2007年06月26日

フォークボールの元祖・杉下茂さん

週末はよく図書館に行って本を借りて読んでいるのですが
この週末、遅ればせながら、フォークボールの元祖、杉下茂さんが2004年に
出されたた「幻のメジャーリーガーとフォークボール」(本の友社)を読みました。
http://www.hontomo.co.jp/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=4-89439-456-1

こういう本が出ていることには気付いていたのですが、
いかにもメジャーブームに便乗したようなタイトルと、
「杉下さんのことぐらい、もう十分知っている」という思い込みから
食指が動かなかったのですが、パラパラと本をめくっていたら
「巨人の投手コーチになったときは50歳」という記述が目に入り
「え! そんなに若かったの!」と驚き、
これはまだまだ見逃している部分がありそうと思って、改めて借りて読んでみました。

僕らぐらいの世代だと、杉下さんといえば第一次長嶋政権時代の投手コーチ
(76~80年)のイメージですよね。黒ブチのメガネで、もう60歳代(失礼しました!)
かと思っていたのですが、1925年生ですから、就任時はまだ50歳だったんですね!
何度も書きますが、昔の人は老けていた(失礼!)というか、貫禄がありました。

そして、杉下さんはその時代の方としてはすごく長身(185cm)で、投手交代で
マウンドに行くと他のどの選手よりも大きかったという画も印象に残っています。

同書を読んで驚いたのは杉下さんの引退の経緯。
杉下さんは58年に引退しているのですが、この年11勝。
54年に32勝して中日の初優勝に貢献したあとは26→14→10→11という推移。
全盛時に30勝した投手からすれば不本意な数字で、それで引退したのかと
思っていたのですが、58年の成績をよくよく見てみると、46試合に投げて
投球回は218(!)。昨年のセ・リーグの最多投球回は三浦大輔の216回2/3ですよ。
そして防御率はリーグ5位の1.78。年齢もその年33歳ですから、
とても引退する年齢でも成績でもありません。

杉下さんの引退の経緯は「30歳以上の高年俸の選手を整理したい」という
球団の意向に沿ったものだったそうなのです。
で、同年限りで西沢道夫(通算212本塁打。52年には首位打者&打点王の二冠王)、
服部受弘(投手で112勝、打者として447安打。41年、ホームラン王)
といった功労者もチームを去ります。

そして、杉下は翌年から監督に昇格するのですが、
大先輩を差し置いての監督就任に杉下が抵抗を示したため、
西沢と服部の背番号が永久欠番になったそうなのです。
いやあ、この永久欠番にそんな政治的な意図が込められていたとは驚きです。

やはり、こういう知らない発見があるので、読書は欠かせません。

さらに、もう1点の発見は杉下さん自身が「フォークボールは卑怯」という認識が
あってフォークをあまり投げなかったそうなのです。

杉下さんが現役時代、それほどフォークを投げなかったというのは有名な話ですが、
それはフォーク以外の球で勝負できたから、投げる必要があまりなかったのだろう
と思っていたのですが、杉下さんがフォークにネガティブな印象を持っていて
投げなかったというので驚きました。

喩えは変ですが、時代劇などでよくある、刀で斬り合っている場面で銃が登場して、
「飛び道具とは卑怯なり!」とか言ってる、あの感じでしょうか。
フォークがそれだけ頭抜けて威力のある球だったということでしょうが
杉下さんはそんな武士道精神のような意識をもってプレーしていたのですね。
現在のプロ野球の状況からは想像できないようなメンタリティーです。

今の選手なら自分の成績にこだわって(それはまたサラリーにも反映される)
1球1球に血道をあげているわけですが、それ以前には自分の成績に拘泥しない
牧歌的な時代があったんだと改めて気付き、驚きました。

まだまだたくさん読むべき本がありますね。
みなさんも、是非、地域の図書館にお出掛けください。
現在書店では入手不可能な文献もあったりして、きっと、思わぬ発見がありますよ。
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2006BBM中日ドラゴンズ70周年記念カードより

posted by しゅりんぷ池田 |12:03 | 野球 | トラックバック(0)
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