2007年08月10日

江藤慎一波乱万丈記(3):太平洋で兼任監督就任も1年でクビ

「闘将」江藤慎一さんについてまたまた書きたいと思います。

江藤慎一波乱万丈記(1)
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/article/22
江藤慎一波乱万丈記(2)
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/article/93

わたしがプロ野球を見始めたころ、江藤さんは既に大洋に在籍しておりました。
「セ・パ両リーグで首位打者を獲ったという江藤選手というのはこの選手なのか!」
とテレビ中継を見ていたのですが、同時期には300勝投手の小山正明投手も
大洋に在籍(現役最後の73年、1年のみ)しており
「300勝投手の小山さんも大洋にいるのか! でも、すごく、おじさんだなあ~。
というか、ほとんど、お爺さんみたい」とか思っていたのですが、
調べてみたら、その年、小山さんは41歳。現在の自分より若かったんですね…。
大洋在籍時の江藤さんの成績はというと…

72年(34歳)	69安打	18本塁打	51打点	打率.250
73年(35歳)	103安打	15本塁打	44打点	打率.282(リーグ6位)
74年(36歳)	110安打	16本塁打	67打点	打率.291(リーグ9位)

とまあ、全盛時から比べれば少し陰りが出てきていたのですが、
74年のオフに突如、トレードで太平洋に移籍。
しかも、「選手兼任監督」として迎えられることになったのです!
チームの監督がトレードでやってくるって、すごいですね。

そして、当時のライオンズのオーナーが先にロッテから江藤さんを放出した
中村長芳氏だったというのが、これまた奇しき縁。
(ロッテのオーナーがなんでライオンズのオーナーにスライドしているのか?
その辺の事情を説明するのはすごく大変なので今回は端折ります。
下記「波瀾興亡の球譜~失われたライオンズ史を求めて」
(坂井保之著)などをご参照ください)
http://bookcart.sportsclick.jp/bbmshop01/7.1/BBM105035/

この75(昭和50)年という年はかつてのスター選手たちが
続々と監督に就任した年でした(年齢はシーズン開幕時の年齢)

巨人	長嶋茂雄(39歳)
阪神	吉田義男(41歳)
大洋	秋山 登(41歳)
太平洋	江藤慎一(37歳)

江藤さんの37歳(10月の誕生日で38歳)というのは
現在の中日の立浪選手とかと同じ年回りです。どんだけ、若かったのか…。

しかし、この年の太平洋クラブライオンズは「山賊野球」というニックネームが付いた
ぐらいのユニークなチームだったのです。前年オフ、監督の江藤慎一から始まって、
近鉄から「無冠の帝王」土井正博、日本ハムから韓国出身の白仁天が加入。
江藤監督は、さらに当時しきりとトレード説が囁かれていた親友の張本勲にも
「うちに来ないか?」と誘っていたそうなのですが、これは実現しませんでした。

75年の前期は2位、後期は4位で通算3位と、「黒い霧事件」で低迷していた
チームを8年ぶりにAクラスに浮上させ、土井が「無冠の帝王」のニックネームを
返上する初戴冠でホームラン王、白が首位打者で、エース・東尾が最多勝を獲得します。
この年の3位は後年から見るとできすぎの感すらあるのですが

年度	球団名	監督	順位
67年	西鉄	中西	2位
68年	西鉄	中西	5位
69年	西鉄	中西	5位
70年	西鉄	稲尾	6位	
71年	西鉄	稲尾	6位	
72年	西鉄	稲尾	6位	
73年	太平洋	稲尾	4位	
74年	太平洋	稲尾	4位	
75年	太平洋	江藤	3位
76年	太平洋	鬼頭	6位
77年	クラウン	鬼頭	6位
78年	クラウン	根本	5位
79年	西武	根本	6位
80年	西武	根本	4位
81年	西武	根本	4位
82年	西武	広岡	1位

中村オーナーは「やっぱり、江藤に監督は無理」と見限って
秋には江藤の後任に大沢啓二前ロッテ監督(!)を据えようとします。
これは江藤派の巻き返しもあって流れ、一旦は江藤監督の留任が発表になったのですが
10月になって、メジャーの2000勝監督、レオ・ドローチャー氏を招くことになり
江藤さんは選手兼打撃コーチに降格されますが、さすがにこれには不服で
退団を申し入れ自由契約となり、古巣のロッテに引き取られることになります。

そして、件のドローチャー氏は結局来日せず、ライオンズは泥沼状態に突入、
ついには福岡の地を離れることになるのです。
「山賊野球」を継続していれば、とわたしなんかは思ってしまいます。
中村オーナーに2度までも裏切られた江藤さんの心中やいかに…。

一方の江藤さんも、采配を執りながらの試合出場は難しかったのか成績は急降下、
結局76年限りで引退となってしまいます。

74年(洋)	111試合	110安打	16本塁打	67打点	打率.291
75年(太)	88試合	69安打	8本塁打	36打点	打率.228
76年(ロ)	69試合	49安打	6本塁打	24打点	打率.229

以降、江藤さんは監督どころかコーチに招かれることもないままになっているのです。
強烈な個性ゆえにキャリア後半は所属チームが落ち着かなかったのは
残念で仕方がありません。
こんな波乱万丈の人生を送った名選手がいたことを覚えておいてください。
20070810-00.jpg


BBM2000センチュリーベストナインより
湘南電車カラーのユニフォームに身を包んだ大洋時代の江藤さん

posted by しゅりんぷ池田 |11:28 | 野球 | トラックバック(1)
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