2007年08月14日

最後のクラウン戦士、立花義家

まだまだ昔話が続きます。
先日の回で紹介した江藤さんの後任監督、鬼頭政一さんなんですが、
1940年の首位打者、鬼頭数雄(ライオン)さんの実弟という以外
ほとんど何も知らなかったので、調べてみたところ、
太平洋の監督としてプロ球界に復帰する以前は
柳川商(現校名は柳川高)野球部の監督をされていたのだとか。

鬼頭政一	1920.2.9生	名古屋市出身
日大三高-名古屋(40)-ライオン・朝日(40~42)-西鉄(50)-近鉄(52~58)

なるほど、なるほど、そういう縁もあって当時は
ライオンズに柳川商出身の選手が多かったのですね。例えば
高橋明(50年生)、真弓明信(53年生)、若菜嘉晴(53年生)、加倉一馬(57年生)、
立花義家(58年生)、清家政和(59年生、83年に阪神から移籍)らです。

ちなみに、高橋明は巨人から来た投手の高橋明ではなく、
同投手のため「高橋外」と表記された選手です(下記参照)。
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/article/74

ここで、鬼頭さんが日大三高出身というのもポイントのひとつ。
鬼頭監督の後を襲ってクラウン・西武の監督となった故・根本陸夫さんが同校の後輩。
おそらく、そういうルートで根本さんを後任監督に招聘したのではないでしょうか?
さらに、先に取り上げた76年のドラフト1位投手、
古賀正明さんも日大三高の出身なんですね。
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/article/88

話は先の柳川勢に戻りますが、76年秋のドラフトでは
柳川商から3人の選手が指名され、話題となりました。
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/article/33

クラウンの1位が立花義家、近鉄の1位が久保康生
(近鉄・阪神で通算71勝。現阪神投手コーチ)、日本ハムの3位が
同年夏の甲子園で8打席連続安打をマークした末次秀樹。
末次さんはこの指名を拒否して中央大に進み、
後年母校の監督として甲子園にも出場しました。
02年には末次監督の長男、峰明選手が四番を打ったことも話題になりましたが、
その峰明選手は現在、俳優の宇梶剛士さんが総監督を務める赤べこ野球軍団に
所属し、24日から始まる都市対抗野球に出場するそうです!
http://sports.geocities.jp/akabekoboys/akabekomenu.html

話は相変わらず蛇行しまくりですが、76年秋のドラフト1位で入団した
立花義家選手は1年目こそ一軍出場はありませんでしたが、
78年から就任した根本監督に抜擢され、「19歳の三番打者」と話題になりました。
「たちばな・よしいえ」という戦国武将のような名前もインパクトがありましたね。

この年の成績は124試合に出場して115安打0本塁打39打点、打率.250
(リーグ27位)と、高卒2年目の選手としては上々の成績を挙げるのですが、
惜しくも新人王はならず! この年の新人王は南海の村上之宏という投手で
40試合に投げて5勝8敗3S防御率3.61(リーグ12位)という成績。同投手は
結局14勝 25敗 5Sという通算成績でわずか5年で引退してしまったこともあり、
史上最も不可思議な新人賞受賞者と言われることが多いのですが、
この際の得票数が村上96票で、立花は82票という僅差!
立花さんはこのころからついてなかったのか?

翌79年には球団が西武ライオンズに代わり所沢に移転。
79年4月14日には西武球場開場第1号も放ちます。
80年には全130試合に出場して144安打18本塁打60打点、打率.301
(リーグ13位)とキャリアハイの成績を残し、82、83年と連続日本一の栄誉に浴しますが
以降はライオンズの強大戦力の中に埋没し、代打での出場が主となります。
91年には一軍出場がなくなり、92年に金銭トレードで阪神に移籍も1年で
自由契約となり、翌93年は台湾でもプレーしました。
引退後はサラリーマンも経験されたそうですが、98年、ダイエーの打撃コーチとして
球界に復帰、オリックスを経て、04年から古巣の西武の打撃コーチを務められています。

西武は球団買収後、盛んにトレードを繰り返し、
西鉄・太平洋・クラウン時代の旧勢力をどんどん他チームに放出しました。
88年限りで旧クラウン時代の先輩の東尾修も引退し、
91年にはクラウン時代から引き続きライオンズに在籍した最後の選手となったのです。
(旧クラウンから阪神に移籍した真弓明信は95年まで現役)

西武球団は福岡時代の歴史をまったく黙殺しており、
それはプロ野球ファンに評判が悪いのですが、
西鉄・太平洋・クラウン時代のOBをないがしろにしたかといえばそんなことはありません。

76年に加藤初投手とのトレードで関本四十四投手とともに巨人から移籍してきた
玉井信博投手は現在もスコアラーを務め、73年秋のドラフト3位で早稲田から入団した
鈴木葉留彦さんは現編成部長。同年やはり早稲田からドラフト2位で入った
楠城徹さん(現楽天)、77年にロッテから移籍してきた長谷川一夫さん、
76年に阪神から移籍してきた鈴木照雄さんなども長らくスカウト部門で活躍されていました。
これは、故・根本さんがそうされたのだと思うのですが、
経営が落ち着かず苦労したOBたちをないがしろにすることはなかったのです。

そして、クラウンライター・ライオンズの最後の希望の星だった
「19歳の三番打者」立花さんも、コーチとして西武に戻ってきました。
かつて「張本2世」とも呼ばれた、その打撃術を若い選手たちに伝えてもらいたいものです。
20070814-00.jpg


BBM西武ライオンズ2007より立花義家コーチ
http://www.sportsclick.jp/sportscard/card/2007_lions/index.html

posted by しゅりんぷ池田 |14:18 | 野球 | トラックバック(1)
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