上記の選手たちも相当の知名度を有しておりました。
「パ・リーグのチームの主力選手よりも、巨人の控え選手の方が有名」などと言われたものです。

そんな調べ物をしていたら、最近出たばかりの「ベースボールマガジン」7月号に
http://www.sportsclick.jp/magazine/baseball-q/0807/index.html
原田治明さんのインタビューが掲載されておりました。

原田さんは荏原高-コロムビア-三菱自動車川崎-巨人という履歴ですが、
荏原高(※)でやはり上記で登場している萩原康弘さんと同期だったとか、
社会人でプレーする以前に大学に進学もケガで挫折、等々
これまで知らなかった事実も数多く載っていて興味深かったですね。

(※)荏原高は現在の日体荏原高。プロレスラーのヒロ・マツダ、元大洋の桑田武、
プロゴルフの丸山茂樹、体操のお兄さん・佐藤弘道の母校としても有名です

今号の「ベースボールマガジン」は200勝、2000安打にまつわる選手の特集号なのですが、
そうした号の巻末近くにV9巨人のバイプレーヤーのインタビューが載っているというのも
組み合わせの妙を感じます。他のインタビューも読み応え十分ですので、
ご一読をおすすめしておきます。
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posted by しゅりんぷ池田 |12:52 | 野球 | トラックバック(0)
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2008年05月21日

20年ぶりの現場復帰:岡村隆則コーチ(西武)

渡辺久信新監督率いる西武ライオンズが、下馬評を覆して快進撃を見せています。
自分は、渡辺監督と同じ、昭和40年組ということもあって、そういう意味では、
もう無条件にナベQ監督を応援しておりますが、この結果には驚いております。

今季のライオンズの選手名鑑の監督・コーチのページを見ると、
名前の前に「□」が付いている人がすごく多いのですよ。
選手名鑑に記されている「○=新入団」、「△=移籍」、「□=復帰」という記号は
誰が考案したのか、それはそれで、すごく興味があるのですが、その件は置いておきまして、
今季の西武はしばらくユニフォームを着ていなかった方の復帰が目立ちます。

黒江透修ヘッドコーチ	解説者から6年ぶりに復帰
大久保博元打撃コーチ	解説者から13年ぶりに復帰
熊沢とおる打撃コーチ補佐	球団職員~松井稼頭央の個人トレーナーから10年ぶりに復帰
岡村隆則守備走塁コーチ	スカウトから20年ぶりに復帰
片平晋作二軍監督	編成部長から11年ぶりに復帰
大井久士二軍バッテリーコーチ	チームスタッフから3年ぶりに復帰

と、18名の首脳陣中6名が復帰組。
これを目にした際には、「組閣に苦労したのかなあ~」と思ったものですが、
フタを開けてみれば、この結果ですからね。面白いものです。

黒江コーチの69歳にしての復帰、デーブ大久保コーチの13年ぶり、
片平二軍監督の11年ぶりの復帰も驚きますが、岡村コーチの20年ぶりは飛びぬけていますね。
岡村コーチは88年に34歳で引退して以降は、ずうーっと、スカウトひと筋で来られた方で
一度もコーチ経験がなかったので、特に目を引いたのですね。
これだけの空白期間を開けての復帰というのは史上最長記録ではないでしょうか?

自分は別に、岡村コーチの大ファンだったとか、いうわけではないのですが、
やはり生来マイナー好きなのか、バリバリのスーパースターよりも、
主役になり切れなかった選手の方が気になってしまう性分なのです。

岡村コーチは80年秋のドラフトで2位指名で入団。同年の1位が石毛宏典、3位が杉本正、
4位が安部理で、ドラフト外では小野和幸、広橋公寿、秋山幸二といた中での2位ですよ!
さらに、そのルーキーイヤーの81年に早速、カルビーカードにも登場しているのですから、
その期待の高さがうかがわれます。

