2007年08月08日

日本プロ野球史上最初に全12球団から勝ち星を挙げた投手、野村収の軌跡

先日、12球団から勝ち星を挙げた2番目の投手、古賀正明さんについて書きました。
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/article/88

交流戦がなかった当時、全12球団から勝ち星を挙げようとすると
セ・パ2球団ずつに属さなければならなかったため、
古賀さんも3回のトレードを経験し、そのトレード相手がいずれも
大物選手や有望選手だったということを書いたのですが、
最初に全12球団から勝ち星を挙げた野村収投手の場合はどうだったのか?
それを知りたくて少し調べてみました。

野村さんが駒澤大からプロ入りしたのが69年のこと。
その前年68年秋のドラフトは山本浩司、田淵幸一、有藤道世、星野仙一、山田久志、
東尾修らを輩出したドラフト史上でも最高の豊作年として知られる年ですが
野村さんはその年、大洋に1位で指名されます。
全体で9番目の指名だったのですが、そのあと10番目が星野、11番目が山田、
12番目が東尾だったのですから、その期待の高さがうかがわれます。

しかし、野村はなかなか頭角を現さず、初勝利を挙げたのが2年目の70年ながら
この年はその1勝のみ。3年目は4勝3敗としたところで、ここで早くもトレード。
交換相手はなんと、その年のパ・リーグの首位打者、ロッテの江藤慎一!
首位打者がどうしてトレードに出されることになったのか?

江藤さんが中日時代に水原監督の不興を買って一時引退に追い込まれ
社会人時代の恩師でもあるロッテの濃人渉監督の尽力で復帰できたという
顛末は以前このブログでも紹介したことがありましたが
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/shrimp/article/22

71年7月にこの濃人監督が放棄試合を起こした責任もあって二軍監督に降格(!)され
(この際に二軍監督から一軍監督に昇格したのが大沢親分!)、
シーズン終了後にユニフォームを脱いだのですが、
この処遇に不信感を持った江藤と球団との間に
感情のもつれが起こりトレードされることになったようなのです。

なにしろ、パ・リーグの首位打者の交換相手ですから、相応のレベルの選手で
なけれればならないのですが、交換相手に選ばれたのが3年前のドラフト1位投手、
3年間で5勝の野村だったのです。

その時点ではロッテ不利のトレードと思われていたでしょうが、
野村は移籍1年目の72年に突如開花して14勝!
これはロッテ球団の慧眼が讃えられるべきでしょう。
しかし、翌73年オフに再び野村に悲劇が襲います。

ロッテはこの73年から、あの金田正一が監督に着任します。
この当時、東映(73年は日拓)に実弟の金田留広がおり69年の入団以来、
18勝→24勝→15勝→20勝と大活躍していたのですが、
「実兄の正一率いるロッテ相手には投げたくない」「ロッテにトレードしてくれ」と造反。
このシーズンは7勝16敗と大きく成績を落とします。

兄弟の情とはいえ、どう考えても留広投手のわがままなのですが、
73年オフに日拓が再度、日本ハムに身売りするとチームの改造を考えていた
三原脩球団社長は同投手の申し入れを容れ、ロッテへのトレードを認めます。
(そして、留広投手はロッテに移籍した74年に16勝を挙げて優勝に貢献、MVPに選ばれます)

なにしろ5年間で84勝の大エースですから相応の交換相手でなければ…
ということで、再び野村に白羽の矢が立ったわけです。
野村は6年目にして3球団目に所属することになります。

日本ハムに移って2年目の75年には11勝3敗で最高勝率のタイトルを獲得しますが
この年のファイターズは最下位だったのに、このタイトルを獲るとはさすがです。
最下位チームからの最高勝率というのは、これ以降、98年の黒木知宏しか
例がないそうです(しかし、この年の黒木は13勝9敗、勝率.591で
史上初めて5割代での同タイトル獲得となりました)。
翌76年は13勝16敗でリーグの最多敗と弱かったころの日本ハムで奮闘します。

そして、77年のオフ。当時、古巣の大洋は2年連続で最下位に沈んでいたのですが
78年からは横浜スタジアムに本拠地を移すことになっており、チームの沈滞した
ムードを一掃するべく、77年から再度着任した別当薫監督が大ナタをふるいます。
当時の週刊ベースボールを見ると、
エースの平松政次もトレード候補に挙がっていたのですが、
投手陣の柱と期待されて野村が再び大洋に呼び戻されたのです。
(ちなみに最初に野村が大洋に所属していたころの監督も別当)

野村はその期待に応えて移籍1年目の78年に17勝を挙げ最多勝を獲得。
前年5勝だったこともあり、カムバック賞も受賞します。

一方、野村の交換相手として出ていったのが杉山知隆と間柴茂有。
杉山は前年9勝を挙げていた大洋の主力投手の1人で
間柴は期待されながらも8年間で13勝しか挙げられていなかった左腕投手。

割と釣り合いの取れたトレードだったと思うのですが、
杉山は移籍1、2年目に9勝、11勝と活躍、間柴はハムに移って開花し、
81年には15勝無敗と驚異の勝率10割で日本ハムの優勝に貢献します。
移籍したどの選手も活躍するとは珍しいケースですね。

その後、野村は80年にも15勝を挙げますが、81年は3勝、82年は5勝と成績を落とし、
30代も半ばを超え(82年に36歳)、そろそろ力が落ちてきたと判断されたのか、
中塚政幸の引退などで手薄となった外野手の補充もあって
阪神の加藤博一とトレードされます。

阪神の加藤はブレイザー監督が指揮を執った80年には打撃ベストテンの5位に
つける打率.314、34糖類と活躍したのですが、
監督が代わって以降は出場機会が減って不遇をかこっていたのです。
それが大洋に移って近藤貞雄監督の下、
「スーパーカートリオ」の一員に加わり一時代を築きます。

一方、阪神に移籍した野村は83年に12勝を挙げて復活。
(この年にもカムバック賞をあげてほしかった!)
同年5月には古巣・大洋からも勝ち星を挙げて全12球団からの勝利という
初めての記録を達成し、翌84年には37歳にして開幕投手を務めます。
そして、これまで弱いチームにばかり属して優勝経験のなかった野村さんが
85年に優勝を初体験、日本シリーズでも2試合で1回1/3のみながら登板を果たし、
翌86年限りで引退します。実働18年、579試合に投げて121勝132敗。

前回の古賀正明さんの生涯はかなり悲しい内容だったのですが、
今回の野村収さんの場合は環境を変える度に好成績を残し
交換相手もみなハッピーな結果となったのは幸いです。
こんなに運命に翻弄されるかのように、度々トレードに出される選手というのは
今後は現れないでしょうね。
20070808-01.jpg


BBM北海道日本ハムファイターズ2007より
http://www.sportsclick.jp/sportscard/card/2007_fighters/index.html
野村さんは今季から日本ハムの二軍投手コーチを務められています

※江藤慎一さんのロッテから大洋へのトレードの経緯について現在調査中です。
 明日にもまた、江藤さんについて書いてみたいと思います。

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posted by しゅりんぷ池田 |13:57 | 野球 | トラックバック(1)
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