2007年08月29日
元南海コーチ、高畠導宏さんがドラマ化(?)
本日「NHKのドラマオーディション中に硬球が目に直撃する事故があった」 というニュースがあったのですが、同記事中に「プロ野球コーチから高校教師に 転身した人物を描く実話を元にした内容」とあるので、 ああ、これは高畠導宏さんのことだなと思いました(違っていたらごめんなさい)。 http://www.sanspo.com/geino/top/gt200708/gt2007082902.html 高畠さんのお名前をご存知の方はかなりのプロ野球通だと思うのですが、 29歳の若さで打撃コーチとなり、そこからのべ7球団で25年の長きに渡って コーチを務められた名伯楽なのです。高畠さんのプロフィールはこんな感じです。 高畠導宏(たかばたけ・みちひろ) コーチ時代の登録名:康真(やすまさ) 1944年1月18日生~2004年7月1日没 岡山南高-丸善石油(62)-中央大(63)-日鉱日立(67)- 南海(ドラフト5位、68~72引、73~77)-ロッテ(78~88)-ヤクルト(90)- ダイエー(91)-中日(95~97)-オリックス(99~01)-ロッテ(02)- 福岡・筑紫台高(03~04) わたしがプロ野球を見始めたころ、高畠さんは既に南海の打撃コーチを務められて いたのですが、随分若いコーチだなあ、それに現役時代にあまり成績を残していない (実働5年で通算258試合99安打8本塁打、打率.263)のに、 よくコーチをやっているなあと不思議に思っていたのです。 その長年の謎が晴れたのが05年に出された 『甲子園への遺言~伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯』(門田隆将、講談社) という評伝でした。 一旦、丸善石油に就職しながら大学に進んだというのも珍しいパターンですね。 その後進んだ中央大、当時は素晴らしいメンバーが集っていたのです。 2期上に末次利光、武上四郎、同期に高橋良昌、1期下に中塚政幸、宮本幸信、 水沼四郎とのちにプロに進んで活躍した選手たちがキラ星のごとく集っていたのですが、 高畠さんはその中でも主軸を打っていたのですから、その実力のほどがうかがえます。 大学卒業時に巨人からドラフト5位で指名されたものの、これを拒否して日鉱日立入り。 全日本チームで四番を打つスラッガーとして名を馳せ68年にプロ入り。 この年の新人王の有力候補と目されていたものの、肩のケガで出遅れ、 結局、そのケガが完治せず、代打が主になったのですが、 規定打数には足りないもののプロ3年目に打率.312、4年目に.310と 意地を見せます。結局、現役生活はわずか5年で終わるのですが、 その打撃術を評価していた野村監督によって弱冠29歳の打撃コーチが誕生したそうなのです。 アマの有力選手がドラフト下位で指名されることも、 その選手が大成しない(「全日本の四番は大成しない」というジンクスもありますね) ということも、ままあるわけですが、高畠さんの場合はあまりに時代が遠すぎて わたしは知らなかったのですが、前掲書によって、その事実を初めて知ったわけです。 高畠さんは77年オフの野村監督の解任騒動の際に行動をともにしロッテに移籍。 野村さん自体は1年でロッテを去るのですが、 高畠さんは同球団に残ってコーチを続けます。 ロッテでは落合博満、高沢秀昭、西村徳文を首位打者に育て 落合現中日監督も同コーチを恩人の1人として挙げるほどです。 その後の球団でもイチローや田口壮、小久保裕紀らを育て、 名伯楽の名を欲しいままにしたのですが、高畠さんは還暦を前にして 高校野球の指導者になることを決意。5年の歳月をかけて教員免許を取り 03年、福岡の筑紫台高に着任するのですが、志半ばで(プロ経験者は着任後 2年間は指導できない)膵臓癌のため60歳の若さで亡くなってしまったのでした。 あの有名な打撃コーチの高畠さんが高校の先生に転じたというニュースはちょくちょく 伝えられていたのですが、その報からほどなくして訃報が聞こえてきたので驚いたものです。 高畠さんはこれほど多くのバットマンを育てたにも関わらず、 コーチ時代もあまりその業績が語られることはなかったのですが、 前掲書が出されて、その業績が再評価されることになったのはうれしい限り。 現役時代の輝かしい実績こそないものの、 こんな名コーチがいたことを覚えておいてもらいたいものです。
posted by しゅりんぷ池田 |13:28 |
野球 |
トラックバック(0)