岡村選手の現役時代の活躍で思い出すのは、「西武球団初のサイクルヒット」
「1イニング2本塁打(過去19例)」「日本シリーズでの決勝ホームラン」などですが、
実はこの3件はすべて1985年シーズンの出来事だったのですね。
このシーズンは自己最多の119試合に出場して54安打4本塁打38打点9盗塁で打率.241
という好成績を収めましたが、定位置を確保するまでに至らず、
実働8年で493試合149安打10本塁打80打点28盗塁、打率.223の成績に終わります。
思いのほか、数字を残していないことに驚きますね。

この時期の西武の脇役陣には、イメージと実際の数字にギャップのある選手が多いのですが、
そういう内容で今週の「週刊ベースボール」のカードのコラムでも書いているので、
そちらの方もご参照ください↓
http://www.sportsclick.jp/magazine/baseball/080602/index.html

岡村選手は、結局カルビーカードに登場したのも、81年のしょっぱなの1枚のみで
88年に引退されたのでBBMカードに登場することもなかった(BBMカードのスタートは91年から)
のですが、今季、西武球団が誕生して30年ということで、
「西武ライオンズ30周年記念カード」というカードが作られることになり、
岡村コーチも66人のOBのうちの1人として収録されることになったのです!

常勝時代の西武は、秋山・清原のような主力メンバー以外にも
個性的な脇役がいっぱいいましたし、それがまた強さの源泉でもあったのでしょう。
カードの内容は下記の通りですが、
なつかしいOBの方たちがサインなども寄せてくれています。
http://www.sportsclick.jp/sportscard/card/2008_lions30/index.html
そして、今週末24日(土)には西武ドームで先行販売も予定されていますので、お楽しみに!
http://www.sportsclick.jp/sportscard/card/2008_lions30/index02.html

(いやあ~、このコラムも思い起こせば久々の「復帰」ですね。更新がんばります!)
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posted by しゅりんぷ池田 |11:47 | 野球 | トラックバック(0)
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2008年02月05日

大場翔太(ソ)のニュースがもうひとつ聞こえてこないが…

いよいよ球春到来のキャンプインですが、この春の話題を独占しているのが
日本ハムの高卒ルーキー、中田翔で、
パウエルの二重契約問題も大きく取り上げられているのですが、
今季のナンバーワン大卒ルーキーの大場翔太について報じられることが
あまり多くないので驚いています。

大場は東洋大の出身で、4年春に9勝(リーグタイ記録)、115奪三振(リーグ新記録)、
同年秋も8勝、101奪三振で2季連続でMVP、最優秀投手、ベストナインの3冠を達成し、
昨年秋の明治神宮野球大会では3日連続の完投(準決勝、決勝は完封!)。
決勝で早稲田を下して東洋大を初優勝に導いた立役者です。

同年秋のドラフトで6球団競合で、ソフトバンク入りとなりましたが、
6球団以上が競合したケースというのは野茂英雄、小池秀郎の8球団、福留孝介の
7球団、岡田彰布、清原和博、そしてこの大場翔太の6球団の6ケースしかありません。
(ちなみに今季の楽天の1位、長谷部康平、ヤクルトの1位、由規は5球団が競合)

こういうデータは、現在発売中の「2008ドラフト候補逸材図鑑」の巻末の
データ集の中に載っていますよ!
http://www.sportsclick.jp/magazine/baseball/mook532/index.html

一番数字を残していない、小池投手にしても、実働12年で51勝47敗2S、
97年には最多勝(15勝)のタイトルも獲得していますから
(同投手は8球団競合の末、交渉権を獲得したロッテへの入団を拒否し、
松下電器を経て93年に近鉄に入団しますが、大卒時にプロ入りしていれば
もっと活躍できたはずという声も、よく聞かれます)
6球団以上が競合した選手はほぼ成功を約束されているといっても過言ではありません。

そんなスーパールーキーが、今ひとつ話題になっていないのはどうしてか?
他に話題の選手やニュースがあるということなんでしょうが、
やはり、昨年のナンバーワン大卒投手と目され、
ソフトバンクに希望枠で入団した大隣憲司投手の不振が影響しているような気がします。

覚えていますか、大隣! 「江夏2世」の異名を取った近畿大のドクターK。
しかし、昨年は開幕前に腰を痛めて出遅れ、
結局、8試合に登板して2勝4敗の成績に終わります。
06年秋のドラフトの時点では、昨年11勝した西武の岸、7勝した巨人の金刃よりも
上の評価を得ていたのですから、これは残念な結果です。

ソフトバンクの投手陣はご存知のように、斉藤和巳・新垣渚・和田毅・杉内俊哉が
4本柱を形成。今季は斉藤が右肩の手術のため復帰がかなり遅くなりそうですが、
昨年途中入団ながら7勝を挙げたスタンドリッジ、日本で実績があるガトームソンがいて
さらにマイナーリーグ通算54勝のホールトンを緊急補強し、
さらに、NPB通算67勝のパウエルも獲得の方向と、補強に余念がありません。
2ケタ勝利2度で通算50勝の星野順治、06年に6勝した神内靖、
大隣同様に鳴り物入りで入団した山村路直、山田秋親なども入り込む余地がないほど。

なのに、また大学ナンバーワン投手の大場が、ソフトバンクに行ってしまうのかと、
残念に思ったぐらいなのですが、今季の大場はどうでしょうか?
現在の低い評価(注目度が低いだけで、評価は相変わらず高いのかもしれませんが…)
を覆すような大場投手の活躍を期待していますし、
2年目の大隣投手にも注目したいと思います。がんばれ!
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posted by しゅりんぷ池田 |15:20 | 野球 | トラックバック(0)
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2008年01月31日

谷繁元信、3年連続打率最下位

いやあ、久々の更新です。というか、今年初めての更新ですね。
あけましておめでとうございます。

いつも年末に発売される「ベースボール・レコード・ブック」
http://bookcart.sportsclick.jp/bbmshop01/7.1/BBM160217/
カード制作の際には首っ引きになって見ている、
わたしたちにとっては教科書のような本なのですが、
それを見ていて、セ・リーグの打撃成績で中日の谷繁元信捕手が
昨年もまた最下位になっていることに気付きました。
これで、なんと3年連続の最下位ですよ!
http://bis.npb.or.jp/2007/stats/bat_c.html

この打撃成績は規定打席(全試合数×3.1)を超えないとランクインしないので
それだけでも大変なことなのですよ。その選手が全然ヒットが打てない状態なら、
当然、監督もその選手を起用しなくなるので規定打席に届かなくなります。
なので、3年連続で規定打席に到達して、
3年連続で最下位になるのは至難の技なのですよ。

しかし、谷繁がバッティングが悪いという印象は特にないですよね。
(ちょっと淡白という印象はありますが…)
なにしろ、高校時代には島根県予選の全5試合でホームランを放ち
「島根にすごい選手がいる!」と話題になっていましたからね。
(そんなことを覚えているのは、もうかなりのオールドファンになりますかね)
プロでもホームランをけっこう打っているイメージもありますし…。
01年に20本、02年に24本打って、2ケタ本塁打が8回で通算192本塁打。
通算安打数も1596で、通算打率が.245ですから、そんなに貧打という印象はありません。
100三振以上しているシーズンが4回ありますが…。

打率最下位になる選手というと一発か三振かという外国人打者か
専守防衛型の野手というイメージですよね。

前者の典型が87年、広島のランス。
同年39本塁打してホームラン王となりますが、打率.218で規定打席到達打者
33人中の最下位で、三振114もリーグ最多でした。

後者で言うと、70年代の大洋の山下大輔、阪急の大橋譲の名前が浮かびます。
しかし、調べてみると、山下大輔さんは84年に.247で最下位(35位)になったものの
通算打率は.262で、そんなに滅茶苦茶、低打率でもなかったんですね。

一方、大橋さんはというと、通算打率が.210で、
これは正真正銘の「専守防衛型」だったのですが、
ここまで打率が低いと終盤に代打が送られることが多く、
なんと規定打席に到達したシーズンが1年しかないのです!
その唯一のシーズン、72年には.216でやはり最下位(30位)。

やはり、規定打席に到達しながら最下位になるというのはなかなか難しいのですよ。
谷繁捕手は07年が.236で34位、06年が.234で29位、05年が.234で34位で
3年連続最下位となりましたが、その前年、04年は.260で規定打席到達38人中の
37位で、惜しくも(?)最下位にはならず。
さてさて、今年はどうなりますかね? 谷繁捕手の打席に注目してください。
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2007年12月18日

日本人プロ野球史上最長ネーム選手(?):下敷領悠太

ロッテの大・社ドラフト5巡目指名で入団した下敷領悠太投手。
法政大時代から有名だった(4年秋には6勝0敗で優勝に貢献)
長身のアンダースロー投手で、大阪・上宮高時代は、
元広島の国木剛太投手(02年6巡目。一軍登板なし)、
現阪神の金村大裕投手(06年3巡目。一軍登板なし)がチームメイトで
同期の3人の投手がプロ入りするというのも珍しいケースですね。
その後、社会人の日本生命に進んで、春先にはドラ1級の評価を受けていたので、
5巡目という低い順位には驚きましたが、
ついに同投手がプロのマウンドに登場することになりました。

僕は早くから同投手のプロ入りを待望していたのですが、
それというのも、同投手の「SHIMOSHIKIRYOH」(14文字)という
長いスペルが見たかったから。

過去最も長かったのが00~03年に横浜に在籍していた
中野渡進NAKANOWATARI(12文字)と、
やはり03~07年に横浜に在籍した堤内健TSUTSUMIUCHI(12文字)で
それに次ぐのが珍名選手で有名な源五郎丸洋(阪神=82~86年)
GENGOROMARU(11文字)ということなので、下敷領選手が史上最長スペルらしいのです。

米大リーグでスペルの長い選手ということで自分がよく覚えているのが
元ドジャースのトッド・ホランズワース選手。
ドジャースが92年からエリック・ケアロス、マイク・ピアッツァ、ラウル・モンデシー、
野茂英雄、トッド・ホランズワースと5年連続で新人王を獲得したことがあったのですが、
その5人目の選手でした。そのスペルはHOLLANDSWORTHと13文字もあり、
背番号の回りを名前が半円型に囲んでいたのですね。

最近では、選手のユニフォームを断裁してカードの中に取り込む、
メモラビリアカードというのが、すごく進化を遂げていて、
背番号の上の選手のネームを1文字丸まるカードの中に取り込んだりしているのですが
(もう、それは、カードなんかなんなのか、という感じです)
下敷領は14文字もあって、たくさん作れそうです。
しかし、入団発表の写真を見ると、文字と文字の間がすごく詰まっていて
1文字ずつ切り離すのが、大変かも?
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2007年12月10日

セ・リーグ新人王投票、飯原(ヤ)1票かよ!

前回のカムバック賞に続いて、新人王の選定についての疑問です。
前回のネタ同様に、本当はもっと早くに書こうと思っていたことなのですが、
バタバタしていて、こんな時期になってしまいました。

今季の新人王はご存知の通り、パ・リーグが楽天の田中将大投手、
セ・リーグは阪神の上園啓史投手が受賞しました。
セ・リーグの方の得票結果と成績は下記の通り。

上園啓史(神)	104票	17試合8勝5敗	85回2/3	防御率2.42
金刃憲人(巨)	57票	22試合7勝6敗	121回2/3	防御率3.55
渡辺 亮(神)	3票	53試合1勝1敗	58回1/3	防御率2.47
青木高広(広)	1票	29試合5勝11敗	128回1/3	防御率4.77
飯原誉士(ヤ)	1票	136試合103安打8本塁打32打点23盗塁、打率.246(31位)
(該当者なし)	38票

個人的には入団2年目ながら、1年間フルに出場して規定打席にも到達した
飯原が受賞するだろうと思っていたのですが、
その飯原にわずか1票しか入っていなかったので驚きました。

実は、昨年の新人王の投票で26本塁打を放って華々しく登場した
(ただし、高卒4年目で規定打席には惜しくも届かず)横浜の吉村裕基を抑えて
地味ながらも1年間フル出場して、チームに貢献した梵英心が倍近い得票を得て新人王となったため、
「最近は個人の技量よりも、チームへの貢献を優先するんだなあ~」
(という内容を下記でも書きました)
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/article/85
との思いを再度強くしていたんですけどねえ~。
(2人の新人王争いについては下記のBBMのHPのコラムでも触れています)
http://www.sportsclick.jp/sportscard/column01/index13.html

梵 英心(広)	110票	123試合130安打8本塁打36打点13盗塁、打率.289(15位)
吉村裕基(横)	53票	111試合123安打26本塁打66打点5盗塁、打率.311

こういう例は92年にもあって、同年、優勝争いに演じてファンを大いに喜ばせた
阪神の久慈照嘉と新庄剛志が新人王の投票で接戦を演じました
(これをご記憶の方は意外に少ないのでは?)。

久慈照嘉(神)	85票	131試合140安打4本塁打28打点、打率.287(24位)
新庄剛志(神)	80票	95試合98安打11本塁打46打点、打率.278

この際も、盟友・亀山努との“カメ新コンビ”で華々しく売り出した
ニューヒーロー、新庄(この年、高卒3年目)を制して、
1年間フルに出場した久慈が僅差で新人王を受賞したのでした。
こういう事例もあるので、2年目とはいえ、巷間新人王候補として名が挙がっていた
8勝の上園や7勝の金刃よりも飯原が有利と思っていたのですが…。

飯原に不利があるとすれば、2年目ということと、
今季サードで18失策(飯原のもともとのポジションは外野)した不安定な守備なのでしょうが、
それらを割り引いたとしても、新人王に値する活躍だったと思うんですけどねえ~。

今季、チームが低迷していて、ヤクルトが注目されていなかったので、
飯原がレギュラーとして起用されていることが知られていなかった、
飯原が新人年の昨年、フレッシュオールスターでMVPを受賞するなど、
少し活躍していたため、新人王の資格を残している
(打者の場合、5年目までで60打席未満。飯原の昨年は40打席)
とは思われていなかった、なんてところが得票わずか「1」の原因だと思うのですが、
いかがでしょうか?
20071210-00.jpg


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posted by しゅりんぷ池田 |14:22 | 野球 | トラックバック(0)
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2007年12月07日

カムバック賞、今年も該当者なし。あれ、ローズは?

2007年シーズンもすっかり終わって、プロ野球各部門の表彰選手が発表されましたが、
驚いたのは今年もカムバック賞が「該当者なし」だったこと。
これで3年連続なんですが、昨年1年引退していたにもかかわらず、
今季42本塁打、96打点、打率.291という好成績を残した
オリックスのローズ選手がスルーされてしまいました。

今年の5月のブログで「出戻り外国人の活躍は珍しいケース」とローズ選手を取り上げ
「外国人選手として史上初のカムバック賞受賞もあるかも?」と書いたのですが、
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/article/59
その時点で、ひょっとして、あまりの活躍ぶりにローズが引退してたことが失念されて
受賞を逃がすようなことがありはしないかと危惧していたのですが、
その予感が的中してしまいました。

この「カムバック賞」という賞は74年からスタートしており、
下記で受賞者一覧が見れるのですが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E8%B3%9E
セ・リーグの方はそれほどの成績でなくても受賞する選手がいる一方、
パ・リーグの方は基準が厳しかったりと、なんだか変なんですね。

1年間プレーせず引退した選手が見事復活したのに、
どうして「カムバック賞」を贈られないのでしょうか?

また、セ・リーグの方も、わたしは巨人の木佐貫洋投手が受賞すると思っていたのですが
こちらも「該当者なし」という結果に…。
03年に10勝7敗で新人王を獲得したものの、
昨年、一昨年と未勝利だった木佐貫が今季見事に復活して自己最多の12勝。
下記がここ3年の成績なのですが、数字だけ見ると、すごく劇的なカムバックなんですけどねえ~。

05年	14試合0勝1敗5S	
06年	3試合0勝3敗		
07年	26試合12勝9敗	

多分、地味な選手なので、過去2年低迷していたことを忘れられていたのではないでしょうか?

このカムバック賞って、どなたが選考されているんでしょうか?
こんな状況なら、もう、この賞は廃止してもいいんじゃないですかね?
20071207-00.jpg


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posted by しゅりんぷ池田 |14:37 | 野球 | トラックバック(0)
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2007年11月14日

規定投球回到達投手が激減~稲尾和久さんのこと

またまた、更新間隔が開いてしまいましたが、久々の更新。
毎年、レギュラーシーズンが終了した時点で、さまざまなタイトルが確定し、
その年の打撃成績、投手成績の一覧表がスポーツ紙などに載りますが、
その表に名前が掲載されるのは、打者なら規定打席(試合数×3.1)、
投手なら規定投球回(試合数×1.0)を超えている選手のみ。
つまり、常時出場している選手しか、その表には登場しないのですが、
今年のセ・リーグは、規定投球回に到達した投手が12人しかいなかったのです!

中でも、阪神は到達投手ゼロ! JFKという日本球界を代表する抑え陣が磐石なため、
先発投手はせいぜい5~6回を投げれば御の字ということで、
誰も規定投球回144に達しなかったのですね。
今季の阪神で最も投球回が多かったのは、唯一の2ケタ勝利投手の下柳剛で129回1/3。
25試合に登板して10勝8敗ですから、1試合平均5.17回ということになります。
規定投球回に到達した投手が1人もいないというのは、
現行制度になってから4例目という珍しい事例で、従前から話題になっていたのですが、
他のチームも同じような状況で、リーグ全体でわずか12人という数の少なさに驚きました。

というのも、90年代初めにカルビーでプロ野球チップスのカードを作っていたころ、
どの選手をカードにするかという基準を、この規定打席、規定投球回に拠っていたからです。
規定打席に到達している打者が30名、規定投球回に到達している投手が20名で
両リーグで計約100名。それに、その年たまたま調子を落としていた有力選手、
翌年の大型ルーキーなどを加えた約120名(各球団10名前後)をカード化していたのです。
それが10名ほどしかいないとなると、基準として成り立たなくなってしまいますね。

しかし、改めて見直してみると、ここ10年ほどで
規定投球回に到達する投手の人数はめっきり少なくなっていたのですね。

	01	02	03	04	05	06	07
セ	17	16	13	14	14	17	12
パ	13	15	13	15	15	18	16

かつて、わたしが想定していた、「規定投球回に到達する投手はリーグに約20人」
という目算はすでに成り立ちません。投手の分業化の流れが止むことはなさそうなので、
(試合数×1.0)という投球回を超える投手は今後ますます少なくなり、
そのうち、規定投球回の回数の見直しが図られるのではないでしょうか?

先に、「現行制度になってから」と書きましたが、投手の規定投球回が
(試合数×1.0)となったのは1966年からのことで、
それ以前は年によって180回だったり、190回だったりと、マチマチだったのですね。
(詳しくは下記をご覧ください)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%8F%E5%AE%9A%E6%8A%95%E7%90%83%E5%9B%9E

「毎試合1回投げたとして144回か…」と、なんとなく納得していましたが、
よく考えれば、その数字に合理的な根拠はありません。

規定投球回が(試合数×1.0)となった最初の年、66年に
パ・リーグの防御率1位となったのが、昨日お亡くなりになった稲尾和久さんでした。
54試合185回2/3を投げて11勝10敗、防御率1.79という成績で、
稲尾さんにとっては現役最後のタイトルとなったのですが、過日、氏の伝記を
読んでいたところ、同年、自分が規定投球回に達していると思っていなかったので、
予期せず防御率のタイトルが転がり込んできて驚いたという記述がありました。
毎年300回も400回も投げていた稲尾さん的には、
200回にも達していない投球回は不本意だったのでしょう。

なにしろ、稲尾さんが入団した56年の規定投球回数は史上最高の230回!
(この年は試合数も多くて各球団154試合)
ちなみに、今季200回以上に登板した投手はグライシンガー、ダルビッシュ、涌井の
3人のみで最多の涌井でも213回なので全員、規定投球回未満となってしまいます。

いやあ、こんなところにも野球の質の変容というのが現れているんですね。
そして、昔日の大投手たちの残した実績の偉大さを改めて実感した次第です。
20071114-00.jpg


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posted by しゅりんぷ池田 |13:58 | 野球 | トラックバック(2)
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